ボクたちの言葉が忘れられるこの世界は間違っている

Fafs F. Sashimi

Крантестаюм 1 : 言葉と俺と君の瞳

#0 Этоллэно 《過去》


「ほらそろそろボクは出掛けちゃうぞ、ヴェル君。」

Mили待ってよ, вай姉ちゃん……со эс кхмарласэ焦り過ぎだってば……」


 玄関に立つ姉の影が見えた。彼女は待ちくたびれたかのように手を組んで、背を伸ばしていた。

 言葉が違うものでも通じあえるのは、姉がこの言葉――シェオタル語の研究者だからであった。俺もシェオタル語を知っている。だから、俺と姉は二人の間だけで秘密の会話が出来る。ヴェルという自分のニックネームも彼女が自分に付けてくれたものだった。


Йолもう ми тюд行っちест йаゃうよ!」


 早く来るよう催促する姉は玄関で腕を組んで不満げにしている。俺はその声を聞いて焦った。自分の持ち物を確認すると姉のもとに走る。小学三年生となった今年の誕生日に買ってもらったお気に入りのバッグに帽子、忘れ物はない。


 街は賑やかだった。

 年末祭の屋台が残る今は一月、雪で真っ白に覆われた瀬小樽せおたるの街はどこを歩いてもしゃくしゃくと雪を踏み潰す音が聞こえた。それが楽しくて何ら欲しいものもないのに姉の買い物について行くことにした。


Зэлэнэ今日は хармиэ со何の зэност昔話が фаллэр聞きた каштлуркいかな?」

「うーん……」


 姉は俺の方を見てにこにこしている。シェオタル人特有の銀色の髪が陽光を受けて独特の光沢を放っていた。ポニーテールと一本飛び出たまとまった髪の毛が可愛らしかった。いつ見ても研究者というステロタイプに似合わず綺麗な姉だと思う。

 この瀬小樽には二人以外にシェオタル語を知っている者は居ないと言っても良い。姉は昔はもっと多くの瀬小樽の人が知っていたというが、俺は話せる人間には会ったことがない。だからこそ、安心して二人だけの秘密の話が出来る。そうやって姉からは面白いシェオタル語の昔話を幾つも聞いていた。姉とシェオタル語を話せる時が自分にとって一番楽しい時だ。


「そうだ、ブラーイェの話をしてよ」

「ふふっ、これで何回目?」


 姉はしょうがないとばかりに微笑んだ。だが、全く嫌な素振りは見せなかった。彼女自身も守護者ブラーイェの話は好きなのだろう。

 ブラーイェ、瀬小樽を守る魔導守護者の話である。シェオタル人が滅びようという時、悠久の時を越えて復活し敵を滅ぼす。そういう感じの昔話だった。シェオタル人を滅ぼそうとする憎悪と悪意しかない人々が、守護者たちによって薙ぎ倒されていく話のオチは何度聞いても心が熱くなった。


 そんなこんなで歩いているといきなり姉が俺の髪を触ってきた。


「というか、その長い髪切りなよ?後ろ髪なら良いけど、前髪が目に掛かるのは――」


 そこまで言って姉は背後を仰ぎ見た。何のきっかけもなく、何かに気づいたかのようだった。

 大きく軋む音が聞こえる。俺は振り返る暇もなく姉に突き飛ばされた。歩道に投げ出されて転げ回る。視界に移るものが目まぐるしく変わっていったと同時に破壊音が聞こえた。

 俺には何が起こったのか全く理解出来なかった。打った頭が脈動と共に痛んだ。やっとのこと立ち上がって前を見る。そこには姉が歩道に横たわっていた。奥の方を見るときれいに並んでいた年末祭の屋台が薙ぎ倒されていた。その先に塀にぶつかった車体が見えた。


「姉ちゃん!!」


 何も考えられず、姉に走り寄った。体の節々が痛むが構ってられない。姉のもとに近づいて顔を確認する。彼女の額からは血が流れていた。彼女は何か達観したかのような表情になっていた。呻きながら塀にぶつかった車を確認して、深く息を吐いた。


Йаああ, шэоталシェオタルは йуиいつも эс шалэそう ла лэшだった. йуиいつも в'афла мал誰かに虐げられて йуиいつも афла фьасфа誰かを虐げた фуа нейодо生きるために.」

「喋らないで!今すぐ誰か呼んでくるから」


 姉は俺の手を掴んで首を振った。弱って震える手で俺を抱き寄せて、頬を擦り寄せる。苦しそうな息遣いが聞こえる。名残惜しそうに寂しい表情をしていた。いきなりの行動に固まったまま何も出来なかった。


「ヴェル君、一つお願いがあるんだ」

「姉ちゃん……?」


 姉の青い瞳が真剣にこちらを見つめていた。答えようにも口がうまく動かなかった。混乱して、言葉が出てこなかった。


「ボクが死んでも、シェオタル語を忘れないで守ってほしい。ボクのためにも、シェオタル人のためにも……必要なんだ」

「忘れないし、姉ちゃんは死なない!待ってて、絶対に戻って――」


 腕を強く掴まれる。姉の表情はとても真剣だった。見ていられない気持ちになって辺りを見渡す。こんな事故が起こったのに、人一人誰も来ないのが不思議でならなかった。


「約束して、ヴェル」


 姉は自分の髪からヘアピンを取って、俺の髪に付けた。目に掛かる右髪を留めて、頬を撫でる。すると彼女は眠るように静かに目を瞑った。体から力が抜ける。俺の腕を掴んでいた手は力無く地面に打ち付けられた。


「えっ、姉……ちゃん?お姉……ちゃん……なん……で……」


 涙が溢れてきた。何も聞こえなかった。何も感じることも出来なかった。その時はただ、その場で泣きつくすしか無かった。

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