第一章 少年は溜息し、少女は駆ける -3-
木星の第4衛星であるカリストの空を護る〈東部方面防衛航空隊〉には所属せず、〈機構軍・航空隊〉の総司令部でもあるカリスト司令本部に直轄された、独立した部隊だ。
研究開発用などの試験機を除く二七機の戦闘機と、輸送機といった支援航空機三機を保有し、基地の運営や関連施設に勤務する隊員は三〇〇〇人にのぼる。
確かにこの程度で「団」と呼ぶには、あまりに小規模すぎるといえよう。だが隊員の大半が、先の〈天王星独立紛争〉に参加していた実戦経験豊富な
だが実際にそう呼ばれることは、滅多になかった。
なぜなら
つまり
そして、そんな「島流し」にされた者たちの筆頭が、若き基地司令官、ウィルドレイク・ヴィンツブラウト大佐であった。
〈天王星独立紛争〉時に活躍し、紛争終結に関する事件に深く関わった彼は、天王星において英雄として持て囃され、兵たちから絶大な支持を得ていた人物だ。
軍上層部は、そんな彼が兵に与える影響を懸念した。そして自分たちの地位が脅かされる前に――と、彼と付き合いの深かった者たちともども、彼を
その「軍上層部の頭痛の種」であるウィルは、ブリーフィングが始まるまでのひとときを、整備群本部と共用している飛行群本部ビルの休憩室で過ごしていた。
淹れたてのコーヒーと焼きたてのブレーツェルを手に、ブリーフィングに参加する他のパイロットや整備士たちと、他愛ない話に花を咲かせる。
「おいマルロー、おまえまた振られたって?」
出張で不在のイザークに代わり、司令官機の整備を任されていたミシェル・マルロー一等軍曹に、ウィルは意地の悪い笑みを浮かべて声をかけた。
愛用のカップにコーヒーを注いでいたマルローは、基地司令官の言葉に動揺して手元を狂わせる。
「うわっち!」
熱いコーヒーが手にかかり、軍曹は悲鳴をあげた。
「
ウィルの愛機〈オーベロン〉と「
「なにも、『また』を強調しなくてもいいじゃないですかぁ」
声が湿り気を帯びているのは、火傷の痛さからか、はたまた失恋で傷ついた心の痛みからか。
「ったく、ちょっと自分がモテるからってさぁ」
上官に対する、マルローのこの口のきき方は不適切である。軍では上官に口答えするなどもってのほかだ。しかしウィルは気にも留めず、ニヤリとするだけだった。
ウィルは隊員たちに、この休憩室にいるときだけはお互いの階級を忘れ、腹の中をさらけ出すようにと言ってあった。
彼もこの部屋にいるときは基地最高司令、そして兼任している飛行群司令としての立場と重責を忘れ、一人のパイロットとしていることができる。
「そうですよっ」
傷ついたとばかりに顔を歪めるマルローを、他の整備士たちが口々に庇う。
「軍曹は今年もまた、独りで〈聖夜〉を過ごさなきゃなんないんですからね」
「上官だったら、『お友達でいましょう』と言われてまた玉砕した部下に、優しい言葉の一つぐらいかけてやってください」
「ホント、またってのはヒドイっすよ、またってのは。せめて今度もとか今回もとか、他に言いようがあったと思いますが?」
いや、整備士たちは庇うように見せかけて、さらに軍曹の傷口をえぐり、丁寧に塩まですり込んだ。
「それ、言い換えただけだし……」
同僚からもからかわれたマルローは、わざとらしく鼻をすすりながら、いじいじと溢したコーヒーを拭き取る。
そこへ先任整備士のコハネッツ曹長が、さくっと止めを刺した。
「それ以前に、おまえ〈聖夜〉の日は当直だろーが。前日から〈ティターニア〉の
「あっ……ああぁっ!」
撃墜されたマルローは、力尽きてその場に崩れ落ちた。そして天を仰いで神を罵る。
「神さまのいけずーっ!」
「ミシェル、シュトーレン差し入れてやるからな」
「それともフーツェルブロートがいいか?」
芝居じみた動作で大袈裟に嘆き悲しむ軍曹に受けた同僚やパイロットたちは、手を叩いて囃したてる。
ウィルも隊員たちと一緒に声をたてて笑った。フライト前の緊張が適度にほぐれる。どうやらリラックスした状態で訓練に出ることができそうだ。
だが、そう思ったのも束の間。
壁にはめ込まれた大型ディスプレイに何気なく目を遣ったウィルは、そこに映っているものを見て目を剥いた。
「なんっ――だぁっ!?」
「大佐?」
突然、素っ頓狂な声をあげた基地司令官に、隊員たちは驚きの目を向けた。
司令官は呆けたように一点を見つめている。
訝しく思った隊員たちは、ウィルの視線を追った。するとそこには。
「あっ、〈グレムリン〉!」
『父ちゃ~ん、みんな~、見てる~ぅ?』
能天気な声でそう呼びかける〈グレムリン〉たちに、ウィルだけでなく隊員たちも目を点にした。
意外なところで我が子の姿を目にしたウィルの思考は、驚きのあまり一時停止する。そしてうわ言のように呟く。
「あいつらは、何をやってるんだ?」
しかし父親でさえ理解できないことを、他人に理解できるはずがない。みんな「さあ?」と首を捻るばかりだ。
周囲の反応も気にせず、ウィルは次々頭に浮かんでくる疑問を声にする。
「場所はどこだ?」
よほどカメラに近づいているのか、〈グレムリン〉の顔が画面いっぱいに映っているため、周囲の様子が判らない。
「テロップには、『
コハネッツ曹長が画面の隅に表示されている文字を読み上げた。
「じゃあ、学校へは行ってるんだな」
子供たちが学校をサボッて遊び歩いているのではないと判り、ウィルは少しだけほっとした様子を見せた。
だが少年たちの意図が判らないうちは、完全に気を緩めることはできない。なんせ連中は〈グレムリン〉だ。いつどこで何をしでかすのか予測不可能である。
「大佐、他の
自分の端末で他の放送局にアクセスしていた隊員が報告する。
「天才少女? ああ、そういや今日の試験に合格すればどーとかって、ヴァルトラントが言ってたよーな」
ウィルは朝食を摂りながら交わした、息子との会話を思い出した。
「だからって、あいつと何の関係があるんだ?」
「同じ学校の生徒として、インタビューでも受けてる――とか」
〈花組〉飛行隊の隊長、ギルバート・フォークナー中佐が答えた。しかし彼自身も半信半疑なのか、大きく首を傾げている。
〈グレムリン〉の様子は、どう見てもインタビューを受けているようには見えない。どちらかというと、「目立ちたがりの野次馬が突撃した」という感じだ。
「イザークがい見てなきゃいいけど。こんなの見たら卒倒してるとこだぞ」
ウィルは、親友が出張先での会議に没頭しているよう祈った。が、その直後、自分一人がこんな寿命の縮まる思いをしている不公平さに、割り切れない気持ちになる。
驚いたり安堵したり割り切れなかったりと忙しいウィルは、息子たちの行動を見逃さないよう、目を皿にしてディスプレイを見つめた。
『ねぇねぇ。これ生中継?』
カメラに向かって愛想を振りまいていたヴァルトラントが、レポーターのマイクを奪い取った。
『そーだ! おねーさん、俺の可哀想な話聞いてくれる?』
『えぇっ、ちょ……ちょっと!』
マイクをとられた女性レポーターも、〈グレムリン〉の出現は突然のことだったのだろう。うろたえたように口ごもり、周囲にいる他のレポーターたちに助けを求めている。
しかしヴァルトラントはそんな連中の反応などお構いなしだ。ふと悲しげな表情を作ると、彼の「可哀想な話」とやらを語りはじめる。
『俺の父ちゃんってさぁ、すっごく女癖が悪いんだよねぇ――』
「な――っ!?」
いきなりとんでもないことを言い出した息子に、ウィルは絶句した。その場にいた者が一斉に彼を振り返る。基地司令官は怒りと羞恥で真っ赤になった。
息子の発言はカリストだけでなく、〈ユニバーサルネットワーク〉を通じて全太陽系に発信される。つまり自分の私生活が、全世界の人間に知られてしまうのだ。
まあ息子が名乗りさえしなければ、一般の人々には「どこかの親子」で済むだろう。しかし〈機構軍〉内においては、そういうわけにいかない。スキャンダラスな家庭事情を暴露している少年が
そうなると、普段上層部から厄介者扱いされているウィルの立場はますます悪くなる。
「だ、だれか、あのバカを止めろっ!」
「無理です。
立ち上がって喚く基地司令官の「命令」を、隊員たちは一蹴した。
「じゃあアダルに広場をピンポイント爆撃させるっ!」
ご乱心の基地司令官は、司令部ビルにいる副司令官に連絡をとろうとして端末に手を伸ばした。隊員たちは、慌てて彼を羽交い絞めにする。
「何すんだっ、こらぁっ!」
「民間人を巻き込んじゃいけませんて。それに、こんな面白いイベントを潰しちゃ、もったいないっすよぉ」
「そうそう」
隊員たちはニヤニヤと楽しそうに、頭から湯気を立てている基地司令官に囁く。
「おまえらーっ」
「ほらほら、一緒に〈グレムリン〉の『演説』を聞きましょう、大佐」
そう言って隊員たちは、ウィルの頭を強引にディスプレイの方へ向けた。
『それは大変だね……』
『そ、それで?』
ディスプレイの中では、興味津々といった表情のレポーターたちがマイクを突き出し、ヴァルトラントの話に聞き入っている。
ウィルが画面から目を離した時間は、ほんの一分にも満たなかったはずだ。そのわずかな時間に、ヴァルトラントは報道陣たちの関心を惹いた。
それに気づいたウィルは、なぜか総毛立った。時々、息子のことが空恐ろしくなることがある。
ヴァルトラントは初対面の者に対して人見知りしない。そして相手にも人見知りさせない。ものの数分会話するだけで、相手を自分のペースに引き込んでしまう。
土星を陰で支えている〈見守る者〉たちは、人の心を掴むことに長け、土星に住む者たちの信頼を得ているという。
しかし息子の場合は彼らと違って、どこか危ういもの――少しでも間違った方へ進むと己自身を破滅させかねない、何かを孕んでいるような気がしてならない。最近赴任してきた〈見守る者〉の家の出である士官を見てからは、特にそう感じるようになった。
漠然とした不安を感じた基地司令官は、抗うことをやめ、再びディスプレイに見入った。
『でさ、一ヶ月もしないうちに新しい彼女ができてさ――』
淡々と語るヴァルトラントが、ふと口を閉じた。いっそう顔を曇らせ、目を伏せる。
『俺の母ちゃん、それで家を飛び出しちゃったんだ。俺を置いて……』
「なに?」
この台詞にウィルは怪訝そうに顔をしかめた。隊員たちも、事実と違う少年の話に顔を見合わせ、ざわめいている。
ヴァルトラントの母親は、彼が一歳半のときに亡くなっている。それ以降、ウィルには数多くの恋人ができたが、息子に母と呼ばせるような女性は存在しない。なのに息子は「母は出て行った」と言う。
息子の行動には何か裏がある。
直感的にウィルはそう思った。
『俺、母ちゃんに会いたいよ。母ちゃん、どこにいるの? 帰ってきてーっ!』
ヴァルトラントは感極まってカメラに取りすがる。
少年の顔が画面いっぱいに映し出されるその直前。
「あ!」
一瞬ではあったが、息子の背後を数人の子供が横切った。そしてその中に見覚えのあるコートが混じっていたのを、ウィルは目敏く見つけた。
そのコートは、先日ウィルがヴァルトラントに買い与えたものだ。息子は今朝、嬉しそうにそれを着て出かけていった。
いま見えたのは、息子が着ていたものだろうか?
そのような疑問が、ウィルの頭をよぎる。
そこへタイミングよく映像が別視点に切り替わり、彼の疑問に対する答えが示された。
少し離れた後方から映されたヴァルトラントは、コートを着ていなかった。
「なるほどね――」
その意味を理解したウィルは、苦笑を浮かべて呟いた。引き潮のように、問題発言を連発していた息子に対する怒りが消えてゆく。
「大佐?」
くすくすと笑いはじめたウィルに、顔中を疑問符で埋めつくした隊員たちが問いかけた。
「〈グレムリン〉は囮だ」
ディスプレイから目を離さないまま、ウィルは部下たちに説明してやる。
「恐らく、マスコミ連中の目を、本来のターゲットから逸らそうとしてるんだろう」
「本来のターゲットというと、『天才少女』ですな」
コハネッツ曹長が無精ひげの浮かぶ口端を愉快そうに持ち上げ、基地司令官を見上げた。
ウィルは曹長に肯き返すと、言葉を続ける。
「そしてさきほど、あいつらの目的は達せられた。そろそろオチがくるぞ」
そういって楽しそうにディスプレイを指差し、隊員たちに注目するよう促した。
「オチ――?」
まだ事情が呑み込めないまま、隊員たちは向き直る。
『母ちゃん、母ちゃん。父ちゃんってば、ヒドイんだよ。女に金つぎ込んで、俺のコート買ってくれないの。寒いよ、母ちゃん……うっ……ううっ』
画面の中で、幼い少年は顔を覆って泣きじゃくっていた。
『ぼ、ぼく、泣かないで』
ヴァルトラントに応対していた女性レポーターが、おろおろする。周りにいる他局のレポーターや野次馬たちは、少年に同情したのか、しきりに涙をぬぐっていた。
『ねーちゃん、その子のお母さん捜してあげなよ』
『そうだ、そうだ』
野次馬から声がかかる。
そして番組を盛り上げることに命を懸けているレポーターたちは、咄嗟にこの状況を「美味しい」と判断したのだろう。彼らは目を見交わすと、ディレクターの指示を待たずに本来の特集を変更した。
『よ……よし! おねーさんも、君のお母さんを捜すの手伝ってあげる! おねーさんが呼びかけたら、きっとお母さんも連絡してくれるよ』
女性レポーターがヴァルトラントの肩を抱いて元気づけた。
嗚咽するたびに小刻みに動いていたヴァルトラントの肩が、レポーターの言葉に反応してピクリ、と一回揺れる。が、すぐに再び上下しはじめた。
「あーあ、やっちまった!」
『……うふふふっ』
しゃくりあげていたはずの少年の口から、突然不気味な笑いが洩れた。
『え?』
レポーターはわけが解からず、目を瞬かせる。そこへヴァルトラントが勢いよく顔を上げて叫んだ。
『やったー、好感触ゲットぉっ! 今度の『シナリオコンクール』は、これでバッチリ!』
ニカッと笑って盛大にガッツポーズをとる。
『え? え? シナ……リオ?』
何が起こっているのか理解できない女性レポーターは、戸惑ったようにどもりながら聞き返した。
『そ。いま、演劇部が学園祭で上演する脚本を、生徒から募集してるんだ。で、いまのを応募しようかなーと思って。ちょっと自信なかったんだけど、みんな感動してくれたみたいだから、イケそうだね。うん、きっと入選するよ。上演が決まったら、みんな見に来てね』
少年は屈託のない笑顔をカメラに向け、ひらひらと手を振った。
レポーターたちは、その横で呆気にとられている。しばらくポカンとしていたが、やがて蒼ざめ、すぐに赤くなった。マイクを握る手が、ぶるぶると震えはじめた。
『みなさん、『俺の作った可哀想な話』を聞いてくれて、ありがとう。んじゃ!』
ペコリと頭を下げた〈グレムリン〉は、レポーターたちの怒りが爆発する寸前にその場から撤退した。その要領のよさと逃げ足の速さは、もう流石としか言いようがない。
そして放送局の対応の早さも見事だった。
各局の現地レポーターたちがキレるや否や、一斉にテロップが書き換えられた。
「レポーター、いたずら少年に担がれる!」――と。
同様に呆気にとられてその様子を見ていた
「あのおしとやかが売りの美人レポーターの顔!」
「怖えぇっ、ハンニャだーっ!」
「あのデイブってレポーター、いつも毒舌ぶっててムカついてたんだけど、してやったりって感じだぜ!」
隊員たちは楽しそうにはしゃぎたてる。普段〈グレムリン〉に一杯食わされるのが自分たちだからか、他人が担がれるのを見て、いままでの鬱憤が吹き飛んだようだ。
そんな部下たちを見ていたウィルは、苦笑ついでに零す。
「しかし、いくらなんでも脚本ってのはムチャすぎだろ」
「九割方、事実ですしねぇ。ドキュメンタリーでしょうかね」
マルローが即座に、さっきのお返しとばかりに茶々を入れた。
「何か言ったかな? 軍曹」
基地司令官は、鋭く光る樫色の瞳で童顔の軍曹を睨みつける。
「いえ、何でもありませんっ、大佐!」
若手整備士のリーダー格は、その迫力に慄いたとでもいうように、直立不動の姿勢をとる。そしてチラリと尊敬する
自他ともに認める〈機構軍〉一のフリーガーは、わざと作っていた不機嫌な顔を崩した。
ニヤリ――と、操縦士と整備士が笑いあった。
最高に気分がよかった。
報道メディアを混乱させるなど、決して誉められる行為ではない。少年たちもそれは
他人を想うそんな息子が、ウィルには誇らしく感じる。もちろん帰ってきたら、たっぷりお灸をすえる必要はある。しかし同じくらい誉めて、抱きしめてやらなければなるまい。
そんなことを考えながら、ウィルはおもむろに立ち上がった。
「さあ、そろそろ始めるぞ」
浮き立つ隊員たちに向かって声をかける。
と、そこへ、耳の後ろに埋め込まれた〈インプラント〉が着信を告げた。ウィルは声に出さず、口の中で応えた。
「なんだ?」
彼の次席副官であるクローチェ二等軍曹の強ばった声が返ってくる。
「大佐、カリスト司令本部から問い合わせが来ています。あの、かなりご立腹のようですが……」
「げ――!」
若い副官の言葉に、ウィルは一気に奈落の底へと突き落とされた。
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