第10話(戸田自転車商会編)


 噂の天使とやらに遭遇できない。

 先月は3回もバッティングセンターへ行ったというのにまだ一回も会えていない。天使の情報を知ってからというものの空振り続きだった。


『会えなかったのは仕方ねーよ。ま、とりあえず打ってけ』


『おー。残念だったな。今帰ってったぞ。ま、とりあえず打ってけ』


『運が悪いなお前ら。ま、とりあえず打ってけ』


 などと空振りする度に嬉しそうな顔をする砂羽に背中を押され、俺と鈴木は無理矢理二回打たされて帰るというのを繰り返した。

「また明後日ぐらいに来るかもしれねーから。来いよー」

 そう笑顔で送り出す砂羽を見て思った。


 ……もしかしてハメられているのでは?


 天使を餌に何度も通わせる。

 そういうしょーもない新たな商法を生み出したのかもしれない。

「お前正直に言え。ホントは天使なんていないだろ?」

 四回目にも遭遇できなかった際、そう尋ねると砂羽は少しも動揺することなく「お前らが天使から避けられてんだよ」と答えた。近くにいた小柄な野球少年も「天使はマジでいますよ。おっちゃんらが運悪いだけッス。ねえアネさん」と昔の漫画に出てきそうな手下のように頷く。嘘を吐いているような様子はないところから、どうやら本当に俺達の運が悪いだけのようだ。

 そして本日五回目。これで会えなかったらもう諦めようと今回は一人でバッティングセンターへと乗り込む。

「――ん? 今日孝宏は来てないのか?」

 四回目まで一緒だった鈴木がいないことに不満を漏らす砂羽。

「仕事でこれねぇってよ」

「あいつは益々運がないな。今日は来てるってのに」

「何? ほんとか?」っと、バッティングセンターを見回す。80キロのとこだよと砂羽に言われ、そっちに向かった。

 そして80キロコーナーの前に立っている人物を見て驚かされる。

 ――うっ! 天使って……

 信じられないことに今日いない鈴木の一人娘だった。慌てて身を隠すようにして砂羽の所へ戻る。

「――おい! 天使って高校生か?」

「ああ、そうだぞ」

 かわいかったろ? と言う砂羽の前で勘弁してくれよと頭を抱えそうになる。変な恰好したおっさんだと本気で思っていた予想は見事に外れた。

 わかってたらここに来なかったってのに……。

「――ちっこくて可愛いかったろ? いつもは一人で来てるんだけど、今日は珍しく友達連れて来てるんだ」

 それが孝宏の娘だったからびっくりしたと言われ、勘違いに気づく。どうやら鈴木の娘ではないようだ。

 また戻ると、鈴木の娘に見つからないように身を隠しながらバッターボックスの方を見てみる。確かにもう一人いる。

 そしてその姿を見た瞬間、ああなるほどと納得した。

 確かにありゃあ天使にも見えるわと、砂羽の言った通りのちっこくて可愛い天使の姿を目にする。

 天使の正体は上塚さんとこの娘さんだった。 

 ……こりゃあ、男が多くなるのもわかるな。

 おまけに鈴木の娘まで来てるし大丈夫かと心配になってくる。

 今日来れなかった鈴木は確かに運が悪すぎる。父親としては心配だろうから、急いで連絡してやった方がいいなと思いながら、バッティングセンターからこっそり出ようとすると砂羽が怒り出した。

「おい戸田ぁ!」

 ワンコインぐらいやってけや! と砂羽が騒ぎ出す。随分とデカい声を上げるせいか建物全体に響く。

 慌てた俺はおいバカ! やめろ! 鈴木の娘に気づかれるだろと、声を出さずにジェスチャーで示す。しかしそんな即席のジェスチャーで意思疎通なんてできるはずもなく、たかが一回打たないくらいで砂羽はギャーギャーと喚き散らす。

「戸田大吾! 戸田自転車商会! 住所は――」

「わかったわかった! ちゃんと打ってくから黙れ!」

 鈴木の娘に聞こえていないことを祈ったが遅かった。声を聴いた鈴木の娘が既にこっちにきている。

「……」

 俺の方を見る目とカチっと合ってしまうと、鈴木の娘は「おぉ?」と声を出して小首を傾げた。

 その際――長い髪がサラッと静かに揺れた。

 妙に目につくそれのせいか、記憶の中の少女と重なりドキりと心臓が嫌な音を立てる。体が強張っていた。

「うはー! 戸田さんじゃないッスかー!」

 しかしその強張りを破ったのは目の先にいる鈴木の娘だった。その言い方のおかげか一瞬で記憶の中の富岡が消えてなくなる。

「お、おう……」

 なにが『うはー!』だ、やめろっつーの。

 なぜか嬉しそうな顔をしてこっちへ近づいてくる。今日はバイクに乗ってきたのかいつもの髪型と少し違っている。

 そのせいか、彼女の髪にある以前との差に気づく。

「今日はもうお仕事終わりッスか?」

「まあ……そんな感じだな」

「今日もお勤めご苦労様ッス」

「……なんでそんな喋り方になってる?」

「なんとなくッス」

「そうか……」

 あーダメだ。鈴木と話しているようにしか思えん。

 偶に思うんだが、このお嬢ちゃん鈴木が作ったアンドロイドかなんかで、どこかで鈴木が操縦してるとかじゃないよな(CV.鈴木孝宏)

 突飛なSF妄想とはいえ身構える。

 そうなると会話すること自体が怖くなってきた。全て鈴木に筒抜けだと思うと気が休まらない(いや、別におかしなことは言ってないとは思うが……)。

 落ち着け俺と自分を宥め、当たり障りのない話題を出す。

「――今日はどうしてこんなところに?」

 こんなところってなんだと、怒りの眼差しを砂羽から感じるが無視する。

「愛海が最近ハマったみたいで、その付き添いッス」

「上塚さんとこの娘さんってソフトボールでもやってるのか?」

「いえ全然。恋愛成就の為にホームランを目指してやってるんッスよ」

「……そうなのか」

 は? 恋愛成就の為にホームラン? 

 なんか昔の恋愛ドラマみたいなこと言い出したな。しかもそれって男の方がやるんじゃないのか?

 あの天使が恋をしていて……その恋愛成就の為にバッティングセンターに通ってホームランを狙う……?

 どんな展開だ? サッパリ想像つかない。

「――ところで望月さん情報で知ったんスけど、戸田さん上手いらしいッスね」

 いまいち理由を掴めないでいる俺を放置しマイペースに鈴木の娘は話を進める。バットを握る手を作って空を切っていた。

 その際揺れた髪にどういうわけかまた目がいく。

 ……嫌な感じだ。

 僅かなその動き。やたらと目に付く。

「いや、そんなことはないと思うが」 

 ここはよく通っているが上手いと言われると違う。俺の場合狙ってやってるわけでもなく、ストレス解消で打ってるだけだからホームランなんてマグレでしか出ない。店内の天井付近に飾られてある額縁に書いてある連続ホームラン記録を塗り替えられるほどのものじゃない。

「良かったらアドバイスしてやってくださいよ」

 なんか全然上手くいかないみたいでと、親指で上塚さんとこの娘さんのいる方を指す。その仕草はこの前の鈴木と重なった。

「いや、真面目な話俺よりも鈴木――君のお父さんから教わった方がいいと思うぞ。あいつの方が教え方は上手い」

 というかできればさっさとこの場を去りたい。

「いーじゃねーか。教えてやれよ」と余計な水を差したのは砂羽だった。さっきまで黙って見ていたのにいきなり割って入って来る。

「お前いっつもいい球打ってんじゃん」と俺の隣まで来ると肩を叩いて好きに使っていいぞと、断りもなく鈴木の娘に言う。

 砂羽……このクソボケカス。

 そう思っていたのも束の間。砂羽は俺にしか聴こえない程度の小さな声で「お前がいるだけでいいボディーガードになんだよ」と言う。

 あー……そういうことか。

 とはいえため息も吐きたくなる。立ってるだけでいいのかもしれないが、鈴木の娘の隣にはあまりいたくない。

 もし鈴木がいればあいつに全て任せられたのにと、今日これなかった鈴木を内心恨めしく思う。昔からそうだがどうもアイツは無意識な行動で俺を怒らせたり悩ませたりすることが多い。

「……あまり力にはなれんぞ」

 砂羽の圧力にも屈し、仕方なく俺は天使の手伝いをすることとなった。

 天使はよくここに来ているだけあってそれなりに球をバットに当てている。当初は全く当たらなかったらしい。

「……」

 とりあえず彼女のバッティングフォームを見てて思ったが、あれじゃあまだホームランは程遠いように見えた。

 何が悪いか。詳細に教えられるほどではないとはいえなんとなくわかる。硬さがあるというかまだ力んでいる。疲れると特にそうだ。

 それにしてもとバットを振る天使を凝視する。

 小柄な体躯。重そうなバットを手に真剣な顔でバッターボックスに立っているその姿は確かに見惚れてしまうものがある。

 正直に言うと様にはなっていない。けどその不釣り合いなところが絵になっているというかなんというか。そんな矛盾じみた感想が浮かんでしまう。

 バットを振った際、長い髪がふわりと浮かんで揺れるのが印象に残る。

 大分落ちてきた日差しに当たるそれがキラキラと細かな粒子を撒き、神々しい印象を周囲に与えているからか。天使と呼ばれる所以ゆえんと常連が増える理由がわかった。

 ――だが噂の天使のバッティングフォームは未完成だ。

「愛海! 心の目だ!」と鈴木の娘が謎のアドバイスを送る。

「わかった!」と言った天使は素直に従い、目を瞑ってバットを振っている。当然空振る。

 ……ありもしない心眼に頼るな。



 教えてやれることなんてあまりなかった。

 野球なんて数えるほどしかやったことないし、ここへ通っているのも砂羽の顔を見に行く為だ。天使の力になれることなんてほとんどない。役に立っているところといえば、俺が傍にいることで男避けにはなっているということぐらいか。

 天使はなぜか俺の打っているところを見たいと熱心にお願いしてくる。まあ少しくらいは参考になるかと、いつもやってる百キロコーナーへ移動し、いつもどおりのバッティングを見せてやると、良かったのか喜んでいた。

「フォームが綺麗ですね」

 そう目を輝かせていたので驚く。自分のバッティングフォームなんて見たことないから、そんな風に見えるのかと不思議に思った。

 それから質問を受けわかる範囲で答えてやる。そして満足すると二人はバイクで帰って行った。

 ――今度からここへ来るときはバイクがあるか確認してから入った方がいいな。

 駐輪場に白いクロスカブがあったら、今度から入らないようにしようと思った。



「――考宏たかひろの子供。久し振りに見たな」

 アイスでも食うかと休憩コーナーに戻ると砂羽がいた。俺を待っていたのか椅子に座って組んだ両手に顎を乗せてこちらを見ている。

「そうなのか?」と、その視線を避けるようにして背を向け、自販機と向かい合う。

「以前見たときは小学生の頃だったな。あの頃は男の子みたいで全然美穂に似てないって思った」

「……」

 今はその逆だというニュアンスを混ぜているのを背中で受ける。顔を砂羽に向けないまま背中で頷く。

「そう思うよな」

 そう言って適当なボタンを押してしまう。ミント味が出てしまいやっちまったとウンザリした。

「生き写しってああいうのを言うんだな」

 振り返って目にした砂羽は驚いたよと懐かしさに目を細めている。

 それは鈴木と富岡の子供を見る瞳ではない。

 懐かしい……旧友を見る瞳だった。

 あの子を見ればそれは当然の反応なのかもしれない。

 俺もそんな瞳をしていたのだろうか。

 親友の娘ではなく、かつて好きだった人を――。

「そうだな」

 どこか力のない返事が出る。正直、鈴木の娘がいたせいか酷く疲れていた。

「……」

 何回会っても慣れやしない。

 なるべく避けるようにしていたものの、いろんな偶然が重なって今日みたいに出会ってしまう。

 そして皮肉なことに嫌なことを思い出すはめとなった……。

 変化に気づいた瞬間、鈴木は気づいているのだろうかと心配になった。

 大事な一人娘を持つ親としては、おそらく一番恐れていることだろう。

「――よく会うのか?」と砂羽。

「……ウチでバイク買ったから、ちょくちょく顔は見る」

「中身はあんま美穂に似てる感じしなかったな」

「見た目は富岡だが中身は完全に鈴木アイツだ」

 コピーと言っても過言じゃないと付け足すと砂羽は笑った。

「アハハ。可愛い顔が台無しだな」

 全くだと頷く。鈴木が聞いたら間違いなく怒るだろう。

「……」

 可愛い顔……か。

 ミント味のアイスを齧りながら砂羽の対面に座る。口の中に嫌な味が広がってくる。

「――どした?」

 それに触発されるように嫌な感情が生まれていた。

 嫌いな味でもらった不快感よりも、そっちの方が顔に現れていたようで砂羽に気づかれてしまう。

「いや――」

 どう言えばいいのか、よく言葉を選んでから話せと少しの間を挟む。

 ……余計なことは言うな。

 変化のことだけ言えばいい。そう自分に言い聞かせる。

「――実は以前会ったときと、ちょっと違うことに気づいた」

「違うって、何が?」

 砂羽が首を傾げる。

 当然わからないだろう。砂羽は少し前の鈴木の娘を見ていない。

 もしウチにバイクを買いに来たときの鈴木の娘を見て、今日ここへ来た彼女の顔を見比べていれば……きっと一目でわかった。

「……髪の質が違ってたっていうか」

「なんだそりゃ?」

 わけがわからんと言った顔をする。そりゃそーだろうな。

 俺の動揺に気づけても、俺が何を気にかけているかなんてことはさすがに気づくわけがない。

 ――髪。

 まずそこから変化を感じた。以前は母親を意識して伸ばしていると思っていた髪が随分と綺麗になっていた。

 それが忘れようとして忘れられない過去を釣り出し、気づかせる。

 富岡も学生時代のあるときを境にそう変化した。

 それに倣うように鈴木の娘も変わっている。

 ……そしてあの顔。

 あれは忘れもしない――好きな相手を追っている女の顔。

 学生時代の富岡もあんな顔をしていたときがあった。

「……」

 相手がどんなやつかはわからん。俺には関係のない話だ。

 それはわかってる。けど考えてしまう。

 ……もしも学生時代好きだった富岡に生き写しのあの子の選んだ男が、ロクでもない野郎だったらとそんなくだらないことを考えてしまう。

 自分がおかしいことはわかっている。

 キモチワルイ。自分でもそう思う。

 ……だがそんなバカなことが自然と浮かんできてしまう。

 俺があの子の親父なわけでもないのに。何考えてんだと頭を抱えたくなった。

 父親である鈴木は俺以上に嫌な気分になるというのに……。

 それだけに鈴木の娘が選ぶ相手がいい相手であってくれることを心の奥底で祈っていた。

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