香澄の日記(六)

 [二〇一五年八月二十四日 午前十時〇〇分……悪夢のような出来事から約一〇日が経過するものの、私の症状は一向に改善する見通しがない。むしろ悪化している傾向にあり、ここ数日はしっかりと睡眠を取ることさえ出来ない状況になる。それに加えて、ここ数日ほど悪夢にうなされる日々も続く。

 詳しい症状については最後にまとめるが、私はこれ以上この家に留まるわけにはいかない。このままだといずれ私は無関係な家族や親友たちにも迷惑、場合によってはを加えかねない状況下にある――それだけは何としても避けないと!


 私の子どものころからの夢でもある臨床心理士――今日まで必死に学び続けた心理学の知識が、まさかこんな形で役立つとは夢にも思っていなかった。何とも皮肉な話だと自分でも思うけど、それももうすぐ終わるわ。

 

 そしてこの日記をジェニーたちが見つけたころには、私はすでにそこにはいないでしょう。そしてもう二度と私がその部屋へ戻ることは……ありません。

 こんな私でも一欠片ほどの愛情を抱いてくれるなら、最初で最後のわがままを聞いてください――どうか私をにしてください。私が高村 香澄という存在を保てる間に、そして心休まる場所で最期を迎えたいと思います。それが私に出来る……あの子への贖罪しょくざいなのだから。

 またわずか二十数年足らずという短い人生だけど、私なりに学んだことを格言として残しておきます。これが今後心理職を学ぶ人たちの支えになることを……私は切に願っています。


           『私の愛する家族とお友達へ』


 表向きは気にかけていないふりをしていたけれど、大学構内のみならず自宅でも私のことを見守ってくれた、男性。中学時代から一人アメリカへ留学した不安で胸がいっぱいの私にとって、これほど心強いことはありませんでした。

 私にとっての憧れの父親でもあるケビンへ――あなたとは一〇年近くのお付き合いとなりますけれど、今まで本当にありがとうございました。


 ワシントン大学の生徒や教職員だけではなく、多くのアメリカ人から尊敬され続ける偉大な女性。あなたの存在は、私の人生における大きな目標でした。

 私の愛するもう一人の母親フローラへ――今後もアメリカでも有数の敏腕臨床心理士として、心の病に苦しみ人たちを一人でも多く救ってください。


 両親を亡くしたという哀しみを背負いながらも、その傷ついた小さな体で今日まで一生懸命前を歩いてきた女の子。あなたには辿たどから、これ以上自分を責め続けないで。

 過去を乗り越えた強さを持つエリーへ――あまり人付き合いが得意な私だけど、お友達になってくれて……本当にありがとう。最後にあなたへ直接謝罪の言葉をかけることが出来なかったことが、私の心残りだけど……ね。


 不器用ながらも一生懸命に物事に取り組み、そして周りの空気を和ませてくれた心優しい性格の女の子。私と一歳しか年齢が離れていないのに、どこか子どもっぽい性格が好きだった。優柔不断なところも多々あったけど、そんなあなたが私は好きだったわ。

 一人っ子の私にとって可愛い妹のようなジェニーへ――もう一緒にお勉強することは出来ないけれど、あなたなら立派な臨床心理士になれるわ。だから私の分まで……


 幼少期からの舞台女優になるという夢を無事叶え、今では舞台女優としてアメリカ全国で注目されている私のルームメイト。右も左も分からず不安で胸がいっぱいだった私に、明るい笑顔を見せ手を差し伸べてくれたあの瞬間のことは、今でもはっきりと覚えているわ。

 言わば腐れ縁みたいな存在でもあるメグへ――最後の最期までだったけれど、それもこれで終わりだから安心して。……今度のクリスマス公演、頑張ってね!


 今まで知ることがなかったを教えてくれ、そして私の人生においてとても大きな存在となった少年。あなたが感じた切なさや孤独などの数々、今なら少しだけどその気持ち……分かる気がするわ。

 少し内気だけど物事に一生懸命に取り組むトムへ――もうすぐ私はあなたの側へ行くわ。そしてあの時みたいにまた……一緒に遊びましょう!


 そして二〇年以上もの間不器用な私を見守り続け、たくさんの温もりと愛情で育ててくれたお父さんとお母さん……今まで本当にありがとう。お父さんとお母さんのおかげで、私は多くのお友達や大切な人と出会うことが出来ました。そしてシアトルは私にとって第二の故郷となり、長年の夢だった心理学についても色んなことを学びました。

 さらに私は教育実習の一環としてを学びものの、その過程の中で私は一人の少年を自殺に追い込んでしまいました。法的に私は責任を問われることはなかったものの、小さな命を救えなかった事実には変わりなく、これは到底許されるものではありません。


 事件から数年ほど経った今でも私の心身は癒えることはなく、それどころかという病気を発症してしまいました。かつての私は少年の心のケアを行っていたのですが、今度は自分が治療を受ける立場になってしまうなんて――ですがこれは少年の命を救うことが出来なかった、私への報いなのでしょうか? 


 このままでは自責の念に駆られるだけでなく、夢遊病によって私は大切なお友達や家族まで傷つけてしまう可能性もあります。そんな結末だけは絶対に迎えたくない――だから私は症状が悪化する前に、と思います。


 お父さん……お母さん……最後の最後まで迷惑をかけ続けて……そして親不幸な娘で本当にごめんなさい。


            『高村 香澄の格言』


【銃やナイフは時に人の命を奪う凶器となるが、心理学という学問自体に殺傷力はない。しかしどんな人の心にも小さな悪魔が住みついており、誘惑に魅入られた人はこの世で最も苦く冷たい温もりを味わうことになる。

 またやっかいなことに、悪魔の誘惑は私たちの日常の中に隠れており、それはある日突然私たちの体を蝕み人の命を奪うガン細胞のようなものだ――そして心理学という細胞と組み合わせることによって、それが新たなガン細胞を増殖させるきっかけになることもある。

 この時初めて心理学は銃やナイフなどよりも強い殺傷力を持つ学問となり、目に見えぬ凶器として私たちの心を少しずつ蝕んでいくだろう】

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