【香澄・マーガレット・ジェニファー編】
動揺を見せる香澄の心
三章
【香澄・マーガレット・ジェニファー編(一)】
ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅二〇一五年七月二五日 午前八時〇〇分
香澄たちからサンフィールド家におきた悲劇をエリノアが知った翌日――リビングにはハリソン夫妻と香澄たちが席に着き、いつものように朝食を食べていた。しかし香澄たちの様子はいつもと異なり、食事中もずっと沈黙の時間が流れている。
特に暗い雰囲気が苦手なマーガレットにとっては、何よりの苦痛。誰よりも明るく陽気な性格のマーガレットでさえも、さすがにはしゃぐ気分にはなれなかった。
そんな沈黙を破ったのは、一番心を痛めているであろう香澄の言葉。
「……あっ、もうこんな時間ですね。フローラ、お皿を洗い終えたら私大学へ行きますね」
そう言いながら香澄は食べ終えたばかりのお皿を手に取り、台所へと向かう。だがその言葉を聞いた親友のマーガレットは
「ちょ、ちょっと待ってよ。事件も無事解決してようやく一息つけるって時に……一体何をしに大学へ行くの!?」
と耳を疑いながらも、香澄の腕を強く握りながら呼び止める。
「何って……決まっているでしょう? 一年分の遅れを取り戻すために、大学の図書館へ行くのよ。あそこならたくさんの専門書もあるし……」
「こんな時にお勉強!? “新学期が始まるまでは難しいことは考えずに過ごす”って昨日の夜に私と約束してくれたこと……もう忘れたの!?」
「ありがとう、メグ。私のこと心配してくれて。でも昨日の夜に少し頭を冷やしたら、気持ちが楽になったの。だから本当にもう……大丈夫よ」
香澄は一人になりたいのだろうか? 突然“心の傷はもう癒えたわ”と自分の気持ちをごまかすばかりか、“大学の図書館で心理学の勉強をする”などと突拍子もない言葉を口にする。だが香澄の心に残った傷が一晩で癒えるはずなどなく、それは彼女の強がりであることは誰の目からみても明白。
しかしそんな香澄のよそよそしい態度が、中学時代からルームメイトや親友として一緒に過ごしてきたマーガレットには許せなかった。
「香澄。本当にもう……大丈夫なの?」
「えぇ、私はもう大丈夫よ。……お話はもういいかしら? 早くこの食べ終えたお皿を洗って、大学へ行く支度をしないと」
側にいるジェニファーとハリソン夫妻は、香澄とマーガレットの会話をただ静かに見守っている。だが彼らも香澄の心が一晩で治ったとは思っておらず、何としても彼女を引きとめようという気持ちはマーガレットと同じ。
「あなたは今“もう大丈夫”って言ったけど、そんなの絶対嘘だよ。……学生時代の時から一緒にいる香澄のことだったら、私何でも知っているのよ!」
「私が嘘を? ……お願いだからメグ。そういう冗談はやめて」
そう言いながら先ほどのお皿を持ちながらシンクへと向かい、スポンジへ洗剤を付けてお皿洗いする香澄。何も言わずに黙々とお皿を洗い続ける香澄の背中が、マーガレットたちには彼女の悲痛な叫び声を発しているように見える。
「だって今香澄が洗っているそのお皿……さっきまで私が使っていたお皿なのよ!」
いつもの香澄なら、自分以外のお皿を取り間違えることなど絶対にありえない。だがマーガレットたちの目の前にいる香澄は、そんな初歩的なミスをしている。今自分が洗っているお皿がマーガレットが使用していたという言葉を耳にした瞬間、洗い物をしていた香澄の手が時を止めたかのように固まる。
「…………」
そして淡々と流れる蛇口を閉めると水の音が聞こえなくなり、同時に香澄は唇を強く噛みしめ苦難の表情を浮かべる。そして再び香澄は口を閉ざしてしまう。
これ以上傷ついた香澄を放っておけないと思ったのか、リビングの椅子に座っていたフローラがそっと声をかける。
「……メグの言う通りよ、香澄。とてもじゃないけど、今のあなたはお勉強やお仕事など出来る状態ではないわ。そして私からも……いいえ、みんなからのお願いよ。香澄……自分の将来のことやお仕事のことなどの難しいことは何も考えなくていいから、今は心身共に休息が必要よ」
香澄が恩師として尊敬するフローラに言われたためか、ここにきてようやく彼女たちの言葉に従うことにした。小声で“わかりました”とだけ言い残すと、洗面所へ向かい歯磨きをする。……常に優しく微笑んでいる香澄の笑顔は消えており、その後ろ姿を見たマーガレットたちの胸も心なしか苦しそうだ。
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