第2話『桜餅』

 ──それは部活動入部期間が終わり、一年が参加し本格的に始動した運動部の声がグラウンドから響いてきた4月の後半。


「──桜餅ってさ、桜入ってるの?」


 今日は部長が居なかった。騒がしくする人も居ないのでキーボードをカタカタと叩く音だけが響いていた。


 居るのは三年生の男子の先輩。体育座りで椅子の上に座り込みながら器用にタイピングしていた。キーボードを叩く音は全部彼からだけれど、この人は部活では基本喋らない。


 だからさっきの質問はこの先輩からではない。


「桜餅? 突然どうしたの……ってあー。桜か」


「そうだよー、ほら外、桜散ってるし」


 外を眺めれば、確かに桜吹雪が吹いていた。特別風が強い日で、ピンク色の風が流れている。


 質問の主が外にみとれている内に俺は定位置になりかけていた後ろの角のパソコンで桜餅を検索する。


 質問の主は、この部活で唯一の同級生の櫻井愛奈。俺は画面から目を離して彼女に画面を向ける。


 とてとてと近付いてきた櫻井さんは隣の椅子を引き出して座った。ちょっと近い気がするのは彼女の髪型がツインテールだからか。


 ちょっと髪が当たってるような、そうでないような。


「桜の葉で包んだやつ、って感じだよ」


「あー。葉っぱがかぁ。よくあるよね。柏餅もそうだっけ?」


「……柏餅も、そうだね。柏の葉で巻いたやつって書いてあるよ」


 カタカタ、カタカタと打鍵音が響いている。一度、あの先輩の使っているパソコンの画面を後ろから見た事があったけど、何をしているのか分からなかった。


 部長曰く、どっかに不法侵入してるとか。不法侵入とは。


「むぅ、こうしてみていると食べたくなってくるよね」


 櫻井さんが喋ったことで後方の音から意識が戻される。櫻井さんは画面に映る桜餅を食い入るように見ていた。目が桜餅だった。


「た・し・か・に!」


「「うわぁ!!!?」」


 二人揃って仰天した。驚かす気が満々だったのは分かりきっている。声の主は部長だったからだ。


 こういうことをする人だとは思ってたけれど正直なところ滅茶苦茶ビックリした……。


 背後をついでに見やれば、珍しい事に結構人数が揃っていた。


「桜餅かぁ、美味しいよねっ!」


 部長が窓の外と俺達を交互に見やる。それからにんまりと、何か思い付いた子供みたいな笑顔でパソコン室の前方へとるんるんと歩いていく。


「思い付いた! 私達で花見しましょ!! はーなーみっ!!」


 あそれ花見っ! 花見!! はーなみっ!!


 上機嫌な部長が手拍子と共にそんなコールをする。それに反応した部員が約数名。


「花見ですか、実行するのにはもう遅いのではないですか?」


 質問をしたのは二年生の金田先輩。きっちり着た制服の襟を正してから


「まぁ散り始めちゃってるけどね。今やろっ!! じゃあ!!」


「今ですか、まあ、見頃と言うわけではないでしょうが良いでしょう。何を用意しましょうか」


「やっぱり飲み物じゃない? あとレジャーシート。今日結構居るしさ!!」


 パソコン室に静かに入ってきたスーツ姿の女性が金田先輩に耳打ちする。


「わかりました。……五分で用意できるそうです」


 一礼して女性は去っていった。誰も咎めなかったけれど、確実に学校と無関係な人だと思った。まだ完全に把握していないけれど。


「オッケー! じゃ、いこっかー! 校庭のあの桜の前に集合してねーっ!!」


 部長が荷物をもって移動すると、それを追って出ていく人、人。それからキグルミ。


 キグルミ……もう既にスルーを決めていたが、この部活の部員というのである。スルーするが。


 流れるような動きで部員の殆どが出ていった。珍しいことにパソコン部の殆どの部員が今日は参加していたようで、普段よりも部員の数が多かった。


「えと、皆行動早いね」


「そうだね……」


 取り残されてしまった櫻井さんと俺は苦笑して荷物を用意し、外へ出ていった。


 そしてパソコン室は静かになった。






 屋外。言われた通りの桜の下に二人で歩いていく。


「あっ、おっそーい!! もう準備できてるよーっ!!?」


 部長がブルーシートの上で何やら大きめな瓶を抱き抱えるように持って大きく手を振る。


 ふざけて頭にネクタイを巻いて、胡座をかいていた。酒呑みっぽいけど、少しイメージが古くないですかね??


「──っ!?」


 部長がこっち向きに胡座をかいていた。部長はわりとスカートを短くしていた。つまり──瓶が隠していた。よく見たら瓶は大きいコーラ用の瓶のようで、向こう側を透過しなかった。


「ぶ、部長さん!! はしたないですよ!!?」


 見えてないことに対して大きく息を吐いた俺と違って櫻井さんはダッシュで部長に迫った。櫻井さんからすれば見えてなければいいか、ではないのだ。そりゃそうか。


「えー、良いじゃーんっ!」


 部長が注意するために屈んだ櫻井さんの首に腕を架けようと飛び掛かる。


 櫻井さんは素早く滑り込ませた腕で部長の手首を弾いて中指を掴んで捻る。関節技がしっかりと極っていた。


「危ないじゃないですかっ!」


「さっ、櫻井ちゃん、いたっ、いたたたたたぁっ!!」


「あっ、部長さんすいません癖でっ!」


 ばっと手を離した櫻井さんに部長は笑いながら痛みを逃がすように手を振る。


「く、癖? じゃあ仕方ないなぁ」


 癖で指関節極めるのもおかしいと思うけど笑い返す部長も部長な気がする。すごい。


 部長がもう一度抱き寄せに行った時には櫻井さんは抵抗しなかった。肩を組んで、足を正座に組み直して、櫻井さんに紙コップを持たせて持っていた瓶のコーラをそこへ注ぐ。


「君も要る?」


「あ、はい、お願いします」


 部長が瓶を少し上げて俺に聞く。拒否する理由などあるわけでもない。


「ほい。注ぐよーっ」


「えと、自分でやりますよ」


「いやいや、遠慮しないでいいよ。私がやりたいからやってるんだし」


 コップを渡され、そこに部長がコーラを注いでいく。わざわざ注ぐことに意味があるのだろう。


 俺は部長から少し離れたところに座って桜の木を見上げる。部長の近くは桜の枝の真下で正直桜が見辛いのだ。別に部長から逃げてる訳じゃない。


 部長がやたらにまにまと笑いながら俺を見てくる。


「ほら、君もこっち来たら?」


 部長が片腕を広げて俺を呼ぶ。部長に肩を抱かれている櫻井さんは諦念の浮かんだ表情で俺を見てくる。


 ……いやまあ拒否する理由は無いんだけど、だからといって受け入れる理由もない訳です。彼女いない歴=年齢を舐めるなよ(逆ギレ)。


「いや、こっちの方が桜が」


「いーからっ!! こっち来てよー!! 私に新入りの抱き心地を────へひゃあ!?」


 部長が悲鳴を上げた。誰か彼女を後ろから抱き締めたからだ。広げていた腕のしたに胸の辺りを抱くようにその誰かが腕を回していた。


 と言うか胸を揉んでいた。


「まーたバカみたいな事言ってるね、おっぱい揉むよ??? あっ、揉むほどないか」


「──はっ倒すぞ」


 部長がキレた。強引に後ろの人に頭突きをぶつけて拘束を脱した。


「痛いな……。今日の私は繊細な美女だぞ?

 このさらっさらの金髪に、道行く人を惹き付けていた巨乳、部長とは違ってね」


「なーにが巨乳よあんたは毎日姿変わるじゃないの樋口幸太郎!! というか男じゃないの!! そりゃあんたの格好で巨乳だったら道行く人は見るでしょうね!! あと胸揉んでこないでよセクハラ!!」


 額を擦る金髪の女性。シャツの第2ボタンまで外し、胸元を露出している彼女が来ているのは男子用の制服だった。というかこの人は自称男性らしい。毎日姿が変わるけど。


 理屈? 知らない。この人は学生にして作家業をしていると言うけれど、それが関係あるかどうかも俺には分からない。詳しいことは何も分からない。俺は雰囲気でこの部活に所属している。


「セクハラとは心外な。今の私は──美女だよ?」


 わざわざ腕組みして胸を強調して言った。巨乳が腕に押し退けられて変形するのを俺は見た。なんじゃあれ。でっか。


「ふんっ!!」


「うわぁっ!? 何するんですか部長!!?」


 身を翻した部長。とっさに後ろに倒れると目の前すれすれを部長の蹴りが通過した。


「べっっつぅにぃぃぃ???? なんでもないよ???」


 滅茶苦茶顔が怖かった。


「おや、嫉妬? 良いよ、参考になる。もっとだ、もっと嫉妬したまえ」


 樋口先輩は前屈みになって胸をさらに強調し──あ、これ以上見てたらまた蹴られそうだな。と俺はそこで目をそらして桜を見た。


 散り始めて緑が薄く出ているとは言えども、桜は綺麗だった。うん。桜も。


「何よそれ喧嘩売ってるの?」


「これが喧嘩を売っていると思うのであれば、そうなのだろうね」


「良いわ買ってやるわ、そこで相撲で勝負しましょう。いいわね?」


「良いけれど。なぜ相撲なのか?」


「女と女の真剣勝負と言ったら相撲でしょ? 常識じゃない、テレビでやってたわ」


 部長多分それ違う。一種のネタだ。


「…………部長がそういうならそうなのだろう」


 何故かこの二人が相撲をやるようだ。俺が遠い目で桜を眺めているとちょいちょいと肩を叩かれた。振り向くと櫻井さんが紙皿を持って来ていた。俺は座っていて、彼女は立っている位置関係上、皿の上に何か乗っているようだが見えない。


「やっ。桜餅、食べる?」


「食べるよ」


「じゃ、置くね」


 紙皿の上に二つ桜餅が乗っていた。皿を挟んだ向こう側に櫻井さんが座った。


「合図は狐子、頼むね」


「腕が鳴るね。今日の身体能力がどれくらいか分からないけれど」


 本当に相撲をするらしいが、部長も樋口先輩も着替えていなかった。ここは校庭で地面は間違いなく土、汚れることは間違いない。


「ホントにやるんだ……」


 櫻井さんが引いていた。俺も桜餅を食べながら、部員の大半が二人の相撲騒ぎをからかい、冷やかしの声を上げているのを眺めた。


 見ていないのは、ハッカーの先輩ぐらいだった。彼はノートパソコンのキーボードを叩いていた。


「と言うか部長、スカートのままで良いのかな? 私が勝ったときには無事には済まないと思うのだけど」


「負けないから大丈夫ですーっ! 巨乳なんかに負けるもんですかっての」


「……そうかい。……負ける負けないに関わらず私の掴み所によっては……ふふふ」


 部長の巨乳に対する敵愾心が高い。そのせいで多分樋口先輩の後半の発言を聞いていない。


「桜餅、美味しいね」


「そうだね、久し振りに食べたけど」


 呑気に餅を食べ始めた櫻井さん。平然としているけれどこの餅誰が持ってきたんだろ?


「これさ金田先輩が買ってきたらしいんだよね」


 そうなんだ。


 目線を相撲の方に戻す。


 嫌な予感がする。主に樋口先輩のまさしくあの悪そうな奴が浮かべる笑顔に。


「じゃあ用意は良い? はっけよーい、のこった」


 樋口先輩は下から掬い上げるように腕を振る。部長がぼそりと一言呟き樋口の腕を払って引き倒したと同時にかなり強い風が吹き抜けた。落ちていた桜の花弁が舞い上がり腰の辺りの高さまで視界を塞いだ。


 ────っ!?


 樋口先輩、勝負捨ててスカート捲りに行ったのか……!!?


「どうよっ!!」


「くっ、スカート捲りが舞い上がった花びらに防がれて見えないとは……くっ……」


 部長に転がされ悔しそうに歯噛みする樋口先輩。勝った部長が満足げに見下ろしていた。


 位置が良かったのか桜色のがよく見えた。


 俺は頭上の桜を見上げる。隣からの視線から逃げるように。


「……じーっ」


 うん。櫻井さん? 何も見えなかったってことでここは一つ。

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