第50話

 ウンディーネは、その美しい姿をさらす様に静かに佇んでいる。


 下を流れる外河川は、彼女を祭るかのように空高く水柱を幾本も吹き出し、巨大な渦を踊らせ、荒波を街へ向かわせていた。


 冬鷹は一歩一歩と近付く。だが、間合いに入っても先程のように襲ってはこない。目の前に来てもウンディーネは無視するかのように、その場にじっと立ち続けた。


 抱きしめようと彼女に手を伸ばす。

 だが当然、腕は水の身体を切り、掴めない。


 すると、思い出したかのようにウンディーネの手が首へと伸びてきた。

 しかし、冬鷹はそれを受け入れた。


 彼女の手が水塊となり冬鷹の顔を覆う。

 だが冬鷹はもがく事はしない。

 ただ手を伸ばし、彼女の両肩に手を添えた。


 そして――〈精霊〉にリンクをはかった。


 雪海はウンディーネとの〈半精霊〉だ。

 それは見方を変えれば、『ウンディーネと同じ身体的特徴を持つ〈特異体質者〉』、あるいは『ウンディーネの力を借りる〈借能力者〉』、とも捉える事ができる。

 つまり、雪海にとってのウンディーネとは、自分の〈異能〉なのだ。現に、雪海は〈制御〉により自分の身体を維持している。


 それに、リンクだって……できた――ッ!?


 その瞬間、冬鷹の心臓が強烈な鼓動を刻み始める。

 全身を巡る苦しさと、頭を締め付けられるような痛さが思考を蝕む。


 この苦痛――感覚には覚えがある。

〝実験〟――そこで薬を投与された時によく似ている。

 しかし、強さはその比ではない。


 視界が明滅する。水の身体に触れているはずの皮膚の感覚すら一瞬わからなくなった。

 だがそれは半ば覚悟していた事だ。


〈アドバンスト流柳〉――他の異能とリンクする異能。自分の心拍数と異能の出力を共鳴させる異能。


 通常の、制御できる程度の異能ならなんの問題も無い。

 しかし、リンクする対象が〈暴走〉状態ならば、その制御不能な激しさに引っ張られてしまう事は充分に考えられた。


 心臓がどこまで耐えられるかわからない。

 苦痛の末に死んでも当然、と言える。

 だがそれでも、妹の死が迫るなか、己の全てを賭けずにはいられない。


 雪海……待ってろ――。


 リンクした他の異能と冬鷹の心拍数は共鳴する。

 ――つまりは、冬鷹の心拍数を下げる事ができれば、暴走を止められるのではないか。


 試した事はない。今まで――〝実験〟でも、その後の訓練の日々でも、出力を〝上げる〟事に注視してきた。出力を〝下げる〟なんて考えた事もなかった。


 できるのか判らない。

 だが、足掻けるのなら、足掻くしかない。


 冬鷹は気持ちを落ち着かせようとする。

 深呼吸なんてできない。口も鼻も水の中だ。それでも、何かに堪える様に、じっと固く目を瞑る。


 頼む。頼む。頼む。頼む――。


 しかしできるはずもない。

 肺はとっくに悲鳴を上げている。心臓は胸を貫かんばかりに激しく暴れている。

 苦痛が焦りを生み、焦りが冬鷹の願いを阻む。


 頼む。頼む。頼む。頼む、頼む頼む頼む頼むッ――。


 頭の中は真っ白で真っ暗なもので埋め尽くされる。

 冬鷹のあがきが、無情というなの現実に飲まれつつあった。


 その時だった。

 ふと指先の感覚に意識が向いた。


 左腰に付いたそれは、普段はない物だ。故に違和感が明滅する意識の中で特異点となった。

 ホルスターに納められた〈ERize-47〉――偽装の工作のために根本から預かった射氣銃だ。


 そうか……。


 酸素を求め震える腕でなんとか、射氣銃を抜いた。


 光明なんかじゃない。今にも消えてしまいそうなロウソクの火程度の光だ。

 ただそれでも、もうそれしか考えられない。


 何も考えられない。

 ただ、賭けるしかない。


 冬鷹は射氣銃を構えた。

 銃口の先は自分の心臓。


 心臓を止めれば……〈暴走〉も――。


 未練はある。雪海を治してやれなかった事だ。

 だが悔いはない。妹の命を繋ぐ事に、自分を使えたのだから本望だ。


 じゃあな、みんな。ありがとう――。


 佐也加、英吉、杏樹、根本、去川。

 助けてもらった人々に、届かない感謝を胸中で述べ、冬鷹はその引き金を引いた。


 その刹那、冬鷹の耳元で声がした。


 すまない――。


 落ち着いた響きのなか、冬鷹の意識は黒く塗り潰された。

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