第四章 波間に揺れる想い --- 5

 将軍モデールと近衛兵団副長ハイネルドの両名が問題の地セレイラへ到着したのは、王都を発ってから八日後、イスフェルが未だ独り、荒野を彷徨っていた頃のことである。途中、先発していた新総督ディヘル=オードンに追いつき、三人揃って白大門をくぐった。一旦、総督府へ立ち寄った後、彼らはすぐに聖都の北東にあるタリス山の墓地へ向かった。前総督ディオルト=ファーズの墓参りをするためである。しかし、その道中は悲しみに沈んだものではなく、伴ったセレイラ警備隊長ガローヴ=ドレインやディオルトの息子ルグランから、現在の状況について報告を受ける、極めて事務的な時間となった。

「この重大な時期に、さぞや御無念であったでしょうな」

 墓石に白い百合を手向けながら言うのは、ハイネルドだった。彼自身は同胞百人と、そして上将軍の消息を何としても掴まなければならない使命を負っている。

「父は亡き宰相閣下の信任を得て総督のお役目を頂き、それに命を賭けておりましたから……」

 亡父に代わり、それに似た顔にルグランが無念さを滲ませる。通常、総督の交代に伴い、その家族は都や故郷へ引き上げるものだが、引き継ぎがまったくできていないうえ、聖都の過去数年の状況を知る貴重な人材として、ルグランは新総督の補佐役に就くことになった。その上官として派遣されてきたディヘルは、宰相代理エルロンがまだ書記官長だった頃、その下で長年、気位の高い書記官たちを捌いてきた人物だった。年齢は四十三歳、恰幅がよく、一見鈍重そうながら体術に秀でた怪漢である。

「故人の墓前でこのようなことを言うのもなんだが、《光道騎士団》の遠征は間違いなく総督府の失態。その汚名は必ず私と、ディオルト殿の息子たるおぬしで晴らそうぞ。生臭坊主どもめ、覚悟しておれ」

 気炎を吐くディヘルを、その後方からガローヴは内心、不満げに見遣った。先だっての《光道騎士団》の行動は、確かに総督府、そして《光道騎士団》の監視役を負っていた警備隊の重大な失態である。しかし、それをこうあからさまに言われるのは面白くない。彼らとて、政府の緩い政策によって甘やかされた武装神官たちの相手を必死にやって来たのだ。文人肌だったディオルトは、警備隊内部のことまで干渉してこなかったが、どうもこの新総督には手を焼かされそうだとガローヴは思った。

「ところで、ゼオラ殿下の行方だが」

 そのディヘルがのそりとガローヴを振り返った。動作は緩慢でも、その視線の鋭さは獲物を狙う蛇のようであった。どうやら先方もガローヴを快く思っていないらしい。ディヘルにしたら、《光道騎士団》に後れを取ったガローヴを無能者とでも思っているのかもしれぬ。

「情報漏れを警戒して報告しなかったのではなく、本当に何のひとつも手がかりを掴んでおらぬのか? 馬蹄の跡のひとつも?」

 ガローヴは慎重に口を開いた。

「御存知の通り、最後の宿営地から聖都までは石畳が敷かれておりますゆえ、それらしき痕跡は特には。そもそも、王家の方が道を譲るなどして外れられることはございませんし」

「道理であるが、百騎が消えるのに空を飛ぶわけにはいくまい」

 ハイネルドの相槌に、ガローヴは頷いた。

「何かあったとしたら、最後の森のあたり。現在、そこを重点的に捜索させております。が、不明の日より数日、雨が降りまして」

「ちっ、なんと運の悪い……」

 ディヘルはいっそう顔をしかめた。良くも悪くも直情型、すぐに感情が顔に出る彼だった。

 その後、ガローヴとルグランを解放した三人は、すぐ隣の山、すなわちルーフェイヤ聖山へと向かった。《月光殿》の管理官が不在の今、《正陽殿》すべてを預かる身となっている月影殿管理官デドラスと面会するためである。

 長旅の疲れも見せず、聖官殿ごとに曲がりくねった山道を徒歩で上り切った一行は、まず「外交」の《月光殿》へ向かった。応対した神官の「お約束は?」との言葉を、サイファエール国王の名の下に一蹴すると、既に見知った廊下を謁見の間へと向かう。対応は無礼だったが、デドラスの到着は意外にも早かった。

「これは遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました」

 濃紺の聖衣を翻して入ってきた《月影殿》の管理官は、国王の威信を害した身でありながら、悪びれた体はまったくなかった。蒼氷色の瞳の冴え冴えとしたことに、彼と初対面の三人は警戒した。

「先だって《光道騎士団》がアーバン領を侵犯した件について、サイファエール国王イージェント陛下よりの勅令を言い渡す」

 この時、上座には将軍モデールが立ち、その両側にハイネルドとディヘルが並んでいる。デドラスはモデールの正面に立っていた。膝を折っていないのは、彼が仕えるのが神だからである。

 本来、ここでモデールが読み上げるべきは政府による命令書であったが、実際に彼が紐解き文字を追ったのは、国王印が大きく捺された勅書だった。それは、出立直前、王弟トランスから秘密裏に渡されたものだった。

 トランスは、上将軍という臣下としての立場の手前、勅書の勝手な二重発行は許されぬと政府令への変更を承諾した。が、本心を言えば、軍隊の越権行為は重大にして何としても勅令として扱いたかった。しかし、国王病臥の今、王弟たる彼が出しゃばることは百害あって一利なしである。そこで、国王が印も捺せないほど重篤か否かは聖都の人間にはわかるはずもなく、内容はまったく同じ命令書を勅令か政府令かなどと蒸し返す王都の人間もいないだろうと、勅書を偽造したのだ。そして、いまひとつ、勅書を偽造することによって罠を仕掛けたかったのだ。

 ゼオラは勅書とともに消えた。もし聖都側が一方的に勅書を偽物だとした場合、或いは軽々しく扱った場合、それはゼオラ不明を知る者――つまり真犯人ということになる。そもそも総督府は、上将軍不明という不名誉な事実を、正式にも内々にも《月光殿》に知らせていないのだから。

 モデールは勅書を重々しく読み上げた後、それをデドラスに差し出した。彼と他の二人が王弟の指示に大人しく従ったのは、やはり彼らも今、《光道騎士団》を抑えておく必要があると認識しているからだった。しかし、デドラスは沈黙したまま、受け取ろうとはしなかった。

「デドラス殿」

 ハイネルドに促されて、ようやくデドラスは顔を上げ、そして言った。

「それを受け取ることはできかねますな」

「な、なんだと……!?」

 怒気を漲らせたディヘルを制すと、モデールは淡々と問うた。

「我々はサイファエール国王イージェント陛下の使者である。それをわかって言っているのか」

「重々に」

 わずかながら頭を傾けて一礼すると、「しかし」と管理官は後を続けた。

「《光道騎士団》をエルミシュワへ行かせたのは、月光殿管理官を邪教徒より奪還するため。実際には叶わず、アイゼス殿は今も不明ですが、《光道騎士団》を動かさねば、いったい誰が彼を捜し、邪教徒を成敗してくれるというのですかな? いえ、そもそもそれこそが《光道騎士団》が存在する理由のひとつ。自治権を認めている以上、いくらサイファエール国王でも口出しはできぬはず」

「自治権は、あくまでセレイラ領内においてのこと。それに――」

 モデールはきらりと目を光らせて、言葉に針を仕込んだ。時期尚早かも知れぬが、このままでは埒が明かないと思ったのだ。

「ある情報によれば、此度の《光道騎士団》の振る舞いは、狂言ではないかとも」

 そして、デドラスはそれにかかった。いや、「狂言」を知られているということは予想外であったが、彼としてはそもそもかかった振りをするしかなかった。

「狂言? それは聞き捨てなりませぬな。いったいどういうことです?」

「デドラス殿、落ち着かれよ。今この場はそのことを詮議するものではない。速やかに勅書を受け取られよ」

 ハイネルドの声に安堵したのは、果たしてモデールとデドラス、どちらだったのか。気を取り直したデドラスは、しかし、食い下がった。ゼオラを暗殺してまで勅書を受け取らぬようにしたのだ。ここで易々と受け取るのは馬鹿のやることである。今後、勅書が何度届こうと、彼にはそれを手にする気はさらさらなかった。

「どうしても、とおっしゃられるなら、カルマイヤ国王の了承を得てからにして頂きたい」

「カルマイヤ国王、だと?」

 デドラスの言葉に、モデールの表情が険しくなる。

「《光道騎士団》の行動をサイファエール側が一方的に制約しようとすれば、カルマイヤの方々もおもしろくないというもの。この聖地が混乱せぬよう、どうぞそのようにお取り計らいを」

 サイファエールとカルマイヤの聖地を巡る争いは、歴史書が何頁も割いて物語っていることであった。しかし、ディヘルは、怒髪天を衝く勢いでついに足を一歩踏み出した。

「なぜサイファエール国内の違法行為を罰するに、他国に了承を得ねばならぬのだ! 詭弁も甚だしい!」

 そんな彼を、デドラスは冷ややかに一瞥したものである。

「貴方は新しい総督殿でしたね。私は聖都へ参ってかなりの年月が経っておりますので、僭越ながらご教授いたしましょう。この聖都では、均衡を保つのは存外、難しいのですよ。この世界のどこよりも」

「………!」

 鼻であしらわれたのは火を見るよりも明らかだった。ディヘルは真っ赤になってその場に立ち竦んだ。モデールとハイネルドは視線を合わせて軽く吐息すると、再びデドラスを見た。今や聖なる地を掌握する眼前のこの男に、何としても勅書を受け取らせなければならない。

「この勅書の内容に関してカルマイヤが何かを言ってきたなら、サイファエール政府に直接、文句を言えといなせば良いだけのこと。その後のことは、それこそ国家間の問題。聖都だけで対処しろとは申さぬ」

 しかし、デドラスに貸す耳はなかった。

「お話になりませんな」

 そして、踵を返してしまったのである。

「デドラス殿!」

 彼の背中に、モデールの固い声が投げつけられた。

「……白大門は空の蒼にこそ映えるもの。しかし、天に唾を吐こうとなさるのなら、城壁がどれほど強固でも、私が手を振り上げ、振り下ろすまでの間に取り囲むことができる」

 すなわち、兵がそばにいると言うのだ。それこそカルマイヤの警戒を考慮して聖都までは引き連れてきていないが、国王から預かった騎兵一万がセレイラ領の境界で待機していた。

 しかし、それさえもデドラスの足を止めることはできなかったのである。月影殿管理官が悠然と扉から出て行ってしまった後、王都から来た三人は、しばらくその場に立ち尽くしていた。最も早く気を取り直したのは、意外にもディヘルだった。

「フン、まこと喰えぬヤツのようだな」

「ディヘル殿……」

 重要な交渉の場で感情的になった新総督にハイネルドが抗議の視線を向けると、彼は口の端を擡げてみせた。

「ああやって喚いておけば、小人と侮ってくれるやもしれぬであろうが。あ、それとも私は本当に小人か?」

「小人がこんな時期のセレイラ総督に? ここは冗談の言えた書記官室ではありませんよ」

「そのようだな。さて、で、これからどうする? まさか本当に城壁を囲むわけにはいくまい。陛下ご病臥の今、カルマイヤの気を引くわけにはいかぬ」

「腹立たしいことに、管理官の言うとおりですね」

 まさかこうあからさまに主の手に噛みついてくるとは思いも寄らなかった三人だった。

「王弟殿下の思惑についてはどう思われますか?」

 ハイネルドがモデールに尋ねると、将軍は組んでいた腕を解いた。

「閣下の件か? 勅書の真偽云々は言わなかったが、まだ何とも言えぬな。とにかく、受け取らせるまでは、閣下を見付けるまでは、我々は王都へは帰らぬ。麾下の者を何人か交替で《光道騎士団》を見張らせよ。警備隊との連携も強化しなければ」

「御意」

 その後、三人はそそくさと神の山を下りた。《正陽殿》の独特な雰囲気は、王都の三人には馴染めぬものであった。



 自室に戻ったデドラスは、「お疲れ様でございます」と頭を下げた三人の若い神官たちを軽く睨んだ。

「部屋で待っていろと言ったはずだが」

 すると、一番年下の《紅影》が他の二人を見ながら首を竦めた。

「申し訳ありません。《蒼影》が自分で殺った総督の後釜の顔がどうしても見たいと言って聞かなくて」

 謁見の間の上座の物陰から、王都の使者たちを検分していた彼らだった。

《紅影》のしれっとした物言いに、《蒼影》は眉根を寄せた。しかし、口にしたのは別のことだった。

「意外です。王都があのような輩を寄越すとは」

 王都と聖都、そしてカルマイヤと、綱渡りのような駆け引きを実務とするのがセレイラ総督のはずである。ディヘルのように喜怒哀楽がはっきりした男には相応しくないと《蒼影》は思ったのだ。

「意外、か……」

 呟くと、デドラスは後方で沈黙している《紫影》を見た。

「《紫影》」

 氷のように冷たい声に呼ばれて、《紫影》は鞭打たれたようにびくっと身体を震わせた。

「将軍の言ったことを聞いていたか」

「はっ……」

 恐縮する《紫影》の前で、《紅影》がわざとらしく首をひねる。

「何のこと?」

「しっ。『狂言』のことだ、馬鹿」

 デドラスのただならぬ雰囲気に《蒼影》は肝を冷やしたが、《紅影》はまるで気にしていなかった。

「ああ……って、今、私のことをバカと言ったな、《蒼影》!?」

《紅影》があまりにうるさいので、《蒼影》はついに彼を引きずって部屋を出た。今はじゃれ合っている場合ではない――そもそも、じゃれ合うほど仲が良くもなかったが。二人が聞き耳を立てる中、デドラスの私室に残った二人が再び会話を始める。

「何故あのような『疑い』が我々にかけられているのだ? 教えてくれ、《紫影》」

 あくまで狂言と認めぬデドラスだった。

「そ、れは……」

「そう、そなたが《金炎》を取り逃がしたからだ」

「………」

「そして未だに行方がわからぬ。てっきり王都へ逃げ込むかと思ったが、王都にいる《白影》と《緑影》の報告では、どこにも匿われている様子はない、とな。二人が二人してそなたと同じ轍を踏みはすまい」

「申し訳、ございません……」

「ということは、《金炎》とは別のところから漏れたという可能性もあるが、さて、そのようなことをする輩が――できる輩がいたものか」

《紫影》――ガレイド・エシルには無論、心当たりがあった。セフィアーナを助けに来た長髪の男である。しかし、彼の存在をデドラスに告げることはできなかった。ガレイド・エシル自身が彼に自分たちの秘密の一端を握らせてしまったからである。下手に白状して、自分が無能者と烙印を押され、暗殺の対象とされるのには耐えられない。

「……もしかしたら、セレイラ警備隊の副長かもしれませぬ。色々と嗅ぎ回っておりましたので……」

 しかし、所在なげな彼の言葉は、月影殿管理官の失笑を買うだけだった。

「もしかしたら、か。言うな、《紫影》」

「――ただちに調べます」

 一礼すると、ガレイド・エシルは逃げるように部屋を出た。その背を眉根を寄せて見送った《蒼影》の前で、《紅影》が間の抜けた声を発した。

「あのー」

 デドラスの視線を受けて、《紅影》は首を傾げた。

「先ほどのあの三人はいかがいたしますか?」

「捨て置け。後々はわからぬが、いま動いてはすべての目が我々に集まってしまおう」

「御意」

 五人の同輩の中で最も暗殺者たるのがこの《紅影》だった。



 上将軍一行が行方不明となってから二十日余り、懸命に捜索を続けていたセレイラ警備隊だが、一向にその行方は知れなかった。それもそのはず、襲撃後の《光道騎士団》の撤収振りは完璧で、血糊ひとつ、矢幹ひとつ、現場には残していなかった。馬蹄や車輪の後も丁寧に均し、土がめくれた後にはご丁寧に雑草を植えたり、蔦などを這わせて隠していたのである。そして、彼らの行いが正しいとでも言うように、助けの雨まで降った。百もの死体が運ばれた場所はナルガット山脈の南の端で、セレイラ領外であり、警備隊が普段、関知しない場所だったことも原因だった。

 顔色の冴えない部下の、何度受けたか知れない空振りの報告に、セレイラ警備隊を預かるガローヴ=ドレインは馬上で小さく吐息した。

(上将軍閣下は、ケルストレス神とも称される。ケルストレスの愛馬は疾風号。ゆえに馬蹄痕がないのか……)

 伝説では、疾風号はその背に翼を持つと言われている。その翼を羽ばたかせ、戦場を怒濤の如く駆け抜けるのだ、と。

 かすかに冷気を帯びた晩夏の風が、傷跡の残るガローヴの頬を撫でていった。それはまるで、広大な荒野で愚かしくも右往左往を繰り返す人間たちを翻弄しているかのようだった。

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