第22話 演劇部の幽霊部員
僕たちは取り急ぎ図書室の隣の空き室に移動すると、仙川さんに改めて話の続きを促した。
「それで、さっき『君たち』といったけれど、つまり協力してほしい相手の中に私も入っているということなの?」
「いかにも。日野崎さんに聞いたところでは、先の件では星原さんの観察力が大いに解決に役立ったそうじゃないか。是非その能力を見込んでお願いしたいんだ」
星原は露骨に面倒くさそうな表情になる。
「タダでとは言わないでしょうね。報酬は?」
「君は聞いたところだと結構な甘党なんだそうだね。シーキューブの焼きティラミスの詰め合わせでどうかな?」
「よかろう。その話乗った」
彼女は一転、目を輝かせて快諾する。
「待ってくれ。そもそも何の協力をするのかも聞いていない。引き受けるかどうかはその後に判断させてもらえないかな?」
どんな厄介ごとかもわからないのに、甘いもののこととなると星原は判断力が宇宙の彼方までふっ飛んでいくのだろうか。
仙川さんは「ああ、そのことなんだけどね」と前置きをして、こう切り出した。
「うちの幽霊部員を探してほしいんだ」
仙川さんの話では、演劇部につい先月から新入部員が入ってきたらしい。「らしい」というのは彼女自身もその部員の姿を見たことがないからである。
そもそもの始まりはある日、部長の烏山美晴さんから「今月からサトウくんっていう新入部員が入ったからよろしくね」という話が彼女にあったことだった。だが彼は家の手伝いをしていて忙しく、毎日の部活参加はできないのだそうだ。
実際その日の部活にはその新入部員「サトウ ススム」という名前の彼は顔を出さなかった。いや、その日だけではなく次の日も、その次の日も。
仙川さんは「実質幽霊部員ではないか、やる気がないのか」と思っていたのだが、そんな見方を改めるきっかけになる出来事が起きる。衣装係の話では「仕上がりに三週間はかかる」と言われていた彼女の衣装が数日後に出来上がっていたのだ。彼女が「どうやって仕上げたのか」と二年生の部員の一人に訊くと「あの新入部員がなんとかしてくれた」と答えが返ってきた。
その後も大道具や背景の準備などで同じようなことが起こり、どうもその新入部員の彼は演劇には興味はあるが、表には出たがらず裏方としてみんなを支えることにやりがいを見出している人間らしいということが判ってきた。
しかし彼女が部活に出るときには、いつもその「顔もわからないサトウくん」は、家の手伝いなどで部活を休んでいる。他の部員に尋ねると「仙川さんが帰った後で顔を出した」「仙川さんが予備校で部活を休んでいるときに部活に来ている」という返事で、どういうわけか他の部員の前には姿を現すが自分の前には全く現れない。
他の部員によると生真面目で一生懸命な好人物のようだが、自分とは一度も顔を合わせないばかりか挨拶もない。
ちょっと冷たいのではないかと思っていると演劇部で使用している連絡アプリのグループに登録されているアカウントからメッセージが届いた。差出人はそのサトウくんだった。
メッセージの内容はこうだった。
『はじめまして。いまだに直接お会いできず、こうしてメールでしか挨拶をできないご無礼をどうかお許しください。仙川先輩の演技を以前拝見して、とても感動しました。役柄に真剣に向き合い、舞台の上に見たこともない景色を作り上げて別世界に連れていってくれるようなそんな思いになりました』
『実は僕が演劇部に入部したのもそんな先輩の役に立てたらと思ってのことなのです。僕の作った衣装が先輩の演技を少しでも輝かせることができたらこれに勝る喜びはありません。家庭の事情で忙しいので部活で顔を合わせることはできませんが、陰ながら応援しています。 佐藤 進』
仙川さんはその文面に胸が温まるような気持ちになった。
それから、仙川さんは佐藤くんとメッセージのやり取りをするようになり、気持ちを通わせていく。しかし、こうなると彼女の中にどうしても一つの思いが募ってくる。
彼に会ってみたい。実際に会って話してみたい。
ある時、仙川さんは意を決して自分から切り出した。
『あなたのことが気になっています。一度、あなたに会っていろいろ話がしたい』
彼女にとっては勇気を振り絞って相手に一歩踏み出した一種の告白のつもりであったが、それ以後彼からは何の返事も来なくなってしまった。
数日たって、部長の烏山さんに彼女は尋ねてみる。あの新入部員の彼に最近変わったことはなかったか、と。
しかし返ってきた返事は予想外のものだった。『彼なら一身上の都合で部活を辞めてしまった』とそう答えたのだ。
自分の告白が原因なのだろうか。だとしても何も辞めることはないはずだ。自分と彼は部活では顔を合わせないし、自分の気持ちが迷惑ならそういえばいいだろうに。
せめて一度直接会ってどういうことなのか確かめたい。
そう思った彼女は彼が所属している一年C組を訪れた。だがそこでクラスの人間を一人捕まえて話しかけたところ、またも意外な反応が返ってくる。
「うちのクラスにはそんな名前の人間はいませんよ」
転校してしまったのかと思ったが、話を聞く限り入学当時からそういう名前の人は聞いたことがないという。
訳が分からなくなった彼女は部長の烏山さんに尋ねた。
「先日辞めてしまった佐藤くんは、そもそも一年のクラスにもいなかったということなんだけれど、本当にうちの生徒だったのか?」
だが烏山さんも要領を得ない様子で、もごもごとその詰問にこう答えるだけだった。
「私も入部届を受け取っただけで、本当に在籍しているかなんて確認していないもの。……もう辞めてしまった人なんだし、気にしても仕方がないんじゃあない?」
仙川さんとしては納得いかなかったが、それ以上聞き出そうとしてもまともな答えは得られなかった。
だが、彼は本当に何処から来て何処へ行ってしまったのか。
もやもやとした疑問と苦悩が彼女の胸の中に渦巻いていたのだった。
「つまり、協力してほしいというのはその佐藤くんという幽霊部員の正体を突き止めて所在を明らかにしてほしい、とこういう事ね」
「うん。正直キツネにつままれたような気分でね。他の部員に訊いても、あれだけ彼のことを評価していたのに何処に住んでいるかも碌に聞いてなかったみたいで」
仙川さんは悩まし気に髪をかき上げながらため息をついた。
「その佐藤くんは一応一年C組の生徒ということだったんだよね。他に一年C組に所属している部員はいなかったのかな?」
「……いなかった」
「じゃあ、彼の写真とか誰か撮っている人は?」
「それも聞いてみたけど誰もいないんだ」
「学校の先生には訊いてみた? 一年C組の担任とか……」
「訊いたけど、やっぱりそんな生徒は知らないって」
僕の質問に仙川さんはただただ首を横に振るだけだった。
「わかった。兎に角できるだけのことはしてみるよ」
「ありがとう。君たちだけが頼りなんだ。お願いするよ」
誰かに頼りたくても、同じ演劇部の部員たちは何も答えてくれず、先生も相手にしてくれない。仙川さんは内心かなり追い込まれていたのだろう。
深々と頭を下げて、彼女は部屋を後にした。
仙川さんが去って、部屋には静寂が降り落ちる。残された僕ら二人は思わず顔を見合わせた。
隣の星原が眉をひそめつつ僕に尋ねる。
「どう思う? 幽霊部員が本物の幽霊みたいに消えちゃうなんて質の悪い冗談みたいな話だけれど」
「これで、佐藤くんとやらが実は何年も前に事故か何かで亡くなった生徒だったりなんかしたら『そっちの幽霊部員だったのか』って話だけど。しかし今まで他人の厄介ごとを引き受けたことは何度かあったが、消えた部員の行方を探せとはね。超常現象ドラマの主人公みたいだな、僕たち」
「月ノ下くん。あなた疲れてるのよ」
星原が肩をすくめながら冗句を口走った。
「でも、いくつか気になるところはある」
「ほう?」
「一つは、佐藤進という名前。『佐藤』という苗字もそうなんだけど、『進』という名前も結構多い。どちらも日本で普通に生活していれば、何度か遭遇する名前だわ」
「確かに僕も小学校の時にも中学校の時にも『佐藤』という名前は学年に三人くらいはいたな。『進』という名前は小学校の時に一回見かけたくらいだけど」
「つまり、何となくだけど匿名性が高い雰囲気じゃない? なるべく印象に残らないようにしている。そんな意図があるような」
「英語圏で言ったらニューヨーク在住のジョン・スミスみたいなものだな。つまり、誰かが作った名前かもしれないってことか」
彼女は眉をしかめながら頷いた。
「ちょっと穿ちすぎかもしれないけれど」
「……今の時点では何とも言えないな。他には?」
「二つ目はその佐藤くんとやらの存在を直接証明するものが今のところないということ」
星原は指を二本立てながら説明を続ける。
「仙川さん本人は一度も見ていない。うちの学校に在籍していた形跡もない。写真もない。ただ、演劇部の部員の人たちが『新入部員が入ってきた』『衣装作りに貢献してくれた』と証言しているけれど、それだけ」
「でも仙川さんは連絡アプリのメッセージのやり取りはしているんだよな」
「そう。つまり最低でも彼女とやり取りをしていた何者かは確実に存在していたことになる」
星原の言いぶりだと外部から入り込んだ「誰か」が部員に成りすますために佐藤と名乗っていたようにも思える。
「でももし佐藤進という人間が実在していたと仮定すると、その彼は『学校にはいない外部の人間』なのに仙川さんに憧れて演劇部に入部して、そのくせ姿を一切彼女には見せず、やり取りだけをしていて唐突に姿を消したことになる。……意味不明だな。まあ実は仙川さんの昔の知り合いか何かで、どうしても彼女に顔を見せられない因縁か何かがあったりしてな。それで、彼女に急に会いたいと言われて困ってしまって連絡を絶ったとか」
「ははあ。生き別れになった家族とか? ドラマならありそうな筋書きだけど。何にせよ他の部員たちに話を聞かないとこれ以上はわからないわね」
「それじゃあ、僕が明日から聞きこみをしてくるとするかな」
「大丈夫? 仙川さんが訊いてもあまり要領を得ない答えしか返ってこないのに、外部の人間に教えてくれるものなのかしら」
「そこは、日野崎にも協力してもらおうかと思っている。あいつは前に演劇部の手伝いやっているから上手くつないでもらえるかもしれない」
「そう。じゃあ、佐藤くんの話のほかに仙川さん自身の評価とか印象についても聞いてもらえる?」
「仙川さんのことも?」
彼女は額に指をあてて考え込むような仕草をしてみせる。
「ええ。仙川さんの前に狙ったように姿を現さないというのが引っかかるの。彼女が演劇部の中でどういう立ち位置なのか。尊敬されているのか、敬遠されているのか。好かれているのか、疎まれているのか。そこが案外手掛かりになるんじゃあないかって」
「わかった。そのあたりのことも聞いておくよ」
「そう。それじゃあ、すっかり横道にそれちゃったけど、今日の分のノルマを進めるとしましょうか」
彼女は数学の参考書を開きながら、僕を見やった。
ああ、そうだ。すっかり忘れかけていたが、勉強会をするために僕と星原は今日ここに来たのだった。
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