ドリムリーパー

博元 裕央

・第一話「起夢」

 ふと気がつくと、そこは学校だった。


 ここに来る直前、遅刻する、遅刻した、という焦燥感があったことを思い出した。


 俺は慌てて走った。教室にいかなければ、教室に行かなければと。


 だが、学校はとんでもなく大きく、広く、複雑だった。


 のっぺりした無機質な床と壁。ひどくがらんとした、もう授業が始まっているせいで人気の無い廊下。安っぽい金属で作られた銀色の水呑場の隣を通りすぎる。見つからない。見つからない。教室はどこだ。


 古くさくて少し嫌な感じのするトイレの隣を駆け抜ける。見つからない。見つからない。教室はどこだ。


 遅刻だ。遅刻だ。ああ、怒られる、怒られる。


 階段を走る。階段を上る。階段を降りる。


 上っても降りても果てがない。まずい、という認識だけが蠢く。


 遅刻だ。遅刻だ。ああ、怒られる、怒られる。


 気分が悪くなってきた。


 もう、走れない。


 踊り場で膝をついた。ぜえぜえと息を吐いて、顔をあげたら。


 灰色の渦巻きが見えた。


 灰色の渦巻き、としか言い様の無いものが、浮かんでいたのか、空間自体がそのような感じに歪んでいるのか。


 よくわからない。だが、それを見た瞬間、重い風邪にかかったような嫌悪感と寒気を覚えた。


 灰色の螺旋が近づいてくる。


 もうだめだ。


 そう思った時。


「何してるの。貴方、そもそも、もう学校は卒業したじゃない」


 急にそう言われた。思い出す。そうだ。そういえば俺はもう大人なんだった。もう、学校にストレスを感じることは無いのだ。


 そうだ。今は夢だったのだ。


 そう理解した後ははっとして声のした方を見た。


 そこには、夢としか言い様の無い美しい人がいた。夢を見ている時、認識が漠然として上手く説明できない事がある。あの灰色の渦巻きが灰色の渦巻きとしか説明できないのと同じだ。


 それと同じように、詳細を上手く説明できないが。


 長身の、麗しくも優しい女性のようだった。肌の色は、白いが血色は良かったように思う。特徴的なのが髪の毛と瞳で。七色をしていた。シャボン玉のような、ある種の特殊な金属のような、油膜のような、オパールのような、水銀のような……水銀は七色じゃないのにそんなイメージも沸いた……そんな色をしていた。髪型については、一瞬一瞬で変わり続けているようだった。


 そして、服装については、もっと説明しづらかった。


 強いて言えば、時計を着ていた。どういう事かもっとしっかり描写しろと思うかもしれないが、そうとしか言いようがなかった。スイス時計の中身のようなシャンパンゴールドの全身鎧だ、とも思った。歯車やバネやゼンマイや文字盤や針で飾られたフード付マントだ、とも思った。デジタルで液晶なボディスーツだ、とも思った。革製ベルトで文字盤が掌程もある大きな女性用時計を、何本も水着か何かのように体に絡めて着ている、とも思った。


 どれが本当だったのか、どれも本当なのか、今でもわからない。つまり俺はこの後夢から起きるのだが、今はまだ夢の中だ。


 今一瞬未来を知った気もしたが、兎も角。


「昔はもう少し分かりやすい格好をしていたんだけどね」


 彼女はそう言った。何故か思っていることが分かったらしい。何となく、そうだった、と思った。なぜだろう。


「それはそうよ。私と出会ったのは別にこれがはじめてというわけでもないし、たぶん最後でもないんだから」


 え?


「覚えてない夢なんて、山ほどあるでしょう?その中であってるのよ?今回の夢を、貴方が覚えて起きるかどうかは分からないけど」


 な、なるほど。


 って、そういえば灰色の渦巻きはどうした!?


 ……彼女の足元に、割れた皿みたいになって積み上がっていた。いつのまに、とは思うが、夢で唐突に情景が切り替わるのはよくあることだ。


「こいつは、貴方のお母さんが子供の頃、風邪を引く度に見ていた夢ね。貴方も疲れてたみたいだから、貴方の夢にも出てこようとした。まあ、私がそうはさせなかったけどね」


 ……そういえば大昔に母が、子供の頃の自分にそんな事を言っていた気がする。


「このまま起きてもいいけど、それじゃあいい眠りじゃないわね」


 俺がそう思っている間に彼女はそう言うと、パチリ、と指を鳴らした。


 すると、学校が一変した。薄曇りの昼から、望んで残って活動している生徒が大勢いる明かりのついた夜に。無機質なコンクリートから、ファンタジックで古い名作アニメに出てくる学校のような木造に。


 わっと生徒が溢れた。とんとんと槌音。ぎこぎこと鋸音。活気ある相談声。試作された料理が焼ける音と香り。あるものはもう出来て立て掛けられ、あるものは床に置かれて塗られる看板。壁にかけられる模造紙にフェルトペンで文字の書かれた様々な掲示物、写真パネル、轟くように聞こえる軽音楽、奇妙な格好で廊下を、この時は許されて走り回る生徒達。


「学園祭だ!」

「その準備中ね。そろそろ終わって、もう少しで始まる」

「まだ前夜なのにかい?」


 前夜祭ってのもあるじゃない。尤も、ここではそのまま本番に移行するけど。でもこれは、夢の中だからね。

 何を論理的になろうとしているの。夢はいつだって、いい意味でも悪い意味でも非論理的なんだから。


「おおっ、始まった始まった!」


 お祭りは準備中が一番、そういう人がいるのは、人間、人生はいつだって未完だからよ。昨日の準備を続ける今があり、そして明日がある。


「何っ、図書室が今日だけは持ち寄りの漫画で一杯の古本屋になってるだって!?そりゃ見に行かなきゃ!」


 けれど、夢は覚める。祭りは終わる。けれど、それでも続く限り人生はいつだって未完なのよ。夢を見ない眠りは、知覚できないから。


「おお!俺はこういう、少し昔、大昔じゃなくあくまで少し昔の漫画が大好きなんだ!そういうのが雑然としてる通販サイトとはまた違う本棚の迷宮の中を探り歩くような古本屋のこの雰囲気も!本棚が背伸びして天井まで一杯じゃないか!おおあれもあるこれもある!昔立ち読みしたっきりのあいつも!結局買わなかったけどやっぱり欲しかったがその後タイトルが思い出せず変えずじまいで後悔したこいつも!単行本になってない筈のこいつも!間違いなく一度も見たことが無いはずなのに何故か凄く懐かしいそいつまで!」


 何度でも夢を見ればいい。そしてもう一度祭りをすればいいのよ。


「ああっ!目、目が覚めるーーーっ!?せ、せめて一冊だけでも読ませてくれー!?こ、この夢また見たい!この続き!また!見たーーーーいっ!!?」


 あの元気なら、起きても大丈夫ね。


 おはよう。そして、十数時間くらいたったら、またおかえりなさい。


「ところで、貴方の名前は」


 私はドリムリーパー。ドリーム跳ね渡りリープ終わりを齎す者グリムリーパー夢の死神ドリムリーパー

 ドリーム・リープ・グリムリーパー。ドリムリーパーよ。

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