□足に空いた穴と、わき腹

 男は、僕が見ているそばで、おもむろに右足の靴を脱ぎだした。革靴のかかとに指を入れて、下方向にずらす。革靴は、濃い茶色をしていた。黒光りをしていて、すみからすみまで、きっちりと磨きこまれている。革靴に通された靴紐は、足首に近いところで、小さくちょうちょ結びになっていた。

 男がその革靴を脱ぐと、紺色のソックスに包まれた足が出てきた。そのつま先をつまんで、ペニスから使い終わったコンドームを抜くみたいに、ずるずる引っ張って、靴下を脱ぐ。そうすると、素足が現れた。そして、その足の甲には、両手の甲と同じく、穴が空いていた。

 足は手のひらよりも、分厚く丈夫にできている。なぜなら、常に人間ひとりぶんの体重を支えているからだ。足の甲は丸いアーチを描き、固くて太い骨に守られ、そこに血肉がついているはずだ。しかし、その丈夫な足にも穴が空いている。肉と皮は乱暴にちぎられて、骨は砕けていた。歩くのに不便そうだ。男は右足を素足にすると、左足も同じく靴を脱ぎ、靴下を取り去った。左足にも、右足と同じように穴が空いていた。

「これも君がやったんだけど、覚えてない?」

 男にそう聞かれて、僕はおぼろげに記憶を呼び起こした。確かに、その両足の穴は僕があけたものだった。

「こういう風に、両足を重ねてさ。穴あけパンチで、紙に穴でも空けるみたいに」

 君がやったんでしょ? 男は、ベンチに座ったまま、足をぶらつかせた。足が揺れて、空気を柔らかく切るたびに、足の甲に空いた穴に空気が通り抜ける、「ひゅうひゅう」という音がした。涼しそうだな、と他人事ながら思った。

 その穴は、確かに、僕があけたものだった。男を横にして、靴を脱がせ、靴下も脱がせ、分厚い足の甲を重ね、そこに、鋭い杭をあてがったのだ。そして、手の甲にもそうしたように、なんども金槌を杭のてっぺんめがけて振り下ろした。杭は皮を貫き、肉を割き骨を砕き、やがて下にした左の足の甲にも届いたのだろう。両足の甲に空いた穴は、左足の方が穴が小さい。左足をしたにして重ねられたせいだろうと僕は思った。言葉に困った僕は、男に質問をした。

「痛くないですか?」

「痛いに決まってるじゃないか。そりゃあね」

 男は、海外ドラマのひょうきんな役のように、大げさに肩をすくめた。

「でも、君を責める気持ちはないんだ。ほんとに」

 男は、穴の空いた足をすりあわせながら、脱いだ靴下を手に取り、足を入れるために履き口を丸めていた。この場所の空気は冷たい。そのせいで、男のむき出しの指先は色を失っていた。男は左足から靴下をかぶせ、その上に靴を履いていった。

 僕は、小さい頃に博物館で見た、蝶の標本を思い出した。暗くてじめじめした室内に、蝶々の死がいが針で止められ、箱に入れられて、壁一面に飾られていたのだ。僕は、その標本コレクションの中に、目の前の男を混ぜてみた。男の両手の平と足の甲を壁に止めて、いっしょに飾ってみる。それは不気味で、グロテスクな光景だったけど、どういうわけか、僕の心は沸き立った。

「君がまだ、穴を空けていない場所があるんだよね」

 体を折り曲げて、革靴のひもを結びながら男が言う。

「見てみる?」

 僕は少しだけ迷ってから、その問いかけにうなずいた。

 僕の首肯を受け、男は立ち上がり、身につけていたコートを脱いだ。重い布が床に落ちる音がする。脱ぎ捨てられたコートは、床でたわんで、広がっていた。次に、上半身の、分厚くて茶色いジャケットも脱いだ。くたびれて、しわの多いホワイトシャツがあらわになり、首元から順々に、掛けられた小さなボタンを上から外していった。

 いきなり目の前で始まったストリップショーを、僕は何の感慨もなしに見つめた。ホワイトシャツが剥かれると、白いタンクトップがあった。

「さむいな」

 男はそう言って、自分の細い肩を抱きしめて、ぶるっと体を震わせた。そんなの、当たり前だ。ここは肌寒いのに、ストーブや空調が何もない。ほのかに暖かさを感じられる、陽光しかない。男の腕には、ぶつぶつと鳥はだが立っていた。男は右手で、タンクトップを首の近くまでまくり上げた。畑のうねみたいに盛り上がった、あばらの骨があらわになる。

「ここに、まだ穴が空いてないよ」

 男が、左手で、するすると脇腹をなでた。たしかに、そこはきれいだった。しみや、浮き出た血管や、ニキビもない。まるで、誰かに傷つけられるのを待っているように。 

 この男は、両手と両足すべてに穴を空けられても、まだ空けられ足りないのだ。

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