第20話
≪太陽暦:三〇五六年 十一月三十日 二四:五九 廃殻¨大羿¨開発区外周≫
砂塵を撒き疾駆する自動二輪が、タイヤ痕を残しながら停車する。地に降りた壊都自警の長、武牢は乱雑にアルナを放り投げた。硬質の礫の上に少女が転がる。
「……こんなことは無駄なはずです」
それでも、彼女は武牢へ怜悧な声を毅然と放っていた。
「何だ。以前見たときは銃声一発で失神しそうに見えていたが、存外気丈じゃないか」
「企業連は既に大羿計画に協力しようとしています。あなた達の雇い主はもういないはずです。このような行為に、何の意味があるというのですか」
「むしろその雇い主様が手を引いちまったからさ。僅かな手付金ばかり残してな」
「……そのために略奪を?」
「いいや北辰さん。そいつを雇っているのは企業連とは思えん」
耳慣れた、しかしここにいるべきでない声が聞こえ、アルナは振り返る。そこの居たのは、両手を縛られ地に転がされた亜粋と、数人の工員たちだ。中には警備にあたっていた者たちも見える。
火器による襲撃が始まる前から既に制圧は済んでいたということか――アルナは苦々しく唇をかんだ。
「壊都大遺構を爆破するなどという荒事に出たくらいだ。そこまでしておいて後々の糾弾や損失を企業連から補填されるとは思えん」
――――あれは壊都自警の仕業だったのか。驚愕に目を見開けば、その様子を武牢はさも愉快そうに嗤う。
「よく気づいたな、爺。そうさ、本当のことを言えば俺らの雇い主は企業連じゃない」
「ちょうど今のように、人を数十人消しても火の粉が掛からない、企業連より更なる上位層の輩というわけだな」
「……貴族階級」
富と権能を持ち、そしてその保持に例え血を流そうと執心する者たちと言えば、月都黎明期より続く名門の血筋に外ならない。そして一切の醜聞を嫌い自ら手を汚さないものともいえば、尚彼ららしい。
「そうさ。俺らの雇い主はやんごとなき方々よ。よほど“タイヨウ”が落ちたその後のことが怖いらしいな」
「“タイヨウ”が墜ち廃殻が富を得だしたら、この強固な体制は崩れかねんからの……しかして」
亜粋が白髯をもごもごと動かす。その目元や鼻頭には真新しい内出血の痕が浮き出ている。
「お前さんはそれに服従するというわけか。かつての大遺跡荒らしが」
亜粋の言葉は無風の砂原のごとく平淡としていたが、言葉のそれは揶揄に外ならなかった。されど武牢は低く笑い、耳まで裂けんばかりに唇を歪める。
「くく……かまいやしねえよ。何れにせよ俺らはお貴族様の食客として手厚く扱ってもらえるだろうからよ。壊都自警なんていう、廃殻の山賊からだぜ?」
「……自分を見下すものが造った檻の中で、王様になることがそんなに嬉しいですか」
地の底で蠢くような、重厚な怒気。アルナの面に、彼女らしくない憤怒と侮蔑の表情が現れる。武牢のような人間は彼女として最も許せないものなのだろう。誰かの造った
「フン。それが要領よく立ち回るということだ」
アルナが憤怒の余り声を荒げようとしたとき、くつくつと白髭の内で亜粋が笑い声を漏らした。
「成程な。賢い。賢い――愚者だの」
ばつん、雷管が爆ぜる音がして、硝煙が横殴りの風にたなびいていくのを、アルナは真っ白な頭で認識する。
武牢が懐から取り出した拳銃が火を噴き――それまで中腰で立っていた亜粋が、仰向きに倒れる。その腹部から関を切って溢れた血が河となり、野に染みていく。その様子が、アルナには何故かとてもゆっくりに見えた。
「あすい、さん……」
「煩い爺だ……壊都でお山の大将をしているのはどっちだ!?お前が小賢しく立ち回るお陰で、俺は今まで壊都で勢力を伸ばせなかった。山賊の頭領に甘んじてたんだぞ!?この俺が!」
軍靴が亜粋を蹴りつける。苦し気に呻く老爺を微塵も容赦せず、武牢は尚も足を振り下ろす。アルナを含め、囚われた工員たちが一様に声を荒げるが、壊都自警の側近たちの隆々とした腕に圧されてしまう。
「だがそれも終わりだ。もうそれも終わりだ……俺は上に行く!貴族様のお囲いだぞ?こんな寂れた廃殻で、お前らが風化していくのを地下から見下ろしていてやる!」
その隻眼の男の目に現れる、烈火の如き野心と麻薬めいた多好感を伴う支配欲。ただの老爺を絶対的安全なる状況にて虐げる今にすら、凶暴な全能感を彼は堪能していた。
それが武牢という人間なのだろう。権能に乾き絶対性に執着する権威主義の獣。そしてアルナが最も下卑する人間とはそういう人間だった。構造を変えることなく構造の内で公然とのさばり、利己心や嗜虐欲を満たし続ける者たち――だが大義を得、性悪を開き直った者たちは、強い。
事実火器を携え、そして貴族階級の後添えにより士気を高めた彼らにアルナは足掻くことすらもできない。
時に諭すように、時に試すように、歩み寄り過ぎず自分を支えてくれた老爺を、助けることすら。
己の無力さにきつく、きつく奥歯を噛みしめる。どこからか入った砂利がその中で潰れ、不快な感覚が口内に染みる。だが大嫌いなものが視界一杯に広がっていることこそが、何よりも苦々しい。
もう、こんなものを見たくないから、ここまで来たのに。
武牢が飽きたように足を降ろし、代わりに拳銃を抜き撃鉄を起こす。
そして引き金に指が掛かる瞬間に――彼方から金光が駆け、武牢へ衝突した。
風圧で砂塵が吹き上がり、ここにいる全ての者の目を傷つける。壊都自警達が思わず屈めば、霧中に影が踊り、一人、また一人と文字通りの鉄拳に弾き飛ばされていく。
その様をアルナも認めれば、次の瞬間には赤茶けた肌の腕が自信を抱き込み、霧中から連れ去った。
そこにいたのは、炉那だった。一方の手で亜粋の襟を掴み引きずると、そのままアルナと共に自警より離れる。
「ろ、炉那さんっ!……また、助けられましたね」
「そういう仕事だ」
言いかけて、頭を振る。頭の中で蛮風のしたり顔が見えて非常に嫌になった。
「……お前にいなくなられると、困る」
その、少年らしくない言葉に、しばし呆気にとられたアルナだが――少年の背後、霧中に人影が立ち上がるのを見た瞬間に、血相を変え叫ぶ。
「炉那さん!武牢は、まだっ!」
「―――――!」
案の定火花が煌めき、弾丸が煙霧を裂いて飛んでくる。直前に動いた炉那が伏せ、あるいは幾筋かはその右腕で弾く。
砂塵が消え去った後、その向こうに壊都自警の団員たちの姿はすでになく、健在しているのは武牢だけであった。そうであるのに、この男は不敵に笑って見せる。
「……北辰。亜粋たちを連れて戻れ」
「勝手に、話を進めるなよ、坊主」
されど妙なのは堂々と対面していることだ。炉那が腰に帯びる白銀の大口径を見ているはずなのに、射線から身を隠すため屈むこともない。この男は、的になるかのように仁王立ちしている。
「そいつを確実に
「できると思うか?」
炉那の揶揄をも鼻で笑い、武牢は一歩、歩み出た。
「無論。お前らはアスファルトに投げ出された蚯蚓みたいに、何もできないまま惨めに死んでいくんだよ」
炉那の小砲が嘶き弾丸を吐く。続けざまに発射。発射。発射。弾倉(マガジン)を空にし、
武牢に肉薄すると、その直前で膝を折り、発条の如く跳躍。身の丈2m余りある傭兵の眼前に到達すると――その鉄腕を振り下ろす。
半t余りのジープを振り回し、大遺構の害獣たちを殴殺するその逸脱機。
それが、武牢の頸部を殴打し――止まった。
「…………!?」
接触と共に、この男の脛骨が折れる様を想定していた炉那は、目の前で起こっている頂上現象に硬直する。
さらにいうなれば、先ほどこの男に打ち込んだ弾倉一つ分の弾丸も、その隆々たる筋骨を包むジャケットに頭を埋め停まっていた。防弾ジャケットか何かかと思っていたが、ここまでの強度は説明がつかない。加えて、この男の耐久力だ。
もしや、この男も――そう思ったところで、武牢が炉那の右腕をとらえ、麻衣か何かの様に粗雑に振るう。地に転がった炉那は腕を畳み受け身を取り、姿勢を正したところで“それ”を見た。
壊都自警の頭領の胸や腰、果てにはその眼帯に隠されていた眼窩から、軟体類じみた水色のチューブ状の器官があふれ出し、蠢いている様を。
絶句するアルナや捕縛を解かれた工員たちを横目に、炉那は苦々し気に冷や汗をかく。
「お前も持ってるのか……逸脱機を」
武牢の哄笑が高らかに星空下の原野に響けば、そのチューブの群れに蛍光が宿る。炉那と相対した傭兵の姿はもはや四方へたなびく触手の塊、外宇宙より降りた異形の怪物かのようであった。
炉那が地を這うような低姿勢で駆け、滑るように緩慢な武牢の背部に回るとそのまま鉄腕で一撃、二撃と尾てい骨を打つ。粉砕される尾てい骨――否、武牢は依然としてその姿勢を崩さない。
不可思議なる事象に舌打ちする炉那の、顔の側を通るチューブ、その内に充填された体液のようなゲルが、微震していくのを彼は視認する。
その震動は神経を奔る電流のように伝播していくと、チューブの端が触れていた、自動二輪ががこんっ!と砕け散った。
その瞬間、炉那は武牢を包む管がなんであるかを理解する。彼方に見ていたアルナも、その現象を――逸脱機の用途を理解し、そして戦慄した。
「そんな……衝撃を、受け流している……!?」
「今更理解したのか!」
武牢は炉那が続けざまに打った蹴りを避けず受け止め、その衝撃すらも地に流す。砂海が間欠泉の様に吹き飛ぶ。
「壊都大遺構が最下層、前文明の霊殿で発見されたこの『
舌打ちした炉那が拳銃を抜き、武牢の腹部へ一点連射。されど銃弾はジャケットや表皮を傷つけた程度で推進を停止。後方の原野の表面に弾痕が浮き出る。
「亜音速の弾丸も150kmの装甲車も、この俺に触れた瞬間全ての運動エネルギーを奪われて停止する――それに、だ!」
一歩後方へと引いた炉那の身を、武牢のチューブが蠢いて絡む。反射的に鉄腕を振りぬいた炉那の身が、何かに撃たれたかのように悶絶した。
振り払われたチューブを伝播した衝撃が、自分の身体に受け流された――彼がそう理解した瞬間には、既に彼の身体はチューブに拘束され、気管すらも締め上げられる。
「がああっ……!」
「こうすればもうどうにもできない絞め技となる」
それでもと足掻く炉那の身に、己が抵抗した分衝撃が身まで響き、骨肉を傷つける。袋叩きにされているかのように四方の痛覚が哭き、肺が萎んでいく。そして抵抗の力を失えば、今度は残忍な触手が気管を締上げる。
「だから言っただろう!お前らは何も!できないまま!死んでいくと!」
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