人を好きになればなるほど辛くなる
人を好きになればなるほど辛くなる
私に人を好きになる資格はあるのか
考えてしまう
今年、ようやく四〇歳になった。
人より旺盛な性欲がだんだんしぼんでいくのを感じる。
それを良きことだと思う。
でも、人を好きになることが、止められない。
止められたら楽になる。のに、止められない。
私は肝臓にも、胆のうにも、すい臓にも、腎臓にも、心臓にも、肺にも、甲状腺にも、乳房にも、そして 一番は脳に
爆弾を抱えている。
数年に一回入院するのは多分、避けられないことなのだろう(できれば避けたいけれど)
身体のメンテナンスだと思ってあきらめるしかないが、私は一体いくつまで生きられるのか。
両親を看取らなければ、それが出来なくても、最低でもマロンのことは看取らなければ、と思う。
だが、最近、心臓と甲状腺の調子が悪く、拍動がいつ測っても100を超える。
見た目は若い、と言われるし、髪の毛が伸びるのも、傷の治りも早いが、それだけ私はテロメア(人間の細胞内にあるミトコンドリアと関連する、細胞分裂をつかさどる機関であり、テロメアが尽きたとき、細胞分裂が出来なくなる……要するに、寿命がやってくる、ということである)を消費していることになる。
母からメールで「弱く産んでごめん。真世には自由に生きて欲しい。子供を産んで欲しくない。長生きして欲しい。好きなことをして、悔いのないようにして」とコロナに罹ったときメッセージをもらった。
……免罪符をもらったが、同時に複雑な気分になった。
私が努力で積み上げてきた医学的知識。
合気道や気功をたしなんで身に着けた人体の筋繊維や骨格がどうなっているか、どうすれば人を癒し、どうすれば壊せるか、という知見。
栄養学、薬学、漢方、経絡(要するにツボ)についても少し齧っている。
あとは公務員をしていたので法学についても(特に行政法や民法)には一般人より明るいとは思う。
それを生かすも殺すも自分次第だが、他者のために愛を注ぐことは果たして私に慈雨となるのだろうか。
いっそ誰とも結ばれなければ、重荷を背負うこともない。
博愛主義者にでも転向しようか、と思うことさえある。
……いや、それはそれで辛いだろう。
私は器用なのだろうか。不器用なのだろうか。
それすら、よくわからない。
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