Вюйумэн 2 : Д'лирзэс, ла малфарно
#11 Бэррагард 《倍良月》
冷たい風が肌を擦る。陽光がいつもより暖かく頼りがいがあるものに感じる。見上げると二つの丘に挟まれた谷には家屋が幾つも立てられていた。現代風のそれではなく、こじんまりとした家屋が並ぶ。通る人々の服も現代風の洋服ではなく、茶と白を基調とした民族衣装を来ているものが多い。
シェオタル語では「
「騙されたのじゃ……」
クリャラフが疲れたように声をあげる。山登りをするのだから最適な服を選んで来いと三良坂を通じて言ったはずなのにその服装はまるで日常と変わらなかった。上半身からモノクロの生地とフリルだらけ、下半身はふわふわな黒い燕尾スカートで動きにくそうなことこの上なかった。やっとこさ登り終えた現状、彼女はステッキに全体重を乗せて俯きながら肩で息をしていた。
「騙されたって、三良坂お前山登りをするって俺言ったよな?」
「えっと……実は言うの忘れてたよ。えへへ……」
彼女は頬をかきながら目を逸らして答えた。どうやらクリャラフに言うのを忘れていたようだった。彼女自身はベージュのサロペットで、頭にはキャスケット帽を乗せちゃっかり完全に登山仕様であった。なんだかんだ言って、自分も足首の捻挫が全快していた上での決定だった。
「それにしてもこんな山奥まで来て何を見に来たんじゃ?まさか雄大な自然だけとは言うまい」
息が整ったらしいクリャラフが自分たちを挟む山を見上げて言う。モノクロチェックのハンカチを片手に顔を拭きながら、目の前のそれだけなら殺風景で陳腐な自然風景に目を向けていた。クリャラフはオタクである上に引きこもり気味だ。仕事でもなければ滅多に日の当たる場所に出ようとしないうえに、休日に外出したという話を聞かないのだ。
「そうだなあ、村の人に名所でも聞いてみるか」
「キミ、計画性ないね……」
「お前にだけは言われたくない」
俺は目の前を通ろうとする民族衣装の男を呼び止めた。シェオタル人らしく銀髪で瞳は蒼色、見ただけで極東人ではないと見分けがついた。
「
「
男はシェオタル語で話しかけられたのを驚嘆の顔で受け止めていた。三良坂とクリャラフもいきなり俺がシェオタル語で男に話しかけたのを見て驚いているようだった。
「
「......
「
男は俺の後ろで待っているクリャラフと三良坂を感心した様子で見ていた。こんな山奥に来る都会人は少ない上、その中にシェオタル語を喋る人間など居ない。彼らにとって俺らは好奇の対象であるはずだった。
ややもすれば、男は伝統的な家が立ち並ぶ谷の一角を指さした。どうやらそこに家があるらしい。
「どこに行くの?」
三良坂は心配そうな表情になっていた。極東人でシェオタル語の分からない彼女にとっては目の前で進んでいる話が理解できていないのだろう。
「彼の家じゃろ?」
「そんな急にお邪魔していいのかなあ」
クリャラフが答える。三良坂は怪我人の家に急に押し掛けて泊まったこ
とをもう忘れているようだ。クリャラフは知らないとばかりに頭を傾げ、
彼女から顔をそらした。
村の奥に入ってゆくと家々が見えてくる。伝統的な家屋は基礎が木で出来ている茅葺きの高床式住居だった。村の人々は行き交う度によそものである自分たちのことを奇妙なものを見る目で見ていた。
「なんかエスニックって感じだね」
「元々シェオタルはこうだったんだよ」
彼女のアホ毛は答えるように振れた。
シェオタルが発展して現在の生活様式が定着したのは極東の影響が大きい。シェオタル人が昔からやってきた事業を受け継いだようなものもなく、極東の資本家たちの介入で完全に変わったシェオタル人の生活に伝統的な家屋は合わなかった。壊され建て替えられ、現代の中央都市の町並み出来ていった。
「
民族衣装を来た男が言う。目の前に現れた家は他のどれよりも大きく立派な建築物だった。それも予想外の大きさだった。
「これは……長老の家じゃの……」
「分かるのか?」
「うむ、この大きさの家だったら村の有力者レベルの人間が居る」
「有力者って……すごい人ってことだよね?」
村の有力者と聞いて胸が高鳴る。三良坂のアホ毛も何時も通りフル回転していた。適当な男性を捕まえて、村の有力者がヒットするとは微塵も思わなかった。だが、この男性が村の有力者の一人だったらこれから行うことの成功率は限りなく高まる。
三人とも彼らに連れられて家の中に入る。地球にこのシェオタルの地が現れる前からこの地域は寒い気候であったという。そんな寒さとは裏腹に、家の中は暖房でも付けられているかのように暖かかった。男はそんな部屋の中であぐらを掻いて座った。座ろうかと考えあぐねていると座れとばかりに彼は床を平手で叩いた。俺たち三人は男を前にして床に座った。
「
「
「ねー、ねークラン君、今この人名前を言ったんだよね?」
「ああ、そうだよ」
三良坂がしびれを切らしたかのように目の前に出てきた。極東語で話している様子をサルニャフと名乗った男は苦笑交じりの表情で見ていた。彼はあまり極東語が分らないようだ。
目の前で何の話がされているのか全く理解できない様子で悶々としていた彼女は、よくぞ今まで耐えてくれていたと褒めるべきなのだろう。こんなところで直情径行を爆発されて何かと勘違いされて村から追い出されては俺の作戦は全くもって意味をなさなくなる。
俺の話を聞いてサルニャフは手を叩いて、家の奥の方に居る人間を呼んで食事の準備を行わせていた。自分たちにまで食事が用意されているのを見るとシェオタル人らしく人をもてなすのが好きなのだなと感じた。
クリャラフもその様子を見て、何か懐かしいものを見ているかのような目で目の前に並べられている食事を見ていた。
「
「
ブラーイェ、その単語を聞くとサルニャフは手を一回叩いて嬉しそうな顔をした。後ろを向くとクリャラフはともかく、三良坂がサルニャフを見ながら、難しそうな顔をしている。話しが分かっていない彼女にはいちいち説明が必要になりそうだ。
「ブラーイェという伝承の始まりはこの村なんだ」
「伝承の始まり……っていうことはこの人もその伝承を知っているってこと?」
俺は問に頷き返した。
俺たちが来ている倍良月村がブラーイェ伝承の始まりの地となったことは姉の研究ノートから知っていた。三良坂の提案したシェオタルの文化が少しでも生きているところを見せるというのには最適な場所であった。
「
男が突然歌うように独特のリズムで言葉を紡ぎ始めたのを聞いて三良坂は目を丸くしたように固まってしまっていた。これについては自分も姉の研究ノートで見たことがある。シェオタル人が物語を語る時の調子だった。さすが伝承の始まりであることを称揚する村の有力者だけあって、その暗唱に淀みは一瞬もなかった。
「
「
何回も姉から聞いたブラーイェの物語の最後の部分であった。サルニャフは上機嫌であった。だが、サルニャフは家のドアのほうがうるさいのに気づいてそちらを開けると小学生くらいの男の子達が集まっていた。彼らの青色の瞳はまるで宝石のようであった。サルニャフに飛びついたり、服を引っ張ったりとやりたい放題だった。そのままサルニャフは外へと子供たちに連れて行かれてしまった。
「
そう言い残して彼は行ってしまった。クリャラフは名残惜しいような顔でサルニャフを眺めていた。大好きな昔話を中断された子供のような顔で半分放心しているようにも見えた。俺はクリャラフの方を向いて静かに話しかけた。
「先生」
「あっ、えっ、何だ……じゃなくて……なんじゃ?」
俺に呼ばれて、いつもの口調も崩れている。完全に慌てている様子だ。髪をかきあげて深呼吸した。
「シェオタルの文化は、紙の上にしかないって言ってたよな」
「…………」
前日の会話を思い出したのかハッとして、すぐに意気消沈して俯いてしまった。俺の言葉が心に刺さったのだろう。そんなクリャラフを三良坂は心配そうに見ていた。少しの沈黙の後に彼女は苦しそうに話を始めた。
「あの暗唱を聞いたときに小さい頃に村の長老に話を聞いたのを思い出したのじゃ。小さい頃は長老から話を聞くのが唯一の楽しみだったのじゃ。でも、わらわがいつも楽しみにしていた伝承は、大戦争と共に消え去った。村に火が放たれ、小銃の音が村に響いて、生きるためにわらわはシェオタルを捨てた。極東軍に協力して、村の男衆の居場所を教え……」
彼女は表情を歪めて、スカートを握った。それ以上は言わなくても結末が分かる。彼女も俺と同じように複雑な過去を負っていた。ただ、それを言いたくなくて俺たちの未来を理由にシェオタルから目を逸らしていたのだろう。
「言葉も、伝統も、誇りも生きるために全部捨てたのじゃ。わらわにシェオタルを救う資格は無い。でも、あれを聞いた瞬間に子供の頃の安心を思い出したのじゃ。その時代に戻りたくなったのじゃ」
「先生……」
「だから、これはわらわのわがままなのじゃ。おぬしたちにわらわが語れることを語ることでそんな未来が来るのなら、おぬしたちに賭けてみたい」
クリャラフは顔を上げた。その深い青色の瞳は潤んでいた。
「わらわを失望させないで欲しい。輝かしい未来を見せてほしい」
「そのつもりだよ」
答えたのは三良坂だった。アホ毛がその強い意志を示すようにぶるっと震える。そんなアホ毛が落ち着くのを見て彼女は続ける。
「ボクは……約束したから。極東人とシェオタル人がお互いに伝承を語り合える未来を絶対に作る。シェオタル語が何の意味も持たない未来なんて最悪だよ」
「ありがとう……なのじゃ!」
「わわっ!?」
クリャラフは感極まって三良坂に抱きついていた。その顔は泣き顔で微笑んでいた。その嬉し泣きはきっと言ってほしかった言葉が極東人の若者から掛けられたからだったのだろう。
俺はその二人の様子を見ながら、作戦完了と思って一人静かに息をついた。
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