STAGE5

「遠乗りに行きませんか」

 朝食の席での突然の提案に、さすがにエアリアスが一瞬、目を円くした。

「乗馬は、なされるのでしたよね」

「クリスのようには乗りこなせませんが、一応は」

「上等です。今日は天気もいいですし、たまには出かけるのも気分が変わっていいと思いますよ」

 にこにことクリスは続ける。昨日とはうって変わった明るい様子に、エアリアスはかすかに首を傾げたが。

「……楽しそうですね」

 拒みきれずに頷いた。

「巫女様」

「私がいるから大丈夫。レナたちも、半日休みのつもりでのんびりするといい。……かまいませんでしょう?」

 女官が控えめに口を挟んだが、クリスが如才なくあしらって巫女に確認を求める。ええ、とエアリアスは唇に笑みを刻んだ。

「そうですね、そういう日もあっていいでしょう」

「じゃあ、決まりですね。一刻したら呼びにあがりますので、動きやすい衣装を選んでおいてください。そうそう、悪いけれど昼食を詰めてもらえるかな」

 後半の台詞は、紅茶をつぎ足しに来た女官に向けたものだ。乗馬を免れた安堵とふいの休みがもらえた嬉しさに、満面の笑みをたたえて彼女は了承の返事をした。

「では一刻後にまた」

 馬の様子を確認してきますと言い置いて、軽やかにクリスは食堂を立ち去った。無論出口で振り向いて、きちりと礼をとることは忘れない。その場にいた女官の半分が、頬を染めてそれを見送った。

「何故だろう……生き生きしてる」

 こっそりとエアリアスが呟いた一言は、どうやら誰の耳にも届かずにすんだらしかった。



 クリスがあるじのために選んだ馬は、ほっそりとした肢体の白馬だった。もともとスタイン家の専用厩舎で飼育されたもので、普段の乗馬である鹿毛に故障がある場合に使う予備の馬だ。女鞍は、厩舎にあったものを探し出した。クリス自身は初めてこの神殿に来たときにも乗っていたその鹿毛に乗る。

 さして手間取らずに巫女が女鞍に落ち着いたのを確認して、クリスは片手に昼食のかごを持ったままひらりと鹿毛に跨った。

「では」

 クリスが促し、巫女が頷いた。見送りの女官に微笑みを返し、手綱を軽く白馬の背にあてる。女性陣が怖がらない程度の、ごくゆっくりした速度で馬が前進を始めた。さすがによく訓練されている。

「夕刻までには戻るから」

 女官たちに手を振り、片手で器用に手綱を操ってクリスがその半馬身後ろにつく。二頭は徐々に速度を上げ、神殿の裏の広大な原へと溶け込んでいった。



 神殿から完全にこちらの姿が見えなくなったと思われる頃。

「巫女様。一度停めて、降りていただけますか」

 クリスがそう声をかけた。何事かとかすかに眉をひそめつつ、エアリアスは手綱を絞った。クリスはさっさと自分の鹿毛から飛び降りると、手を貸して巫女を白馬から降ろし、そのまま鹿毛のほうへ連れていく。

「はい、どうぞ」

「……え?」

「この鞍のほうが楽でしょう」

 この、と言いながら指したのは、クリスがついさっきまで乗っていた鞍……すなわち騎士隊の刻印のある、男鞍だ。

「はい、これをつけて。少し重たいですけどね」

 対応に困って瞬きを繰り返すエアリアスの肩に、クリスは制服からはずした騎士隊の濃緋色のマントを羽織らせた。

「……騎士隊一日体験ですか?」

 苦笑しながら、判ったぞという風にエアリアスが尋ねる。

「ちょっと違うんですが。これは、遠くから見ても変じゃないようにとだけ。このあたりは神殿の領有地ですからまあ人目もないはずなんですが一応、用心はしておきます。……さあ、とにかく乗ってみてください」

 ほらほら、と急かされて仕方なくエアリアスは馬上の人となる。鞍に腰を落ち着け、両手で手綱を握ってみて、思わずため息がもれた。

「その乗り方、初めてですか。随分違うでしょう?」

 得たりとばかりにクリスがぽんぽんと馬体を叩いて、笑った。

「……ええ」

 足を片側に揃えて、身体をひねって座る女鞍の乗り心地とは根本的に違う。両足で馬体を挟み、真っ直ぐ正面を向く。安定感も視界の良さも、頬に当たる風の感じ方まで違うようだ。

「驚きますね。本当に楽だ」

「そうやって乗っていいのが、男だけなんて不公平だと思うんですけどね。ドレスを着ているから駄目だなんて、じゃあドレスなんか着なければいいのに」

 いつの間にかクリスが、白馬に横座りして同じ視線の高さで肩をすくめた。慣れない鞍で、しかも片手にかごを提げたまま、楽々と乗りこなす姿はさすがだ。

 とりあえずあそこまでと、クリスが指さしたのは丘のふもとに固まって数本の木が生えた場所だ。すぐ近くにはせせらぎも見える。程良く陰をつくるそこに、昼食のバスケットを降ろしてクリスはまたひょいと馬上に戻り、さてといってエアリアスをかえりみた。

「どうぞ、好きに駆けてください。そいつは利口ですから振り落としたりしませんよ。一応、私も隣を走らせていただきますからご心配なく」

「……クリスはいいんですか? その鞍で」

「一応こっちも慣れてますから、充分です。なんなら駆け比べでもします?」

「そちらは遠慮します。勝てそうもないですから。……では、お言葉に甘えようかな」

「存分にどうぞ」

 余裕のある笑顔でクリスが応じた。エアリアスはすっと表情を真面目なものにし、軽い掛け声と同時に手綱を鹿毛の首に弾ませた。その顔をどこかまぶしそうに見つめ、一瞬後クリスも白馬の腹を蹴って追いかけた。


 太陽が真上からやや西にずれた頃、やっと二人は馬の足をゆるめた。水場の近くに手綱を繋ぎ、少し離れた場所に布を広げて昼食を並べる。片手に提げられるぶんだけと注文したこともあってふだんよりささやかな食事ではあったが、運動と戸外の空気の作用で充分に美味だった。

「ご感想は?」

「美味しいですよ」

「…………。同感ですけどね。ええと」

「とても楽しかったです。ありがとう、クリス」

 そうじゃなくて乗馬のほう、と言いかけたクリスにあっさりとエアリアスが笑いかける。遊ばないでくださいと上目づかいにクリスが苦情を言ったが、あまり迫力は出なかった。

「久しぶりに、思い切り身体を動かした。気持ちが良かったです、とても」

「疲れはないですか?」

「ええ、全く」

「では巫女さ……」

「ああクリス」

 クリスの台詞を強引にさらって、エアリアスがにっこりと妙に強気な笑みを見せる。

「『巫女様』は、なしにしませんか。もうだいぶ慣れましたけど、やっぱり変な気分ですよ。クリスにはもうばれてるのだから、女性名詞を使うのもお互い違和感があるでしょう?」

「……はあ。では、『エアリアス様』?」

「それも却下しましょうね。『エア』でいいです。もともとそれだけで呼ばれていたし」

「エア様」

「エ・ア。それだけ。『様』も、いりません」

「それはさすがにけじめというものが……」

 眉根を寄せるクリスを、じろりとエアリアス――エアが、睨みつけた。なんだか目が据わっている。

「駄々こねてるとクリスタル嬢とか呼ばせていただきますよ?」

「……うっ……」

 五秒考え込んで、クリスが折れた。

「……私が叱られたら庇ってくださいね」

 恨めしげに呟く。いつの間にか、また翻弄されている気がする。今日の遠乗りでやっと、こちらが主導権を取ったと思ったのに。

(まあ……珍しい表情が見られたから、いいかな)

「ええ勿論。それでクリス、話を戻しましょう、私は疲れてはいないですけれど、なんです?」

「え? ああ。実は今日の趣向は乗馬だけじゃないんです」

「………?」

「失礼。ほんとは良くないことなんですが、目を瞑ってくださいね」

 す、と立ち上がり、クリスは手を伸ばして手近な木の枝をぽきんぽきんと二本折った。どちらも手頃な太さで同程度の長さだ。外した右の手袋とともに、そのうちの一本をクリスはエアに手渡す。

「間に合わせですが。騎士隊式の稽古をつけて差し上げます」

 今度こそ驚きを隠せないエアの様子に、クリスはにっと唇をつり上げた。勝った、とは内心で、こっそり呟いた。



「昨日色々考えました。私になにができるかなと。昨日巫女様……っと、エアは『騎士隊に入りたかった』と仰ったでしょう? でも、過去形で語る必要はないはずだ。騎士隊は実力を示せば年齢上限はありません。次代の白珠の巫女様が出れば、神殿だって貴方に続けろとは言わない。その時点で入隊試験を受けることを考えたって構わないでしょう」

「……そう……そうですね。あなたの言うとおりかもしれません」

「勿論巫女でいらっしゃる間は私は守護としてお護りしますし、エアにもそう振る舞っていただかねばいけないと思いますが」

 一瞬だけ視線を逸らし、けれどクリスは瞬きひとつで表情を戻して続ける。

「その間こっそり稽古もつけて差し上げます。……私は貴方の理解者になるには恵まれすぎている。それは事実で、もう私にはどうしようもないことだから。いいほうに転ばしたいんです。おかげさまでこれでも剣術と乗馬は同期では一番上手いんですよ」

「……知っています。同期どころか隊内で、でしょう。武芸会で今年も優勝したと聞きました」

「光栄です。さて、どうします? 私を使いますか?」

「そう……ですね。考えたこともなかったから……」

 銀の睫毛を伏せ、空いている手を口許に当てて、エアは思案顔に沈黙した。クリスは口を挟まずに待った。

 しばらくしてエアが、顔を上げてまっすぐにクリスを見返した。ほんの少し下の目線から。

「髪を縛る紐を、貸していただけますか」

 そして破顔する。

「稽古を、お願いします」

「はい」

 嬉しさを隠しきれない表情で、クリスは大きく頷いた。



 週に一度連れ立って遠乗りに出かけるのが、それから白珠の巫女とその守護騎士との新しい習慣となった。

 気分転換を兼ねたピクニック、という名目ではあったが目的は無論、エアの乗馬および剣術の腕を磨くためだ。そして同時にその時間は、互いがあけすけに語らうことのできる貴重な時間でもあった。本来の性が属するものと逆の世界に暮らすという意味ではふたりはごく近い立場にいたし、男兄弟に囲まれて育ったクリスは、神殿の女官たち――中でも年若い、行儀見習いの少女たちの華やかで賑々しい雰囲気に対するエアの端的な見解にはまったく同意見だった。――曰く、「あれは異次元ですね」。やけにしみじみとしたその台詞を聞いて、クリスは大爆笑をしながら幾度も首を縦に振ったものだ。

 幼少のころの、たわいない思い出話もよくした。貴族の娘と孤児院の少年の、重なるところのない世界でも、夢中になった遊びは案外似ていることは新しい発見でもあった。話が弾むとどちらともなく立ち上がって、懐かしい遊びをふたりで再現することすらあった。

「なんだかばれる前よりも、クリスは気楽そうに見えますね」

 ある日エアがそんなことを呟いた。

 稽古が一段落して、ならんで風に吹かれている時だった。

「ああ、それはそうかも」

 草枕に頭を預けて、クリスはくすくすと笑う。

「だって本当に、女の子って苦手なんですよ私。よく泣くしよく笑うし、話題といったらドレス、お菓子、噂に男性の品定め」

「『異次元』ですか?」

「そ、異次元。男ばかりに囲まれて育ったから、どうも女の子の世界は判りません」

「貴女だって女の子でしょうに、ミス・クリスタル?」

 真面目くさった顔つきで、エアはクリスの本名を口にした。手の届かないところが痒いような、なんとも言えぬ表情でクリスは傍らに座る巫女を見上げた。

「生物学的には女ですけどね? 女の子、の自信はないなぁ」

「……ふうん?」

 エアは瞬きをして、ゆっくりと首を傾げた。悪くない沈黙の中で、風が戯れに金と銀との髪を揺らした。



 そんなふうに、穏やかに半年が、過ぎた。

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