第78話 糸口

 魔王が迫ってこないとはいえ、ブレイブを使ったとしたら瞬きする間にどってっぱらに一撃を入れられる危険性はある。

 俺はくぐもった声をあげながら、緑色の液体が入った瓶(緑ポーション)を三本掴みよろけながらも立ち上がった。


 まだこないか。

 なら、使わせてもらうぞ。

 

「シャドウ・サーバント」


 バカの一つ覚えみたいだが、ことこの場において一番俺の命を守ってくれるのはこのスペシャルムーブ以外にない。

 流水は相手の攻撃のタイミングに合わせねばならないから、ブレイブを使われた後だと間に合わないこともある。理由は簡単。俺が魔王の動きについていくために、超敏捷を使わないといけないから。

 スペシャルムーブのコンボで超敏捷から流水に繋げることもできる。しかし、コンボは相当な集中力を要するんだ。

 完全に待ち構える姿勢でないと、このコンボは使えない。一方で、シャドウ・サーバントなら発動さえしておけば、俺が自由に動くことができる。一発無効化の保証付きでね。

 

「来ないのか? 魔王」


 シャドウ・サーバントを発動させることを妨害してくるかもしれないと警戒していたが、魔王はその場から動こうとしない。

 完全な無表情で立ち尽くしたままだから、様子を伺ったところで彼女の心の内を推測することはまるでできなかった。

 だから、魔王に声をかけてみたのだが、全く反応が無い。

 

 来ないのなら……存分に使わせてもらおうか。緑ポーションを。

 緑ポーションは傷を癒すポーションで、赤や青ポーションと違い経口摂取せず体に振りかけるだけでも効果を発揮する。

 ここにあるのは最高級の緑ポーションだ。何故、最高級品だと分かったのかって? それは完全に澄んで透明感のある緑色だからだ。

 ポーションは高級になればなるほど、濁った液体から透き通った液体になっていく。

 こいつは綺麗な透き通った緑色……飲むと気を失うほどマズイ。

 青(エステル)は下級品からクソマズイが、赤と緑はそうでもない。しかし! 高級になればなるほどマズさが倍……いや数十倍になっていくのだ。

 

 でも大丈夫。

 傷を癒すなら体に振りかけるだけでいいからね。

 ふふふー。

 

 緑ポーションの瓶の栓をきゅぽんと抜き、右手首にドバドバと中の液体を流し込む。

 続いて、肩から二本ほどポーションをぶっかけた。

 うおおお。効く効くうう。さすが最高級品だぜ。効果は抜群。みるみるうちに痛みが引いていく。

 ついでに赤ポーションも飲み、SPも回復させた。

 

「魔王。いいのか? 俺は完全に回復してしまったぞ?」


 再度挑発するも魔王は動かない。

 一方の俺はゆっくりと首と右首を回し体の状態を確かめた。うっし、バッチリだ。

 

 しかし、ここまで魔王が動こうとしないのは不可解だ。

 まさか俺の回復を待っていたわけじゃないだろうし……現にさっきはすぐに追撃してきた。今回俺を追撃しない理由はない。

 となると……こいつか?

 地面に転がっている大量の緑ポーションをチラリと見やる。

 

 まさかこいつが苦手なのか?

 魔王から目を離さずに膝を落とし、緑ポーションを拾い……懐へ。

 左右の手に一本握り、すぐに取り出せるところに三本忍ばせた。

 

「来ないなら、こちらから行くぞ。魔王」


 超敏捷をいつでも発動できるよう手を前に出した状態で、一歩、また一歩、魔王へ向け歩く。

 五歩進んだところで、ついに魔王が動き出す。

 

 彼女は目を閉じ、詠唱集中状態に入る。

 ポーションを手に持つ俺を嫌がったのか? 魔法で一発かまそうと……いや、さっきと同じで罠か?

 

 考えていても仕方ない。今のうちに距離を詰める!


超敏捷速さこそ正義!」


 ぐぐぐっと足に力を入れ、爆発的に加速。一息に魔王へにじり寄ると彼女は目を開き俺へ向け手を掲げた。


「ファイア・バインド」


 力ある言葉と共に魔王の手から幾本もの炎の蔦が伸び、蔦が網を形成する。

 これもエルラインに見せてもらった魔法だ。

 ファイア・バインドは炎の蔦でできた網がとんでもない速度で迫ってきて体を拘束するという効果を持つ。

 この魔法は中級魔法なんだが、超敏捷状態でも至近距離からだと回避することができない。

 なるほど。これを狙っていたってわけか。エルラインから注意すべき魔法と聞いていたけど、こんな細やかで相手を拘束するのみで致命傷を与えない魔法を使ってくるとは驚きだ。

 いや、もし俺がこの魔法を使えたら多用する程度には使い勝手はいい。ファイア・バインドに拘束されると、まるで身動きがとれなくなってしまうからな。

 拘束の効果は一定時間が経過するか、何らかの攻撃を受けるまで解除されない。

 

 ――だが、問題ない。

 好都合。とても好都合だ。

 

 俺は構えさえ取らずそのまま炎の網へダイブする。

 炎の網が俺をからめとろうとするが……シャドウ・サーバントが俺と入れ替わるように身代わりとなって拘束された後、消失する。

 更に、拘束対象がいなくなったことから、炎の網も消えた。


 俺は何ら拘束を受けぬまま、魔王の腹に向けて拳を一発!

 手ごたえあり! 

 魔法発動直後の一瞬の硬直状態にある魔王に俺の拳を防ぐ手立てはなく、俺の拳をまともに喰らった。

 同時に魔王へ当たった衝撃で緑ポーションの瓶が砕け中の液体をぶちまける。

 

 シャドウ・サーバントが発動するかは賭けだった。

 しかし、もし発動せずともファイア・バインドでは致命傷を受けない。魔王の次の攻撃を「流水」で防御すれば脱出できるから、失敗してもなんとかなる。

 

 もう一発!

 俺は攻撃の手を休めず、もう一方の腕で魔王の顔へ向けて拳を振るう。

 

「ブレイブ」


 ッチ。さすがに中級魔法だと硬直から立ち直るのが速い。

 ブレイブが発動した魔王はあっさりと俺の攻撃を回避すると右足で俺の腹を蹴り上げた。

 この距離では回避できるはずもなく、俺はまともに彼女の攻撃を喰らってしまう。

 

 もう何度目だよ……ブレイブにやられるの……。

 なんて心中で文句を言うが、そんなものは何の足しにもならず俺の身体は二メートルほど浮き上がった後、重力のままに鈍い音をたて地面へ転がった。

 

「う、うう……う……」


 急いで顔をあげると、両手で腹を抑え眉をひそめ苦しそうな声をあげる魔王の顔が目に入る。

 無表情かニタアと嫌らしい笑みを浮かべた魔王の顔を見て来たが、この顔は何か違う。うまく言えないが、人間ぽい顔? 

 美しい整った凛とした顔が歪むという見ていて気持ちいいものではないのだが、俺は彼女の顔に初めて生を感じた。

 

 何が起こっているのか判断がつかないけど、緑ポーションは魔王を苦しめる効果を持っている。

 ならばここは! 痛む体を無視して立ち上がると、ポーションを構え開いた方の手を複雑に動かした。

 スペシャルムーブで一気に蹴りをつける!

 

「インファリブル……いや……」


 スペシャルムーブを唱える手を途中でとめた。

 そのまま投擲したところで、到達する前に魔王へ打ち払われる。こんな小さな瓶を壊すのなんて下級魔法のファイアでも十分だからな。

 下級魔法ならば溜めもほぼなく、隙も生まれない。ここで貴重な緑ポーションを無駄打ちするわけにはいかねえ。

 

 俺が逡巡している間にも、魔王は無表情に戻り腹から黒い煙をあげながら俺へ肉薄してくる。

 対する俺は、緑ポーションを天高く投げた。続いて二本、三本と投げたところで、魔王が両手斧を俺に向けて振り上げた。

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