忍者探偵・河童倫太郎
まさひろ
case1 消えた社長令嬢
第1話 case1 導入編
「おーいおい、猫ちゃん出ておいでー」
福岡県のとある地方都市、時代の流れに乗り遅れ、あるいは従って、徐々に寂れつつあるこの町で、1人の怪しげな男が路地裏を歩いていた。
男の服装は黒スーツに、赤いシャツ、そしておまけに中折れ帽と、何処からどう見てもかの名作テレビドラマの探偵そのものだ。だが、本物よりも10cm以上低いその身長も相まって、スタイリッシュとは程遠い、ちんちくりんなコスプレ野郎か陰気な不審者にしか見えなかった。
「あー暑っちい。ったくまだ5月だってーのにこの暑さはなんなんだ」
今日の天気は雲一つない快晴でおまけに風もなく、照り付ける日差しは容赦なく男の黒スーツに熱を供給していた。まだ湿気が少ないのが救いだが、この分だと今年の夏も暑くなりそうな予感を十分に感じさせる天気だった。
「おーいおい、猫ちゃんでておいでー」
5月の連休明け、寂れた町をけだるげな男の声が響いていった。男の名は河童倫太郎(かわどうりんたろう)28歳、この町で探偵業を営む男である。
顔や手にいくつものみみずばれを残し、スーツを毛だらけにした倫太郎が、昭和の時代に建てられた薄汚いビルのかび臭い階段を上って事務所へと帰ってくると、そこには彼を出迎える声がした。
「あっ、おかえりなさーい若様」
「てめぇ、鈴子いつ来やがった。あと若様はやめろ」
事務所のソファーに我が物顔で寝転がり、涼しげにアイスキャンディーを食べながら、スマートフォンを弄る女がいた。彼女の名前は緑川鈴子(みどりかわすずこ)、倫太郎を古くから知る人物である。
彼女はひょいと体を起こすと、活発そうな茶髪のショートヘアを揺らしながら、肩を竦めこう言った。
「あっ、ごめんごめん、ついつい何時もの癖が抜けなくてですね、いやー三つ子の魂百までってやつ?」
「なーにが三つ子の魂だ、てめぇにやる気が無いだけじゃねぇか」
そう憎まれ口を叩き、彼は冷蔵庫から取り出した麦茶で喉を鳴らす。今日はたっぷりはたらいた、久しぶりの依頼だったので、ノリノリで働いてしまった、まぁ開始30分で我に帰り、後は我慢との戦いだったと言う事を除けば。
兎に角、働いたことは働いた。そんな戦う男に麦茶は優しい潤いを与えてくれる。ついでに汗で失ったミネラルも与えてくれて、おまけに安いと来ている、何だ神々の飲み物(ネクタル)はここにあったのか。
そうして、喉の渇きを癒すと、当然鈴子が口にしているアイスキャンディーも気になってくるが、ハードボイルドをモットーとする彼には、アイスキャンディーなど正に女子供の食べ物。1人の時ならさも知れず、人前でアイスキャンディーを嘗めるなぞ、彼のプライドがあまり許さない、男の道は孤高で孤独な険しい道なのである。
「なにですか、何じっと見つめてくるんですか倫太郎さん」
「ちげぇよ」
「あーそっか、アイスキャンディー(これ)欲しいんですね、残念ながら私の分しか買ってきてませんよ」
「ちっちげぇって、言ってんだよ。それに、そのアイス、アレだろ。もう食べ飽きた」
鈴子が口にしているそれは、鮮やかな緑色をしたアイスキャンディーで円柱型の表面にはブツブツとした突起がついていた。そう、10人いれば10人に例の野菜にみえるだろう、そう世界一栄養価のない野菜でおなじみ、夏の味覚キュウリである。
「商品開発の時、どんだけ試食させられたと思ってんだ、「違う!青臭さが足りない!」ってアイスにそんなもん加えようとするんじゃねぇよ」
「あはははー、大旦那様が言いそうなことだ」
「うっせぇな、そんでなんだ。いつもの様に冷やかしに来ただけなのか。邪魔だから帰れ」
「いやいや違います、違いますって、ほら救援物資を持ってきたんですよ!」
鈴子が部屋の隅に置かれた段ボールを指さすと、それまで彼女に詰め寄っていた倫太郎は一直線にそれに飛びついていった。その動きは正に黒豹の如く、己を曲げない鉄の意思に野生のしなやかさが加わった、まさに最強の男が誕生した瞬間である。
「後ですねー、いつもの様に大奥様からの伝言です、『倫太郎、たまには顔を見せに戻ってください、母より』ですって! くー泣けるなー」
「ばっばっきゃろう、俺はあんな家は抜けたんだ、二度と戻ってたまるか!」
倫太郎は、そう喚きつつ欠食の焦りから、ガムテープをめくる指が表面を幾度も滑る。最強の男の、最大のピンチであった。
「へーへー。口ではそう言いつつ、実の母より定期的に贈られる救援物資により、命を食いつなぐ、河童倫太郎28歳なのであった、と」
「あのー、鈴子さん? 心と胃粘膜にビシビシ来る台詞は控えて頂けませんでしょうか?」
鋼の意思と、野生のしなやかさは、侵略者の銀の鉄槌により見事に打ち砕かれた、いつの世も最強とはそれを上回る最強に打ち破られてしますものである、弱肉強食の世とはかくも無残なものなのであった。
「そう思うんだったら、諦めて戻ってくれば万事解決ですよー。大体なんです口癖のようにハードボイルド、ハードボイルド言ってますが、親の援助で食いつないでて、なーにがハードボイルドですか、実家に引きこもってるニートの方がまだ謙虚ってもんですよ。そんな甘々なもんハードボイルドどころかメレンゲです、ふわっふわですよ」
そう言い、鈴子は念入りに死体に追撃を浴びせる。得物が腹を見せようと決して油断はしない、彼女もまた、野生の掟に従った生き物なのだ。
「ふっふざけんな何と言われようが戻ってたまるかあんなだせぇ所」と、倫太郎は震える心と体で、鈴子の台詞を半分以上聞き流しながら、漸く、ガムテープとの死闘を終えた段ボールを物色する。中身はいつも通り実家で採れた、米と野菜で、その全てにファンシーな河童のラベルが貼られている。
彼の実家は、地元では名の知られた大規模農家で、近年6次産業化に乗り出して、これが大当たり。ちなみに目玉商品は野菜をふんだんに使ったヘルシーなスイーツとキュウリのピクルス。先ほどのアイスキャンディーもその一つで、県内のスーパー等で販売中の商品で、一部ではカルト的人気を誇っている。
唯、彼自身、別に農業がいやと言う訳ではない、それどころか土いじりは好きだし得意な方だ。二十歳を少し超えるまで、河童(カッパ)ファームのエースと呼ばれていたのは伊達じゃない。そんな彼が実家を嫌うのはそれ以外の理由があった。
「どうしてですかー、帰れば河童ファームの次期社長ですよー、ひゅーカッコいいなー、あこがれちゃうなー」
「てめぇ白々しいんだよ、俺が嫌なのは表の顔(そっち)じゃねぇ、って事ぐらい知ってるだろうが!」
鈴子の長髪に倫太郎は熟れていないキュウリをかじった時の表情でそう答える。
「さてー、何でしょう。わたしには、とんとわかりませんねー」
「俺が嫌なのは、裏の顔(ほんぎょう)の方だよ! なんなんだよ河童忍法(かっぱにんぽう)って! ダサいを通り越した名状しがたい何かかよ!」
吠える、吠える、倫太郎はそう吠える。そう、彼の実家である河童家の裏の顔は、福岡某所の山中で、伝説と謳われる、伝説の河童により伝えられたと言う伝説の河童忍法を、先祖代々伝えて来た、伝統ある一族なのだ。
「いやー、わたし、そっちの方は下働き程度しか関わってないのでいかんともいかんとも。
ともかく、わたしには若様のご両親に受けた御恩があります、なのでわたしのメンツの為に生贄っと、人柱って違う、えーとっ、ともかくそんな感じなんで戻ってきてくれませんか」
「なんで俺が貴様の為に犠牲にならねばならぬ」
「えー、けちー、良いじゃないですかー忍者ですよ忍者、すごいなー、痺れるなー、憧れちゃうなー」
「ならテメェが頭首ついでろ、俺が推薦状書いてやる」
「いやー……アレは女性にはちょっと」
「おい、マジにドン引きするのは辞めろ、言ったこっちも凹んでくる」
そうやって、やいのやいのと二人が騒いでいる所に、事務所の電話が鳴り響いた。それに対し、近くにいた鈴子が悪戯気な笑みを浮かべる。
「はい、こちら河童探偵社でございます、わたくしは探偵助手の緑川鈴子と申します、何かご用件でしょうか」
「おい馬鹿やめろ」と言うが時すでに遅し、フリージャーナリストとして世を渡っている鈴子の挨拶スキルは、優に倫太郎の7倍はある。だが、彼女にも誤信があった、どうせこの探偵事務所に掛かってくる電話なんて、信頼と実績のペットさがしか草むしり程度と高を括っていた。
「倫太郎さん! マジでヤバイ!」
受話器を抑え声が漏れないようにしつつ、倫太郎に助けを求める鈴子の表情は固まっていた。そのあまりにな態度に、倫太郎も警戒心を強めかつてない重大事件の予感に武者震いが走った。
「人探しの依頼だって! この人探偵事務所に電話したと思ってるよ!」
「ここがその探偵事務所だよ!」
「突然の依頼申し訳ございません、私は本城咲(ほんじょうさき)ともうします」
電話を終えておよそ30分、事務所へやって来た彼女は改めてそう自己紹介をした。口調から想像はついていたが、品の良い上品な服を身に纏った40前後の女性で育ちの良さがうかがえる。少なくとも自分の背後でいかにもな顔をして立っている鈴子よりは、はるかに常識があるだろうと言うのが、倫太郎の第一印象だった。
倫太郎は、彼の持つ全営業スマイルを集結し、ゆっくりと挨拶を返してから本題に切り込む。手早く、しかし焦らずに。ごくごくごくごくごく、まれなまともなまじめな本格的な探偵としての依頼だ、ここで逃がす訳にはいかない。
「それで、娘さんが行方不明と、電話ではそう仰っていましたが」
「ええ、そうなんです。3日前に学校に行ったきり戻って来なくて、電話も勿論通じないし、ああ私どうしたらよいのか」
「警察には連絡したのですか」
「はい、ですが警察は単なる家出だと思っているのではと、私警察だけでは不安で、他にも何か私に出来ることが無いかと思って色々と探しているうちにこちらへご相談しようと思い至りまして」
「そうですか、賢明な判断だとおもいます。けして警察が頼りないと言う訳ではないのですが、彼らのルールに乗っ取って探していても、遅れてしまう事がある事は事実です。失踪は時間との勝負です、探す手は多いに越したことは無い、特に多角面からのアプローチと言うのは実に有効な手段です」
「ええ! ですから私!」
「大丈夫です奥さん興奮なさらずに、この私、河童倫太郎が付いています、奥さんは何時娘さんが帰ってきてもいいように、自宅でお待ちください」
「ええ、ですが……」
「まぁそうですね、何かしていないと落ち着かないと言うのは非常にわかります、ですが落ち着いて下さい、精神的なストレスに加え身体的なストレスが重なり貴方が倒れてしまっては元も子もない、動くのは私や警察の者に任せ、ゆっくりとお待ちください」
「いやったーーー! 着手金20万ーーー! はっはっは、どうだねどうだね鈴子くん僕の実力は? んー?」
倫太郎は諭吉先生の温かみをしっかりと胸に抱きながら、空いた手でバシバシと鈴子の背中を叩く。
「はいはい、良かったですね。倫太郎さん痛いですって。でも何かおかしいと思いませんあの人」
鈴子は、顔を顰めつつ、そう倫太郎に言った。
「ん? 何がおかしいと? 俺としちゃ普通の依頼者にしか見えなかったが」
「それはお金に目がくらんでいただけじゃないですかね?いやそもそもこんな零細も零細、いやむしろ負細とも言えるこんな事務所に話を持ち掛けてくること自体が、変じゃないですかね、しかも別にご近所さんと言う訳でもないみたいですし」
鈴子は依頼書を倫太郎の目の前に上げつつ、そう疑問を口にした。
「むぅ、いや、しかし、むぅ」
倫太郎は、こんな事務所呼ばわりに反論しようとするが、上手い反論が浮かばない。久しぶりの犬猫以外の捜索に舞い上がっていたのは確かだが、それでも彼の探偵としての勘は、彼女が本気で娘を探していることは事実だと示していた。
「まぁ、大丈夫だろ、自作自演って線は薄いと思うぜ。それより鈴子ちょっとネットで情報収集しといてくれ」
「はぁ? 何で私が、私もそこまで暇って訳じゃないんですけど」
「いいじゃねぇか、上手く行きゃいいネタになるかもしれねぇぞ。それにお前は探偵助手なんだろ?」
「……はぁ、まあ軽くあたりは入れてみますが、それがすんだら帰りますよ」
「おう、何時もみたいにファイリングして重そうなとこだけ俺のスマフォに送ってくれ、そんじゃ俺は現場の聞き込みに行ってくる」
倫太郎はそう言って下調べを鈴子に任せ事務所を後にする。その後姿を鈴子はため息まじりに見送った、自分でも散々注意しておきながら、なぜかいつも彼のペースに巻き込まれてしまう。彼に関わった多くの人がそうであるように、自分勝手で甘えん坊なハードボイルドとは程遠い、彼の世話をついつい焼いてしまう。
「やばいなー私、駄目男の世話を焼きたがるなんてお先真っ暗だ、とっと良い人見つけないと」
鈴子は、そう独り言ちながら事務所のPCに向かった。
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