太陽撃墜
あほろん
第一章 邂逅序曲
第1話
≪太陽暦:三〇五六年 九月七日 一九:〇〇 月都≫
天に瞬く星界は、まるで珠玉を砕き振り撒いたかのよう。幾千幾万の光玉は、それぞれの息吹がまじりあい、一帯の光雲として天上に漂う。
古代の人々がそこに神話を見出したであろう光景。だけど、此処にあるのは疑いようもなく紛い物。
星天は奇妙なことに、天球の端、地平線の間際で綺麗に途絶えていた。代わりに地上に満ちるのは起立する黒壁、そこから放たれる目も眩むネオン。天に突き刺さらんと建立され、人造の燐光を煙らす摩天楼。
その、足元。真紅の絨毯が敷かれ、絢爛たる揃いの人々がそれを踏みしめる。その背後では、映像機器が群れ集まり、一匹の複眼の獣のように見える。
社交に集う人々は、その仮面の下に侮蔑と落胆を忍ばせているのを、彼女は知っている。
レンズの向こうでは、好奇と猜疑心がこちらを睨んでいるのを、彼女は知っている。
それでも、と少女はこの深紅の絨毯を踏みしめた。
人垣を割ってその先へと目指すのは、白金線の長髪を宙に流す少女。糊の張った純白のスーツは、絨毯と対比され浮いて見えた。されどそこを毅然として進み、紫檀の演説台へと昇る。
演壇に設けられた拡声器の前で、わずかに息を吐いた。そして自分でも無意識にその髪の端を、指にからめる。
心臓が暴れている。呼吸がテンポを逸していく。地面を踏んでいる感覚が消え、宙に浮いているように、存在感がおぼつかなくなる。身体が本能的に、逃避を求めている。
だけど、それらの激情を抑え、殺して、少女は天を見上げた。
その夜の先にあるはずの日輪を。
地殻の裏面に造られた、50平方キロメートルあまりの疑似天球ではなく――35kmあまりの大地の壁を越えた、地上で今も燃え続けているであろう二つの太陽を。
「―-―-太陽官就任の折、斯様に立派な舞台を設えていただき、光栄の限りに御座います」
演説台に両の指を添え、少女は言葉を紡ぐ。拡声器はそれを捉え、街へと発信する。
「謹んでこの責務を全うするがために、わたくしは改めて市民の皆様との約定をここに宣言致します」
衆目から剥き出しの失望、軽侮、敵意が刃となって少女の矮躯に突き刺さる。
もうわかっていた、この街にはもう、敵しかいない。
それでも、いいから。
「第五十八代太陽官、北辰アルナ――私は必ずや、¨タイヨウ¨を撃ち落とします」
***
≪太陽暦:三〇五六年 九月二十七日 一〇:〇三 廃殻西方部≫
踏みしめられた獣の肋骨は、音もなく罅割れ、砕け、一握の砂塵に変わる。
地平線の先まで広がる砂礫の海に、生命を感じさせる青緑は無い。空から降り注ぐ日射と、地を蹂躙していく熱風が、そんなものを全て奪っていってしまった。
乾いた地表を、旅深靴が踏みしめ砕く。靴に滴った汗の一粒は、次の風が吹く前に乾いて消えた。
延々続く荒野を行く影が、ただ二つ。
「暑いぃ……」
外衣に身を包み、膨らんだ旅装を背負った長身の男が、膝に手を当て項垂れる。何を生業にしているのか、泥に汚れた革袋からは無数の工具やザイルが垣間見えた。
片割れはそれに気を止めることもなく、颯爽と突き進む。
「おい、暑いんだから待ってくれよ」
「待つか馬鹿。この世界で熱くない場所なんて無いぞ」
いや、あるにはあるか。だが¨
「いやそうは言っても人間には限度がある。ほれ見ろ!今の気温は……ひっ!52度だ!」
「なんだ、昨日よりも低いじゃないか」
「いや!これは旅を中断すべき事態だ!今日中に次の都市まで行くとか、地獄への坂を転がってくに等しい!今日は適当な穴倉で野営としよう!」
「……いいか、
僅かに風が靡く、身長の低い男の外衣を撫でる。めくれた外衣から彼の顔は露わになり、照り付ける日光に眉をひそめる。
焔に焦がされたような、赤茶けた肌。竈の底にたまる灰の色の散切り頭。涼をもたらす僅かな風にも、興味なさげに目を細める、齢は15あまりの少年。
そしてその右腕は、二重三重に衣切れが巻かれていた。
「この無理な行軍を計画したのはお前だし、今日中に街に行かなきゃ水が切れる程に、がぶがぶと飲んだのもお前だ」
「あ~そういうこと言う?そういうこと言うか?
対する男も外衣を取り去る。少年に対比して白い肌を持ち、窶れた髭面の中年は少年―-炉那に近寄り、皮の厚い拳で小突いた。
「そも急に街を出なきゃならなかったのは誰のせいだァ~?」
「……確かに俺が前の街で暴れたからだ。だけど止めなかっただろ?」
「えっ何?お前もう15だろ?15なのに『めっ』って言ってくれなきゃ後先わかんないの?」
「…………」
炉那の肩にわずかに力が入る。蛮風と呼ばれた男は身を引くと、どっしりと地に腰を落ち着けた。
「お前がなーんと言おうが!俺はもう動かん!動かんからな!お前が、適度に深くて影が差し込んでて清涼感ある空気に満ちている穴蔵を見つけてくるまで、一寸たりとも動かん!」
「我儘爺……」
「心が傷ついても動かん!」
舌打ち。炉那は蛮風を視界の外にやり、進路に戻る。
五歳児にも相当する癇癪ぶりだが、それでも中身は――詳しい年齢は知らないが――老人の粋にも入った中年だ。このまま進んでいれば、結局諦めてついてくるだろう。
そう考え少年は黙々と進む。間もなく正午から二刻過ぎに入る。日輪が最も高く輝き、人を殺す程に気温が高まる時間だ。休む場所が必要なのは事実だろう。
せり上がる砂丘を越える。その先にあるものを気づき、少年は目を細めた。
砂丘と砂丘の谷間の底に、一台のジープの、上から半分。
何があったかを察して、荷物袋の中から輪かんじきとロープ、杭を取り出す。砂丘の、比較的安定した地面に杭を打ち、荷物袋で固定した後ロープで己と繋ぎ、かんじきを付けた足で滑る。
案の定底は流砂地帯となっていた。かんじきが無かったら、きめ細かい砂に足を飲まれていただろう。嫌らしいのはそれが砂丘の谷間にあることだ。この間の道を進んでいったものは、突然の罠に気づかず入り、気づいた時にはもう、眼前の車のようになっている。
ジープはすっぽりと砂に呑み込まれていた。悲惨なことに、ドアの半分までだ。もうこうなると砂の重みでドアが押さえつけられ、開かない。
そして射光を浴び続けた車体は、十分も待たず肉が焼けるほどの高温になる。¨
こんな高温の中に閉じ込められれば、人間がどうなるかなんて簡単だ。運転席と助手席、そして背後の座席にもう一人、人間の干物。
数週間は立っているのだろうか、その表面はすでに水分という水分を奪われ、触るだけでほろほろと崩れていきそうだ。遺体はそれぞれ大きさが違った。運転席は男の身体で、助手席には成人した女の大きさと、洋装。座席に転がる小さい体は――そういうことだろう。
その様子を、炉那はじっと注目する。祈るわけではなく、身が竦んでいるわけでもない。
考えるものは一つ。まだ何か使えるものは残ってないのか。
ふと、少年は額に手をかざした後、天を仰いだ。太陽の光で目を焼く行為だが、五本の指の隙間からそれを見れば、幾分和らぐ。
指の向こうに見えるその天頂に、一片の慈悲もなく熱と光を注ぐ日輪が、二つ、見えた。
*
かつて晴天にはたった一つだけ日輪が浮かんでいたという。
だが、今は違う。流転する太陽と天頂に不動なる¨タイヨウ¨が地を炙る。そのお陰で、地上は灼熱と渇水の極地に変わった。
炉那は詳しく知らないが、¨タイヨウ¨と太陽は同じ種類の天体ではないらしい。こうして仰ぐとその大きさはほとんど同じに見えるけど、それは遠近法というもの。実際は月よりも小さい¨タイヨウ¨が、地球の成層圏を浮遊しているからだとか。
そも¨タイヨウ¨は人類の被造物だ。人工恒星¨タイヨウ¨。ずっとずっと以前、失われた前文明の無限のエネルギー生成器。突如歴史上から姿を消した前文明の置き土産で、延々過大な熱量を放ちつづけるもの。だけど、同時にそれは人類種に天恵を与える。
¨廃殻¨。正確に言うならば惑星地球の地表部だ。そこは年間を通して気温45~60度の死の世界。だけど、その足元の下、地底には人類が生み出した楽園が広がっている。地表から35km下部に広がる、射光を避け熱波から逃れた地底世界¨
だが炉那はそんな場所を一度も見たことはない。廃殻の都市に地殻間エレベータ―が駆動していることから存在はしているのだろうが、それを見ることは永劫無いだろう。そこを下れるのは月都市民か、非常に希有で実在すら疑われる許可証を持つものだけだ。
それを手にするために躍起になるものはいるけれど、大抵はこの廃殻で心を潰して生きるか、野垂れ死ぬか。
分断されているのだ。この世界は。焦熱の原野と清涼なる都に。人々もまた地殻の向こうの世界のことなど忘れて生きている。あの世のことを常に思いながら生きる人間など、いないのだから。
雲一つなく、目に痛い程鮮やかな青空。これが¨廃殻¨の空。現代の地獄は地下じゃなく、地上にある。
「ろ~~~~~な~~~~~~~~~~~~~~!」
喧しい。炉那は舌打ちをすると、声の方向を睨む。当然そこには蛮風がいて、砂丘の上、炉那を繋ぐロープを引っ張っている。
「やめろ蛮風。まだ物色し終わってない」
「いやいやいや!そんな場合じゃねえ!幸運だ!天の恵みだ!ゴッドブレスだ!」
意味不明で支離滅裂なことを捲し立てると、蛮風はその髭面を子供のように輝かせ、砂丘の向こうを指さした。
「車が走ってきてる!乗せてもらおうぜ!」
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