第三章 忍び寄る〈笛吹き男〉の影 -3-

 ヴァルトラントの二日目のフライトは、基地司令官自らが編隊長となって行われた。

 彼の参加によって技術者たちは急遽プログラムの変更を迫られることとなった。が、それでも昨日のアダルを見ていたためか、ぼやきこそすれ、文句も言わずに対応した。

 だがこうなったことは、彼らにとって却ってよかったようだ。

 ウィルと一緒に飛ぶことによって、アダルとの関係がぎくしゃくしていたヴァルトラントや、他のパイロットたちの士気が高まり、前日以上の好データを残す結果となったのだから。

 ひょうたんから駒とも言える収穫に、技術者たちは小躍りした。そして試験が終わると早々に、ウキウキとした足取りでガニメデの本社へと帰っていったのだった。

 来春彼らはシステムの試作品を引提げて、再び〈森の精〉ヴァルトガイストへ戻ってくる。〈森の精〉ヴァルトガイストで、本格的に新型戦闘機の開発が始まるのはそれからだ。

 しかし本格的に始まるのは数ヵ月後だからといって、〈森の精〉ヴァルトガイストはただ何もせずに待てばいいというわけではなかった。

 いままでどおり航空機の頭脳である航法システムの開発がメインならば、さほどの問題はない。だが今回に関しては、機体の設計から関わることになっている。もちろん実際の設計は航空機メーカーが請け負う。しかし軍上層部は、本来なら航空機メーカー内で行われる設計作業を、この〈森の精〉ヴァルトガイストに社員を出向させて行わせるつもりであった。

 この新型機は、ウィル言うところの「夢のシステム」――〈思考する航空機〉フーギー・システムプロジェクトに参加している少年たちが、実際に戦場で使うことを想定して創られるものだ。機密保持の点もあるが、実戦経験豊富なパイロットが存在する〈森の精〉ヴァルトガイストを開発拠点にし、リアルタイムで彼らの意見やアイデアを反映させることができるのは、品質だけでなく、開発にかかる時間や経費の削減に有効であると上層部は考えたのだろう。

 そんなわけで〈森の精〉ヴァルトガイストは、技術者たちがやってくるまでに基地内の研究施設を整備しておかなくてはならなかった。そのため研究開発部である〈水精〉ニクスでは、いまから様々な手配やスケジュールの調整におおわらわである。

「それでもさぁ、実用段階に入るまで一〇年もかかるんだよねぇ」

 司令部ビルの下士官用食堂で、ミルフィーユが熱々のココアをすすりながらポツリと呟いた。彼の隣では、弟のバルケットが大きなジンジャークッキーにかじりついている。

「一〇年後っていったら、僕たちが士官学校を卒業するぐらいだよね。いったい、どんな戦闘機になるんだろう? 楽しみだなぁ」

 想像の海へ漂いはじめたミルフィーユ少年は、蕩けた瞳を宙に彷徨わせた。上気した頬がすっかり緩んでいる。両親が整備士と開発者として深く戦闘機というものに関わっているせいか、彼も戦闘機のこととなると大好きなお菓子も目に入らなくなる。

 そんな相棒に、ミルクティに口をつけていたヴァルトラントが思わず吹きだした。

「昨日までコリーンに会えなくて寂しがってたのに、新型機計画の話ですっかり吹き飛んだ?」

「いいじゃない、別にぃ。それともヴァルは、僕にずっと不機嫌でいてもらいたかったの?」

 からかう親友に、金髪の少年は照れたように頬を膨らませる。そんなミルフィーユに、ヴァルトラントは苦笑しながら言い繕った。

「いや、一緒にガニメデに行かなくてもよかったのかなーって。どうせ、あと何日かしたらミルフィーも行くんだし」

「それなんだけどさー」

 ヴァルトラントの言葉にミルフィーユ少年の頬が萎み、苦い表情に変わる。

「ほら、ガニメデとの再接近が終わって運賃割増期間に入ったでしょ? だから旅費がもったいないからって、母さんがケティを置いて帰っちゃったんだよねー。父さん一人じゃケティの面倒見れないし、結局僕が残るしかなくてさー」

「ミルフィーだけじゃなく、ケティの船代も浮かすつもりなのか。さすがコリーンだなぁ」

 話題の主旨とは少しずれた部分に、ヴァルトラントは感心した。

 イザークとミルフィーユは移動時に〈機構軍〉の定期便を利用している。隊員が無料なのは当然として、その家族も隊員本人が同伴なら格安で利用できるのだ。

「ガニメデ―カリスト間の旅費だってバカになんないからね。それが三ヶ月おきだもん。利用できるサービスは、使わなきゃ損じゃない」

「はぁ」

 コリーンあたりの受け売りもあるだろうが、それが当然のような口振りで言うミルフィーユのしたたかさに、ヴァルトラントは感嘆とも呆れともつかない声をあげた。

「まあ、ケティも父さんといたいって言うし、いま母さんと向こうへ行っても、仕事が忙しいとかでどーせお祖父ちゃん家に預けられるのは目に見えてるから、別にいいんだけどさ」

「お祖父ちゃんやお祖母ちゃんは、ミルフィーに会えたら喜ぶと思うけどな」

 ヴァルトラントは首を傾げた。祖父母がすでにない彼には、祖父の兄である大伯父夫婦が祖父母の代わりだ。それにハフナー中将も。彼らはヴァルトラントの訪問をいつも喜んでくれる。だから「お祖父ちゃんたちとはそんなものなのだ」と思っていたのだが、どうやら違うらしい。

「お祖父ちゃんたちは、ずっとケティの面倒見てたんだよ? 今頃は『手のかかるチビっけ』がいなくなって、のーんびり羽を伸ばしてるよ」

「そうかなぁ」

 いまいち腑に落ちないといった顔で、ヴァルトラントはさらに首を捻った。

「ぼく、『チビっけ』じゃないもん!」

 そこへ、敏感に悪口を言われたと察したバルケットが非難の声をあげる。

「どっから見ても充分チビ!」

 憤慨する弟に、お兄ちゃんは意地悪く言い返す。

「ちがうもんっ。クラスにもっと小さい子いるよ!」

「でも前から三番目って言ってたじゃん。クラスの平均よりずっと小さいんだから、やっぱりチビ!」

「ちがうもんっ! 兄ちゃんのばかっ!」

 基幹学校に入ったばかりのバルケットは、ムキになって否定する。だが意地悪モードに入ったミルフィーユにさらに突っ込まれると、拗ねてどこかへいってしまった。

「ケティ!?」

 兄弟のやりとりを見守っていたヴァルトラントは、この結末に泡を食った。去り行く弟と残った兄を、戸惑いと不安の目で見比べる。しかし兄の方は平然としたままだ。

「いーの、いーの。これは兄弟の『交流』なの。ものの五分もすれば、けろっとした顔で戻ってくるよ」

「え、でも……」

 相棒にそう言われても、ヴァルトラントには姿の見えなくなったバルケットが気になる。司令部ビルは意外と広く、使っていない部屋も多い。迷子にならないかと心配だった。

 だがヴァルトラントの心配は杞憂に終わり、バルケットはミルフィーユの言葉どおり、五分と経たないうちに戻ってきたのである。なんとハズリットを連れて。

「ハズ!」

 少女の突然の登場に、〈グレムリン〉たちが同時に声をあげた。

「このおねーちゃんがあそこで困ってたから、連れてきてあげたの」

 得意満面のバルケットが、食堂の入口を指差して報告する。

「えらい、えらい!」

 ミルフィーユが頭を撫でてやると、少年は嬉しそうにお兄ちゃんに抱きついた。先程のケンカのわだかまりなど、微塵も窺えない。

「弟?」

 よく分らないまま見知らぬ少年についてきたハズリットが、ヴァルトラントに訊ねる。

 ハズリットと会うのは一昨日の夜以来だった。ライアンとの一件を気にしていたヴァルトラントは、少女が何もなかったように接してくれることに安堵した。そして少女の大きなみどりの瞳と、振り向いた拍子に肩から零れ落ちた細い髪を目の当たりにして、ついどぎまぎする。

「え……う、うん――」

 少年は珍しく答えに詰まった。その隙を衝いて、ミルフィーユが横から口を挟む。

「あ、弟のバルケットだよ。普段は母さんと一緒にガニメデに住んでるんだけど、昨日からこっちに来てるんだ」

 そう言ってミルフィーユが弟を促す。するとバルケットは屈託のない笑顔を少女に向けて、声を張り上げた。

「こんにちは、おねーちゃん。ぼくはバルケット・ディスクリート。五歳ですっ。ケティって呼んでねっ!」

 少年の元気な声が食堂内に響き、周囲にいる隊員たちの笑いを誘う。

 その勢いに面食らった少女はその場で固まり、ぱちくりと瞼を上下させた。だがバルケット少年の無垢な笑顔は、彼女の警戒心をも解く効果があったようだ。ハズリットはふと肩の力を抜くと、自分よりも小さな少年の顔を覗き込んだ。

「こ、こんにちわ。ハズリット・ラムレイ――よ」

 少女がぎこちなく挨拶を返すと、バルケットの笑顔は満開になった。つられるように少女の頬が緩みかける。

 そこへ、思わずヴァルトラントがあいだに入った。

「ハズ、〈緑の館〉はどう? 昨日からあの論文を書いた博士が来てるんだろ。いろいろ教えてもらってる?」

 言った直後、ヴァルトラントは内心自分の行動に舌打ちした。ハズリットをバルケットに取られるのを恐れた。そんな独占欲の強い自分に嫌気が差す。

 少年の自己嫌悪など知らず、少女は勧められた席に座りながら答える。

「ええ。昨日は雑談ばかりだったけど、今日は温室で博士の創った植物を見せてもらった」

「そう、よかったじゃん」

 自分の嫉妬心を見抜かれなかったことにほっとしながら、ヴァルトラントは口元をほころばせた。

「ええ、まさか本人に会えるとは思ってなかったから、すごく驚いたし嬉しかった。でも……」

 言いかけて、少女は口をつぐんだ。

「どうしたの?」

 〈グレムリン〉たちは怪訝そうにお互いの顔を見合わせると、視線を逸らしてしまった少女に問う。しかし彼女は、言い出し難そうに椅子の上でもぞもぞするばかりだ。

 ハズリットはしばらくの間、視線をテーブルの上に落としていた。が、やがて思い切ったように顔を上げると、真剣な眼差しで〈グレムリン〉たちを見据えた。

「あの……教えて欲しいことがあるの」

「教えるって?」

 不思議そうに二人の少年が聞き返す。自分たちが天才少女に、いったい何を教えられるというのか。

「その……〈機構軍〉のホストコンピュータへのアクセスコードを教えて欲しいの」

「はあっ!?」

 少女の口からとんでもない単語が飛び出し、〈グレムリン〉たちは思わず素っ頓狂な声をあげた。周囲の隊員たちが一斉に注目する。

 少年たちは慌ててテーブルに伏せると、声を潜めて少女に答えた。

「ハズっ、なに言ってんのっ!」

「そーだよ、そんなの僕たちだって知らないよ――って、痛ッ!」

 わざとらしくすっ呆けたミルフィーユの脚を、ヴァルトラントが蹴りつけた。

 ハズリットは恐らくハーラルトたちとの会話を聞いて、自分たちがあちこちにクラックを仕掛けて成功させていることを知っているのだろう。それに関しては別に内緒話でも何でもなく、普通に話していたので彼女が知っていても不思議ではないし、知られていても構わない。

 だがクラックができることを知られるのと、軍のセキュリティに関することを知られるのとは別だ。

 〈グレムリン〉たちにも、一応それなりの分別はある。軍人の子同士の会話といっても、基地以外の人目のあるところではヤバイ部分まで口にすることはない。だから、いまは民間人の子供であるハズリットに、アクセスコード自体を明かすわけにはいかなかった。

 厳しい顔でヴァルトラントが拒否する。

「悪いけど、例え俺らがそれを知ってても、教えられない」

「……そうよね、やっぱり」

 ハズリットは溜息とともに肩を落とした。そして考え込むように爪を噛む。

「何で、そんなものが必要なの?」

 彼女が危険を冒してまで〈機構軍〉システムに侵入しようとするのは、何か大きな理由があるのだろう。場合によっては、違う方法で彼女の手助けができるかもしれない。そう考えて、ヴァルトラントは訊ねてみた。

 思案に暮れていたハズリットが、弾かれたように顔を上げた。期待を込めた目でヴァルトラントを見つめ返す。

「それが――」

 勢い込んで言いかける。だがバルケットに目を遣ると、またもや言葉を呑み込んだ。

 すかさずヴァルトラントとミルフィーユが目配せする。

「ケティ、シェフのところへ行って、このおねーちゃんの分の『ジンジャーマン』もらってきてよ」

「うん、いいよ!」

 ミルフィーユにお願いされたバルケットは、厨房に面したカウンターへと駆けていく。それを見送った〈グレムリン〉たちは、正面に座る少女に向き直って先を促した。

 少女がためらいがちに口を開く。

「ある人の遺伝子データが見たいの。でも個人のデータは本人の同意がなければ、見ることができないでしょう? だから……」

「遺伝子データ? 何に使うの、そんなもの」

 ヴァルトラントが眉を顰めた。個人の遺伝子情報など、普段閲覧する必要が全くないものだ。しかも彼女は自分のではなく他人のものが見たいと言う。一体彼女は何をしようとしているのだ。

「DNA鑑定」

 素気ない口調で、ハズリットは答える。

「DNA鑑定って……ええっ!?」

 少女の口から次々と飛び出す言葉に、少年たちは驚くばかりだ。二人してポカンと口を開き、開き直ったようなハズリットの顔をまじまじと見つめる。

「私、自分の父親が誰なのか知らないの。だから、それを知りたいの」

 真剣な表情で訴える少女に、〈グレムリン〉たちは当惑した。ゴクリとひとつ喉を鳴らして、ミルフィーユが訊ねる。

「お母さんは教えてくれないの?」

 ハズリットは小さく肯いた。

「お母さんは、ハズが大人になったら話そうと思ってるのかもよ? それまで待ってみたら?」

 ハズリットの答えを利用し、ヴァルトラントはなんとか少女の気を変えようと試みる。しかし彼女は鋭くヴァルトラントを睨みつけると、強い口調で言い返した。

「いま知りたいの。もしあんたが一〇年以上も隠し事されるとしたらどう思う? 気にならない?」

「……いえ、気になります。はい」

 痛いところを衝かれて、ヴァルトラントはたじたじとなった。確かに自分がハズリットだったら、自分の親が誰なのか、どんな手段を使ってでも知りたいと思うだろう。

「でも、調べるにしても大変だよ。ハズとお母さんのデータは手に入るとしても、お父さんの遺伝子に合致するデータを割り出すのは、すごく時間がかかると思う。一日や二日でできるようなことじゃないよ」

 あっけなく撃墜されたヴァルトラントに代わって、ミルフィーユが技術的な面から攻め込んだ。しかし彼も、一瞬にして撃破されることになる。

「心当たりはある。とりあえずいまは、その人が遺伝的父親なのかを調べたいだけだから、その人のデータが手に入ればいい。そのためにクラックの技術もできるだけ調べたし、実際に〈機構軍〉システムに入るところまではできた。データのありそうなところも大体判る。あとはそのファイルのあるサーバにアクセスできる権限が欲しいだけ」

「……」

 少年たちは天才少女の行動力に舌を巻いた。いやその行動力があったからこそ、彼女は「天才」と呼ばれるに至ったのだろう。さしもの〈グレムリン〉も形無しである。

「ヴァル」

 ミルフィーユが親友に囁く。ヴァルトラントが相棒に目を向ける。その瞬間、二人はお互いの意見を確かめた。

 探し物が〈機構軍〉システム内にあると判っているのなら、サーバに忍び込んでデータを盗み出すのはそう難しいことではない。だが、それは経験豊かな彼らだからできるのであって、知識だけの彼女には無謀もいいところだ。なにしろ侵入先である〈機構軍〉システムは、先の〈ワーム〉事件でセキュリティがさらに強化されている。対応が一瞬でも遅れれば、即バレるのは必至だ。

 やはりここは、自分たちが動くしかないだろう。拒否したところで彼女が諦めるはずもなく、独りで突っ走って行くのは目に見えている。

「ハズ、そのデータのコピーが手に入ればいいんだろ? だったら俺たちがやる」

 覚悟を決めたヴァルトラントは、穏やかな声で告げた。ハズリットの瞳に動揺の色が浮かぶ。

「え、でも……」

「ハズに危ないことはさせられない。もしクラックがバレても、俺たちなら『〈グレムリン〉だから』で済むけど、ハズの場合はそれで済まないからね」

「そうそう。クラックなら僕たちの方が慣れてるんだから、ドーンと任せてよ!」

 そう言う少年たちの瞳は、どこか楽しげな色を帯びていた。

 実際、彼らはそれなりに楽しむつもりであった。漠然と覗き見するよりは、何か目的があった方がクラックのしがいもあるというものだ。

 ハズリットはしばらく思案していたが、少年たちに任せるのが確実だと判断したのだろう。迷いを吹き飛ばすように息を吐くと、大きくうなづいた。

「わかったわ。二人にお願いする」

「そう来なくっちゃ!」

 少年たちは破願した。

「で――お母さんと、その心当たりの人の認識番号は判る?」

 早速ミルフィーユが携帯端末を取り出し、必要事項を確認する。だが少女は少し困ったように顔をしかめた。

「お母さんのは知ってるけど、『彼』のは判らない。判ってるのは現在いまの所属と名前だけ」

「じゃあこっちで調べるから、とりあえず所属と名前だけでもいいや」

 さほどの困難でもないといった口調でミルフィーユは流した。

 ハズリットがゆっくりとその名を告げる。

「〈機構軍・陸戦隊〉のクラウス・レンツ少佐」

「うそっ、ホントに!?」

 ハズリットの挙げた名前に、少年たちは自分の耳を疑った。そして俄かには信じられないとばかりに、少女の白い顔を見つめた。


 その後ハズリットと別れた〈グレムリン〉たちは、官舎に戻って三時間後には目的のファイルを手にしていた。

 数ヶ月前の侵入成功以来、〈機構軍〉システムに入り込むのは容易かった。ちゃっかりと〈裏口〉バックドアを残していた少年たちは、ものの数秒で〈機構軍〉システムの中枢部へとアクセスできるのだ。今回数時間もかかったのは、「遊んで」とまとわりつくバルケットを寝かしつけるのに、少々てこずったからである。

 〈ワーム〉の影響でセキュリティが強化されたといっても、〈機構軍〉のシステムは巨大だ。日々更新されるアップテートファイルにバグが含まれるのは稀なことでもなく、そのバグを衝いて〈裏口〉を仕掛ける行為は、〈機構軍〉システム攻略を企てる者にとって、まず一番初めに行う攻撃である。

 もちろん〈グレムリン〉たちも例外ではない。怒られても何のその、懲りもせずにせっせと穴探しと〈裏口〉設置に余念がなかった。まあ、彼らもそれなりに後ろめたさはあるのか、見つけた穴は片っ端から自分たち以外の侵入者には使えないようにして、セキュリティ強化に協力してはいるつもりだ。

「なんか、やっぱり信じられないや。昨日会ったばかりの人が、ハズのお父さんかも知れないなんて――」

 一段落してしばらくはプログラム任せになったミルフィーユが、手を止めてふと呟いた。雑談はしてもその目は常にモニタを見つめ、少しでも変わったことがあれば対応できるように気を引き締めている。

「でも、天王星でハズのお母さんと同じ部隊にいたみたいだし、可能性としてはかなり高そうだけどな」

 認識番号を調べた際に見つけた軍歴ファイルを、ヴァルトラントは読み上げる。

「ハズが生まれてしばらくしないうちに、お母さんとレンツ少佐は土星へ転属になってるんだけど、すぐにお母さんはハズを連れて木星に戻り退役してるんだよね。で、少佐だけが土星に残ってる」

「わぁ、なんかイワクありげ~」

 どこか嬉しそうに、ミルフィーユはニタリとする。そんな相棒を、ヴァルトラントは「ワイドーショー番組大好きなオバサンみたいだ」と思ったが、口にするのは何とか堪えた。代わりに心に引っかかっていることを吐き出す。

「そんなことはどうでもいいんだけどさ――俺、ハズが〈機構軍〉システムに入ったって言ってたのが気になるんだよなぁ。〈旧市街〉にある彼女んちの端末は、〈ユニバーサルネットワーク〉にしか接続できないはずだ。そこから〈機構軍〉システムに入り込むなんてことは、昨日今日クラックを覚えたぐらいでできるとは思えないんだけど」

「お母さんのログインIDを使ったのかも知れないよ?」

 自分も父親のIDを使った覚えのあるミルフィーユが応える。しかしその意見をヴァルトラントは笑い飛ばした。

「退役して何年にもなるのに、そのIDが生きてるわけないじゃん」

「あ、そっか」

 笑われたことなど気にもせず、ミルフィーユは納得して軽く手を打つ。

 〈機構軍〉システムにログインできるのは、〈機構軍〉に所属する者だけだ。退役すると与えられたアカウントは抹消され、システムへのアクセスは拒否されるようになる。

「うーん」

 腕を組んで首を左右に捻るヴァルトラントは、思いついたままを呟いていく。

「もしかしたら、回線が〈機構軍〉システムに繋がるようになってるのかもしれない。彼女はたまたま、そこに繋ぐことができた――と」

「なんで、繋がるようになってるのさ?」

 親友の推論に、ミルフィーユは胡散臭そうに鼻にしわを寄せた。

 相棒から真面目に取り合ってもらえなかったヴァルトラントは、それでもめげず、なおも推理を展開させていく。

「ほら、ハズはいろんな機関から注目されてるだろ。実は軍も目をつけてて、彼女の端末のログを採ろうとしてとか、彼女を狙うどっかの諜報部員から彼女を守るためにデータの出入りを監視して――とかで、通信経路が〈機構軍・情報部〉の設置した偽装サーバを通るようになってる――のかもしれない。多分……」

 ヴァルトラントは答えるが、いまいち説得力がないと自分でも思った。案の定ミルフィーユに突っ込まれる。

「ヴァル、スパイ映画の見すぎだよ」

 セピア色の髪の少年は相棒の言葉にあえて否定せず、苦笑とともに肩をすくめた。

「きっと〈機構軍〉の広報サイトかなんか見て、クラックできたって思ったんじゃ――って、え!?」

 シニカルに口元を歪めて言いかけたミルフィーユは、モニタに現れたデータに目を留めて息を呑んだ。部屋を満たす空気が俄かに張り詰める。その変化に、ヴァルトラントの面にも緊張の色が浮かぶ。

「ヴァル、見てよ」

 ミルフィーユは呻きながら、親友の端末にデータを送った。暗号解読用に使っていたヴァルトラントの端末の画面が切り替わる。

 ヴァルトラントは送られてきたデータを一瞥すると、思い切り顔をしかめた。

「同一人物の軍歴ファイルが、どうして二つもあるんだよ!?」

 不審感を目一杯込めて唸る。

「中身はどうなってるの?」

 警戒プログラムの動きを監視するので手一杯のミルフィーユが、データ分析担当の親友に問う。

「ちょっと待って――」

 親友の催促にヴァルトラントは、幾重にも鍵のかかった階層の奥深くに隠され、さらに暗号化されていたファイルを開いた。

 少年の琥珀の瞳が、次々現れる文字を追う。ざっと目を通すだけのつもりだったが、途中から読み飛ばすことができなくなった。

「これ――って……」

 ほどなくして全てを読み終えた少年は、モニタを凝視したまま喘ぐ。あまりに衝撃的な内容に、思考が停止しそうだった。真っ白になりかける頭の片隅を、少女の姿が過ぎる。

「どうしたの?」

「こっちが本物の軍歴ファイルだとしたら……ハズは、ハズは――」

 ミルフィーユの怪訝そうな声も聞こえていないのか、ヴァルトラントはただ、うわ言のように呟くことしかできなかった。

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