夏の風

「おい、てめぇ。

喧嘩売ってるのかよ」


 私は彼女の粗野な言葉遣いに目を丸くした。

 おやおや、私の姿が見える稀有な人間の少女がこんなにも荒々しく、野蛮な少女だとは、驚きだ。


『どうして?』


 私が訪ねれば、彼女は汗の滲んだTシャツの肩を乱暴に捲り上げて、


「風の癖に熱いんだよ。

もっと冷たい風になれないのか」


 と、顔を顰めて零した。

 そう言われてもな……。

 確かに、今年のあるじは例年よりも暑い。

 熱中症患者数も伸び、ばったばった人間が倒れてはあちこちの地域でニュースになっている。


 ……実は、私は今年の夏がこんなことになった原因を知っている。

 我があるじは、何世紀にも渡って想いを寄せていた春風の王女に失恋してしまったのだ。

 彼女はあろうことか、冬と恋に落ち、今年の梅雨頃に婚姻を結んだ。

 お互いに忙しい時期を終え、結婚式を早々に終わらせると南の島にハネムーンへ。


 長年の片恋に破れ、浮ついた心で夏だ、海だ、夏祭りだ! と浮かれる人間を見て

 あるじはブチ切れた。


『ちくしょおおお!

人間め、あてつけやがって!

何が海だ、何がBBQだ!くっだらねええ!

よっしゃ、今年の夏はうんと暑くしてやる。

浮かれやがって! あてつけやがって!

許してやらないからな!』


 別に人間たちはあるじが失恋したことなんて知るわけないのに。

 その場にいた全員がきっとそう思っていたけど、そんなことを素直に口に出来るほど怖いもの知らずじゃない。


 ……と、話が逸れてしまった。


 私は気を取り直して、目の前にいる気難しい顔をしている少女に向き直ると、


『昔の人は、よく打ち水をしていたよ』

 

 と、今時の若い子は関心が無いだろうなと思う解決方法を提示したが、案の定、


「昔と今を一緒にしてもらっては困るぜ。今、この日本の夏はなんだ。焼け石に水なんだよ。湿度が上がってさらに暑くなっちまう。さっき、スーパーの室外機の目の前を通ったら一気に汗が噴出した。そこにやってきたお前! 熱風! 暑すぎるから今すぐ冬のあの寒い風を連れてきてくれ。そしてあんたは真冬の空の下で会おう」


『……あ』


 彼女は言いたいことをむきになって捲くし立てると、急にばったりと倒れた。


『どうしたの、ねえ』


「……うるせぇ、お前のせいだばぁか……」


 彼女は地面に顔をつけて悪態をついた。


『死んじゃうのかい』


「……そうなったら、あんたは殺人犯だな」


『私は人間じゃないし、人間の法の範囲内にはいないから関係ないね』


「そういうとこだけ冷たいのな」


『……あれ、ねえ、寝ちゃった? 大丈夫、ねえ?』



 あの後、彼女は本当に気を失ってしまって、どうにもこうにも……。

 仕方ないからとりあえず家まで送り届けたけれど、きっと彼女も今流行の熱中症だ。


 彼女はいずれ目を覚ます。

 そして私のことを思い出し、怒り狂う。

 

 きっと嫌われているけれど、私は何百年ぶりに人間と言葉を交わすことが出来たから、そんな彼女のことを嫌いにはなれない。

 粗野な言葉で突っかかってこられるのだって、なかなかいいじゃないか。


 せいぜい、クーラーとやらの文明の利器に縋って、再び夏空の下でへばっていなさい。

 また私に喧嘩を吹っかけてくれてもいいから。

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