第113話

 稲妻が走る。

 近衛兵に向けて。皇帝に向けて。

 剣を構える暇もなかった。

 抵抗する暇も、皇帝を守る暇もなかった。

 

 彼らは崩れ去った。

 鎧を貫き、衣服を燃やし、後に残ったのは、黒く焦げた死体だけだった。

 肉の燻る音。焦げた匂いが鼻を突く。

 

 沸騰した眼球が眼窩からこぼれ落ち、闇を称えた空虚な瞳が、ドミティウスを見た。


「あ……ああ……」


 皇帝の断末魔。

 膝から崩れ落ち、焦げた手をドミティウスに伸ばしてくる。

 それは懇願だった。

 命を保障するための。慈悲を請うための。

 ドミティウスは、ただそこに立っていた。

 立って、皇帝の手が自分の服を掴むのを、ただ待っていた。


 皮が焼けた、黒々とした皇帝の腕。

 それがドミティウスの服を、掴んだ。

 皇帝はドミティウスを見上げた。


 皮膚が剥がれ、顔を構成する筋肉が、剥き出しになっている。

 ロイは思わず視線を逸らした。

 ドミティウスは、じっと皇帝の顔を見つめていた。


「つ、妻と、こ、子供達、だけは、たの……」


「ああ、殺さないでおこう。約束する」


 ドミティウスの言葉に、皇帝は笑みを浮かべた。

 そして、皇帝の最後の灯火が、かき消えた。


 しなだれかかる皇帝の体を、ドミティウスがそっと受け止める。

 そして、彼の死体を寝台へと寝かせてやった。


「こやつの生命力を侮っていた。苦しまずに、殺せてやれなかった」


 悔恨するように、ドミティウスは呟いた。


「見事だ。見事な最後だ。自身の命よりも、妻と子の命を優先させる、その優しさ。懐の深さ。もしも私がそばにいてやれたのならば、より良き皇帝になれただろうに」


 見開かれた皇帝のまぶたを、ドミティウスがそっと下ろす。


「さて、アダム。これから忙しくなるぞ」


「承知しています。私を含め他の議員も貴方の帰還を心待ちにしていました」


「それはいい。実に喜ばしい。一〇〇年間。いや、それ以上か。私がここを去ってからも考えを同じにする同士がいるというのは、実に嬉しいものだ」


「ですが、そうではない者達もいることも確かです。……アーサーのように」


「不届きものどもに、誰がこの国の主であるかを教えてやるのも、私の役目だ。……そら、噂をすれば不届き者どもがきたぞ」


 廊下から聞こえてくる、複数の足音。

 ドアが乱暴に開かれ、幾人もの兵士が雪崩れ込んできた。


 近衛兵の仲間の死体。

 主である皇帝の死体。

 そして、平然と立つドミティウスとロイを見た。

 

 兵達は黙したまま剣を握り、構える。


「お前は下がっていろ」


 ドミティウスはロイを背後に退かせる。

 そして、殺意に燃える兵士たちに体を向けた。


「さあ、来い。貴君らの敵はここだ。貴様らの主人を殺した憎き仇敵は、まさにここにいる」


 まるでオオワシが羽を広げるように、ドミティウスは大手を広げて、高らかに言い放つ。


「命がおしければ、いますぐ私の元に降れ。そうでなければ、ここが貴様らの墓場になる。苦しみもがき、血溜まりの中ではいつくばりながら、無様に死ぬがいい」


 ドミティウスの最大限の忠告だった。

 だが、兵達は誰一人聞く耳を持たなかった。


 兵達の雄叫びが部屋を揺らし、殺意と戦闘意欲を昂らせる。

 そして、一斉にドミティウスへと切り掛かった。


「その意気やよし。では、私も全霊をもってお相手しよう」


 次の瞬間、謁見の間に轟音と衝撃が響きわたった。

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