第三章 狼と煙  … 伍

〈伍〉

 次の日。月島が教室へ向かうと瀬里たちが心配そうに駆け寄ってきた。

「おはようー」

「ちょっとえり、体調は大丈夫?」

「朝から来て平気なの?」

「あ、昨日の授業のノート見る?」

 彼女たちは、えりの持つカバンまで代わりに持とうとしたので、流石にそこまではしなくてもいいと断った。

「一晩中寝たからもう十分元気だよ。あとで、昨日のお昼以降の授業ノートは見せて」

 彼女自身、予想はついていた上に、大体の理由も分かっていたので驚かなかったが、どうやら月島以外、オオカミや狼男ではなく大きな猪が校内に乱入したことで多くの怪我人が出たということになっているようだ。そしてその猪から逃げる際に貧血を起こし、月島は保健室に運ばれた、というあらましらしい。

「ねぇ、先生や他の学年の子たちも大勢怪我したみたいだけど、大丈夫なのかな?」

「心配だね……」

 由依の言葉に返事をしながら自分の席へ向かうと、その隣にもう一つ椅子と机が用意されていた。

(あれ? なんだろう)

 月島の目線に気づいて、瀬里が口を開いた。

「ねぇ、えり。今日転校生が来るらしいよ。それも外国人の女の子」

「外国人の女の子?」

「そう。座席が増えてるのを先生に確認したら、教えてくれたの」

「そうなんだ。日本語しか話せないけど、大丈夫かな」

 月島がそう返答すると、由依と陽愛がくすくすと笑った。

「私たちと同じこと言ってる」

「大丈夫よ、えりちゃん。私たちも心配になって聞いたんだけど、先生が言うには、その子は日本語が堪能だから気にしないでいいらしいよ」

「なんだ、それならよかった」

 月島はその時、ふと一人の人物が頭をよぎったが、すぐに頭を振った。

「いやいや、まさかね」

「え、なんか言った?」

「ううん」

 つい独り言が口から洩れてしまい、慌てて誤魔化して見せた。

 そして、そうこうしている間に朝のホームルームが始まった。


 教壇には女性の教師が立っていた。あの時、狼男に捕まっていた、社会科担当の教師だ。

「皆さんお早う御座います。今日は担任の鈴木先生が、昨日の騒動で怪我を負われて、大事を取って入院なされたということで、しばらくは副担任の私がホームルームなどを行います。ただ、このクラスの中で私と関わりの少ない子も何人かいるので、簡単に自己紹介をします」

 そういうと、女性は黒板に「二之瀬葵」と書いた。その女性の後姿を見ながら、月島の前の席に座る由依が顔を後ろに向けた。

「このクラスの副担って、あおい先生だったんだ」

「今更何言ってるの? 春先の学年集会で紹介されたでしょ」

「そうだっけ」

 ばつが悪そうに由依が前を向くと、ちょうど書き終えた女性が生徒たちの方を向いた。

「私は二之瀬葵と言います。担当教科は社会ですので、クラス分けによっては私から教わることはないですが、しばらくの間はこうしてホームルームなどで顔を合わせることが増えますので、よろしくお願いします」

 二之瀬は小さく頭を下げると、すぐに顔を上げて手についたチョークの粉を払った。

「さて、私のことはこれくらいにして、今日は転校生が来ているので、早速紹介します。どうぞ」

 喋りながら黒板に書いた自分の名前を消すと、急ぎ足でその例の転校生を教室に呼び入れた。

 教室の入り口に生徒たちの全意識、目線が集中する中、一拍おいてゆっくりと扉が開かれた。

 教室に現れたその少女の姿を見て、教師以外の教室にいた全員が皆驚いた。そして次の瞬間には、騒めきとともに、月島とその少女を二度見するのが始まった。

 当の月島はその少女を見て、まだ自分は夢を見ているんじゃないかと疑った。確認のため頬をつねろうかと頭では思ったが、彼女の顔から目が離せず、体が固まって動かせなかった。

 転校生として現れたのは何を隠そう、ルーン・セスト・ドゥニエだったのだ。

 いつもの黒のロングコート姿とは打って変わって、見慣れない制服姿に身を包み、彼女は硬い表情で教卓の横に進んだ。

「私はルーン・セスト・ドゥニエだ。以後、宜しく頼む」

 会釈程度に頭を下げると、簡潔に挨拶を済ませすぎたのか、何かを持て余したように、キョロキョロと教室を見回すルーン。

 それに気づいた二之瀬が、助け舟を出すように質問を始めた。

「私たちは何て呼べばいいかな。ニックネームとかあった?」

「あだ名はありません。名前をそのまま、呼び捨てで呼ばれることが多いです」

「そっか。じゃあ、ルーンさん。月島さんと顔とか見た目の雰囲気が似てるけど、親戚関係なのかな?」

 二之瀬が質問した時、月島はドキリと心臓が鳴ったのを感じた。この後のルーンの返答によっては今後の学校生活が大変なことになると思った。

「はい。母方の親戚で、これまでは親戚の法事で時々会う程度だったんですが、今回近くに引っ越すことになったので、同じ学校に編入しました」

 ルーンがスラスラとありもしない裏設定を答えているが、その間、月島は頭を抱えた。自分が意見できない状況で、勝手に自分たちの間の関係性を、設定を創造されていることに、気まずさと困惑が込み上げていた。

「なるほど、そうだったんですね。じゃあ、月島さんの親戚、ルーンさんの趣味は何ですか?」

「趣味……強いて言うなら、剣術の鍛錬でしょうか」

「けんじゅつ……。あ、剣道でもされてるのかな?」

「まぁ、そんなところです」

 もっと話を聞きだそうかと思った二之瀬だったが、時計をチラリと見て、他の連絡事項を話す時間が無くなりそうなのに気づいて質問タイムを切り上げた。

「はい、ありがとうございます。じゃあ……ルーンさんの席はあの後ろ。月島さんの隣なので、早速着席してください」

「はい、失礼します」

 ルーンが席に着くと、二之瀬は早速プリントを配り始めた。プリントを待つ間、ルーンと月島はお互い気まずそうに横を見て目が合った。

「あの、来るなら来るって、言ってくれたらよかったのに」

「すまない。私も、昨日突然聞かされたんだ。私自身、こんなことになるとは思ってなかった」

「そうだったんだ。なら仕方ないね」

 プリントが二人の手元に届いた辺りで、二之瀬が連絡事項の説明を始めた。

「初めの方に少し触れましたが、昨日の騒ぎで怪我をされた先生も何名かおられます。なので、体育など、いくつかの授業は別のクラスと合同でやるか、一部内容を変更して行いますので、それぞれ自分が受ける授業がどうなるのか、各自授業が始まる前に確認してください。それから、いよいよ再来週には修学旅行があります。ただし、その前に三連休がありますので、そこで体調を崩さないように」

 プリントの内容に沿って話を続ける二之瀬の声に耳を傾けつつ、月島はルーンにそっと声をかけた。

「ねぇ、ルーンちゃん。放課後空いてる?」

「あぁ、空いてる。私も話したいことがある」

 プリントから目を外して、ルーンは隣を見た。月島は片手でごめんのポーズをしていた。

「じゃあ空けといて」

 ルーンは軽く眉を上げ、「あぁ」と一言答えた。



 昨日の緊急部会に遡る。総轄部の面々を前にして、ヒヴァナが報告を行っていた。

「なお、掃除屋からのデュプリケートについて触れられた神話に関する情報、今回の狼男の発言。それらを勘案するに、月島えりという少女は〝奴ら〟の仲間ではなく、また、デュプリケートは〝奴ら〟を呼び寄せてしまう存在ではない。むしろ、それらと対抗するための新たなる切り札であると考えてよいでしょう」

 ヒヴァナが報告を終えてもしばらく沈黙していた総轄部のメンバーだったが、総轄部の長、カエルレウス・ライトがおもむろに立ち上がり、ヒヴァナをまっすぐ見据えて口を開いた。

「これまでの判断を改めねばならんな。第八小団隊、これより月島えりの護衛、及び保護の任務を命ずる。また、先の事件における月島えりに関係する一切の行為は、軍候補生の時分に発生した事象とし不問とする。これは今回限りの特例措置である」

 宣言を聞いてその場が騒めいた。カエルレウスは気にせずそのまま続けた。

「緊急を要する状況で、テレパシーにより彼女らは意思確認を行い、当人同士、了承の上で行ったことであると判断した」

 カエルレウスの右側に座っている、縁無しの細い眼鏡をかけた細身の男、グルナが総轄部長の目を見た。

「それでいいんですね」

「構わん。漸く光芒がさしたのだ」



 緊急部会の後、ヒヴァナは決心した顔でルーンに話を切り出した。

「ルーン。この任務から、ちょいと一人でやってみようか」

「ひ、一人で?」

「あぁ、そうさ。勿論サポートはするが、これまであたしも一緒について行動していたけど、もう一緒には動かない。正直に言うと、少し前から考えてたことなんだ、年齢的にはそろそろかなってね」

 ルーン自身、正直驚いたし、不安も全くないと言えば嘘だった。だが、まっすぐにヒヴァナの話を聞き、受け止めた。

「ルーン、いいかい?」

「はい。わかりました」

 彼女のまっすぐな眼差しと返事を受け、ヒヴァナは静かに頷いた。

すると、小さく手をパンと叩いて話を切り替えた。

「じゃあ早速、潜入してきてくれないかい?」

「潜入……ですか」

「そう、月島えりの通う高校にね」



 潜入初日の放課後、月島とルーンの姿は屋上にあった。

「知らないところで私、犯罪者になってたの?」

「私のせいで、すまない」

「いや、良いんだけどね? 私自身、なんであんな行動取ったのか、よくわかんないし、でもちょっと驚いた」

 月島がルーンに向かって笑って見せると、彼女は申し訳なさそうに笑顔を作った。

 月島は思い出したように疑問を投げかけた。

「あ、ところでさ。その『デュプリケート』ってなんなの?」

「それに関しては、まだ私たちも調査中で、ハッキリとは分からない。ただ、神話で描かれるほど遥か昔から、何か災難が起こる前に予兆のように現れ、またその存在を、生き写しや双子のように似た存在が現れる様子から、『デュプリケート』と呼ぶようになったらしい」

 月島は手すりにもたれかかり、俯いた。何とか微笑もうと努めているようだが、目は悲しげに沈んでいた。

「じゃあ、私がルーンちゃんたちに出会うことも、私や自分の周りの人がひどい目にあうことも、決まってたことなんだね……私のせい、なのかな」

「違う。月島が悪いんじゃない! 悪いのは〝奴ら〟だ」

 間髪入れずに月島の言葉に反論し、大きな声を出したルーンに驚き、月島は目を丸くして顔を上げた。

 しかし、すぐに表情が微笑みに変わった。

「ありがとう、そうだよね。例え運命で決まっていたんだとしても、悪いのは傷つける人たちであって、私たちはただ、その人たちを止めに行くだけだもんね」

 努めて笑顔でいる月島に、念を押すようにルーンが話しかけた。

「月島、本当にいいのか? これまで以上に恐ろしい相手や、強大な相手が君の前に現れるかもしれない。それでも……」

「それでもいいよ。約十六年、色んな人に助けてもらって、色んな人や友人たちに親切にしてもらって、その人たちにお返しがしたい、代わりに困っていたら助けてあげたい、そう思ってたの。今その人たちが、現に傷ついてる。そしてこれからも傷つくかもしれない。だったら今、私はみんなを守りたい。その為にできることだったら、何でもする」

 相手の言葉を遮るように話し始めると、月島はルーンの目を見て思いをぶつけた。

 その思いを受け止め、ルーンは納得したように頷いた。

「わかった。じゃあ、今度の三連休に我らが軍の本部へ行こうか」

「え、本部?」

「あぁ。正式に軍の隊員になることを認めてもらうために、一度本部に行って手続きをしてもらおうと思って」

「なるほど……じゃあ、先輩。よろしくお願いします!」

 突然、体を九十度曲げて頭を下げる月島に、ルーンは、嫌悪感か困惑のような表情をした。

「や、やめろ。なにか、こう、背中の辺りがむず痒くなる」

「そう?」

「同学年なんだから、いつも通りでいい」

 普段クールそうな顔で振舞っている彼女が、自分の目の前で少し狼狽えている姿に、月島は少し嬉しくなりながら、「はい」と返事をした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る