第10話 現実―リアル―
夜も更けてきたところで、風が冷たさを孕みだした。
アマリの言いつけ通り『Black Noise』の前に佇んでいると、いくつか気付いた事がある。
昼過ぎに見て回った時より
やはりこのゲームが最も盛り上がる時間は夜から深夜にかけてのようだ。
しかし昼過ぎと比べると『店を見て回っている』プレイヤーは少なかった。
比較するなら、昼の6~7割程度といったところか。
推察するに、
買い物は一人でも出来るだろうが、ダンジョン攻略は面子が揃っていたほうが良い。
そんなことを取りとめもなく考えていた。
本来であれば、アマリに対する言い訳のひとつやふたつでも考えるべきであったかもしれないが、そういう気分にはなれない。
気配に振り向くと、どこか不機嫌そうな顔をしたアマリがつかつかと歩み寄ってきた。
「……お待たせ。夏にしちゃちょっと寒いけど、不快なレベルじゃないから良いよね?」
「ああ。どうせ風邪もひかないだろ」
「まーね。それに、お店入れるほどの
若干の気まずさを感じつつも頷くと、アマリは腰に手を当ててはぁと当てつけがましい溜息を吐く。
とりあえず元々の打ち合わせ通り、中央公園に向かうと言う彼女の背中を追って、レイクファイドの街並みを歩いた。
数分ほど歩いて到着した中央公園は、その名の通りレイクファイドのほぼ中央に位置しているようだ。
低い垣根が外周を囲み、中央にはシンボリックな女神像が翼を広げながら噴水として鎮座している。
これもアジト内の謎の灯り同様、下から柔らかなオレンジ色の光が照らしていた。
どこか掲げるようにも見えるポージングで持たれた水瓶からざあざあと落ちる水は、光を反射してオレンジ色に煌めいている。
公園内にぽつぽつと点在している3人掛け程度のベンチに腰を降ろしたアマリに続いて、少しだけ距離を置いて腰を落ち着けた。
「……で、ぐっすりさんと何の話してたわけ?」
やはりそこから来たか。
仕方ない、彼女からすれば不明点だらけで明らかにしたいことだらけであろう。
声のトーンは明らかに不機嫌そのもの。
怒りとまではいかないが、話題の転がし方によっては怒られる、そんな予感がする。
とは言え話さなくてはどうにもならないので、洗いざらい正直に打ち明けた。
「……ふぅん。あたしのリアルについてちょっと知っちゃったわけね。じゃあ、あたしからも教えてあげようか?」
「は?」
その言葉の言わんとする意味が、よく解らなかった。
声色は一転して淡泊なものとなり、アマリの心情を推し量るのが難しい。
あれだけ『リアルを詮索するな』と言っていたアマリが、何故リアルのことを話そうだなんて――疑問が頭を駆け巡る中、はっきりとこう告げてくる。
「ぐっすりさん、実は男だよ」
理解するのに数秒の時間を要した。
ぐっすりさんが。
男。
言われてみれば、このゲームはそもそも性別すら偽れた。
人種やら服装はもちろん、身長、顔、声、全てが弄れるのだ。
なら、ああして女性らしく振る舞い女性らしいキャラクリエイトで女性として振る舞っているグッドスリープがリアルでは実は男であっても可笑しくはない。
第一印象は容姿から入りやすいとはいえ、あっさりとグッドスリープを女性だと信じていたのは軽率だったかもしれなかった。
しかし、だから、何なんだ?
自分は別にグッドスリープとどうこうなりたいわけでもないし、彼が『彼』であろうと『彼女』であろうと、『トロヴァトーレ』に於ける立ち位置および自分からの認識もそこまで変わらない。
「信じた? でも、解らないよね?」
「えーと……結局どういうこと?」
質問を重ねてくるアマリには質問で返すと、彼女は額に手を当てては背もたれに体重を預けてがくんと首を後ろに揺らした。
それから程なくして、『あぅう~……』とでも表現すべき、意味を持たない呻きが口から漏れる。
「どっちでもいい。ってか、知らない。たぶん女。蓋の開け方すら解んないんだよって言いたかっただけだから」
「……なるほど?」
つまり、シュレーディンガーのぐっすりさん。
投げ槍に放られた言葉をなんとかキャッチして咀嚼するに、恐らくそういうことだ。
頭を後ろに投げ打っていた体勢から一転、がばりと身を起こしたと思えば太腿に肘をついて前屈みになるアマリ。
彼女の言動に付いていけずに少しばかり困惑するがこちらから話すべきことは全て話した。
さてどうしたものかと思えば、噴水の流れる音にかき消されそうな程小さな声でぽつりと呟きが落とされる。
「……あたしが、馬鹿だっただけなんだけど」
どこか、自分を責めるような。
もしくは、自嘲するような。
「前やってたゲームで、リアルでも会おうってなったの。女の子3人、男の子3人で」
――やはり昔のアマリはリアルで会うことに抵抗が無かったらしい。
しかし『何か』があって、今のアマリが形成された。
「でも……リアルで会ってみたらびっくり。女の子3人のうち、あたし以外の2人は男。要するにネカマだったわけ。つまり6人中あたし以外の5人が男」
「……それは」
成程。
そう言われると、先程のアマリの発言の意図も納得がいく。
――ぐっすりさんが、実は男だったら?
――もし、ぐっすりさんに『何か』を期待してリアルで会おうとするプレイヤーが居たら?
そういうものは男女のあれそれに限らない。
『同じゲームを通じて知り合った
ネットが発達しきって、誰もが距離と関係なく即時レスポンスでコミュニケーションを取れる時代なのだ。
そこで実際に顔を合わせて時間を共にした相手となれば、信頼の情も親愛の情も、ただのネッ友の域から外れることは想像に難くない。
だが、アマリは裏切られた。
そこに悪意があったかは解らない。
「しかもあたしはその中で一番年下だった。……あとは……あんま話したくない、かな」
もしかしたら、女性プレイヤーとして振る舞っていた他の2人も、お互いについて知らなかった――つまり、女性が少なくとも2人は居る筈だと思っていたかもしれない。
まさか、その2人なり男性含めた5人なりが結託してアマリを囲もうとまでは思っていないだろう。
さすがにそこまでの悪意を持ってオフ会をセッティングするような人間が、この世に居るとは思いたくない。
「そうか……こんな話させて、ごめんな」
こんな話をさせてしまったせいだろうか、アマリはいつもの快活さをどこかに忘れてきたような空気を纏っていた。
なので謝ったが、緩やかな動作で身を起こしたアマリはゆるく首を振ると、薄く笑う。
「んーん。いいの。完全に黙ってることは、ぐっすりさんに打ち明けた時点で無理だと思ってたし。カズキがこういう事をやたらと喧伝するタイプじゃないとあたしが判断したからだし。そもそも言いふらすメリットも理由もないじゃん、カズキには」
ね? と同意を求められるが、これは頷いていいものだろうか?
確かに、アマリの秘密については言いふらすつもりなど無い。
グッドスリープが自分に漏らしてしまったのも、『カズキなら言いふらさない』と信頼したからだと言っていた。
つまり、アマリとリアルのあれそれについて誰かに言ってしまうなんてことがあるとすれば、アマリとグッドスリープ、2人からの信頼を裏切ることになる。
「だから、エンオンでは出来る限りリアルの話するのやめようって思ったんだよね。ぐっすりさんに打ち明けたのは……なんとなく、この人は性別関係なく信頼の置ける人だ、って思ったからなんだけどさ」
「それはちょっと、いや、かなり解る。……男とか女とか、そういう観点でしか物を見られない奴ばっかりじゃないと思うし……なんていうか、その……」
言葉が上手く紡げない。
もうちょっと気の利いたセリフのひとつやふたつ吐けないものだろうかと、自分が情けなくすら思えてきた。
しかし、言い淀んだカズキに対してアマリは手で口許を押さえたかと思えば、くすくすと笑い始める。
「あは、それで慰めてるつもり? 何言ってんの、そういう思いをしてもまーだネトゲやってる時点であたしが懲りてないことは明白でしょ? ただ、今度は少しだけ賢くなった。経験を糧にして、ね。そういうことだよ」
「お、おぉ……」
言われてみればそうである。
確かに、ネトゲで嫌な思いをした割にはこうして
にやりと、どこか不敵にも思える笑みを浮かべると、アマリはこう続けた。
「まぁ、その程度で引退するよりネトゲの面白さが勝ったって感じかなー。なんだかんだ言って人と気軽に関われるし。酸いも甘いも噛み分けてきた今のあたしは前ゲーのあたしとは違うの。同じ轍は踏まないし、誰かに踏ませることもしない」
「あー……それで俺に色々と親切にしてくれたってわけか?」
『それでリアルについて話すのはやめた』、とは言わない。
これ以上リアルのあれこれについてほじくり返しても何も出ないし、お互い良い気分もしないだろう。
その代わり、彼女の言うところの『ネトゲの面白さ』についてなんとなく察しが付いたので尋ねてみる。
これについてはどうやら想像通りのようで、あっさりと頷かれた。
「うん。ある意味自己満足かもだけど、人に優しくして、ありがとうって言われたら気分良いじゃん。それにあたしはあたしなりにエンオンを楽しんでるから、他の人もより楽しめるように、ある程度レールを敷いてあげる人になれたらな、って」
「そっか……アマリには感謝してるよ。そのー、だから……俺で力になれることなんて殆ど無いとは思うけど、困ったことがあれば助けたいとは思うから」
改まって言うのはなんとなく気恥ずかしい。
それに、実際の所このゲーム内ではなにもかもがアマリのほうが上だ。
ネットでの対人経験の多さも。
しかしそれでも、初めて折れそうな部分を見せてくれた彼女を、助けたいと思った。
それが幾許かの恩返しになるのなら、自分を
アマリからの信頼に返せる誠意があるとしたら、見せたい。
そう思った。
カズキのその不器用な言葉を聞いて、アマリはようやく安堵したような顔になる。
彼女も、おそらくはもっと気軽に人と関わりたいのだろう。
先程アマリ自身がそう言っていたように、だ。
ネットで人と関わるということは、向こうにリアルがあるということ。
画面の向こうには自分とは全く違う人生を歩んできた一人の人間が居るのだという事を理解して振る舞わなければならない。
それを一部とはいえ封じてネトゲをプレイするのは、良い悪いは置いておいてある種の縛りプレイに等しい。
例えばロクやレイなどが、リアルについて談笑するように。
アマリはそこに混じることができないと、自ら鎖をかけているのだ。
「……まー、大きな口叩くようになっちゃって。頼るならぐっすりさんを頼りますよ、っと」
表情に反して、カズキを小馬鹿にするような台詞を投げかけると、勢いを付けてベンチから立ち上がる。
どんと腰に手を当てて、細い両足で地を踏んでカズキを見下ろすアマリは、既にいつも通りの彼女を取り戻していた。
ルビーの双眸に滲む勝気な光は、先程の意気消沈したような色とは違う。
「でもその厚意はありがたーく頂いとくよ。もっと役に立つ存在になってから言えっつーのって感じではあるけど。……リアルの愚痴、溜め込むのもしんどいしね。吐ける人が一人増えたのは良いことかも」
「んー……それは褒められてるのか認められてるのか貶されてるのか……?」
「全部、かなぁ。とりあえず今はもうちょいエンオンの世界に馴染もうねってとこ。カズキの場合、ネットの世界そのもの、でもあるかもね」
ぐうの音も出ません。
そう答えて俯くと、アマリはけらけらと笑い出した。
だが、これで良いのだ。
アマリには、こうあって貰わなくてはならない。
沈んでいる表情など、それが誰であれ見たくないと思った。
一度アジトに顔を出してからログアウトする、と言うアマリに時間を尋ねると、既に23時半を回っていると言われる。
なら自分も同じように挨拶してログアウトしようと思い、アマリのワープストーンでアジトへと戻った。
『トロヴァトーレ』の方針はシンプルだ。
『エンオンを楽しむ。楽しみ方は個人の自由。ただし他のプレイヤーに迷惑をかけないこと』。
たったそれだけ。
あとは強いて言うなら、アイテムを出来るだけギルド内で融通してくれると『嬉しい』。
そうしろ、ではない。
そうしてくれると『嬉しい』、である。
なので、アマリのように初心者を引っ張るなどの横道に逸れることはありつつも
そういう意味ではカズキが『トロヴァトーレ』に居場所を得たのは僥倖かもしれない。
早すぎるかもしれないが、カズキにとってこのアジトは安心できる場所となりつつあった。
温かなリビング、談笑に耽るメンバーの横顔、二階の工房の隅で絵を描ける環境。
もしかしたら似たようなギルドは他にもあるかもしれない。
それでも、『トロヴァトーレ』にこそ自分の居場所があるような、そんな気がした。
「ねーぇ? カズキ? 何処に行ってたのぉ?」
甘ったるい声が投げ掛けられる。
アマリの気配が離れるのを感じた。
声の主はスピカ――同年代程度の女性プレイヤーと話していたようだったが、その輪から外れてカズキに近寄って来る。
アマリの快活な笑顔とは対照的などこか妖艶な笑顔を浮かべながら、ハイヒールをかつかつと鳴らした。
「私、待ってたんだよ? カズキのために、こんなにレアアイテム用意して」
そう言って、スピカはアイテムインベントリを呼び出すといくつかのアイテムを広げる。
テーブルにごろごろと現れたのは――様々な色の絵の具。
――原料はあらゆる宝石や、鉱石のようだ。
確かに、岩絵具というものはある。
おそらくその類似物を、絵描きなんてほぼ存在しないだろうとすら言われるこの
いや、しかし、だからと言って――。
「俺はこんなこと……頼んでない。俺は俺の力で……」
「私の絵じゃなくていい。でも、『私のため』の絵を描いてくれない? そこから先は、私が用意した画材で好きな絵を好きなだけ描いていいから」
カズキの言葉を遮り、スピカは色違いの双眸で見上げてくる。
有無を言わさぬそれに、頷きはしなかった。
しかしそれも予想通りなのか、スピカに動揺した様子はない。
むしろ勢いを増して、矢継ぎ早に告げてきた。
「私なら、カズキをちゃんとした絵描きにしてあげられる。私なら、カズキのやりたいことを全部サポートしてあげる。私なら、なんだってしてあげられる。自力でやれだなんて酷いことも言わない。ねぇ、私の気が変わる前に、この提案に乗ったほうがお得だと思うけど。どう?」
――次々と放たれる甘言。
耳に心地の良いソプラノが、悪魔のように囁いてくる。
気が付けば、アマリの姿は消えていた。
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