かくて少女は目を覚ます


ーー胡蝶こちょうゆめ

夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所で目が覚めたが、はたしてそれは自分が蝶になった夢を見ていたのか、それとも夢の中の蝶が本当の自分で、今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。

夢の中の自分が現実か、現実のほうが夢なのか。それは誰にもわからないが……少なくとも、影響を与えあうという意味ではどちらも己自身であり、そのいずれも真実である、のかもしれない。


その昔の逸話になぞられた〈胡蝶の夢〉は、夢の世界を結びに導き、夢の持ち主をあるべき現実に呼び戻す術式だ。

色々と発動条件は難しい術式だが、

一度それが発動されれば、術に込められた蝶々が対象者を導くだろう。

夢の中にいた彼らの意思が、俯きそうな対象者の背中を後押しして。


かくて、彼らは悪夢から目を覚ます。



………

………………。



辺り一面まっさらとなった空間に、少年と少女二人…と狐耳の少年が佇んでいた。

茉莉まつりの見ていた悪夢を倒した刹那せつな達は、沈香じんこうと対峙していた。


『……なんなんだよ、お前らは…!くそっ、くそっ!』


悔しそうな顔をして此方を睨みつけてくる沈香の周りを、硝子の蝶々がくるくると回り続けている。


『煩いっての、野良狐』


お菓子を食べたばかりのエリカが、凶悪な笑みを浮かべて猟銃を構えている。

元気が戻ってきた、と言いたそうである。


「お前が三角みすみに掛けた術は〈胡蝶の夢〉で解いた。まだやる気か?」

『はっ?まだ負けるわけない!だって白檀びゃくだん様が此処へ夢渡りをしてくるはずなんだから』


ふと、オレのポケット辺りがかたかたと動いている。それは、ハイネ先輩に渡されたあのプレゼントだった。

開けろってことか?と思い、ポケットから取り出して箱の蓋を開く。

すると。

ぶわっ、と箱から光が溢れ出てくると同時に、羽根のはためく音がした。

それから『クラウディアちゃん、さーんじょー!』と言いながら、半透明の身体の青い小鳥が、翼を大きく広げて現れた。


「!!」

「うわぁっ!」

『ど?ど?びっくりしたっしょ?……ふっふっふ!無理もないよね、あたしってば……じゃなかった』

『……おい、なんだこいつ!』


こっちが聞きたい。

オレも鈴歌すずかもエリカも、そして沈香もぎょっとしながら青い小鳥に注目してしまう。

見た目は手乗りサイズの青い小鳥。

丸っぽい体の彼女(?)は、わざと咳払いをすると、こちらに向いて恭しくお辞儀をした。


『こほん。初めまして、私はクラウディア。我が主より、貴方達の力になるよう仰せつかって参りました。以後お見知りおきを』

「よ、宜しく…」


小鳥に握手を求められたので、恐る恐る羽根の前で握手をする。

それが終わると、バサッ、と両腕の羽根を合わせて明るく言ってのけた。


『はい。畏まるのは終わり!君達が刹那くんとすーちゃんだよね。うん二人ともかわいいねぇ!もう一人は使い魔さんね!そっくり~!

あたしら精霊的にもいい霊力を持ってる。よきよき!』


しかも、体当たり気味にオレ達に頬擦りしてきた。……ハイテンション気味のノリ、とてもじゃないが、ハイネ先輩の使役する精霊とは思えない。


『……はあ?!貴様が幻想種の精霊だと?こんな精霊がいてたまるかよ!』

『ほほう、君が例の狐くん!おっす、お勤めごくろーさま!』


くるーり。

と沈香の方に振り向いた小鳥は、まるで知人に話しかけるように明るく囀ずる。

なんでこの小鳥、敵にまで軽いの?と、思っていたが…

不意に、声色のトーンが低くなった。


『君が待ってる狐の妖怪さんさぁ、ハイネちゃん達に退治されて、尻尾巻いて逃げてったって。いくら待ってもここには来ないよ☆』

『は?お前の言うことなんか、信用出来るか!』

『……へぇ、なんで?』


面白そうな口振りの小鳥は、『あたしは親切に教えてあげたんだけどさ』と呟くと、沈香を挑発でもしてるかのように、ふふんと鼻を鳴らした。


『つうか、狐ごときがさぁ……あたしら竜に勝てると思って言ってる?』

『……そんな幻獣クラスの神霊が、人間どもに力を貸すはずがないだろう!』

『こうして力を貸してるんだけど。…あ、それなら』


小鳥はくるりと此方を振り向くと、オレの持つ刀を見付けてちょこんと乗っかった。


『ねえ君。あたしの力を貸すからさ、そこの狐に見せてやって!』

「……え、オレ?!」

『だって君、あねさんの道場の弟子っしょ?ならいけるって!』


あ、言っちゃいけないんだった、とてへぺろしそうな勢いのクラウディアは、

オレの目の前で光に包まれると…半透明の符へと姿を変えた。

半透明の符が滑るように心眼の刀身に当たると、さらりと溶けるように消えていった。

すると、刀が青い光に包まれていった。

黒い刀だった心眼が、青く美しい波紋の映る刀身へと姿が変わっていった。


『さしずめ、水の型〈波紋〉ってね』

「これ、使いこなせるのか…?」

『…大丈夫、後は私がサポート致しましょう。だって君、姉さんと訓練したことあるっしょ?』


流れる水の様なそれは、三日月のような笑顔で流麗な太刀捌きをするあの人を思い起こされる。

いや、訓練したことあるけど。

あの人、いつも剣技よりも精霊の属性を絡めた技を使って…。


『はっ。ならその口だけ精霊の力でやってみろよ。俺を捕まえられるかどうかな!』

「ああもう……仕方ないか」


こうなったら腹を括ってやるしかない。

沈香は茶色い狐の姿に変わると、こちらを目がけて狐火を飛ばしてくる。

咄嗟にオレは、あの人の記憶を頼りに…波紋を構えて、刀に水流を集めるようにイメージを描く。


「……受け流せ!」


火の塊を刀に纏わせた水流で受け止めて流す〈流水雨〉。続けて刀を振るうと、透き通るような残擊が沈香へと向かって飛んでいく。


「ギャアッ!」


飛ばした水の斬撃を受けた沈香は、狐の体をぶるぶると身震いさせて水滴を周りに飛ばしている。


『…ぐっ!……水の攻撃なんて、卑怯だぞお前!』

『よくもまあ…此方の属性も知らずに吠えてたねぇ』


刀になっても煽るのな、コイツ。

ずぶ濡れ狐になって動きの鈍った奴の隙を見て、オレは真っ白い地面に刀を突き刺した。

刀はとぷんと音を立てて沈んでいく。

まるで、床そのものが流体になったかのように丸い波紋を描いている。


「……水龍縛!」


水流が狐の周りを囲んでいく。糸のように、刃のように流れる水が鳥籠の形を取って沈香の姿を捕らえた。

水で作られた鳥籠の上にクラウディアが姿を取ると、にんまりと勝ち誇ったように嘴を開けて嗤った。


『大したことなかったね、狐さん』

『……貴様…!』

『さあて、ここから出たら洗いざらい吐いて貰いましょうかね。

あはは、心配しなくてもちょーっと尋問するだけだから、ね?』


と。明るい口調とは真逆の冷たい声色を発した小鳥に身震いをした沈香は舌を噛みきりそうな程に歯を食い縛ると、此方を悔しげに睨み付けた。


『…これで諦めたと思うな、人間ども!』


狐は紙切れの様なものを床に叩きつけると、煙を巻いて姿を消した。


『……。あらら逃がしちゃった。いやーごめんね』


と、明るく囀りながら、クラウディアは水の鳥籠を消すと刀の中から抜け出した。

心眼の刀身が元の黒色に戻っていく。


「ねえ、小鳥さん。狐さんを追い返したって…?」

『あたしも仲間から聞いただけだけどさ。君達のお友達が拐われかけたから、ハイネちゃんが迎え撃ったっぽい』

「……狐のボスとやりあったのか?!」

精霊あたしたちと契約している魔女だし?そのくらいやってもらわないとねー』


満面の笑みでオレたちに微笑む。

……何処となく既視感を感じたが、それは後に置いといて。

沈香が残した紙切れを、クラウディアに見せてみる。


「あのさ、クラウ。これって…」

『それってあたしの事?……あ、これね』


小鳥はすうっと目を細めて、紙切れを見つめて暫し後、真面目な口調になった。


『そうだよ。この夢を見ていた子に同じ夢を見せていたまじないの核』


流石に可笑しいでしょ、ずっと同じ夢を繰り返し見ていたなんてといつになく真面目な口調のクラウ。

言われてみれば、奇妙な部分も納得出来る。


「…そうか、三角に掛けた治癒術が流れていたのは、このまじないのせいか」

『そ、ご名答!』


鈴歌は、でも…と少し考えながら呟いた。


「茉莉ちゃんはいつそんなものを…?」

「……」


確かに、そこに疑問が残る。

そもそも、白檀が三角に執着する理由がまだわからなかった。


『…なるほど、ハイネちゃんはこれをさせたかったのか』


そう呟くと、小鳥は脚で紙の切れ端を固定するように掴むと、嘴で切れ端を摘まみ、

一気に、ビリビリーッ!

と真っ二つに破いていった。

そして。

その紙きれをぱくり、と飲み込んで見せた。


『……え、精霊がそんなもの食べたら!』

『あたし、これでも水の精霊の端くれだから浄化するのは得意なのだ!ふっふー、人の心を明るくするのも得意ですよ』

「そうなの?」

「そだよー。いまでこそ笑ってるハイネちゃんもね、昔は人形みたいな無表情だったんだよ」


いやー、あの時は骨が折れましたなあ、とため息混じりに呟くクラウに、鈴歌と顔を見合わせて


「…イメージつく?」

「全然付かない」


あんた達も失礼よ、とエリカにぼやかれていると、ブレスレットから壱狼いちろうの声が聞こえてきた。


『……対象者の覚醒の兆しを確認。

これよりダイバーの回収を開始します。


ーーほらエリカ殿、早く戻ってくれ。

鈴歌様の回収をしてくれないとおいらが困る』

『はいはい。今いくわよ』


エリカの体がすうっと消えていった。

璃湖りこ姉の姿がいつの間にか居なくなっているのを確認して、壱狼に「頼む」と返す。

辺り一面真っ白の空間が、少し揺らぐのを感じる。

またあのラプラスの海を通らなきゃならないのか、と少しだけ嫌な気持ちになりながら。



『任務の完了を確認、

これよりダイバーの意識を遮断を開始します。


遮断、完了。


回収します、ダイバーの心身のチェック

異常なし。



睡眠導入、終了。


ダイバー、精神覚醒を開始します。



それではダイブシステムを終了します。


ーーお疲れ様でした、ダイバー。』



………

………………。




明るい天井が目に眩しい。

軽い目眩に顔をしかめながら目を開いてゆっくりと起き上がると、壱狼が心底ほっとしたといった顔付きをしてこっちを見ていた。


「う……」

『お疲れ様、主。……全く、こちらも冷やひやしたんだぞ!』

「あー…、わっ!すりすりするなよ、起きるから!」


壱狼がいつになくすり寄ってくる。

傍らに置いてあったスマホのランプが光ってるのを見ると…親からの通知だろうな。

隣にいた鈴歌も、あくびをして起き上がった。


「ふわー…、おはよう」

「…おかえり、二人とも」


千草ちぐさ先輩が目が覚めたオレ達に声を掛けてきた。無事みたいで良かった。


「……三角は?!」

「ああ、大丈夫。治癒術が効くようになってるし、すぐに目が覚めるよ」

「よかったぁ…」


ハイネ先輩の声の方を振り向けば、三角の側で魔法を掛けていた。鈴歌は駆け寄って三角を見てほっとしていた。


「…くしゅっ!」

「風邪引いたんじゃないのか…?温かいの作ってきたから、取り敢えず休んで」

「…悪いね、ヒロ」


先輩が小さくくしゃみをしながら、千草先輩からカップを受け取っていた。

オレ達も先輩から飲み物を受け取る。中身はカフェオレだった。

しかし…何となくオレはハイネ先輩に訊ねる。


「何したんですか、先輩」

「雨の中で戦っちゃだめだよね、全身の体温が奪われるよあれ」


といいながら、ぶるぶると肩を震わせてカップの中身を飲んでいる。

いや、ほんっとなにしてるんだよ。


「そうだ。これ、有り難う御座いました」


忘れる前に、オレはポケットから箱の中の青い小鳥を返した。

ハイネ先輩は、その小鳥を撫でるとすっと虚空へと還した。


「うん。それは良かったよ」

「先輩にしては珍しいですよね、クラウの性格」

「あはは。でも、あれだけ空気読まないと、逆に周りを掻き回すのに事欠かないでしょ?」

「…はは……」


そういやクラウ、沈香をめちゃめちゃ煽ってましたね。

と、いい掛けたところで、


「……うう…」


眠っていた三角の声がした。皆で彼女の方へと顔を向けると、ゆっくりと瞼が開いた。


「……あの、ここって……?」


そろそろと辺りを見回す三角に、鈴歌が嬉しそうに笑った。


「おはよう、茉莉ちゃん!」

「あ、うん。おは……えっ」


三角が鈴歌の方を見て…その後ろにいた千草先輩の顔を見たまま、ぎょっとして数秒固まっていた。

……あ、そうか。外で倒れてここに連れてきたから三角は知らないんだった。


「ここは俺の家だよ。どこか痛むか?」

「へ…だ、大丈夫…です!」

「そう。よく眠れた?」

「うん、……あ、ここで眠って…ね、寝言言ってなかったよね?!」

「静かだったよ」


なかなかに会話があたふたしている二人を横目に、ハイネ先輩は静かにオレと鈴歌を手招きした。


「……茉莉嬢のことは、ヒロにでも任せておくとして。やっぱり機関と部長…なっちゃんには報告するよ」

「何で?」

「…白檀と言う狐は……自らを妖怪だと言っていた」


オレたちは、表情を固くする。

それを見て先輩は少し表情を緩めて、

「だから、また彼女に被害がないとは限らないでしょ」と続けた。

狐達はまだ彼女を諦めたと言えない、ということだ。

それにわかりました、と頷く。


「ハイネ先輩。でしたらオレも伝えることがあるんすけど」

「何かあった?」

「……道中話しますから、代わりにオレの家まで来ていただいて、親に事情を説明してもらえませんか?」

「え?」


ずいっ、とハイネ先輩の前に出したスマホには、刹那の親と兄からのたくさんの着信履歴が並んでいた。

画面を見た先輩の表情がじわじわと苦笑に変わっていくのが分かる。


「……気が重いなあ、これは」

「お願いします。上手い言い訳してくれればいいんで!」


ハイネ先輩は、しぶしぶながらも了承してくれた。

家に帰ると、予想通り親と兄からはしっかり叱られてしまった。まあこれでも、先輩の口添えのお陰で大分減った方だったが。




******



同時刻、深夜。

とある山の中、ざあざあと降る雨の中を人影が木を掻き分けて歩いていた。

頭からすっぽり覆うかっぱを着込んで、何かを探しているようだった。


「……ここにあったか」


森林の広がる山の中にある、少し開けた場所。そこには小さな祠が建っていた。

彼は手に持っていた懐中電灯を付ける。

よし、と小さく頷く。手元を照らす灯りで祠を照らして見ると、長く手入れをされていないのだろうか、全体的に薄汚れているのが見てとれた。


「よし、すぐにこの場所の座標を送って…と」


しかし、と彼は困ったように空を仰ぐ。

ぱたぱた、と雨粒がその顔に落ちてきた。

暗い空から視線を落として、息を吐き出した。


「結構雨が強いな。これは気をつけて下山しないと」


ぶつぶつと呟きながら、彼はくるりと背中を向けて、下山しようと歩きだした。


だが彼は気づいていなかった。

その祠の裏から、六個の光が彼の姿を捉えていた事に……。



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