第六章 暗黒の谷の脈動 --- 4

 開いた扉のそばに立っているのがカイルではないことに気付いて、ヒースは淡紫色の瞳を大きく見開いた。

「……きみは?」

「ノーシェよ。あなたは?」

「ヒースだ。セレイラ警備隊の副長をしている……」

「警備隊?」

 無遠慮に見返してくる褐色の肌の美女と戸口で問答していると、奥の部屋からカイルが髪を結いながら現れた。

「朝っぱらから何の用だ」

 それこそ朝から不機嫌な青年を見て、ヒースは肩を竦めた。

「やれやれ、見かけに寄らず手が早いことだな、カイル」

「くだらないこと言うなら帰れ。彼女はリエーラ・フォノイの妹だ」

「妹……!?」

 ヒースが改めてノルシェスタを見ると、彼女は閉めた扉に寄りかかった。

「副長さんも姉さんを知ってるの?」

「ああ――あ、いや、直接話をしたことは一度くらいだが……」

「そう……」

「きみのお姉さんのおかげで、我々は《光道騎士団》の悪事の一端を知り得た。本当に感謝している」

 しかし、感謝されたところで、愛する姉は戻ってこない。ノルシェスタは曖昧に頷くと、いつもは自分が座る椅子にヒースを促した。

「で、何の用だ? 何かわかったのか?」

 カイルはヒースの向かいに座ると、湯気の立つダイツ茶を口に含んだ。ダイツ豆を煎って煮出した飲み物で、聖都を中心に飲まれているものだ。

「ひと月以上もわからぬことが、この間の今日でわかったら苦労はしない」

 椅子の上でふん反り返るヒースに、カイルは眉根を寄せた。

「じゃ、何しに来たんだ」

「ちょっとな、逃げてきた」

「は? 何から」

「決まってるだろう、上だ上。例の――」

 言いかけて、ヒースはノルシェスタをちらりと見遣った。

「……彼女にはどこまで話してある?」

「おおよそのことは」

 こんな時期にリエーラ・フォノイの妹が折よく現れるなど、少々不審に思わないでもないが、ヒースはカイルを信頼する自分の勘を、ここでも信用することにした。

「……まぁいい。例の、勅使不明の件で、総督閣下から呼び出しを喰らってな。亡きディオルト様と違って、今の御方は暑苦し――もとい、口うるさくてかなわん」

 言い直したところで大差ない。

「じゃあ、例の場所へ行けばいいだろう。何でここに」

「こんな朝っぱらから鼠みたいな真似ができるか」

 そこへ、ノルシェスタが客人の分もダイツ茶を運んで来、ヒースはそれをひと口飲むと、深く深く溜め息を吐いた。

「……それにしても、百人が跡形もなく消えるということは、一体どういうことなのだろうな……」

 今さらな疑問だが、呆然と問い直しているところを見ると、相当行き詰まっているのだろう。その時、ノルシェスタが目を瞬かせながら口を開いた。

「百人なんて、神様以外にそんなことできるわけないと思うけど。大きな翼を得るとか、鋭い爪を得るとかしないと」

 カイルとヒースは顔を見合わせると、今度は食器棚に寄りかかっているノルシェスタを見た。

「翼はともかく、爪とは何だ?」

「あら、土竜もぐらよ。鼠さん」

 彼女の返答に情けなさそうに顔をしかめたヒースだった。

「……荒野の地面の下に移動用の道を掘ったと?」

「――もしくは、以前からあったとか」

 これはカイルの言である。ヒースが、今度は盛大に溜め息を漏らした。

「このひと月、我々がどれだけ地を這いずり回ったと思っているんだ。そんな穴があるのなら、とっくに見付けている」

 カイルは干からびた面包パンを片手で器用にちぎると、口に放り込み、呆れたようにヒースを見遣った。

「いい加減、見切りを付けたらどうだ」

「バカ言え! 小役人ひとりならともかく、相手は王族だぞ。それも、天下の上将軍閣下だ。それに、このままでは、近衛百人の家族も納得するまい。私だってできぬわ、到底な」

「だが、今さら生きていると思うのか? 好きでいなくなったにしろ、そうでないにしろ、ひと月以上も飲まず食わずではいられまい。百人分の食糧を調達している痕跡は、どこにもないのだろう?」

「ではおまえは、巫女殿がひと月行方不明と聞いて、すぐに諦められるのか?」

 この言い分には、カイルも二の句を継ぐことはできなかった。ヒースの「そうだろうが」と言わんばかりの眼差しが忌々しい。

「とにかくこのままでは、白髪になるまでこの問題と付き合わねばならん」

 朝から辛気くさい雰囲気に、カイルはうんざりして杯を置いた。話題を変えようと思ったが、そもそもヒースとの間には辛気くさい共通点しかないので、青年は一層うんざりした。

「……最近、《光道騎士団》はどうしている?」

「特に変わったことは何も」

「把握していた団員数が大幅に間違っていた件については?」

 エルミシュワに赴いた聖騎士の数は、そもそも警備隊が把握していた《光道騎士団》の総数外だったのだ。痛いところを突かれたヒースは、カイルを軽く睨んだ。

「聖騎士すべてがセレイラにいるわけではないとの返答だ」

「そんなことが許されるのか?」

「仕方がないだろう。王都が今まで何の手も打ってこなかったんだからな。ゴキブリはいつでも鋭意増殖中だ」

「冗談を言っている場合か」

 カイルは思わず頬杖から顔を上げたが、ヒースは逆に眠たげに欠伸で開けた大口を手で覆った。あまりの緊張感のなさに、カイルの方が困惑する。彼といる時と部下たちといる時とで、ヒースの態度に差がありすぎるのは、いかなる所以なのだろうか……。

「冗談ではない、皮肉だ。月影殿管理官は、何かにつけてカルマイヤを盾にしているらしい。サイファエールの意向だけには従えぬと」

「ナメられたもんだな」

「まったくだ」

 その時、身支度を整えたノルシェスタが、二人の卓の前に立った。

「ねえ、朝から部屋中にどんより雲を広げてくれたところを申し訳ないんだけど、私、もう行くわね」

 いつもの、食料品店の配達の仕事である。ノルシェスタの地図は、住んでいるイクレーナ地区を中心に着々と書き込まれていたが、聖都の東半分はまだほとんど手つかずの状態だった。

「ああ……気を付けろよ」

「ええ。――あ、それから、ヒース」

 呼ばれてヒースがノルシェスタを見ると、彼女はにっこりと笑って言った。

「最近、南の街道で殺しが多いんですって? 下の主人が、実家の手伝いに帰ってる女将さんのことを心配してるの。戻ってくる時に襲われやしないかって。あなた、警備隊の副長なら、しっかり警備するよう部下に言っておいて。それじゃ、行ってきます」

 部屋の扉が軽快な音を立てて閉まるのを、男たちは無言で見送った。

「……よく口の回る女だな」

 言外に「ああいうのが好みか」という含みがあるのを無視し、カイルはノルシェスタに関して要点だけを口にした。

「巫女にもいろんな種類がいるらしい」

 それを聞いて、案の定、ヒースが瞠目する。

「巫女って……なに!? 彼女も《太陽神の巫女》か!?」

「それより今のノーシェの話、オレも街でちらと耳にしたぞ」

 すると、ヒースは再び気分を害したように身を引いた。

「ああ……先月二件、今月に入って一件だな。旅人やら隊商が犠牲になってる。盗賊の仕業だとは思うんだがな。夜も警戒中だが、まだ捕まえられずにいる」

「東で失踪、南で殺人。次は西で決まりだな。先回りして、西の街道でも探ってみたらどうだ」

 いい加減、愚痴を聞くのも面倒になってきて、カイルは嫌味を飛ばしたが、ヒースには堪えなかったようだ。

「人手が足りん。おまえもどうせ八方塞がりなのだろう? おまえが探ってくれ」

 真面目な表情で返してきた彼に、カイルは改めて溜め息を吐いた。そして、ふと先ほどの土竜の話を思い出した。

「……ときに、あんたのねぐらのことだが、地下水道のことを《光道騎士団》は知っているのか?」

 すると、一瞬、真顔に戻ったヒースは、おかしそうに笑った。

「当然だ。この町はもともと神官たちが造ったものだからな。神官殺しで奴らが神出鬼没なのは、その地下水道を使っているからだと踏んでいる」

「地下水道の地図はあるのか?」

「勿論ある」

「オレも見られるか?」

 今度こそ、腹を抱えて笑い出したヒースだった。

「随分、遠慮がちな物言いだな。オレにも見せろと言えばいいのに」

「オレは部外者だぞ?」

 言いながら、カイルはノルシェスタに作らせている地上の地図は、もしかしたら意味のないものかもしれないと思った。

「おまえは私のご贔屓さんだからな。いい加減、靡いてくれ」

「……その台詞、そのまま返す。いい加減、諦めてくれ。なぜそんなにオレにこだわる?」

 すると、ヒースは満面の笑みで答えたものである。

「おまえが優秀だから。――私の愚痴にも付き合ってくれるしな」

「今すぐ帰れ!」

 カイルが卓の上で拳を震わせたので、すっかり冷めてしまったダイツ茶の水面が波紋を打った。

「確かにそろそろ行かねばならぬが――その前に」

 言うと、ヒースは卓の端に盛ってあった葡萄をちぎり、口の中に放り込んだ。ヒースの反応は、まるで泥濘の中に杭を打っているようだと、カイルは思った。

「まったく……。で、話の続きだが、《光道騎士団》のエルミシュワに向かう時の聖都脱出方法……城門警備の奴らがまるで気が付いてないのなら、地下水道が使われたということも考えられるんじゃないのか?」

 当時、《光道騎士団》と行動を共にしていたセフィアーナに訊いておけばよかったと思ったが、後の祭りである。

「だからおまえのことが好きなんだよ」

 ヒースは喉の奥でくくっと笑うと、そばにあった小刀で卓上に城壁の形をなぞった。

「だが、地下水道で城壁の下を潜っているものはない。もともと地下水道は、城内を流れていた聖タンブル川を地下に潜らせたものだ。その流域は太陽の広場を中心に蜘蛛の巣状になっているが、端の方はほとんど井戸暮らしだ」

「それこそ、奴らが延長工事を行っていたとしたら?」

「その可能性は否めないが、今のところ不審な箇所はない。――だが、おまえの眼なら、また別のものを捉えることができるかもしれんな。いいだろう、明日にでも地図を持ってきてやる」

 その言葉通り、翌日には地下水道の地図がカイルのところに届いた。持ってきたのはヒースの部下で、まだ見習いの少年だった。ノーシェ宛てになっていたのは無論、用心のためだろう。カイルはそれを持って、日中は鼠となるべく地下へと潜った。しかし、何の手がかりも見付けられぬまま、時だけが虚しく過ぎていった。



「まったく、警備隊は何をしてるのかしらね。例の連続殺人の噂で町中もちきりよ!? 殺された人たち、酷い状態らしいじゃない」

 早朝、店開きの準備をした後、一度部屋へ戻ってきたノルシェスタの不機嫌な物言いに、地下水道の地図を眺めていたカイルは、怪訝そうに顔を上げた。

「あんな周到な事件を起こす輩が、早々捕まるものか」

「そうだけど……下の主人の機嫌が悪くなる一方で困るわ。女将さんに、用が済んでも当分戻るなって連絡したんですって。なのに私に『オレとカミさんを会わせない気か!』って怒るんだもの。いい加減にして欲しいわ」

 それを聞いて、カイルは口の端をもたげた。

「そういうことなら、犯人に感謝しなくてはいけないかもな」

「え?」

「女将が戻ってきたら、あんたはお役御免になってしまうだろう? また働き口を探さないといけなくなる」

「そっれは……そうだけど……」

 だからといって、自分ばかりがとばっちりを喰うのはおもしろくない。ノルシェスタは不満げに椅子に座ると、ダイツ茶を口に含んだ。

「……ところで、カイルは今日はどうするの?」

「ああ……鼠、だな」

「また?」

「広い上に暗いしな」

 もはや「鼠」や「土竜」という言葉は、彼らの間で地下水道を意味する隠語となっていた。

「……地下に何かあると思うの?」

「さあ……もう願望だな。そうであって欲しい、と」

 手がかりが他にない以上、手持ちの札をしつこく繰るしかない。

「ふーん……」

 なぜかつまらなそうな様子のノルシェスタに、カイルは目を瞬かせた。

「何だ?」

「別に……たまには二人で歩きたいなと思って。せっかく綺麗なものを見付けても、いつも独りだから味気なくって」

「綺麗なものなんて見飽きてるんじゃないのか?」

「そりゃ元旅芸人ですから、いろんな場所には行ったけど……最近じゃ雑用に追われて、ゆっくり景色とか観る暇なかったし……。それに、やっぱり聖都は特別だもの」

 姉の死の真相を探るためとは言え、連日、根を詰めての作業では、心身ともに追いつめられてしまいそうだった。

「――ま、そのうちな」

 立ち上がって扉へと向かう青年を見て、ノルシェスタは黒い瞳を見開いた。

「えっ、それだけ!? まーあ、生意気っ」

 それへ手だけ振って応えると、カイルはそのまま部屋を出た。人通りの多い朝の道を、地下水道への入り口がある橋に向かって歩いて行く。――と、後方から駆けて来た警備隊の早馬が青年を追い越していった。その砂塵が落ち着かないうちに、今度は人々のどよめきが追いかけてくる。

「何があったんだ?」

 踵を返したカイルが西の城門のそばで開店準備をしていた男に尋ねると、彼は顔をしかめて首を竦めた。

「街道でまた死体が見付かったんだとよ。まったく、物騒ったらないぜ。早いとこ犯人捕まえてくれればいいのによぉ」

 それを聞いたカイルの眉間にもしわが寄る。

(これで四件目か。妙だな……)

 それは、元盗賊としての勘だった。サイファエールの大動脈である中央公路の、それも大規模警備隊の駐屯地が目と鼻の先という場所で、日を置きながら何度も犯行を繰り返すというのは、盗賊にとっては捕縛される可能性が非常に高くなり、敬遠されるやり口なのだ。

「――いや、だが、例の連続襲撃事件は南の街道沿いだろう? こっちから早馬が来たということは、今回は別件じゃないのか?」

「いンや、今回もきっと同じ奴らが犯人さ。そこの詰め所に駆け込んできた第一発見者の話じゃ、また顔が潰されてたってことだからな。ああ、こわやこわや」

 そう言うと、男は忙しそうに店の奥へ引っ込んでしまった。カイルは再び城門へ目を遣った。その袂から西へ伸びる道を行けば、セフィアーナたちが目指しているテイランへと辿り着く。

(カルマイヤの地を行ったから、まさかこの犯人と遭遇することはないだろうが……)

 一抹の不安を感じつつも、今の青年に成す術はない。溜め息とともに市中へ足先を向けた彼だったが、ふと気が変わった。

(……たまには奴が真面目に働いてるのを見てやるか)

 そうでもしないと、またノルシェスタから詰られているのへ、嫌々でも援護できないと思ったのだった。



 第四の襲撃現場は、聖都から二モワルほど西へ行った街道沿いだった。次第に短くなりつつある影とともにカイルが辿り着いた時、そこは聖都からの野次馬や通りすがりの旅の者たちで既にごった返していた。中には野次馬相手に軽食を売る不届き者さえいる。

 人々の輪から離れ、遠巻きに現場を眺めるカイルの視線の先には、野に無惨に転がった男と、その脇で部下と何やら話しているヒースの姿があった。

(今回も旅人か……。ますます妙だな……)

 もし一連の襲撃犯が同一の盗賊だった場合、隊商を襲っていることから複数人であることは間違いない。それが、あまり路銀を持たない――利益のない一人旅の者たちを、毎回顔を潰すほどの残忍さで殺害しているのはなぜなのか。ただの快楽的嗜好なのか、それとも被害者がそれ相応の恨みを買ったのか、はたまた何か特別な理由があるのか――。

 その時、ふいに顔を上げたヒースと目が合った。ヒースは一瞬、瞠目し、そして意味ありげににやりと笑う。それだけで不愉快になって、カイルはあっさりと踵を返した。しかし、数ピクト引き返したところで前方からやって来た騎馬の一隊を見て、再び気を変える。馬上にあったのは、セレイラ警備隊長ガローヴ=ドレインと、恰幅のいい貴族風の男だった。カイルは初めて目にする人物である。

「おい、この騒ぎはいったい何だ! 見世物ではないぞ!」

 その男は到着するなりそう怒鳴ると、荒々しく馬から降りた。そして、ずかずかと被害者のもとへ歩んでいく。その肩越しにヒースとガローヴが目配せし合うのを見て、カイルはその男が新任の総督であることを察した。

「何かわかったか?」

 ガローヴの問いに、ヒースが首を振る。

「身ぐるみ剥がされて、例のごとく、身元が判るようなものは何も」

「夜の警備はどうなっていたのだ。少しでも不審な動きをする者はいなかったのか」

 苛立ちを隠さないその声は、離れた場所にいるカイルの耳にも鮮明だった。

「申し訳ありません、閣下。前の三件は南の街道で起きましたので、こちらへの人員配置はわずかだったのです。例の捜索と平行での捜査となりますので」

「何とまあ。では、おぬしらは、だから犯人を捕まえられずとも仕方がないとでも申す気か?」

「そのようなことは」

「今や聖都中の者たちが今回の事件に注目し、動揺しておるというに、捜査の中心にいるおぬしらがそのように弱腰でどうする!? 先日など、説得すべき月影殿管理官から、聖都の安全性を問われたのだぞ。おぬしらにも自尊心はあろう!?」

 その後も変死体のそばで喚いていた新総督だが、日が中天にさしかかるのに気付くと、聖都の方へさっさと帰って行った。

「……さっきのは何だ? このうえ現場の士気を落として一体どうしたいんだ」

 その頃には野次馬も散り、ヒースの部下たちも撤収作業にかかっており、カイルがヒースに近付くのに妨げになるものはなかった。

「私も頭が痛いところだ。今にキレた部下が奴に襲いかかりやしないかと」

 一番そうしたいのはヒース自身だろうと思ったが、カイルは口に出しては言わなかった。

「それにしても、なぜああまでする必要があるのか」

 荷車に揺られ遠ざかっていく遺体を眺めつつ、カイルは顔を軽くなぞった。

「身元をわからなくするためだろう?」

「だったらどっかの生臭坊主のごとく、死体を隠せばいいだろう。こんな人目に付く場所に放置しなくても」

「……その余裕がないのか、何も考えていないのか、それとも我々に挑戦状を叩き付けているつもりなのか――」

「この辺りの盗賊たちの反応は?」

「例の失踪で我々がずっと野をうろついているせいで、商売上がったりのようだ。セレイラの外での悪事が増えていると報告があった」

「……まぁ、普通はそうだろうな」

 カイルは死体のあった地面に視線を落とした。そして、ふと眉根を寄せる。

「……ヒース、死体の外傷は?」

「顔以外だと、胸や腹への無数の刺し傷だな。それが?」

「……おかしい」

 不服げに膝を折ったカイルの頭部を、ヒースは不思議そうに見下ろした。

「何が」

「死体が見付かったのは、本当にこの場所か?」

「でなきゃ、なぜ我々がこんな荒野を捜査していると?」

「じゃあ、よく見ろ。派手に刺されたわりに、出血量が少な過ぎると思わないか?」

 カイルの言に、ヒースも屈んで地面を検めた。すると、刺し傷が上半身の広範囲に及んでいたにもかかわらず、地面の血痕は点々として、血溜まりも大人の手の大きさ程度のものがあるだけだった。

「確かに……そうだな。地中に染み込んだとしても、面積的に妙だ……」

「これは……別の場所で殺されて運ばれてきたんじゃないのか?」

「まさか! 盗賊がなぜわざわざそんなことを」

 瞠目するヒースを尻目に、カイルは形のいい顎をつまんだ。

「盗賊、か……」

「――何だ」

「例えば……そう、それこそ盗賊の仕業に見せかけるために」

「なに……?」

「盗賊盗賊とみな言うが、実際、そうだという証拠は何もないのだろう?」

 言ってから、カイルは自分の言葉に首を傾げた。

(証拠か……。痕跡のない失踪に、証拠のない犯人像――。不気味な世の中になったものだ)

 その時、剣を鳴らしてヒースが立ち上がった。

「ふむ……これは、もう一度最初の殺人から洗い直さねばならぬかもな」

「この四件目だけ別件という可能性もあるがな。今までと場所がずれているし。情報が聖都中に広まっているから、めでたく模倣犯の可能性もある」

 すると、ヒースは横目でカイルを見た。

「時にカイル。今夜の予定は?」

「あんたには関係ない」

「そうつれないことを言ってくれるな。私とおまえの仲ではないか。本当に人手が足りないのだ。さっきのやかましい上司を見ただろう? 私を助けると思って」

「………」

「おまえ、ノーシェだけに働かせて申し訳ないと思わないのか? 女のヒモに成り下がったなどと巫女殿が知ったら――」

 殺気を感じて跳びすされば、カイルの短剣が鼻先を掠めていった。冴えた碧玉の瞳から、針のように鋭い視線が放たれる。

「……だったら、さぞや高給を約束してくれるんだろうな」

「ん……?」

「それから、念のために言っておくが、オレはあくまで助っ人であって、警備隊に入るわけでは決してないからな」

「ん……?」

 そうして、不本意ながら毎夜、聖都の外の見回りをすることになったカイルは、いっそうノルシェスタの顰蹙を買うことになるのだった。

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