第15話 日本人はなぜ欧米に憧れるのか

日本人はどうしてこうも西欧に弱いのか。英語ができる人はスゴい、海外勤務する人はエリート、海外留学した人は賢い、ブランドバックはセレブ、焼酎よりはワインがオシャレ、和食よりはフレンチがイイ、結婚式なら神式より教会式、思い当たる人は多いのではないだろうか。

思うに、日本人の西欧崇拝は明治維新にまでさかのぼる。当時、超後進国であった日本は、早く西欧の高い文化水準に追いつくことが求められていた。よって、西欧から入ってくるモノはすべて水準が高く、日本のものより優れているという固定観念を定着させ、やみくもに西欧を目指し、舶来品を崇拝するようになった。その名残が、日本が先進国になった今も続いている。

こう言うと、海外に行ったこともない人には海外の良さが分からないという批判が聞こえてきそうだが、断わっておくが筆者は2度海外勤務を経験している。しかし西欧が日本より優れていると思ったこともないし、今後また行ってみたいとも思わない。

西欧人が決定的に異なると思ったのは、彼らはすぐにクロスカルチャー経験(異文化体験)を得意気に語ることである。日本に来る外人さんたちは、ホテルではなく下町の旅館に泊まりたがる、使い慣れない箸で和食を食べたがる、禅寺に行って茶道や座禅をしたがる、等々である(ちなみに、アジアから来る旅行者にはこういう傾向はあまり見られない)。最近の日本人がしたがらないことを、なぜ外人さんたちはしたいと思うのか。

単に好奇心が強いのか、それとも変な体験をしたことを他人に話したいだけなのか、真意がよくわからない。筆者の海外勤務中に聞いた限りでは、どうも後者であったような気がする。自分は、こんな後進国のこんな奥地まで行ってすごい体験をしてきたと自慢気に話すのをよく聞いた。

イギリスでは学生にこのクロスカルチャー体験を義務付ける大学もあるという。実際、全く英語も通じない日本のド田舎の高校で1年間ボランティアの英会話教師をしたというキャリアウーマンに出会ったことがある。その経験と全く無関係の職業に就いていた彼女は、その時の経験を得意気に話していた。彼らにとって異文化体験はいわば勲章のようなものなのである。

ひるがえって、日本人の西欧崇拝は、どうもこの異文化体験とも異なる。体験もしていないのに、何となくカッコいいからという程度の感覚で西欧のモノを尊重し、受け入れようとしている。このままでは、日本の古き良き伝統が失われてしまいそうだ、いや、すでに失われてしまっているかもしれない。

いま英語ができなくて悩んでいるあなた、全然気にする必要はないですよ。中途半端に理由もなく英語の勉強をするのは時間の無駄です。


(追記)

最近、企業経営者の間で、最近の若い人は海外に行きたがらないと嘆く声が聞かれる。あるいは総理ですら、グローバル人材の育成と称して小学生からの英語教育を推奨している。筆者は海外勤務を経験した(中東と欧州の2回です)からこそ、その若者たちの気持ちがよくわかる。それを理解できない経営者や政治家に海外論を論じる資格はないと思う。では、その理由とやらを列挙してみよう。

①海外に見るべきものがなくなった

昔は海外に行くというと、見聞を広める、自己を高めるといったメリットがあった。だから多少の苦労があっても行ってみたいという気概を持てた。ところが最近は、海外に行っても特に目新しい経験はあまりなく、日本と大して変わらない。好奇心がそそられるようなモノがない海外にはあまり魅力が感じられない。

②海外勤務者がエリートでなくなった

昔は海外に行く人は一握りのエリートであった。外交官、商社マンなんぞは女性たちの憧れの的であった。ブランド品に身を包み、年に何回も海外旅行をし、優雅な生活を送っていた。ところが、最近は海外勤務が日常化し、海外勤務者もエリートではなくなり、帰国後の高い地位も約束されない。それどころか、海外勤務を命じられたら単身赴任が当たり前。これでは誰も行きたがらないのは当然。

③海外勤務は3K労働

特に途上国へ行く人にとっては、相当の覚悟を強いられる。伝染病、テロといった身の危険は言うに及ばず、現地スタッフとのコミュニケーションや日本の本社との連絡など、深夜勤務・休日勤務は当たり前。筆者の同期生では自殺者まで出た。

④海外が企業の金もうけの場と化した

昔は海外に行くというと、日本国のためにと、まさに日の丸を背負って働くという使命感があった。ところが、最近の海外勤務は、国内市場で利益の出せなくなった企業が、安易に海外に進出しているだけ。海外勤務者は、その金もうけのお手伝いをさせられているのである。これではモラルが下がっても仕方がない。

それでも愚かな経営者たちは、社内公用語を英語にしてみたり、昇進昇格の条件にTOEICの点数を入れてみたりと、あの手この手で海外勤務を促そうとしている。皆さん、このような企業には就職しないようにしましょう。いいように使われて捨てられるだけです。

ただ、自ら進んで、自分を高めるために海外に行く人は立派だと思います。芸術家やスポーツ選手、研究者などに多く見られるケースですが、少なくとも海外に行くからにはそうした高い夢を持って行きたいものです。


(追記2)

このテーマにつき、批判ばかりで自分の意見がないとの手厳しいご意見も頂戴しておりますので、筆者の思うところを明確に述べたいと思います。結論を一言で言うと、日本自身がグローバルスタンダード(世界標準)になれということです。

これまでは、社会制度といい物品といい、ほとんどのものの世界標準は欧米が決めてきました。まず欧米が物事の基本を決め、それ以外の国は単にそれを導入するだけ、良し悪しの判断すらなく、欧米が作ったものだからいいものに決まっていると決め付けてきたのです。でも、今日、日本の制度や物品は世界標準を追い抜くレベルまで達しました。すべてとは言いませんが、日本の基準が世界標準となるよう官民を上げて努力することが肝要だと思います。

で、具体的提案ですが、

①海外へのMBA派遣はやめ、日本の大学院にMBAを創設、国内のみならず海外の留学生も多数受け入れる。企業も安易な海外MBA派遣は中止し、国内留学を増やす。また、国内留学者の処遇を高くする。

②日本語を公用語として取り入れる国を増やしてゆく。言語を制する者は国をも制す。日本語教育者を大幅に増やし、必要とされる国にどんどん派遣してゆく。また、日系企業の海外事務所や工場では日本語を公用語とし、日本語のできる人を重用してゆく。

③国会議員や公務員の海外視察をやめさせる。これは明治維新のころの悪い癖。見るべきものがなくなったのに海外に行くから、ご褒美観光旅行に終わってしまう。

④日本版ノーベル賞を創設し、本版ノーベル賞の受賞は辞退する。もちろん受けるか受けないかは個人の信条と自由ですので規制はできませんが、少なくとも本版を上回る価値を目指すべき。そのために高度な基礎研究にもっと多くの予算を配分する。

⑤英語教育を大幅に縮小し、英語を習いたい人は自費で英会話学校にでも行っていただく。英語ができればグローバル人材という発想は全くの逆で、海外で生活している日本人は高卒の人でも英語をペラペラ話している。英語は強いて勉強するものではなく、必要な人が必要に迫られて覚えれば済む。

⑥そして何よりも、自信を持つこと。欧米に卑下することなく自らの文化と価値観に誇りを持つべき。戦前はそれが誤った方向に行ったため戦争になってしまったが、欧米列強に対抗しようとした精神だけは立派だったと思う。

いろいろ書きましたが、筆者の言わんとするところは大体ご理解いただけたのではないかと思います。多分、これは理想論であって実現不可能というお返事が来そうですが、理想だけは高く持って生きてゆきたいものです。特に今の若い人には、筆者と同じ過ちは繰り返してほしくありませんので、敢えて提言させていただきました。

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