第39話・オレンジと共に
マンゲールにちかい町で服を買って着がえると、イザヨイをこの町の墓地に葬るよう金を渡して頼み、アキと暮らしている宮殿へ戻った。
アキの居場所を侍従に聞き、ひとりで広い階段を五階へ上がった。
そこは全体が中世の城の内部のような造りになっている。
教えられたとおりにホールを右へ進んだ。
乳白色と黒のタイルを交互に張りつめた床、紺色で塗られたしっくいの壁、流線型の彫刻がほどこされ金色に塗られた木の柱……。
左手には腰の高さから幅八十センチ、高さがニメートルの窓がニメートル間隔ではまっており、その格子は鉛で縦に一本、横は四本でガラスを区切っている。
それを覆う分厚く真紅のカーテンはベルベットで昼間は開けられ、まとめる金糸の絹のロープの先についたタッセルは光を受けてつやめく。
高い天井もしっくいでネイチュの風景や伝説の人物の物語が遠近法を使って肉筆でいきいきと描かれている。
部屋と部屋の間の扉は開けられ、通るたびに部屋ごと国が変わったような印象をうけた。調度品や美術品もそれぞれの地方の文化にあわせて飾られている。
テレビでみた外国の美術館のようだった。
一番大きな部屋では紅色の壁に、幅がニメートル、高さは三メートルもある若き日の皇帝の着飾った全身像がかけられ、太い金の額縁で権威を誇示しながら見る者を威圧していた。
アキには全く似ていない。
その前を通りすぎ、さらにいくつかの部屋をぬけて突きあたりの広い角部屋につく。
採光は二面あり、ラベンダー色に金のアルマの紋章が小さく縦につらなった壁紙がはられ、風景画や庶民の生活を切り取った絵などが見やすい位置で壁にかかっている。
そこはアキの気に入った美術品のみが飾られる空間で、アキはその入れ替えを楽しむことで、わずらわしいものからいっとき離れ、心を落ち着かせている気がした。
部屋の中央には組木の木目が美しい長さ三メートル弱の細長いテーブルが置かれている。
テーブルの上にはさまざまな果物が銀の大皿にのせられたまま飾られており、アキはそれをナイフで切ってつまんだり、そこで紅茶を飲んだりした。
今はその薄い磁器のセットもなく、立ったままのアキは横顔で、卓上に視線を落とし木目を指でなでている。
入ってきた私を見ようともしない。
どこで何をしていたのかは伝わっているようだった。
「私が統治するシャビエルを望んだためひとりで行く許可を出したのだが、マンゲールへ行っていたとは」
自嘲して首を振った。
果物が盛られた大皿からオレンジを取ると私に体を向けた。
「奴隷都市のひとつ、レジスタンスに壊されたところで他にいくらでもある。今の倍は作ってやる」
豪語してオレンジを片手で弄ぶ。
私は黙っている。
「何が知りたいんだ?」
問いかけたアキの手元を近づけないまま見つめる。
アキは右側の窓に向かってオレンジをかざした。
「母は……。私が十五歳のときに他の皇子たちと戦って七人全員を殺したこと、それが認められ十六歳の誕生日に皇帝のもっとも忠実な兵器である皇太子になったこと、そのふたつを同時に知ると、たえられずに自害した」
他人事(ひとごと)のように話す。
「これでいいか」
オレンジを見せてから元の大皿へもどす。
私はアキの過酷な生い立ちを知り、涙を流した。
「過去のことだ」
アキはテーブルに足を組んでもたれ腕も組んだ。
私はアキがひとりで血を吐くほど苦しんでいることを知っている。
母親の教えに背(そむ)くことで涙ながらに謝っていることも。
あふれるものを止められずにいると、アキが乾いた足音で歩み寄る。
私の濡れた両頬に手をあて強引に顔を上げさせた。
どこまでも冷たい瞳をしたアキの唇が動く。
「お前も前を向くんだ」
=====
……その日の湖は穏やかで、暖かな春の日差しを受け止め、きらめいていた。
岸辺の草地には若い女と幼い少年がならんで座っていた。
黒い髪の少年は不思議そうに女の手元をのぞいた。
「お母さま、これはなんという名前の花ですか?」
「レンゲよ」
女は草花を編みあげて冠をつくる。
「できたわ」
それをとなりに座る少年の頭にのせた。
「どうぞ、皇子さま。六歳のお誕生日おめでとう」
「ありがとう」
「あなたは私の宝物よ、イシュリン」
黒い瞳の女は悲しげに少年を抱きしめた――。
<続く>
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