伊藤 真由(15)
2-①
『夏休みの最後の思い出にちょっとした探検をしよう』
……そう言いだしたのは健児だった。
中学最後の夏休み、私達四人は近くの山にある廃墟にやってきた。その廃墟は、田んぼや畑ばっかりの田舎には不釣り合いな
もう何年……いや、何十年も手入れされていないであろう建物の壁は、伸び放題になった緑色の蔦に覆われている。その姿は、まるで得体の知れない緑色の怪物が建物を呑み込もうとしているかのようだ。
じいちゃんが言うには、じいちゃんが二十歳くらいの頃に建てられた建物らしい。
どんな人達が住んでいたのか、どうしてこんな片田舎の
なので、私達の間ではこの洋館について『家の主人が家族や使用人を惨殺したあと自殺したらしい』とか、『気の狂った科学者が村の子供を
ちょっとした肝試しに、どこか浮かれているクラスメイトの健児や亮太、由佳の三人と違って、私は
……私には三つ歳の離れた姉がいる。いや……いたと言うべきか。
四年前のあの日……お姉ちゃんと私は、目の前の三人のように、ちょっとした冒険のつもりでこの洋館に入り、そして……お姉ちゃんはいなくなった。
警察や村の人達が総出でお姉ちゃんを探したけれど、結局は手掛かり一つ見つからないまま捜索は打ち切られてしまった。
あの日……あの館で何があったのか、私はほとんど覚えていない。ただ、とても恐い思いをしたという漠然とした記憶だけが、私の脳内にこびりついている。
お姉ちゃんは今でもあの屋敷にいる…そんな気がして何度もここに来ようとしたが、無惨に変わり果てたお姉ちゃんを見つけてしまうかもしれないという、恐怖に駆られて、結局は遠くからこの館を眺めているだけだった。
そんな私が、再びこの場所に足を運ぶ気になったのは、健児と亮太がここの近くで見たという子供の幽霊(?)の特徴がお姉ちゃんにそっくりだったので、もしかしたらという気持ちが抑え切れなくなったのだ。
「ねぇ……大丈夫? 手、震えてるよ?」
由佳が不安気に声をかけてきた。
私は自分の手を見た、小刻みに震えていた。
「大丈夫だって、俺達が見たのが幽霊だったとしても、こんな真っ昼間から出やしないって」
「そうそう、それにこんな立派な家なんだぜ、もしかしたらすっげーお宝とかあったりして」
そう言うと、健児と亮太は扉を開けて館の中へと入って行った。
「私達も行こ?」
由佳に促され、私と由佳も健児達の後に続いて洋館に足を踏み入れた。
2-②
おかしい……この洋館は何か変だ。上手く言えないけど、強いて言うなら……空気感だろうか。
過疎化著しいこの村には、持ち主のいなくなった廃屋がどんどん増えている。そういった廃屋を探検するのは、この村の子供なら大抵やった事のある遊びだ。
廃屋というものには、どこか独特の……そう、建物の内側にいるのに外側にいるような、独特の空気感が漂っているものだ。
だけどこの館の中の空気は……他人が生活している家に勝手に忍び込んだような居心地の悪さを感じさせる。
私は、屋敷を探索しながら、あの日の記憶の糸を手繰り寄せようとしたが、上手くいかなかった。再びこの館に足を踏み入れた今なお、あの日の記憶は霧に包まれたままだ。
私と由佳は『L』字形をしている館の、Lの縦棒の頂点に当たる、一階の廊下の突き当たりの部屋に入ってみた。
やっぱり……違う気がする。記憶はかなり曖昧だし、そんなことあるはずないのだけれど、建物の構造自体が以前来た時と根本的に違っている気がしてならない。四年前に足を踏み入れたのは本当にこの館なのか…?
そんな私の不可解な疑念は、突如として隣の部屋から聞こえて来た叫びによって断ち切られた。
今のは、隣の部屋を探索していた亮太の声だ。私達が慌てて部屋を出ると、隣の部屋のドアの前で、亮太が青い顔をして震えていた。由佳が亮太に声をかけた。
「ど、どうしたの!? 今の声は!?」
「……えた」
「えっ?」
「健児が……消えた」
亮太が絞り出した言葉を聞いて、私は戦慄したが、由佳は冗談だと思っているようだ。
「はぁ!? あんた何言ってんの!? けんが消えた?」
「この部屋に入った瞬間に健児がパッと消えちまったんだよ!! ホントなんだって由佳!!」
「あー、ハイハイ。どうせ二人で私達を怖がらせようとしてるんでしょ?」
「そんなんじゃないって!!」
「またまた〜」
由佳と亮太に続いて、私は『健児が消えた』という部屋に足を踏み入れた。窓に長いカーテンがかけられ、薄暗い部屋の中は、家具や調度品の類がほとんど無く、がらんとしている。
「バレバレだよー、カーテン膨らんでるじゃん」
部屋を見回していた由佳がクスリと笑った。
確かに、カーテンの後ろが不自然に膨らんでいる。由佳がカーテンに近付き、端をめくった。
次の瞬間、亮太と由佳が悲鳴を上げた。
……カーテンの後ろにいたのは、私と同じくらいの背丈の、顔の無い少女だった。
私達三人は転がるように部屋の外に出ると、出口目掛けて一目散に走り出した。背後からぺたり……ぺたり……と、裸足で床を歩くような音が近づいて来る。
「りょう! な、何なのよあれ!?」
「知るかよ!! はぁ……行き止まり!?」
目の前に壁が現れた。何処かで道を間違えたのか……いや『L』字形の建物で迷うなんて事があり得るのか?
「りょう! 階段、左に階段があるよ!!」
「上れ!! 止まるな!!」
私達は迫り来る足音から逃げるように、一心不乱に階段を上った。しばらく階段を上り続けて、足音が聞こえなくなったのを確認すると、私達は階段の側の部屋に転がり込み、扉を閉めて内鍵をかけた。
私達が転がり込んだのは、どうやら物置のようだ。埃っぽい部屋の中には補修用なのか、角材や工具、脚立などが置かれている。
床に座り込んで息を整える。
「はぁ……はぁ……クソッ、何だよアイツ……由佳? おい由佳!?」
由佳の様子がおかしい。亮太がそっと由佳の肩に手を置くと、膝を抱えてブルブルと震えていた由佳が今にも消え入りそうな声で言った。
「ねぇりょう……ここって何階?」
「あぁ? 逃げるのに必死だったからそんなの数えてねーよ……多分、四階か五階くらいじゃねぇか?」
それを聞いて由佳が発した言葉に、私達は凍り付いた。
「ここ……二階建てだったよね?」
ああ……そうだ。この洋館は二階建てだった。でも……だったら、今私達がいるここは一体……?
「な……それは……」
……ぺたり……
亮太が何か言おうとしたのを遮るように、あの足音が聞こえてきた。
……ぺたりぺたり……ぺたりぺたり……ぺたりぺたり……
足音はどんどん近づいて来る。
……ぺたりぺたり……ぺたりぺたり……ぺた…
私達の部屋の前で足音が止んだ。あいつは……私達の部屋の前にいる。私達は息を潜めて、足音が通り過ぎるのをジッと待った。
そのままの状態がどれくらい続いたのか、おそらく10分近く息を潜めていたが、扉の向こうはしんと静まり返っている。
「もう……行っちまったのか?」
亮太が聞き耳を立てようと、扉にそろりと近付き、耳を当てようとしたその時、
“どぉんっっ!!”
「わぁっ!?」
亮太が慌てて扉から離れた。扉に何かがぶつかった。あいつは……まだ扉の向こう側にいる。
“どぉんっっ!! どぉんっっ!!”
奴が体当たりを繰り返す度に、扉がみしみしと
“どぉんっっ!! どぉんっっ!! どぉんっっ……ばきっ!!」
とうとう鍵が破壊された。きいっという嫌な音を立てて扉が開き、顔の無い少女がゆっくりと部屋の中に侵入してきた。
「クソッ……殺ってやる……殺ってやるよ!!」
亮太が床に転がっていた1m程の長さの角材を拾い、獣のような叫びを上げて、顔の無い少女に殴りかかった。
……どうしてそうしたのか自分でも分からない。考えるより先に、私は両手を広げて少女を
こめかみを角材で殴られ、私は床に倒れ込んだ。
「オイ……何……してんだよ…………何してんだよぉぉぉぉぉ!?」
亮太が泣きそうな声を出した。何でこんな事をしたのか、自分でもよく分からない。
「ひっ!? どうしようりょう、血が……頭からいっぱい血が出てるよ!?」
「う、うるせえ!! お前が……お前が悪いんだからな!!」
「ちょっ、りょう!?」
ぼんやりしてきた視界の端で、亮太が由佳の手を引っ張って部屋を出て行くのが見えた。
ああ……私もお姉ちゃんの所へ行くのかな……鈍ってゆく思考の中でそんな事を考えていると、不意に私の目の前に一本の手が差し出された。それは、顔の無い少女の手だった。
……不思議と恐怖は感じなかった。そして、差し伸べられた手を握った時、私は…さっき自分が思わず取った行動の意味を知った。
「…お……姉……ちゃ…ん」
あの日、この館の記憶と一緒に無くしてしまっていた声が四年振りに出てきた。ああ……この手の感触は……間違い無い、私のお姉ちゃんだ。
お姉ちゃんが私に肩を貸して立たせてくれた。私をどこかに連れて行こうとしているようだ。
「待ってお姉ちゃん、友達が……まだ!!」
お姉ちゃんは首を横に振った。次の瞬間、下の階から亮太と由佳の、およそ人間のものとは思えないような凄まじい悲鳴が聞こえてきた。それは亮太と由佳の安否を確かめようとする気持ちを消し去ってしまうのに充分だった。
朦朧とする意識の中、お姉ちゃんに肩を借りて私はひたすらに歩き続けた。頭の中の記憶のピースが急速に埋まってゆく。
そうだ……四年前のあの日もこうやってこの廊下を通った。それで次の角を曲がると……ああ、やっぱりそうだ。廊下が二股に分かれている。確か右は行き止まりだったはずだ。あの時もこうやって二人で逃げて……
逃げて……逃げて? 一体何から?
その時、背後からあのぺたり……ぺたり……という足音が聞こえてきた。お姉ちゃんが早足になる。言葉は無くても分かる。お姉ちゃんは『急げ』と言っている。私は必死で足を動かし、館の屋上に辿り着いた。
「ここは……?」
見上げると、不気味な赤黒い空がどこまでも広がっている。お姉ちゃんは私を屋上の端に連れてきて、下を指差した。
「あれは……?」
覗き込むと、空間にぽっかりと穴のようなものが開いている。良く見ると穴は徐々に小さくなっているようだ。
「もしかして……あの穴が出口なの……?」
私の問いにお姉ちゃんが頷いた。あの足音がどんどん近付いてくる。
「お姉ちゃん!! 一緒に逃げよう!!」
だが、お姉ちゃんは悲しげに首を横に振った。
「そんな、どうし……」
“どんっ”
私はお姉ちゃんに突き飛ばされて、空間に開いた穴に落ちた。
深い深い穴を落下しながら私は必死にお姉ちゃんと叫んだが、その声が届くことは無く、いつしか私は気を失い、再び目を覚ました時、私はあの洋館の前でうつ伏せに倒れていた。
視界がぼんやりし、頭がズキリと痛む。顔を上げると誰かが私の前に立っていた。
「……健……児……?」
健児が私を見下ろしていた。しばらくして、無表情に私を見下ろしていた健児が、おもむろに口を開いた。
「……ぬ3日ね#%魚しツAa」
……失われていた記憶の、最後のピースが埋まった。
あの時、私達が逃げていたのは………コイツからだ。
……再び屋敷に引き摺り込まれながら、私の意識は深く、赤黒い闇に呑まれていった。
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