第43話 ナオちゃんの世界征服
「うわぁ~!」
大きな叫び声を上げたアルは真紀先生の指にかみついた。真紀先生は顔をしかめる。手が緩んだ一瞬のスキをついて、アルは真紀先生の手から死に物狂いで抜け出した。
蟲の足はその後、アルを追いかける素振りも見せず、真紀先生の手のまわりを包み込むように動いていた。
アルが転がるようにアタシの元にかけてくる。
「ヤバい……コイツら本当にヤバいぞ」
アタシの足元で、落ち着きなく手足をバタバタ動かしながら、細かいヒゲを動かした。
どうしたの? 何があったの? アル、取りあえず落ち着いて。
「ワタシたちの食料が減るどころの話じゃない! コイツらが――蟲が世界を征服しようとしている!」
はぁ? 蟲ってあの気持ち悪い姿でそんなコト考えてるの? と言うか、そんなコト考えられるの?
「見えたんだ! 人間の争いの中心で、憎しみいがみ合う人間たちを笑う、強力な赤いオーラをまとった男の姿が! あれは
アルはフサフサの眉毛をつり上げてアタシの上履きをポコポコと叩いた。
そうか! よく考えてみれば、もっとたくさんの蟲が人間に取りついたら、みんないがみ合って戦争とかになっちゃうかも・
ブルルッ…
アタシは両腕を抱きしめて、肩をふるわせた。
真紀先生は唇をかみしめて、アタシの足元のアルをキッとキツくにらみつけた。
「ペットは人間に逆らうな! ガキは教師に歯向かうな! 人間は蟲にあらがうな!」
声がスゴイ波になってアタシの頭の中をかき回す。
これは誰の声? 真紀先生? 蟲?
怖い……スゴく怖い……
何もできないからって、指をくわえて見ているワケにはいかないよね、アル。
アタシたちの世界を蟲に征服されたら困るもん。
アタシの声は届くのかな?ちゃんと真紀先生に聞こえるかな?
「アルはハムスターで小っちゃくて、は虫類キライで力はないけど、頭がいいし、みんなのために世界征服しようとしてる」
ポリポリとアゴをかくアル。半分すけてる蟲の中で、真紀先生は目を丸くして肩をすくめた。
「トーエイはカナブンとかにかじりつくとアゴはずれちゃうくらい弱っちいけど、アタシが困った時は一生懸命助けてくれるんだよ」
自分の顔をペタペタとなでるトーエイ。長いシッポをゆっくりと左右に揺らす。
「鈴木くんは動物園に住んでるけど、誰よりも自由だし、やりたいと思ったコトは何でもやっちゃうんだ」
鈴木くんはお尻をピコピコ、羽をパタパタ振って、クワッとクチバシを大きく開けた。
「茂クンや泉チャン、さくらチャンも、アタシより勉強も運動もできる」
泉チャンの手を引いて教室の入り口でこっちを見る茂クンは、鼻の下を指先でこすった。さくらチャンは二人の後ろで心配そうに顔だけを出していた。
真紀先生は目を細めて大きなため息をはいた。
「それが…何?」
アタシはゴクッて息を飲んで、みんなをグルって見回した。
「アタシは何もできない。だから、みんなアタシを手伝って!」
みんながアタシに向かって握りこぶしを上げてくれる。あっ、鈴木くんは羽だね。
「みんなをバカになんてさせない! 蟲になんて負けない! 真紀先生も蟲になんて負けないで! 学級委員長ガンバるから! アタシが世界を征服するから!」
だって、アルが――みんなが手伝ってくれるもん。一人じゃないもん。
ウウッ……
お面のように固まった顔の真紀先生の口から、小さなうめき声が聞こえた。
カッと見開いた目が、どこか遠くを見つめている。
真紀先生に重なった蟲が、一瞬だけ左右にブレた。
机の端っこで小さな体をすぼめて力をためていたトーエイは、それを見逃さなかった。
思いっきり宙に飛び出して真紀先生に――いや、蟲に張りつく。それを見たアルは、アタシの体をササッとかけ上がり、蟲に張りつくトーエイに飛び移った。
「うううっ、ウロコが気持ち悪い」
白いフサフサの眉毛をピクピク動かすアル。トーエイ苦手なのにガマンしてるんだね。
「鈴木くん、引っぱれ! 蟲を引きはがすぞ!」
アルはトーエイの背中にしがみついたまま、ググッと首を後ろに回した。短いシッポがピコピコ上下に動いている。
「オッス、師匠! 全力で引っ張りますから!」
倒れた机やイスを左右に素早くよけて、真紀先生の隣の机に跳ね上がる鈴木くん。アルの体を赤茶色のクチバシでくわえて、黒い羽を左右に大きく広げた。
「イタッ……もっとだ! イタタッ……ナオ、オマエも手伝え! イタタタッ……」
アルが痛いのをガマンしてガンバってる。真紀先生から早く蟲を引きはがさなきゃ。
「茂クン、みんなも手伝って!」
鈴木くんの羽に両手をのばす。運動苦手だし、力も他の子たちより弱っちいけど、アタシだってやればできる!
教室の入り口から急いでかけつける茂クン。泉チャンとさくらチャンも続く。アタシたちは一列になって力をためて少し腰を落とした。
「みんな、せ~ので引くよ」
アタシがみんなに号令かけちゃった。今までこんなコトしたコトないのに。
みんな、アタシの次の声を待ってる。真紀先生に重なった蟲は、トーエイを引き離そうとバタバタ体をよじっていた。
「せ~のっ!」
みんなで一斉に引っ張る。ためていた力を体中に込めて。引っ張る手に、支える腰に、踏みしめる足に。
「よいしょ、よいしょ!」
みんながアタシの声を追ってくる。
トーエイはみんなに引っ張られて大丈夫なのかな? あんなに小っちゃい体なのに……
「オレっち……四本の足で……百二十キロまで持てるって、どっかの学者がテレビで……グギギギギ……何のこれしき……」
真紀先生は柱のように立ち尽くしていた。クラゲのような蟲だけが、アタシたちが引っぱる力に必死に逆らっていた。
「よいしょ、よいしょ、よいしょ、よいしょ!」
みんな大丈夫かな?
真紀先生大丈夫かな?
「みんな、もうちょっとガンバって! 一気に引くよっ!」
トーエイもアルも、鈴木くんも苦しそう。
ちょっと――もうちょっとだけ持ちこたえて。
「よいしょ、よいしょ、よいしょ、よいしょよいしょ、よいしょ……よいしょっ!」
ズルン……
「うわぁ~、何!?」
引っ張っていたロープが急に切れたみたい。アタシは何が起こったのか分からないまま尻もちをついた。みんなもその場所で尻もちをついてキョロキョロ辺りを見回した。トーエイはアルを背負ったまま、真紀先生から離れた蟲にしがみついていた。
「いただきま~す!」
ズズズズズズ……ズルン!
あっと言う間にトーエイの口に吸い込まれる蟲。
みんなで協力して、あんなにガンバったのに、『やった!蟲がはなれた!』とかないの? さっき、泉チャンについてた蟲も食べたじゃない。
トーエイはカエルのようにお腹をパンパンにして、まだ背中にくっついてるアルと一緒に床にコロンと転がった。
ポカンと大きな口を開けてアルとトーエイを見ていた茂クンと泉チャン、さくらチャン。三人が三人、思わずプッと吹き出して、大きな笑い声を上げた。
アタシもつられて大きな口を開けちゃった。
あれ? 鈴木くんは?
倒れてる真紀先生の顔をのぞき込むようヌゥとクチバシを突き出していた。クリッとした大きな赤い目をかがやかせて、おじぎするようにペコペコと頭を上げ下げする。
「アナタたち……こんな騒ぎ起こしてただで済むと思ってるの?」
真紀先生は右手で押さえた頭をふりながら、スカートのすそを広げて横に座った。
真紀先生って蟲がいなくなってもやっぱり元々怖い先生だったのね。
「真紀先生、ワタシは学級委員の立候補を辞退します」
真紀先生のわきに立ち、座り込む先生に手を差し出す泉チャン。真紀先生は気が抜けたようにフッと小さく息をはいた。
「結果は見なくていいのかしら?」
「辞退しなくても今のナオちゃんならきっと選ばれると思います。面白そうじゃないですか? ナオちゃんの学級委員長って」
泉チャンは真紀先生の手を握って顔いっぱいの笑顔を浮かべた。
鈴木くんがすぐにピョンピョンとアタシの方へ逃げてくる。
「ボクたち逃げますから! あの先生が逃げろって言ってくれましたから。それから、ナオセンパイにアリガトウって」
えっ?
アタシはビックリして真紀先生を振り返った。真紀先生は目にかかる前髪をかき上げながら、こっそりアタシにウインクした。
床に転がったままのアルを、トーエイごとくわえる鈴木くん。黄色い髪を揺らしながらピョンピョンと跳ねる鈴木くんの黒い背中が廊下に消えた。
ドンガラゴンゴン!!
何で逃げるのにこんなに騒がしいんだろう? いったい何の音? まさか……
教室の引き戸に走る。廊下の端っこからスゴイスピードで飛行機のように廊下をすべってくる鈴木くん。
特活室の窓から、クラスのみんなが何事かと顔を出す。
廊下の真ん中に転がるプラスチックのゴミバケツと散らばったゴミ。奥にはワックスの缶が転がっていた。
「ナオ! 学級委員長になったら、次は生徒会長だ!」
廊下の向こうから近づいてくるアルの声。
大丈夫。みんながアタシを助けてくれる。ずっと欲しかった大切な友だちが。
もう、しょぼくれたりしない。逃げたりも、あきらめたりもしない。
今なら胸をはって言えるよ。
「うん、ガンバる!」
目の前を横切る鈴木くんを目で追いかけて手を振った。
茂くんや泉チャン、さくらチャンだけじゃなく、クラスのみんながいっぱいの笑顔で三匹の姿を目で追った。
ホッペをプルプルさせながら目を細めて、鈴木くんの頭にしがみつくアル。
「そして、ゆくゆくは世界を……ノォォォォ~~~~~~~~~~」
鈴木くんはゴミバケツを踏み台に、また窓の外へ飛び出した。
「鈴木くん~~~何で毎回ぃぃ~~~ココから逃げるんだぁぁぁぁぁ~~~~~!」
「ココからがぁ~~~~一番~~~~早いですからぁぁぁぁぁ~~~~~!」
「オレっち……腹が……苦しいのに……落ちるのは…………うっぷ……」
アルと鈴木くん、トーエイの声がだんだん小さくなっていく。
いつの間にか雨は上がり、澄んだ青空が広がっていた。
アタシの返事、ちゃんとアルに届いたかな?
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