第84話

 二階に上がり、フロアに出る。観覧席のドアはすでに開け放たれ、そこから保護者たちが次々に出てきている。


 ユミルは確かにいた。エルフの男と共に。

 会話に花を咲かせてる。ユミルの頬も綻び、彼女に面と向かっている男も、頬を緩ませている。


 会話に目処がつくまで待っていた方がいいだろう。ジャックはそう思って、二人と距離をおいて、椅子に腰を下ろした。だが、男の方が彼に気がついた。

 男はユミルの肩を叩いて、ジャックを指差す。ユミルが、彼に顔を向ける。


「どこに行っていたのよ」


 ユミルが言う。椅子に座るジャックの元へ、歩み寄ってきた。


「ちょっとそこらを歩いていた。終わったようで何よりだ」


「何よりだ。じゃないわよ。こっちは長々と学長の話を、ずっと座りっぱなしで聞いてたんだから。もう、肩も腰も固まっちゃったわよ」


 腰に手を当てて、うんと体をそらす。コキリ、コキリ。小きみのいい音が、彼女の体から聞こえてくる。


「……その男は? ここの教員とさっきアリッサから聞いたが」


「ああ、この人は……」


 ユミルが紹介をしようとすると、エルフの男はそれを制してジャックの前に立つ。


 肩にかかった金色の長い髪。

 メガネの奥にある緑色の双眸。

 灰色のジャケットとスラックス。黒いシャツ。灰色のネクタイを締めている。


 立ち姿は落ち着き払っていて、知的な雰囲気を纏っていた。


「ロドリック・ガトガだ。ここで教鞭をとってる」


 ロドリックはジャックに手を差し出して来る。

 ジャックはその手を取り握手を交わす。


「こいつは、お前の知り合いか?」


「ええ。と言っても、最後に会ってからもう何十年も経ってるけど」


「私もこんなところで会うなどと思わなかったからな。一瞬疑ったさ」


 互いに顔を見つめあって、二人は笑い合う。

 ジャックは二人の様子を、ただ眺めていた。


「……何よ、ぼうっとして」


 そんなジャックの様子を不思議がったのか、ユミルが声をかける。


「いや、もし邪魔だったのなら、少しここを離れておくが……」


「どうしたのよ、急に」


 そう言いながら、ユミルはクスリと笑ってみせる。 


 単に会話の邪魔をしてしまったかと、ジャックなりに気をまわして見ただけなのだが。笑われてしまうと、いい気はしなかった。


「そんなに拗ねないでよ。私と彼はそんなんじゃないから」


「そんなこと誰も聞いてはいない」


 ジャックの仏頂面がいつもに増してひどい。

 それを見てユミルはまた頬を緩ませる。


「彼は君の夫なのか?」


 ロドリックが口を挟んだ。


 そんなわけがない。

 それをジャックは言おうとしたが、どういうわけかユミルも同じタイミングで口を開いた。


「そんなわけないじゃない」


「だが、娘がいるんだろう?」


「娘みたいな子供がいるって言ったのよ。実際にはあの子は私とは血が繋がっていないし、彼とも血縁関係はないわ。ねえ、ジャック」


「……ああ」


 もはやいちいち説明する気にもならない。生返事にジャックは言葉を返す。

 何かしらの事情がある。そう察したのか、ロドリックもそれ以上掘り下げようとはしなかった。


「何にせよ。おめでとう。同胞の入学者はここ数十年で久しいことだ。我々エルフ族の技法を人間の元で学ぶのはおかしな話だが、まあ、それは棚の上にでもあげておこう。遺恨は進歩を遅らせるからな」


 ロドリックの手がユミル、それにジャックの肩を叩く。


「では、私はこれで失礼するよ。今度は一緒に食事にでも行こう。ローウェンさんも、その時はぜひいらしてくれ」


「……考えておこう」


 ロドリックは二人の横を通り、出口の方へ向かっていく。


「何、嫉妬しちゃった?」

 

 ロドリックの背中をジャックは追っていると、ユミルが声をかけてきた。


「ふざるのも、いい加減にしろ」


 その態度に呆れと苛立ちがこみ上げて、ジャックは彼女を残して歩いて行ってしまう。


「もう、そんなに怒らないでよ」


 言葉では申し訳なさそうにしながらも、彼女の顔は至極楽しそうに笑っている。

 早足で歩いていくジャックを、ユミルは急いで追いかけて行った。

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