亀裂

@yumeto-ri

第1話

亀裂



                               桃梨 夢之




『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』 ~ニーチェ~




1.




自販機の横で吐いていた男は、反省していた。


もう50歳になろうかというのに、吐くまで酒を飲んでしまうとは・・・。


終電には間に合った。自宅の最寄駅を降りるまでなんとか耐えていたが、一緒に降


りた人々と離れて歩き出した途端、苦しくて苦しくて我慢できなくなった。


公衆便所は近くにない。


仕方なく人気のない通りに急いで向かい、自販機に手をついて吐いていた。


今日の飲み会は楽しかった。


楽しかったが、もしかして楽しかったのは自分だけだったのかもしれない。


みんなに迷惑をかけただろうか。


おいしい物もたくさん食べたのに、全部吐いてしまった。


苦しくて苦しくて、楽しさも消し飛ぶほど、胃と喉が焼け付くようだったが、吐き


きって、やっと落ち着いた。


今後は気を付けよう。最後の2~3杯が余計だった・・・・。


ふと、何か動いた気がして、顔をあげ自販機と自販機の隙間に目をやった。



「ん?」



男は目に映るものが理解できなかった。



自販機の隙間、手も入らないその隙間に、大きな目玉がある。


毛細血管が切れているのか、白目の部分が血走り赤く染まっている。


瞳は虚ろで、こっちを向いてはいるがまるでこっちのことは何も見ていないよう


だ。



「めだま・・・」



「目玉・・・・?」



「うわあああああ!」



男は後ろに飛びすさり、四つん這いでその場を離れた。


そして、隙間の目玉と二度と目が合わないように勢いよく振り向き、自宅へと走り


だした。



「飲み過ぎた!飲み過ぎた!勘弁してくれえっ!」


「うわあああ!」





男は自宅に付くと、シャワーも浴びず布団に潜り込んだ。


しばらく恐怖でガタガタ震えていたが、そのまま寝てしまった。


翌日には、昨日見たものは、酔っぱらったせいで見た幻覚だったのだろうと結論づ


けた。


自分が見た物を、男は笑い話のネタとして職場や友人に話して聞かせた。


「いやもう、まいったよ。この間は飲み過ぎてさあ・・・・。」という調子で。






**********************************





男の子は面白くなかった。


自分だってまだ3歳なのに、乳母車で運ばれるだけの弟がなんでも優先される。


勇気を出して、母親にお菓子を買ってと言ってみたが、弟のご飯が先だと言われ


た。


自分から何かねだった事は今までなかったのに。


自分だってまだ子供なのに。


少し腹を立てた男の子は、母親と弟から離れ、スーパーを出て、建物と建物の隙間


に隠れた。


狭すぎて、彼の身体も入らなかったが、丁度電柱の影になっていて、母親からは見


えない。


自分の姿が見えない事に気づいた母親が、慌てて困る様を想像して少し笑うと、





しっかり隠れようと、暗い隙間の方を向いた。





暗い中に人の顔のような形と大きさの肌色が一瞬見えた。





が、それはすぐに目のアップになった。


大きな目玉は、しばらく力んでいるようだった。


男の子の方を凝視している。


みるみるうちに白目の部分に赤い亀裂が入り、充血していった。



「ひゃあああ!」



驚いた男の子は隠れていた事も忘れてそこを飛び出し、泣きながら母親の元へ走っ


た。



「目が!目が!」


「目が怖い!」



訳がわからない事を叫びながら泣きじゃくる男の子に、若い母親はどうすればいい


のかわからず途方に暮れた。


とりあえず、男の子の最初希望はかなえられた。


母親は泣き止まない男の子を抱きかかえ、どうすればよいのかわからず困り果て


た。





*******************************







「こんばんは。5月17日水曜日、午後6時のニュースです。」




僕は、自分が住んでいるシェアハウスの共同キッチンに向かった。


キッチンに一日中いて、テレビを眺めながら口汚く罵るのが日課の108室の爺さ


んが、やはりいつも通りにそこにいた。


ハゲあがった頭の、おでこの上部に火傷の跡がある。


僕が入っていくと、チラとこっちを見たので、ほんの少し会釈をして少し離れて


座った。


レンジを使って簡単に自分のご飯を準備し、爺さんの悪態を聞きながら、ぼんやり


とニュースを見ていた。


主要なニュースが終わったあと、街の話題のコーナーになった。


このコーナーは、巷の話題や、新しい店、インターネット上で話題になっているか


わいい動物動画を取り上げるようなコーナーだったが、この日は少し変わってい


た。





「都市部のあちこちで、巨大な目と見られる映像が現れ、市民に不安と混乱が広


がっている・・・・ということなんですが・・・・。」



アナウンサーも半信半疑なのか、報道というより話題の提供のようだ。



「まず、こちらの映像から観ていただきましょう。」



画面が視聴者から提供されたらしい動画に切り替わった。


途端に騒々しい笑い声が画面から弾け出した。


スマートフォンで撮影された動画だろう。


学生と思しき若者達が酔って騒いでいる。


どうやら飲み会が終わって店の外に出てきたところのようだ。


ひどい手振れと割れるような笑い声が収まると、人の声が聞き取れるようになって


きた。




「おい聞けって!二次会行く人ー!」


「アケミー?どこー?」


「二次会行く人ー!」


「あれ?俺の財布どこ?」


「だからVR半端ないって!」


「アケミー!こっちこっち」


「うわ!なんだこれ!」


「え?え?」


「キャー!」


「おい!ちょっとなんかヤバくね!?」


「うわあっ!」



そこから叫び声ばかりが続き、音声が割れ無音になった。


スマホのカメラがブレながら方向を変え、なかなかピントが定まらない。




が、一瞬、はっきりとそれは映った。





ビルとビルの間、配管や室外機が見えるが、人はとても入れないその隙間に、巨大


な血走った目があった。







そこで画像はスタジオに戻った。


女性のアナウンサーが、あきれたような声で言った。



「さて、これをご覧になってどう思いますか?今上教授?」



問われてスタジオにいる、どこかの大学教授が、言うまでもない、という態度で解


説する。



「まあこれ、映像についてはね、私は素人ですので、まあ、なんらかのトリックだ


ろうと、まあ、今はね、CGでできないことはないですから、専門家が見ればすぐ


にね、わかると思います。」



「ただこれね、まあ、今話題になっている『隙間の目』なんですね。」



「教授、それはなんですか?」



「ええ、『隙間の目』というのはね、まあ、いろんな隙間があるじゃないですか、


世の中。


本棚と本棚の間とか、ビルとビルの間とか。そういう所にね、充血した目が見える


というものなんですね。」



「それは、なんなんですか?危険は無いのでしょうか?」



「危険がある可能性は十分考えられます。


ただ、今のところ、何か直接的な害があったという話は聞かないですね。


どの報告も気味の悪い目がこっちを見てる、というだけで。」



「まあこれ、私はただ単に新しい都市伝説の始まりだと考えるんですがね。


まあいわゆる、集団ヒステリーの一種でしょう。


社会的に、同じような職種で、同じ種類のストレスを、同時に大勢の人が感じるこ


とによって、無意識に同じ幻覚を見ることがあるんですね。


私のトコの学生にも、目玉を見たと騒いでいる者が居りまして、まったく観察者と


してなっとらんと叱ってやりましたが、」



「では、この動画は加工したものなんですか?」



「そうですね。


それはまあ、専門家がし調べればすぐ判明すると思います。


まあこれ、この現象自体は集団ヒステリーの一種ということで、説明がつくと思い


ます。」



と、そこで、急にアナウンサーたちが慌てた。


何かザワっとした雰囲気が画面から伝わった。


ADだかなんだか、ヘッドフォンマイクをつけた女性が急いで数枚の書類をアナウ


ンサーに渡す。アナウンサーは、書類に目を通すと、気を取り直し、少し緊張して


落ち着いた様子で話し始めた。




「えー、先程から話題にしております『隙間の目』のことですが。


現在、政府主導の専門家有志による調査団体が発足しました。


その調査団体からの発表です。」



「『今後、「隙間の目」を発見しても、決して近づかないこと。


発見次第、ただちに近くの自治体、警察、消防、もしくは調査団体へ直接、詳細を


報告すること』だ、そうです。」



「調査団体の名は『特殊環境整備局』。連絡先は0570-xxx-xxxx。」



「繰り返します。


今後、『隙間の目』を発見しても、慌てず騒がず、決して近づかないでください。


直ちにしかるべき組織へ連絡をいれ、詳細を報告してください。


『特殊環境整備局』の連絡先は・・・・。」





「なんだなんだ?おい、これじゃ何がなんだかわかんねえじゃねえか。」



「もっと、報道する責任ってモンを考えてほしいな。


まったく、これだからマスコミは・・・・。」





いつも、この共同キッチンに居座って、テレビを付けっぱなしにして、なんだかん


だといちゃもんをつけ、通りかかる同居人に絡もうとする108室の爺さん。


剥げていて小柄で痩せ気味だが、お腹がぽっこり出ているのは運動不足のせいか。


60歳を超えたぐらいだろうか。


家族はいないのだろうか。


シェアハウスの他の住人たちにも嫌われ、みんな外で食事をするようになってし


まったので、爺さんはいつも一人だった。


僕も、入居したての頃は親切な人だと思っていたが、最近ではもう、鬱陶しくてし


たがない。


話しかけられても、あいまいに返事をして深入りしないようにしていた。




「おい、102君。キミ、うちのシェアハウスの建物の前の『隙間の目』見た


か?」


僕が102室に住んでいるため、爺さんはよく102君、と呼び掛けてくるが、少


し不快なので名前で呼んでくださいと何度も頼んでいた。


子供っぽいのは承知だが、名前を呼ばれるまで返事をしないことにしていた。




「102君、おい・・・・・。102君・・・・・。」


「・・・・・・柳君」




やっと名前を呼ばれたので顔を爺さんに向ける。


バツが悪く、困ったような表情をした爺さんは、それでも話をしたいらしく、話を


続けた。




「柳君、うちのシェアハウスの前の倉庫んとこに出た『隙間の目』見たかい?」



「は?この、シェアハウスの事ですか?」



「おお、そうよ。うちの前に小さな倉庫があるだろ?


その倉庫とブロック塀の隙間だよ。


目ん玉がドーンとあったぞ。


俺はおどろいたね。薄気味悪い。」



「それで、どうしたんですか?」



「どうもこうもねえよ。気持ち悪いからそのままにして、離れたよ。」



「そうですか・・・。」



「まだあのまま、あそこに目ん玉があるんじゃないか。俺はもう近づきたくねえけ


どな。」



「はあ・・・・・。」



「けどよう、あんな目ん玉が現われて初めて、そういえば、そこに隙間というか空


間があったんだなって気づいたな。」



僕はなんだか拍子抜けして、軽く爺さんに会釈すると、後片づけをしたあと食堂を


離れた。


自分の部屋に戻ると、自分のノートPCを開いた。






食堂で、108室の爺さんが言った「うちの」シェアハウスという表現が心に引っか


かっていた。


爺さんと僕の関係がこのシェアハウスの「内」ということか。


狭くて汚いこの空間が「我が家」を指す「うち」なのか。


二人の間に「内」と言葉を使うほどの連帯感など全くないのに。



そして、別れ際に爺さんが言っていた、目が現われて初めて、そこの空間に気づい


た、という事も気になった。


確かに、そんな隙間は普段目にしても気にしない。


一々ここに隙間がある、と認識することはない。


そして、その隙間に開いた空間の、目玉がある向う側の空間は、一体どこなんだろ


う。


その目玉は、どこにあるのだろう。




僕は、この陰気なシェアハウスを早く出て行きたかった。ここは、訳ありの住民ば


かりが住むシェアハウスだった。


ここの住民は皆、僕も爺さんも、他の住民もすべて、このシェアハウスに来る前の


記憶が無かった。


だから、住民同士で話して打ち解けるような過去の話や、嬉しかったり悲しかった


りして共感できるような体験の話もできない。


僕達は、過去からブツ切りにされた人間達だった。


そして、お互いに顔を合わせると、自分の境遇を思い出し、不安になったり腹が


立ったりするため、住民同士の交流はごくごく少なめだった。



ある支援団体がこのシェアハウスを運営し、我々の社会復帰を手助けしてくれてい


る。


しかし、我々に支給される補助金は、わずかなもので、とてもすぐに他のアパート


に移れるような金額ではなかった。




有名な動画投稿サイトを覗くと、緊急討論 『隙間の目』 というタイトルで様々


なライブ配信動画が目に入った。


「隙間の目」に関して、色んな人々や団体が自分達の見解を披露しているようだ。


宗教家はこれを神の意志の表れだと言っている。


陰謀論者は外国政府のスパイだとか、政府の新しい監視システムだとか。


宇宙人や異次元からの侵略だという説もたくさんあった。


中にはグラフィックアーティストが、監視社会へのカウンターアートとしてゲリラ


的パフォーマンスを行っている、という説まであった。


どの動画も再生回数やコメントがどんどん増えており、世間の人々が必死で情報不


足を補おうとしているようだ。





ただ、政府が対応すると言っているのだから、政府を信頼して任せていればいい、


無駄に騒がず自分達庶民は普段通りの生活をするべきだ、といった意見も多く、賛


同者もかなりの人数だった。


また、他の動画では、テレビ出演も多く、著作も有名なある科学者がマイクを握っ


ていた。




彼はこの「隙間の目」が一種の時空間のエラーであると説明していた。


そして、危険なのでくれぐれも「目」の空間へ手を触れないように、と強調してい


た。




どの動画でも、出演者たちはこの現象が持論に合致する点を指摘するばかりで、ど


うしてその空間が現れ、その空間に目が見えるのかについての説明は誰もしていな


かった。



皆、すぐに話が脇道に逸れて行った。


そして、どの動画のコメント欄も罵り合いや罵詈雑言がひどかった。




驚いた事に、この「隙間の目」は、世界中のありとあらゆる国に出現しており、政


治も宗教も文化も民族も関係ないようだった。




やがて、僕はさっきのニュース報道されていた「特殊環境整備局」を思い出した。


検索すると、すぐホームページにたどり着いた。


「特殊環境整備局」としては、この「隙間の目」を美観を損なう都市景観の問題、


ぐらいにしか扱っていないかのようだったが、作業員を募集している事の気づい


た。


丁度、職が無くて困っていた僕は、深く考えず応募してみた。






驚いた事に、一時審査を通過したので、二次審査の面接に来いとメールが届いた。

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