第2話 種明かし

 いくつもの足音、それから鎧のこすれ合う金属音を聞いた。


 振り向いた。


 小さな金属板を無数に取り付けた鎧の男たちが、部屋の中に入ってきていた。

 男たちの背には旗が翻っていた。

 黒一色の旗に金糸で聖典の文句の刺繍が入っている。

 皇帝スルタン直属軍の証の旗だ。


 中央に立っていた青年が一歩前に出た。


「とうとう尻尾を出したな」


 背の高い美丈夫だった。はっきりとした二重まぶたに高い鼻筋、鼻の下は剃って顎ひげは短く整えている、清潔感のある男性だ。年の頃は二十代半ばほどだろうか。顔立ちは端整で甘いが、たくましい肩や骨張った手は彼が鍛えていることを示していた。


「今度こそ現場を押さえたぞ。貴様が非合法組織怒風組と結託していること、皇帝スルタンの許しなしに他国を侵略しているナハルを支援していること、それから皇帝スルタンへの反逆を企てていること。ここにいる全員が聞いた」


 低い声は通りがよく、部屋の中に響いた。聞きおぼえがある。どこかで聞いたことのある声だ。どこでだろう。


皇帝スルタンサラーフの御名のもと貴様を捕らえる」


 右手を挙げ、「かかれ!」と号令した。

 兵士たちが駆け出した。


 ウスマーンが立ち上がり、動揺した声を上げた。


「皇太子殿下……!」


 ギョクハンとファルザードは、その場で腰を下ろして、顔をしかめた。


 聞いたことのある声だ。


 蜜色に近い金髪、同じく蜜色のひげ、そして何より碧色の瞳――


「待たせたね、ギョクハン、ファルザード。ありがとう、とても助かったよ」


 駆け寄ってきてにこりと微笑むさまはいかにも好青年だが――


「えーっと……」


 周囲の乱闘騒ぎもものとせず、青年が二人のそばにしゃがみ込む。


 青年の後ろからまた別の青年が顔を出した。「いえーい」と言って両手を振るジョルファ人の男は見慣れたジーライルだ。


「あの。まさかとは思いますけど」

「何だい」

「ひょっとして、アズィーズ様ですか」


 ジーライル同様、金髪の青年――皇太子アズィーズが、「いえーい」と手を振った。

 青天の霹靂とはこういうことを言うのだ。

 絶句し、唖然としているギョクハンとファルザードを、アズィーズがまとめて抱き締める。


「危険なことをさせて本当にすまなかったね。だが私も公的権力側の人間である以上堂々と大宰相ワズィールを攻撃することはできなかった。私まで非合法なことをしては今まで積み上げたものを失いかねない。それだけは避けなければならなかったんだ」


 左手でギョクハンの、右手でファルザードの頭を撫でながら、「君たちが無事でよかった」と言う。ジーライルが「本当に、本当に」と笑いながら泣いているふりをして服の袖で目元を拭った。


「皇子様だったとか……」

「嘘でしょ……」

「いやあ、それが、嘘でなく本当で。事実君たちは私の名前を出せば円城の中にも自由に出入りできたし、どこに行っても手厚くもてなされただろう?」

「うへぇ……」

「確かに……」

「信じてくれるかい?」

「まあ……、皇帝スルタン直属軍を動かせる人って言ったら、皇帝スルタンの親族だよな……」

「ひええ……冗談きついでしょ……」


 ジーライルが「満足かーい?」と問いかけてくる。彼は皇太子の密偵だったのだ。


「絨毯商人とかよく言うよ!」

「いや宮殿の絨毯を買い揃える仕事もしてるよ、ほんとほんと」


 アズィーズが呵々かかと笑う


「ジーライルはもとは宮殿にいた奴隷なんだ。私が自由民にして好きな活動をするように言ったんだよ、代わりに私が困った時には手を貸すようにという約束でね。私が堂々と動けない時はジーライルにあれこれ頼んでいる。でもまあ、普段はジョルファ人の仲間とつるんで商売をしているらしい」


 四人がしゃべっているうちに兵士たちはウスマーンの私兵を片づけたようだ。縛り上げられたウスマーンが「小癪こしゃくな」と叫んだ。


「私なしにまともな政治ができると思っているのかこの青二才が! 今まで私がどれだけ帝国に貢献してきたか知らずにこんな真似、恩知らずめ!」


 その叫び声は追い詰められた老人の声だった。

 アズィーズが冷静な声で答える。


「そうだな、貴様が父を補佐してくれたおかげで助かった。私はじっくり自分の支度に時間を費やすことができたよ」

「だったらなぜこのような仕打ちを!?」

「法を破った人間を見過ごしては皇帝スルタンの威信を傷つけるからね。皇帝スルタン自らが率先して法を破ることを推奨していると思われたら、従う人間はどんどん減って、また貴様らのような反逆者を生み出すだろう。周辺諸国にも安全な国だとは思ってもらえないに違いない」


 彼は断言した。


「法とは守るためにあるからね。法を守った人間こそ守られなければならない。法とは最大多数を保護するためにある。そしてこぼれ出た人々を救うために日々更新されていくべきだ。貴様はそれをおこたり、殺人、恐喝、強盗で解決してきた。貴様には法を更新する地位と立場があるのに、しなかった。なぜか? せっかく築き上げた地位を広く一般に意見を募集することで批判を浴びたくなかったからだ。貴様は、怒風組の貴様にとって都合のいいことしか言わない連中と馴れ合うことで、自分の器の大きさを過信して権力に酔っていたわけだ」


 ウスマーンが唸った。


「貴族だろうが貧民だろうが等しく守られる国。それが私の国だ」


 アズィーズの言葉に迷いはない。


「そして私には貴様や父上と違って法が更新されるまでこぼれ出た人々を拾い上げ続ける覚悟がある」


 その碧眼はまっすぐだ。


「どれだけ過去の実績があろうとも、一度悪の道に染まった人間は裁かなければならない」


 やっと、信頼に足る人間に出会えた気がした。


「悪の道、か」


 ケレベクが笑う。


「貴様がいくら正義を気取ろうとも、第二第三の俺が出てきて悪は栄えるぞ」

「私は私を正義だとは思っていないよ」


 アズィーズはなおも堂々としている。


「ただ、十代の少年二人を囲んでなぶり殺そうとする大宰相ワズィールよりはいいやつだと思っている」


 ケレベクはまた、今度は高らかに声を上げて笑った。


 兵士たちが、ウスマーンとケレベク、それからウスマーンの私兵たちを引きずるようにして連れて出ていった。ようやく、場が静かになった。


「――さて」


 アズィーズが、息を吐く。


「行こうか」


 ファルザードがか細い声で「どこへ?」と問いかけた。アズィーズは微笑んだ。


「決まっているじゃないか。父に――皇帝スルタンに会いに行くんだろう? ワルダを救うために」


 ギョクハンとファルザードの顔に笑みが広がった。


「その前にちょっと腹ごしらえかな。ジーライル、近くの食堂を手配しなさい。四人前で」

「はいはーい! と言いたいところですけど、その子たち平気で一人につき二人前くらい食べますよ」

「では十人前ぐらい頼んでおいてくれ。残したら私が食べるよ」




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