大事

 先生はいつも先生のお家でしてるみたいにソファーにどかっと座って……はいなかった。座布団にちょこんと正座し、ソワソワしている。私はそれが可愛く見えて仕方なくて、笑いを堪えるのに必死だった。


「先生、ココアでいいですか?」

「あ?いや、つーかひより、体調悪いんだから寝てろ」


 先生はさっと立ち上がるとキッチンに来た。そして私の前に立つ。ち、近い。


「俺がやるから。コップどこだ?」


 先生は私のすぐ横に立ってキョロキョロと辺りを見渡す。私は先生との距離の近さに緊張して固まってしまう。何も答えない私を不思議に思ったのか、不意に先生が私を見下ろした。


「うおっ」


 ようやく近さに気付いたらしい先生がバッと後退りした。その拍子に後ろにあった食器棚にぶつかり、上に乗っていた水筒がグラグラと揺れた。


「あっ……!」


 一瞬の出来事だった。私が先生の腕を引いたせいか、先生がバランスを崩す。私は先生に抱き締められるような体勢になって、驚いて後ろに下がる。脚が絡まって後ろに倒れそうになって、それを支えようとした先生も一緒に倒れ込んで。


「っ、あっぶねー、ひより、お前大丈夫か?」


 まるで先生に押し倒されたような体勢で。頭を打たないように後頭部に回った先生の手。抱き締められているように錯覚する。顔に熱が集まっていくのが分かった。

 先生が私を見下ろす。そこでようやく近さに気付く。さっきみたいにすぐ離れると思った。


「……ひより」


 先生に名前を呼ばれると、嬉しくて、切なくて、胸がぎゅうっと締め付けられるような気持ちになる。本当はもっともっと、近付きたくて。


「す、き……」


 思わず呟いた言葉に自分で驚いた。先生が目を丸くする。恥ずかしくて目を逸らした私の名前を、先生がもう一度呼ぶ。


「ひより……」


 少しずつ、躊躇うように近付いてきた先生の顔。口から心臓が飛び出しそう。先生の吐息を唇に感じた、次の瞬間。


ドーン、ゴロゴロゴロ


 2人の間を切り裂くように、雷が鳴った。ビクッと先生の体が震える。そしてさっと起き上がった。


「っくりした……、ひより、大丈夫か」


 先生が私に手を伸ばす。私はその手を掴んだ。ぐっと手を引かれて起き上がらせてくれた先生。さっきの私の言葉などなかったかのように窓に目をやる。

 やってしまった。言ってしまった。今まで通りではいられない、だって。先生の態度が変わらなければ、私は先生から何も答えを貰わないまま失恋したということ。先生からハッキリとした答えを聞くのも怖いけれど。

 呆然としていた私は、気付かなかった。先生がじっとこちらを見ていたこと。……そして。


「ひより」


 名前を呼ばれて反射的に顔を上げる。次の瞬間。さっきよりも近くなった距離に戸惑う間もなく、唇が重なった。目を閉じた先生の瞼にくっきりと二重の線が入っているのが見えた。唇が離れると同時、先生が目を開ける。近くで見る先生の瞳はとても綺麗だった。


「俺も、ひよりが大事だ」


 私はこの日のことを、一生忘れないと思う。

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