第38話 グラハムにもう用はない

「最後の最後まで実に面白く踊ってくれたな。何故、金を渡したのか分かるか? グラハム?」

「長年務めた俺への情けじゃないのか? 街を出て、これでひっそりみじめに暮らせと……」

「違う。違うぞ。グラハム。お前なら、金を全てつぎ込み、俺かそこの男へ復讐を図る。思った通り、お前はそのように動いたではないか。監視していて実に愉快だった」

「……」

 

 千鳥が見たグラハムに渡された小袋はやはり金だったのか。

 ファールードはグラハムの性格を見抜いており、よからぬことを企ませるために金を渡した。ファールードの意図した通りにグラハムは動いたってことか……。

 全てファールードの手の平の上で。

 

「だが……」

 

 ファールードの声が響く。

 彼はその場でクルリと回転し、グラハムの喉元へフルーレを突きつける。


「もう飽きた。お前を放逐したのも飽きたからだ。そもそもお前に『次こそは』なんぞ期待していない。お前の馬鹿さ加減を見るためにこれまで雇っていたのだから」


 憤怒で顔を真っ赤にするグラハムだったが、顎に尖端が刺さったフルーレのために動くことができない。

 

「時に……ストームだったか? グラハムはお前の好きにしていいぞ?」


 不意にファールードがこちらに首だけで振り向き、この上なく爽やかな笑顔で俺に囁く。

 ファールードの意識が自分から逸れたことを幸いに、グラハムは首を引きフルーレから体を離すことができた。


 グラハムか。

 確かに奴を憎くないと言えば嘘になる。俺はグラハムの名を聞くだけで心を乱していたほどだからな。

 しかし、命を取ってどうなる?

 あんなくだらない男を自分の手にかけ、溜飲が下がるとは思えない。

 金も地位もないこの馬鹿な男にこれ以上俺に対し何かをできるはずもなく……。


「俺はもうグラハムに興味はない。もはやこいつに暗い気持ちを持つこともないだろう。あまりにくだらない」


 グラハムは真っ赤になって俺のことを睨みつけてくるのかと思いきや、縋るように目を輝かせてチラリと俺を見るだけだった。


「……ということだ。グラハム。好きにするがいい」


 俺の回答を受け、ファールードはもう用はないとばかりに片手を振る。


「あんたたちに手はもう出さねえ。じゃあな!」


 対するグラハムは、そそくさと立ち上がり小走りで闇の中へ消えて行った。


「ククク……とことん馬鹿な奴だ……」

「ファールード。やはりお前は……」

「ご想像にお任せする。ククク……」


 やはりそうか。

 グラハムは明日の朝日を拝むことはできないだろう。

 だからといって、彼を哀れむことも俺が何かすることも無い。自業自得だ。勝手に野垂れ死ぬといい。


 グラハムの行く末を想像する俺に対し、ファールードは人の心を泡立てるような低い笑い声を出しながら顎をクイッと上げ、今度はヨシ・タツの方へ歩み寄る。


 ファールードはヨシ・タツの前に立つと指揮者のように手首にスナップをきかせ指をパチリと鳴らす。

 すると、中空から水が満タンに入った木製のバケツが出てきてファールードがそれを掴む。


「いい加減起きろ、ヨシ・タツ」


 ファールードがバシャーとバケツの水をヨシ・タツに浴びせると、彼はくぐもった声を出し意識を取り戻した。  


「ぐ……ぐう」


 ヨシ・タツがむくりと起き上がり首を振ると水がプルプルと飛び散る。

 

「なかなかいいショーを楽しませてもらった。そろそろおいとまするとしようか」


 大仰な仕草で肩を竦めたファールードは一瞬だけ俺に目を向け踵を返す。

 

「待て。ファールード」

「どうした? 『ウィレム』? お前の舞台もいずれ。ククク」


 顔だけこちらに向けて軽薄なアルカイックスマイルを浮かべるファールード。

 対する俺は、平静ではいられなかった。

 

 ウィレム。あいつは確かにその名を呼んだ。

 ストームではなくウィレムと。

 

 知っている。覚えていたのだ。ファールードは。

 俺がウィレムをやめ、ストームとなったあの日のことを。

 

 奴にとっては日常的にやっている嫌がらせの一つで、気にも留めていないと思っていた。

 俺が奴をぶんなぐる時に、奴へあの時のことを知らしめてからにしてやると決めていたのだが……。


「ははは」


 自然と笑い声が漏れ出す。

 俺の口角が自然と上がり、胸の奥にどす黒い何かが沸き上がり俺の身体を侵食してくる。

 しかし、俺に舞い降りた感情はいつもの「怒り」ではなく「歓喜」に近いものだったのだ。

 

 そうかそうか。

 ファールードは俺に何をやったのか記憶しているのか。


「えらく楽しそうだな。ウィレム。お前は自分の女と職を奪われて喜ぶような輩だったってことか……ククク」

「ファールード!」


 無意識に腰の剣を引き抜き、ファールードへ切りかかる。

 彼はフルーレで俺の剣をいなした。

 

 怒りに任せた単純な剣ではファールードを切ることは叶わない。

 奴の剣の腕前は熟練者の域に達するのだから。冷静さを欠いて押し切れるような相手ではない。

 

「ファールード。何故だ。お前は何故、俺に」


 こいつとたまたま出会わなければ、俺はあのまま港で働き貧しいながらも幸せな生活を送っていたはずなんだ。

 

「気まぐれだよ。ウィレム」


 切りかかろうとする意志をグッと抑え、ファールードを睨む。

 すると、奴は満足気に頷き言葉を続けた。

 

「きっかけは気まぐれ。これは間違いない。全ては俺の欲望を満たすため」

「欲望とは?」

「『乾き』に『飢え』だ。ウィレム」


 ファールードは語る。謳うように、演劇の主役のように。

 彼はアウストラ商会の後継ぎとして産まれ、何不自由ない暮らしをしていた。生来、好奇心が強く何をやってもすぐにできてしまう天才だったファールード。

 彼は何に対しても苦労もせず達成してしまう。何をやってもつまらない。

 自分を満たしてくれるものは無いのか? その一心から彼は様々な「気まぐれ」を行うようになった。

 グラハムのような馬鹿を泳がせてみたり、俺のような一般人を虐げどのように動くのかを見てみたり……。

 

 しかし、彼の乾きが満たされることはこれまでなかった。彼は「出来過ぎる」のだ。


「そんなことで……俺を。そんなつまらない理由で!」

「お前なら満たしてくれるかもしれんな……ククク。お前が街に戻ってきてからのことはもちろん調べている」

「ファールード!」


 もう我慢の限界だった。

 この場で奴に一太刀入れる。


 相手はフルーレの達人であるファールード。俺は体にくすぶる黒いモヤモヤを振り払うように首を振り、目を閉じる。

 集中しろ。頭を冷やせ。ただし体の熱は下げるな。


「満たしてやるよ! ファールード!」


 握りしめた剣をニヤつくファールードへ投げつける。

 もちろん俺の剣はファールードがフルーレを軽く振るうだけで軌道が逸れ、地面に乾いた音を立て転がった。


 剣を投げたのは意味のある攻撃ではない。

 しかし、俺の滾る心を落ち着けるに十分な効果をもたらしてくれた。


 ここからが本番だ。

 刮目しろ、ファールード!


 足の指先に力を込め、地面を削らんばかりに地を蹴ると、膝が勢いよく伸び上がる。

 腕を振り上げ、体の勢いを拳に全て乗せファールードへ向け振り下ろす。


「ふん……ガッカリだ……怒りに任せた攻撃ほどつまらぬものはない」


 ファールードはフルーレを構え、俺の拳へ刃を向けた。

 甘いのはお前だ。ファールード。

 単純な攻撃にこそ注意を払わなければ足元をすくわれるぞ。


「流水!」

「な……」


 何も敵からの攻撃を防ぐためだけに、流水を使わないといけないってことはないんだぜ?


 俺の拳はフルーレへ勢いよく当たる。

 ニヤリ口元に笑みを浮かべながらファールードの顔を伺うと、奴の驚きの表情を始めて見る事ができた。


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