第六章 暗黒の谷の脈動 --- 1

 カイルが聖都へ辿り着いたのは、カルマイヤの荒野でセフィアーナたちと別れて七日後の、夕方のことだった。

 懐かしくももはや見慣れた白大門の荘厳さは、青年の足を止めるものではなかったが、道すがらの張り詰めた――一種、殺気立ったと言ってもよい雰囲気は、《光道騎士団》の暗躍を知る彼の意識が過剰に反応しているからなのだろうか。

 彼は真っ直ぐとセレイラ総督府の隣にある警備隊の屯所へ向かったが、いざ遠くに門が見えて来ると、馬から降り、そばの路地で遊んでいた子どもたちに話しかけた。

「おまえたち、警備隊の副長を知っているか?」

「もちろんさ!」

「ヒースさん、優しいもんねー」

「この間は、おやつをくれたんだ!」

 旅装の見知らぬ青年を不審がることもなく、子どもたちは明るい表情で応じてくれた。

「よし。じゃあ、オレも駄賃をやるから、この手紙を渡してきてくれないか? ヒースに、直接渡して欲しいんだが」

「駄賃」と聞いて、彼らの表情が一層輝く。

「お安い御用だよ。なっ、みんな!」

「おー!!」

「じゃあ、これを。頼んだぞ」

 カイルは手紙と駄賃を一番年上の少年に手渡すと、駆け出した子どもたちの背中を見送った。彼らの姿が屯所の門の中に消えるのと同時に馬首を返し、宿場街へと向かう。途中で大浴場に寄って、旅の汚れと疲れを落とすと、常連となっている宿ではないところの看板をくぐった。息せき切ったヒースがそこの酒場に駆け込んで来たのは、それから二ディルク後のことである。

「カイル! やっぱりおまえか!」

 晩夏とはいえ、まだまだ残暑厳しい折である。ヒースの額には玉のような汗が浮かび、酒を飲んで涼んでいたカイルは、それを鬱陶しげに見遣った。手紙には、宿の名前しか記さなかった彼だった。

「仕事が終わったんなら、酒でも飲んだらどうだ」

「言われなくてもそうするさ。ああ、クソ暑い」

 珍しく悪態をつきながら、ヒースはカイルの向かいに腰を下ろした。注文した酒はすぐに運ばれて来、それを浴びるように呷る副長を見て、カイルは軽く肩を竦めた。

「呼び出して悪かったな。馬を返しに来た」

 すると、杯の向こうで、淡紫色の瞳が細められた。

「なぜ直接訪ねてこなかった?」

「屯所の前は《光道騎士団》に張られてるかもしれないし、警備隊の奴らにもオレが戻ったことを知られたくなかった」

「なぜ」

「どこで足が付くかわからないから」

 カイルの淡々とした物言いに、ヒースは不服そうに押し黙った。彼としては、身内に内通者がいるかもしれないと言われたも同然なのだから、面白くないのも当然だった。

「――それで、巫女ど……彼女はどうした? 一緒に戻ってきたのか?」

「冗談だろ。どこに敵が潜んでいるかもわからない場所に――おまけに偽者まで出回ってるのに、のこのこ連れて帰れるか」

 ヒースは軽く目を見張った。

「偽者のことを知っているのか」

「キースの街で見た。声自体は悪くなかったが、まるで心のない歌声だった」

「ふふん。セフィアーナ殿のような歌い手がそうそう居るものか。そうだろう?」

 それへ、カイルが小さく、だが何度も頷くのを見て、ヒースはにやりと笑った。

「それで、真物は今どこに?」

「それは、まだ言えない」

 自分から呼び出しておいて、無愛想な上、なかなか口を割らないカイルに、ヒースの柔和な表情はついに苛立ちを滲ませた。

「カイル。わかっているだろうが、彼女はもはや一介の村娘ではないんだぞ? 彼女の証言は、今の私たちには必要なものだ。勿論、おまえのもな」

「今の私たち」と聞いて、カイルは飲もうとしていた酒杯を卓に置くと、目を伏せた。

「……フィオナの祖父さん、死んだんだってな」

 その言葉に、ヒースが硬直する。彼はぐっと歯を噛みしめ、そして絞り出すように声を漏らした。

「……それだけではない」

 副長の、今までに見たことがない険しい面持ちに、カイルも自然と硬い表情になる。

「何か、あったのか?」

 すると、ヒースは流すように周囲を見回し、溜め息とともに首を振った。

「ここでは話せない。……場所を変えるぞ」

 そう言ってヒースがカイルを連れて行ったのは、宿屋からほど近い運河に架かる橋だった。その下に地下水道への入り口があり、中へ入ってしばらく行くと、広めの部屋に辿り着いた。

「ここは……?」

「大昔、地下水道を建設した際、工夫たちが休息を取った部屋らしい」

 ヒースは、真っ直ぐ奥の棚へ向かい、酒瓶と杯を持ってくると、手早く注ぎ入れた。通路の入り口に準備されていた手燈といい、用意周到なことだとカイルは思った。

「……ここへは、よく来るのか?」

 尋ねると、ヒースは円卓の椅子に腰掛けて、薄笑いを浮かべた。

「私の隠れ家だ。誰にも言うなよ?」

 それに首を竦めると、カイルも席に着いた。

「さっきの話の続きをしてくれ」

 キースの街で耳にしたことしか、カイルとしては今の聖都の情報を持っていない。酒場でのヒースの様子から、総督交代以上の凶事が起こったのは明らかだった。しかし、先を急かす彼に対し、ヒースはひらひらと手を振った。

「……その前の段階で、話しておかなければならないことが山ほどある。さすがの私も、うまく話せるか自信がないほどにな」

 そうぼやくように言って、ヒースがまず語ったのは、彼らがエルミシュワへ発った後の聖都のことだった。

 彼の上官、セレイラ警備隊長ガローヴ=ドレインの指示で、ルーフェイヤ聖山を警備隊が捜索したこと。結果、リエーラ・フォノイの手紙の通り、昨年の《太陽神の巫女》エル・ティーサの聖骸が発見されたこと。さらに、エル・ティーサの修行の地であるテティヌへ、彼女の扱いがどうなっているかを調査するため、テティヌを故郷とする隊員が二名、派遣されたこと。それと同時に、当時のセレイラ総督ディオルト=ファーズが、《光道騎士団》のエルミシュワ出兵を知らせる書状を王都へ送ったこと――。

「それで、王都はどうしたんだ?」

「何やら妙に反応が鈍かったらしいが、とにかく国王陛下が《光道騎士団》の行動を制限する命令を出され、その勅書を託された上将軍ゼオラ殿下が王都を発たれた。――悪夢の始まりだ」

「悪夢?」

 眉根を寄せるカイルに、ヒースは沈痛な面持ちで非現実的なことを口にした。

「殿下と、それに従った近衛百騎が消えた。聖都の、直前で」

「消えた……とは、どういうことだ」

「どういうことも何も、言葉通り、きれいさっぱりいなくなったのだ。連日探し続けて、もう、ひと月ちょっとになる」

「そんな、馬鹿な……」

 上将軍ゼオラといえば、この国の軍隊を一手に任されている英雄中の英雄である。それが、平時の街道で、一個師団もろとも消息を絶つとは、まさに『悪夢』としか表しようのない事態だった。

「上将軍が神隠しに遭ったなどと知れたら、世間は大騒ぎになる。ゆえに、このことは公には伏せられているがな」

 だが、連日、警備隊が捜索のためセレイラの野を彷徨っており、また王都では出立するゼオラの隊列を見た者が溢れている以上、いつかは知られてしまうことでもあった。

「……総督がお亡くなりになったのも、まさに同じ時だった。なにせ、殿下のお着きが遅いのを心配されて、門のところまでフィオナ嬢と様子を見に行った時に倒れられたのだからな。頼るべき御方を一度に失って、総督府は――私たちは大混乱となった」

 その後、総督府は、王都から新しい使者と新しい総督とを迎え入れた。しかし、月影殿管理官デドラスとの交渉が決裂し、肝心の国王も病臥していることから、事態は膠着状態に陥っているという。《光道騎士団》がエルミシュワ出兵の理由とした月光殿管理官アイゼスの行方も、ようとして知れぬままだった。

「それから、カイル。この上さらに言いにくいことだが、リエーラ・フォノイの所在も不明だ」

 カイルにとって、その情報は、上将軍の不明よりも重大なことだった。

「何だって……?」

「ひと月半前、エルミシュワから戻ってすぐ、知り合いの女に――私は顔が割れているからな――シャーレーン聖官殿を訪ねさせてみたのだが……神官の説明では、事故で亡くなったと」

 カイルの椅子が、派手な音を立ててひっくり返った。暗い室内に、そして通路に、その音が反響する。それに構わず、カイルは卓越しにヒースを見据えた。

「まさか……いつ!?」

「聖官殿に戻ってすぐの頃らしい。タリス山に墓があるのは、私も確認した。墓を掘り返せぬ以上、それが真実か否か、確かめる術はないが」

「真実も何も……」

 カイルは目眩がした。セフィアーナから引き離された直後など、真実としか言いようがない時機ではないか。エルミシュワに発つ前、アグラスが地中から発見した二人の神官の死体のことが、嫌でも思い出された。

「それから、テティヌへ遣っていた者たちが、先頃帰参した」

 最早これ以上何も聞きたくなかったが、聞かぬわけにもいかない。カイルはのろのろと椅子を起こすと、再びそれへ腰を下ろした。

「エル・ティーサは、テティヌへは最初から行っていないことになっていた。別の神殿へ変更になったと聞いていると、神官に言われたそうだ。詳しいことは、神官長が代わってわからないと。肝心の前神官長は高齢だったらしくてな、春先に亡くなって、真実は闇の中、だ」

 カイルはひとたび酒杯を呷ると、頭を抱えた。

「じゃあ、去年の巫女は、《秋宵の日》から《春暁の日》まで、一体どこで何をしていたんだ……。どうやってセフィの部屋に現れた……?」

「現場に行けぬ以上、手がかりなど――真相など掴めぬわ」

 ヒースの表情に、苦渋が満ちる。聖域は、セレイラ内に在っても神殿の管轄となるため、警備隊は手を出すことができないのだ。杯に新しく注がれ、かさを増していく酒が、まるで彼の苛立ちが大きくなっていく様を表しているかのようだった。カイルははっとしてヒースを見た。

「オレは以前、セフィの部屋まで行った。《月光殿》の三階だ……」

「それはまだ、《尊陽祭》の頃の話だろう。あの頃と今では、まるで状況が違う。馬鹿な真似はするなよ」

 あっさりと躱され、カイルは眉根を寄せた。だが、浅慮と無謀が生む結果は、これまでの人生で痛いほど知っているので、口に出しては何も言わなかった。

「それで、カイル。事が片付くまで、ダルテーヌには帰らないのだろう?」

 急に声の調子を明るくして、ヒースが言った。

「当たり前だ」

 セフィアーナが故郷の谷で静かに暮らせるようにする、ただその一念のために、カイルは、頼りにならない狼族たちや、災いしかもたらさないような大逆人に、彼女を託してきたのだ。それに、谷へは聖都へ来る前に既に寄ってきた。《光道騎士団》の手が回っていないか、谷の現状を知るためと、村長や院長に自分たちの現状を知らせるためである。テイランに着いたセフィアーナの手紙は、ティユーで運ばれることになっており、ティユーが谷へ行った場合、カイルが聖都へ戻っていることを知らせておく必要もあった。

 だが、カイルの断固たる決意など意に介さぬ様子で、ヒースはにんまりと笑った。

「どこに住むつもりだ? 何なら、我が家に居候してもいいが」

「で、一網打尽にされて、オレとどうでもいいあんたの人生終わりってわけだ。カネはある」

「無尽蔵にはないだろうが」

 つまらなそうに言った後、ヒースは腕組みをして、何事か考え込んだ。と、ふいに顔を上げる。

「――そうだ、いっそのこと、家を借りたらいい。酒場暮らしより市井暮らしの方が、足は付きにくいぞ。特にこの町はな。私は顔が広いから、何なら紹介してやるぞ?」

 何やら裏の意図を感じないわけではないが、この町に長く暮らすヒースの言うことに耳を傾ける価値があるのは、カイルも認めざるを得ない。翌日、ヒースとともに家を見に行くことを半ば強制的に約束させられて、カイルは再び頭を抱え込んだ。



「おい。この非常事態に、副長が屯所を空けてもいいのか?」

 翌日の昼下がり、鼻歌交じりで先を歩くヒースを、カイルは呆れて見遣った。

「いいのさ。それどころか、休んでくれと土下座されたくらいだ」

「は?」

「先月から私が休まなかったせいで、部下が休みにくかったらしくてな。部下の嫁さんまで苦情を言いに来る始末だ」

 カイルは首を竦めた。

「……あんたがそんなに仕事好きとは知らなかった」

「仕事が好きなわけじゃない。ただ、一日も早く《光道騎士団》を黙らせたいだけだ」

 こちらには顔を向けず、そう言い切ったヒースの背に並々ならぬ決意を感じて、カイルは眉根を寄せた。

「あんた、もともとはここの人間じゃないんだろ? 何故そんなに《光道騎士団》にこだわる?」

 すると、ヒースはふいに足を止め、カイルを振り返った。

「私は自尊心が高いのさ」

 そして再び歩き出す。

(自尊心……?)

 それは、以前、目の前で取り逃がしたという女聖騎士への執着を言っているのだろうか。カイルがぼんやりと考えていると、ヒースが今度は首だけで振り返った。

「そう言えば、返してきたあの馬はどうした? 貸してやった警備隊の馬ではなかったが」

「ああ……カルマイヤの盗人どもを返り討ちにしただけだ」

 すると、ヒースは驚いたように再び足を止めた。

「あっち回りで帰ってきたのか……」

 そして、しばらくの沈黙の後、いきなり人差し指をカイルに突き付けた。

「おまえを必ず警備隊に入れてやる!」

「……好きに言ってろ」

 吐き捨てるように応じると、カイルはヒースを置いて歩き出した。何度断れば諦めてくれるのか、もはや馬鹿馬鹿しくなっている彼だった。

「――お、ここのようだぞ」

 その後、ヒースが足を止めて見上げたのは、一階が店舗になっている三階建ての集合住宅だった。聖都の南西にあるイクレーナ地区に位置し、目抜き通りからはだいぶ中に入った、閑静な住宅地である。

「一軒家よりは、こういう建物の方が相手も攻めにくいだろう」

 そんな日が来るとは思いたくないが、何が起こるかわからないのが、これからの聖都生活だった。

 空き部屋となっているのは二階の一室だったので、二人は古びた音を立てる階段をゆっくりと上がると、奥の部屋へと向かった。扉を開くと、手前にひと部屋、壁で仕切られた奥にもうひと部屋という質素な空間が広がっていた。

「以前は王立学院の生徒が住んでいたらしい。なんでも聖都へ巡礼に来た時、神殿群に魅せられて、以来居着いてその研究をしていたとか何とか……」

 ヒースの裏話の間に、カイルは部屋を隅々まで見て回った。東向きなので、この時間、室内に日は入らないが、窓の向こうに白大門から《正陽殿》までが見渡せるのは、何かが起きた時、少しでも早くそれを察するのには好都合だった。部屋には備え付けの家具があり、手前の部屋には小さな食器棚と円卓が、奥の部屋には寝台や棚もあった。

「どうする? 他にも二、三、物件はあるが……」

 仕切りの壁にもたれるヒースを、鼠の穴がないか壁を確認していたカイルは振り返った。

「あんたならどこにする?」

「ここ」

「じゃあ、ここでいい」

「お、素直じゃないか」

 嬉々としたヒースを無視して、カイルは今度は寝台の横にある棚の扉を開いた。すると、なぜかそこには警備隊の制服が掛かっていた。

「……何だこれは」

「おお! これはきっと神の思し召しだぞ、カイル!」

 ヒースの芝居じみた台詞と動作に、カイルは制服を掴むと、そのまま彼に突き返した。それを面白くなさそうに受け取ると、ヒースは恨めしそうにカイルを見た。

「ここまで世話をしてやったのに……」

「やかましい」

「ふん、今に見ていろ。……で、これからどうするつもりだ?」

 それは軽い口調だったが、問うた方も問われた方も、その瞳に浮かべた光は真摯だった。カイルは窓辺に立つと、人がまばらに行き交う通りを見下ろした。

 何をすればいいのか。何から始めれば、真実の糸口を掴むことができるのか。

(――ひとつひとつ潰して行くしかない。一度聞いたことでも、自分の耳目で確かめて)

 カイルの行動の原点は、リエーラ・フォノイの手紙である。昨晩から考えていたことだが、まずは彼女の死の真相を確かめてみようと思った。

「……とりあえず、明日、シャーレーン聖官殿へ行ってみる」

「そうか。くれぐれも無茶をするなよ」

 そう言って踵を返したヒースを、カイルは追いかけて呼び止めた。

「おい。オレのことを、上には言ったのか?」

「まだだ。足が付いては困るのだろう?」

 にやりと笑うヒースに、カイルは安堵の吐息を漏らした。

「……感謝する」

「当てにしているぞ」

 ひらりと右手を振って、ヒースは薄暗い廊下に姿を消して行った。

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