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 人の命は決して平等ではないのだと思う。

都会では日常的に繰り返されていたことを思い浮かべよう。見知らぬ誰かがホームから飛び降りて自殺する。都会から視野を広げたとして、ニュースでは毎日のようにどこかで誰かが死んでいた。日本という国でこのありさまなのだ。きっと世界に目を向ければ今この瞬間にも自ら命を絶っている人間や死んでいく人間が多くいるのだと思う。

 そのような、僕の知らない誰かの命を僕の左手の上に、そして祖母の命を僕の右手の上に置いた時、きっと僕は祖母の命の方が重いと感じ取るのだろう。

 だから人の命は決して平等ではない。誰かの命は誰かを通すことで不平等になる。

 命は皆平等。人間を含め、地球上にいる生物すべての命は平等だ。

僕がまだこの町の学校に通っていた時、道徳の授業で先生がそう話していたことを思い出した。

 でも、それはきっと理想であって現実ではない。誰かにとってどうでもいい命と大切な命が必ず存在していて、命の優先順位は確実に存在している。

 祖母の命の重さは果たしてどれほどのものだったのだろうか。御経を聞きながら、祖母の笑った遺影を見つめ、忘れていた祖母の顔を思い出し、そんな事を考える。

 祖母の葬儀には多くの人が足を運んでいた。祖母は以前、小学校の教師をしていたことからこんなにも多くの人が祖母のためにこの場所に来てくれていた。

 仮に僕が死んだとして、葬儀には一体どれくらいの人が来てくれるのだろうか。きっと、葬儀に来てくれる人の数は、その人の命の重さを計る一つの指標になるのだと思う。

 一体僕の命はどれほどの価値があるのだろう。

 僕は夢を叶えることが出来なかった。必死に働いていたつもりだったが、会社から不必要とされ、社会の外に弾かれてしまった。僕の奏でるピアノの音は誰にも必要とされていない。でもピアノしかやってこなかった僕にピアノを弾くこと以外に出来ることなどない。生きている意味すら分からなくなったこの僕の命は一体どれほどの重さなのだろう。

 ふと、視線を横に動かすと母がハンカチで口元を抑えて涙を流す姿が視界に入る。父はそんな母の肩に手を置いて隣にいる。

 母にとって祖母は大切な人だった。先ほどまで僕のことを笑顔で迎え入れてくれた母は今涙を流している。

 そんな母と母の隣にいる父の姿を見ていると、途端に僕は足元から崩れ落ちそうになる。申し訳ないという気持ちと、自身に対する嫌悪感と、過去の自分に対する行き場のない思い。

 黒い服を着た参列者と白い部屋。御経の声と誰かの涙。祖母は写真の中で笑い、母は声を押し殺して泣いている。

 夢は叶わない。人は死ぬ。命は不平等。こんなにも悲しみに満ち溢れた、希望すら持つことの出来ない世界で、一体僕はどうやってこれから新しい希望を抱いて生きて行けばいいのだろう。

 母や父のことを思うと、僕も見知らぬ誰かにとってどうでもいい命になることは出来ない。でも、ピアノを捨てた僕にとって生きて行くことはどうしようもなく難しい。

 誰かに相談しようにも友人なんていない。過去の友人と話をしようにも、連絡手段がない。

 ピアノ以外のすべてを捨ててここまで歩いてきたのだ。今更過去の繋がりに頼ろうとするなど可笑しな話だろう。

 僕は本当に独りなのだなと、参列者や両親を見ながら思う。皆誰かと一緒に居るのに僕だけこうして独りで立っている。

 ここに居ること自体が間違いであるような気がして来てしまう。

 もしもピアノ以外のものにも目を向けていたのならこんなことにはならなかったのだろうか。祖母のことを忘れることなく、時々祖母に会いに行くようにしていたら、祖母から忘れられることはなかったのだろうか。

 後悔ばかりだ。祖母に忘れられようと、かつてあった事、祖母に手を引かれて夏祭りに行ったり、祖母の家に遊びに行ったりしてきたことは無くなったことにはならないのに、どうして僕はあのたった一度切りの出来事で祖母のことを避けるようになってしまったのだろうか。

 祖母は笑っている。声を上げることなく、遺影の中で笑っている。

 ごめんなさい。と、心の中で謝る。僕の声はもう二度と祖母に届くことはないのだろうけれど、それでも僕は心の中で謝らなければならない。何より自分自身に言い聞かせるように、僕は祖母の笑みを見つめながら心の内で何度もごめんなさいを繰り返した。

 目の前が真っ暗になりそうだった。このまま祖母の遺影を見続けていたら、僕は到頭一人で立つことすらできなくなってしまいそうで、だから僕は一度瞳を閉じた。

 視界を閉じる。祖母との記憶が蘇る。

 僕の記憶の中にいる祖母はいつも優しそうな笑みを浮かべていた。僕は小学校の放課後に君と一緒に祖母の家へ行くことを何より楽しみにしていた。

 もうあの時間を過ごすことは二度と出来ない。祖母は死んだ。祖母と話すことはもう叶わない。

 祖母の遺影を見て、祖母の顔を思い出して、今更もう一度ゆっくりと祖母と話がしたいという思いがフツフツと浮かび上がって来る。失うことで知ることなど、これまでに何度も経験してきたことなのに、相変わらずそれを繰り返している自分自身がとても馬鹿らしく思えてくる。

 人間、いつ死ぬか分からない。もう一度その人と会って話をすることが出来るかなんてどこにも保証はない。そんな当たり前のことを、しかし認識できないほど僕は愚か者であった。

 死ぬ前に話がしたい。僕がそう思える人間は誰かと過去の記憶を辿った時、真っ先に思い浮かんだのは君だった。叶うことならもう一度顔を合わせて話がしてみたい。なんて、今更になってそんなことを思ってしまうのは僕が弱くなったからだろうか。


「…………」


 自然と籠った力を緩める。瞳を開けると光で視界が染まった。

 遺影の中で笑う祖母。黒と白の参列者。誰かの涙。

現実はどうしたって変わることなく目の前に広がっている。

 そんな中で、僕はある光を見た。

 悲しい光景の中で、僕の目はある一人の人を捉えたのだ。

 昔と変わらない。髪が少しばかり長くなって雰囲気も幾分か大人びている様だったが、もっと深い所は昔と何一つ変わってはいない。

 先ほどまで考えていた人が視界の中にいる。どうしてという困惑。心臓の鼓動が耳元で騒ぐ。

 僕と数メートルのところまでやって来て、目と目が合った。何一つ変わっていない。君の瞳は過去を映し出すように僕の姿を捉える。

 何年振りだろう。まさかこんな時にこんな場所で君ともう一度出合うなんて思いもしなかった。

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