魔を魅せる眼と流水の籠


捕まっていた尾方先生を見つけた刹那達は、彼が何日も前からここに軟禁されていた事を知った。

とにかく、尾方先生を出して部長達と話を…と思っていた矢先のこと。


倉庫の外へ出ると、『…びゃああーーーっ!』と叫ぶクラウディアが倉庫の回りをばたばたと飛び回っていた。

ぎょっとしながら刹那は青い小鳥の元に駆け寄っていく。


「クラウ!一体何が……」

『浄化をしてたら、い、いきなりどす黒い影が、沈香を取り込んで…』


そんな小鳥の後方には、水遊びでもしたのか、不自然にびしょびしょになっているコンクリートの地面が広がっている。

それを見た少年の顔つきが、焦りから一気にすん、と目つきが半眼にすぼんでいく。


「……調子に乗って流水をばしゃばしゃ沈香に掛けまくってたろ」

『…やっちまったぜ☆』


てへぺろしてる場合じゃない。と刹那がクラウの頭を小突く。

彼らが出た倉庫の上に、黒い影の塊が空の上に浮いてこちらを見下ろしていた。

それは、うごうごともがきながら、狐の姿を形作っていく。


「影を引き寄せたのか…?」

「強引に浄化をしようとすると、たまに反発する個体もいるんですよ…」


千草に支えられて立っている尾方先生が、はっきりとした口調で呟いた。


「…クラウのせいか」

「いや、これは…恐らくあの白い狐の妖怪の仕業だね」


彼は元は野狐でしょう?と先生は断言する。先生は、狐の魔物を見ただけで分かるのだろうか。


「ああ、僕は一応狐の事には詳しくてね」


だから、機関から狐の魔物の増加の件を調べてって言われて大変だったんだ。

と、ころころと笑っていた。


「暢気に話している場合じゃないぞ」


ハッとして黒い影の方へ視線を戻すと、それは黒い影を纏った中型犬程の大きさの狐の形をとった。

けれど、大きく引き裂けた口からは、

叫ぶような声をこちらに投げ掛けてきた。


『……なあ、どうしてあの方はひめさまと共に在ることさえ叶わないんだ……?』


悲痛、とも言える鼓膜を震わす叫び声だった。


『ようやく見つけたんだよ、ひめさまの魂を持つ人間を…!俺はあの方の悲願の力になるんだよ!』


すべてを捨てた人間は、無敵の人だから何をするのかわからないとよく言うが、いま目の前にいる沈香も、そんな悲壮感が漂っている。


『ただやられるなら、お前らを巻き込んでやる!』


黒い獣と化した沈香が、アーモンド形の瞳をぎらぎらとさせると、こちらに風の刃を飛ばしてきた。


「ちっ!…略式!……守れ!」


刹那は咄嗟に千草達の前に人形の白い紙を飛ばして彼らの前方へ透明な壁を作り出すと、自分は前方を腕で庇ってガードした。


「くっ!」


少年の頬と制服の袖が風を掠める。

当たった箇所の頬と、腕が少し切れて血が滲んでいた。


「え……セン、パイ…?」


刹那の前に、少し癖のある暗灰色の頭と、見慣れた少し大きい背中が見えた。


「…無事か?」

「はい、まあなんとか」


ならいい。相変わらず固いままの航星は、此方を見ずにそう返してきた。

そんな先輩の顔から、かしゃんと何かが落ちた。

あ、と声を上げた刹那と、先生を庇っていた千草が地面に転がったそれを見た。

それは見慣れた航星の眼鏡だった。


「随分と…威勢がいいな、魔物」


ビリッ、とひりつくような圧を込めた声が沈香へと向けられていた。

眼鏡が外れた航星は、セピア色の目の奥を光らせて黒い獣を睨み付ける。

びくり、とその狐は体を震わせた。


『……な、何だお前……!』

「僕の眼鏡を飛ばしやがって……壊れたらどうしてくれる」


彼は落ちた眼鏡を拾うと、それは顔に掛けずにニットベストのポケットにしまうと、服の下に隠していたペンダントを制服の上に出した。ペンダントヘッドに填まっているのはルチルクォーツ。金針入り水晶とも呼ばれるものだ。

セピア色の眼の奥が瞬いた。

航星は、丁度いい事を思い付いたとにやりと笑う。彼の口の端が弧を描いた。

普段の大人しい姿からは考えられない、凶悪な笑みだった。


「分かったよ。……相手をしてやるよ」

『ぐ……、くそ、頭が…!』


何の因果か、本来は人を惑わす筈の妖狐の眷属が、人を惑わす魔眼の術式に掛けられていた。

航星はペンダントのヘッドに触れる。

すると彼の足先から膝までの箇所が鋼の武装に包まれていった。

航星の影への対抗策はシンプルである。

とりあえず片っ端から蹴り飛ばすこと。

元不良であり、日頃からヤンチャを繰り返していた事で培った脳筋思考はすぐに変えることはできなかった。

その鋼の爪先で地面を蹴り上げると、彼は瞬く間に宙に跳んだ。


「センパイが、飛んで…うわ蹴った!?」


空中を跳ねると、先ずは狐の横っ面に蹴りを食らわせる。

痛みで動きの止まった黒い狐に、ボディーブローのようにもう一発。

ぐはっ、と獣が呻くと、黒い獣と化した体がぐらりと揺れた。


「相楽は一度怒ると手がつけられないからな…」

「ああ、眠っていた獣を起こしてしまったと」

『…狐くんもやっちまったんだねぇ』


いばら姫のお姫様ならいざ知らず、そこに眠ってたのは実は狼でしたという訳だ。相手側からすれば、とても笑えないだろう。

これはもう、御愁傷様というしかない。


「……やっぱりうちの部活に勧誘しようかな」

「断られてたじゃないですか」


さっきから沈香から放たれていた圧が急速に失われていた。

航星は沈香の体がふらついているうちに蹴り上げた脚を振り下ろしてかかと落としを獣の脳天に当てると、姿勢を低くさせて腹に回し蹴りを食らわせていく。

その流れを叩き込む間、殆んど相手に反撃をさせていなかった。

すると、沈香の体から黒い霧が吹き出し始め、どすっ、と音を立てて地上に落ちてきた。


「これで、大人しくなったか」


彼は地上に足を付けると、自分の鋼の装甲を解いた。

すっかり元の姿に戻った沈香の元に近付いた航星は、ぐったりしている狐の顔を上げさせて、狐の目をじっと見つめている。


「……少し大人しくしていろ、いいな?」

『う、……わ、わかりました…』


一瞬、航星の眼が光を帯びていた。

それは、眼の中の術式を使ったときの光。魔眼の力を使ったんだ、と刹那は察した。

彼の力は、相手と目線を合わせればいい。詠唱も手順も必要ない、その瞳自体に術式が刻まれているからだ。

航星は狐の首ねっこを掴んでぎろりと睨み付けていた。それから、ポケットから眼鏡を取り出して掛けてから、刹那達の方へ顔を向けた。


「先輩、沈香に魔眼を掛けてどうするんですか?」

「いや…捕虜にした方が便利かと思って」

「捕虜?」


彼は目を細めて、意味ありげに笑った。

……これは、悪いことを考えている時の顔をしていた。


「おい沈香、答えろ。お前のボスは今何をしようと企んでいるんだ?」


僅かに彼の目の奥が光ったような気がする。それに、今までぐったりしていた沈香が、びくりと顔を上げた。


『……白檀様は…ひめさまの元へ、病院に…』


何処か事務的に、感情を失くしたかのような淀みのない声で沈香が答えている。


『…はっ!く、口が勝手に!貴様、俺に何を掛けた!』

『はいはい、お口チャックだよー』


すかさず、クラウがお手製の水の檻を作って身柄を拘束していた。

眼の力を使って自白をさせたのだ。

な、使えるだろ?と呟く航星に、刹那は苦笑をするしかなかった。


「白檀は……冬海病院ですね、恐らく」


刹那は無意識に、拳を握っていたようだ。気にしていないつもりでも、やっぱり少年の中で小さな幼馴染の事は気になっていた。


「高原くん、落ち着いて。あの病院には喜多先生も向かっているから」

「落ち着いています。…あいつには兄さんがついてるし、大丈夫……」

「……高原、あれを見てみろ」

「はい?」


航星の声と肩を叩かれて振り向くと、そこには無表情になってしまっている千草がいた。

いつもの爽やかさが鳴りを潜めているのだ。そんな先輩の様子をおろおろと尾方先生が慰めていた。

千草が茉莉の事を気にかけているのは分かっていたが、また狙われていると聞いて心中は穏やかではないだろう。


「…柏木の事もわかるが、多分あっちの方が尋常じゃないと思う」

「まあ、そうっすね…」


それを見た刹那は、自分の尺度で突っ走りかけてた自分が少し恥ずかしく感じていると。

少年の頬に、雨粒が落ちてきた。

  

「…あ……雨?」

「もう、そんな時間か」


しとしとと、雨が降ってきていた。

それと同時に、空が雲が掛かっているというのに恐ろしい程に夕日の色に染まっていた。

そろそろ、もうひとつの異界が此方へと重なる時が迫っていた。


「オウマガトキ…」


黄昏時の時間は、容赦なく三月町を包み込もうとしていた。何かを考え込んでいた航星は、スマホを手にしてタップをしている。


「もしもし、……ああ緊急事態だ、30秒で来い」


航星が何処かに電話を掛けたと思ったら、すぐに空間を切り裂くように、何処からか金髪のヤンキーが現れた。


「…カズ。お前の能力で冬海病院まで移動させてくれ」

「りょーかいっす。お、後輩さんはさっきぶりっすね」


屈託ない顔つきで、金髪のヤンキーことカズは刹那へ挨拶をしてきた。


「…どーも。カズさんの用事は済んだんですか?」

「姉御のお陰で!……後輩さんは優しいっすね。兄貴とは大違いでさあ…」

「カズ、さっさとやってくれ」


航星にどやされたカズは、キリッと背筋を伸ばした。彼は知らない方々もいるんすね、と言いながら、手短にこう言った。


「えーと、おれっちは〈瞬間移動〉の能力なんです」


じゃあ、皆さんしばし手を繋いでもらえますかね、と言われて皆は各々手を握る。クラウは刹那の頭の上に乗っかるかたちだ。


「それじゃ行きますよ、口を閉じて下さいね」


早すぎて舌かみますからね、というカズの言葉とともに、目の前の光景が蜃気楼のように揺らいだ。

テレビの画面がプツンと暗くなるように

一瞬暗くなると……番組のチャンネルを切り替えたように、すぐに全く別の景色が目の前に現れた。


「着きました、冬海病院ですよ」


カズに言われて見上げると、目の前に広がる冬海病院の外観が映し出された。

だがそこは、既にオレンジと影の二極化した視界へと変貌を遂げていた。


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