第17話(陽菜編)


「――着いた」

「うん」

 綾と一緒に乗ったバスが藤沼邸の前で止まる。綾のマンション前にあるバス停から15分ほどで着いた。

「ちょっと早めに着いちゃったね」

「中で温まらせてとお願いしよう」

 そして時代劇に出てきそうな門の前で郁美を発見する。バスの中でそろそろ着くと連絡入れたので待機してくれていたようだ。

「――ってなんで和服? これから雪合戦だろ?」

「ちょっと家の手伝いあってな。真帆とまなみん達が着いたらすぐ着替えるよ」

「あれ? 真帆まだ来てないのか?」

 朝連絡した際は『先に着いてると思う』って言ってたのに。

「家の用事でちょっと遅れるって」

「そうなんだ」

「すぐ着くと思うからそれまで中で待ってろよ」

 そう言って郁美はアタシ達を屋敷の中へと招く。

 昔っからこのどでかい屋敷があることは知っていたが、中へ入るのはアタシも綾も今回が初めてだ。

 まず玄関に入った瞬間から木の香りに包まれる。こうして来客に無言のリラックスを与えてくれるわけか。なるほど。

 綾とこの前入った生活雑貨等を取り扱っている真印マジるし良品へ入ったときのことを思い出す。そのときも店内へ入った瞬間に似たようないい香りに包まれた。

 でもこっちは店内と違ってBGMがなく、静かな空間の中で味わえる。

 それがいい。このままずっと玄関に立ってるだけでいいかもと思えてしまうぐらいに。

 どでかい門に続いてどでかい玄関。そしてこの香りに出迎えられ、さて次は何があるのかと期待しながら郁美の後をついていく。

 すると廊下を歩いていたところでお手伝いさんっぽい和服の女性と出会う。

「……」

「……」

 先頭を歩いていた郁美とその人との間に会話はなく、笑顔で軽い、静かな会釈を交わした。

 郁美も相手もほぼ同じタイミング。

 それを目にして思わず綾と顔を合わせる。互いに口には出さなかったが、なんかすげーと心の中で言って驚いていた。

 静かな廊下で音も立てずに交わす会釈。

 不自然さもないそれは絵になっているというか、雰囲気のある会釈? といえばいいのか。語彙力がないせいかなんて表現すればいいのかわからん。

 でも普段学校で見る郁美とは違って正直に言えばかっこいい。そして本当に郁美がお嬢様なのだと再認識したのだった。

「なんだここはー」

 広い談話室に入ってから庶民丸出しの声が出た。

 だーれもいない静かな部屋の真ん中にでかい囲炉裏。入った瞬間から感じた暖かさが我が家のものと違うと感じさせたのはそれのせいだ。

 長方形の形をしたその周囲は背の低い柔らかそうな椅子が囲んで並べられている。長方形の縦に二脚。横に四脚(二脚と二脚の間は離して置いてある)と置かれた椅子がアタシと綾にあったまるからこっちに座りなと呼んでいる。

「適当にくつろげよ」

 囲炉裏の周囲以外にもくつろげる椅子はあったが、囲炉裏の前を選んで綾と並んで座ってみる。

 結構な熱さ。そしてこういうのは煙が部屋に充満するイメージがあったけど全然そんなことはない。上を見上げて気づいたが焼き肉屋とかにある排煙機(正式な名前がわからん)っぽいものがあった。このおっきなやつが煙を外へ逃がしているわけか。

「なんか二人で山奥の旅館へ泊まりにきたみたい」と綾。

 確かに。ここで二人写メ撮って母さんに送れば温泉宿にいるの? とか返ってきそう。藤沼邸は外観も内観も日帰り温泉の旅行ガイドブックに載っていてもおかしくない見映えである。

「さてお二人さん。紅茶、緑茶、カフェオレのどれがいいんだい?」

「カフェオレでお願いします」と綾。アタシは紅茶を選ぶ。和風豪邸なだけに緑茶しかないイメージを勝手に持っていたがそっちもあるのかと、むしろ緑茶以外が気になって選んでみる。綾は単にカフェオレが好きなだけだろう。

「ちょい待ってろ」と郁美は一旦部屋から出て行く。

「雪合戦後のここは天国だろうね」と囲炉裏の前で両手をかざしながら綾が言う。

 綾が今日の雪合戦のことを知ったのは昨日の夜。夕飯の後綾から電話が掛かってきてから長話していたときに今日の事を話したのだ。

『どんなのか見てみたい』

 そう言われたので郁美達にお願いしてアタシと綾は見物客ってことでここへ来ることができた(もちろん郁美はアタシが愛海達の協力者であり、昨日ここへ来たことは知らない)。

「ここのお庭でやるの?」

「いや、裏にあるでかい山」

 郁美の婆ちゃんの所有する山だと聞いて綾が驚いた顔をする。アタシも初めて聞いたときは同じような顔をしていただろう。郁美のばーちゃんほんとすごい。

「そんなところで雪合戦って危なくないの?」

「昨日見てきたんだけどそんな危険なところはなかったよ。むしろ遊びに最適な場所だった。雪もフカフカしてるとこ多かったし。夏なら十人ぐらいでラジオ体操もみんなでフリスビーもドッジボールも余裕だと思う」

 郁美がいないせいか昨日現地まで行ったことまでベラベラと喋ってしまったけど、まあ大丈夫だろうとそのまま続ける。郁美はカフェオレと紅茶を持って戻ってきたかと思いきや、すぐにまた用事だからと言って出てってしまった。忙しいな。

 雪合戦の話ばかりしていたせいか綾が昨日作った雪だるまも含めて現地を見てみたいなと言い出す。

 どうするか。悩んでいると綾自らまた戻ってきた郁美に頼み出す。随分と興味持ってるな。

「決戦前だけど、まあ場を荒らさない程度に覗くならいいぞ」と言われ、始まる前に三人で行くことに決まった。

 ――まあ、アタシも昨日掘った罠が壊されていないか気になるしな。

 綾がそう言ってくれて丁度いいと思った。壊されていたとしたらすぐに愛海に報告しなければ。

 先ほどの玄関まで戻りブーツを履いて外に出る。玄関を出ると綾が郁美の足を指差した。

「今度はブーツになってる」

 さっきお出迎えしてくれたときは雪駄だった郁美の足はブーツ姿になっていた。

「山に入るからな。さっきのじゃ歩けないよ」

「でもなんか合ってるな」

「国木の成人式では袴着た女の子がブーツ履いてるのは結構あるあるなんだぜ」

 毎年寒いせいだと郁美は話す。そういえば数年前には雪に加えて強烈な寒波がきて国木史上最悪の天候を迎えた成人式として全国的にも話題になったのを思い出した。雪駄じゃ足寒いもんな。

「ほれ、行くぞ」

 ザッザと音を立てて先頭を歩く郁美に続く。

「――ん?」

 そして山の入り口へ入った頃、郁美のスマホが鳴った。

「ありゃ、真帆が来た。迎え行ってくるわ。この先真っ直ぐ行ったところにある広場だから」

 そう言って郁美が藤沼邸へとひき返す。少し歩いてからこちらへ振り返ると「もうそろそろ始まるから、見終わったら談話室戻っとけよ」と言ったので「はーい」と二人で返事する。

 去って行く彼女の背中を見送りながら、郁美達が作った罠が昨日愛海によって全て壊されていることにはまだ気づいていないなと確信する。

 戦いが始まったときはさぞ大慌てするだろう。楽しみだと心の中でほくそ笑む。そのときの動揺した郁美と真帆の顔が見たい気分だがここは我慢。最後まで何も知らないフリをしようと綾と一緒に昨日の所まで歩いた。

「――ほんとだ結構広い。欲羽山の広場みたい」

 綾が雪を踏みながらはしゃぐ。そしてスマホを取り出した。

「向こうに立つから撮って」

 はいよと受け取る。離れていった綾は綺麗な新雪の前を選んでポーズを取ったので一枚パシャリ。

「次はこっち」と言って移動するのを見て焦る。そっちは危険ゾーンなのでちょっと待てと言って慌てて追いかけた。雪の所為で走りづらい。

「どうしたの?」

「ここらへん落とし穴あるんだ」

「え?」

 なにそれと驚かれるのも無理はない。雪合戦をすることはさっき話したが昨日愛海達と罠を作っていたことは口外していない。さすがにもういーかと昨日の穴掘りのことをササッと話す。

「――すごいことしてるね」

「そうなんだよ。ただの雪合戦じゃないんだこれが」

「パッと見だと穴の位置が全然わかんないけど」

「ああ――」としゃがんで昨日敷いた板の上に被っている雪を少しだけ払う。見てと言うと綾も隣へしゃがんで手袋に包まれた指先でツンツンした。

「発泡スチロール?」

「そ。その板を穴の上に置いてるんだ」

「へーおもしろい」

「あの顔無し雪だるまが目印になってるんだよ」

 指差した先にある顔無しの雪だるまは昨日から少しも形が崩れていない。

「不気味な雪だるまだね」

 言われてみればそうかも、と同じように眺める

「まさか作ると思ってなかったから顔のパーツとか準備してなかったんだよな」

 へーと言って綾は雪だるまの方へ近づくとスマホを向けて写真を撮り始めた。

「昔陽菜と一緒に作ったときあったけど、あのとき顔はどうしてたっけ? その辺にあった石を目やお鼻にしてたのはなんとなく憶えてるけど」

「まゆげは味付けのりだったな」

「え、木の枝じゃなかった?」

 そうだったかと記憶を探る。綾は気に入ったのか雪だるまの写真を横から撮ったり斜めから撮ったりと細かく位置を変えて撮り続ける。パシャリ音を何度か鳴らすものの上手く撮れなかったのか、首を傾げてまた撮っていた。

「雪合戦ってルールとかあるの?」

「えっと、志穂から聞いた話だと今年は相手の陣地に刺した旗を先に取った方が勝ちってことになってるんだって」

 昨日愛海が刺した赤い旗はすぐ傍にある。その周囲を囲むようにして落とし穴があるというわけだ。雪だるまを基準にするとわかりやすい。

「去年は違うルールだったの?」

「どっちかがギブアップするまで雪玉を投げ合うサバイバルだったんだって」

「それで志穂と愛海が負けたんだ」

「そ。開始してすぐに落とし穴に落ちて上から雪を被せられたんだって」

「へー」と言って、こちらに背中を向ける綾はスマホを操作し続ける。

 ……なんか随分と熱心に写メ撮ってたな。

 そう思ったことが引き金となったのか。

 アタシの脳はとある過去を引っ張り出す。


『――綾はクロだ』


 お好み焼き屋で言っていた愛海の声が脳内でこだまする。

 焼いていたときのジュージュー音まで脳内に蘇ってきた。

「……」

 脳内を流れるジュージュー音の中、いやいやいやと首を横に振る。

 まだ愛海の勘違い洗脳がアタシの中に残っているようだ。

 そもそも今日綾がここにいるのだって単なる偶然なのであって、昨日アタシと電話してなかったら今日はここにいな――。

「……」

 ちょっと待て……。

 昨日の夜確かに電話した……けど、あれって綾から電話かかってきたよ、な……。

 昨日は愛海達とここで落とし穴と雪だるまを作って。帰りに綾がアタシの家を訪ねてきているのがわかって。そのときアタシはここにいたからいなくて。……それで夜に電話しようと思ってたら綾の方から電話がかかってきて……。

 え、いや……もうちょい待て。

 なんだろうと思った電話の内容は梨おいしかったーって話から始まったんだよな。そこから学校の話とかテレビの話とかの普通の話になって最終的に――


『――陽菜は明日何か用事ある?』


 綾がそうやって聞いてきたことを思い出し、背筋がゾッとする。

 夜に電話で話したり、遊びに誘われたりするのもよくあることだから昨日のアタシは深く考えていなかった。

 これがもし……雪合戦へ自然に参加する為の演技だったとしたら?

 そして今こうして写メ撮っているのが……郁美と真帆へ落とし穴の場所を教えている行為だとしたら?

「……」

 ゴクリと息を飲む。

 冷静にいけと自分に言い聞かせて綾の背中を見る。

 厳しく問い詰めるような口調はダメだ。

 優しく丁寧に。

 猫に近づくのと同じように慎重にと、軽く咳払いをして声を整えてから呼びかける。


「綾―」と、まるで猫を慈しむ聖女のような声。


 それがどういうわけか綾の肩をビクッとさせた。

「え、な、なに?」と振り返った綾の表情に動揺が滲み出る。その時点でもうわかった。

「今何でビクッてしたの?」

「え……だって急に変な声だすから」

「今スマホで何やってる?」

「え? ……雪だるまの写真を……その、ちょっと」

 ちょっとってなんだよ。

「じゃあちょっとそのスマホの画面見せてみな」

「だ、だめ! 今SNSに上げてるから」

「意味分からんし絶対嘘だ! そんなもんやってないだろ!」

 愛海の勘は当たってた!

 綾はやつらに情報を送ってる!

 アタシの勘が正しければ、さっきから何度も撮り直していたのは穴の位置が上手く写真に納まりきらずに何枚かに分けて撮っていたから!

 そして撮った全ての写メは郁美と真帆に今送信している最中!

 でもここは電波が悪い。しかも複数枚の写真データは送信に時間がかかる。

 だから今綾がアタシに抵抗する理由はただ一つ!


 ――写真の送信が完了するまでの時間稼ぎ!


「そのスマホよこせ!」

 そうとわかったら急がねばと綾に詰め寄る。

「ダメ!」と嫌がる綾。かばったスマホの画面が黒くなったのを見た。ロックしたみたいだけど無駄だ。パスワードは綾の誕生日の後に1と2を追加しただけの芸のないパスワードだってアタシは知ってる。どんだけ綾と一緒にいると思ってんだ!

 なんとか写真が送信されるまでにキャンセルさせなければ。このままでは志穂と愛海の敗北が濃厚となってしまう。

 そうなったら報酬のこだわり女子が作る洋ナシタルトもほうとうも全部白紙! それどころか愛海の忠告を無視してベラベラと情報を流してしまったアタシに全責任が降りかかってくる。そんなことあってたまるか!

 絶対にさせない! ここは実力行使で! と力づくで綾に襲いかかることにした。

「あっ! ダメ―! こっちは――」

 アタシの足が雪を蹴ったと同時に「あああぁぁーーー!」という綾の声が山に響いた。

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