STAGE3

 その日から、クリスの「白珠の騎士」としての生活が始まった。

 与えられた一室は、今までの騎士隊寮と比べて破格の待遇だった。まあ当然と言えるだろう。一介の騎士隊員と、巫女の守護騎士では天と地ほども立場が違うのだ。それに今までは身の回りのことは自分でしていたが、ここではクリスにも数人の女官が付けられ、色々と世話をしてくれる。いらないとはじめ断ったクリスだったが、例の無愛想なレナという筆頭女官に押し切られてしまった。 まあそれはいい。騎士隊入隊と共にそんなことは本人も忘れていたつもりだったが、もともとクリスの実家はフェデリアでも名の知れた貴族の名家だ。閉口したのは、女官たちが浴びせてくる熱のこもった眼差しのほうだった。

 男ばかりの騎士隊で二年暮らして、注目を浴びるのには慣れていたつもりだった。しかしなにかといっては「守護様」「騎士様」と頬を染めて寄ってくる少女らの相手ははっきり言って鬱陶しい。これが普通の男ならけして悪い気はしないのだろうが、いくら男装していてもクリスは女だ。だからこそ自分が、本当の恋愛をまだ知らぬ幼い少女たち――女官の多くは行儀見習いに来た中流階級の娘で、クリスより年下だ――には安心して騒げる対象なのだろうと判ってはいたが、喜ぶ気にもさすがになれなかった。

 それでも、白珠の巫女のはからいか、レナが気を利かせたのか、クリスの世話にあたった女官は物静かな、落ち着いた少女が多かった。それだけはありがたい。

「確かに暇といえば……暇だなあ」

 実家の私室なみに広い部屋にしつらえられた、天蓋つきのベッドにクリスは寝転がった。

 天気の良い、うららかな午後だ。日中はたいていクリスは巫女とともにすごしていたが、この時間巫女は宝珠の間に赴く習慣で、その間クリスにはすることがない。先刻まで剣の手入れをしていたが、毎日のように磨いているのでいい加減飽きてきたのだ。

 ここでの暮らしは本当に平穏だった。白珠の巫女が当初守護を不必要としたのも今なら頷ける。神殿は宮城や城下町から遠い郊外にあり、訪れるものもまずいない。上質だが奢侈にならない食事と、静かな会話や読書や散策が毎日の全てだった。

 巫女たるもののするべき生活、というのではないらしい。国の要である宝珠を守る巫女の望みは、なにをおいても叶えられる決まりだ。実際、夜毎のパーティーに遊び暮らす巫女もいると聞く。だからこの静かな暮らしは、白珠の巫女エアリアスそのひとが択んだものなのだ。

 ――エアリアス=セシル=ラフィード。実はこの巫女のことは、いまだにクリスにはよく判らない。

 いつもその美貌に微笑みを絶やさない、穏やかな性質は初対面ですぐに知れた。物腰は洗練された上品さで、会話の端々には豊かな教養が覗く。同じ年頃の少女の好む、衣装や菓子や社交界の噂にはあまり興味がないようで、クリスには正直ありがたかった。

 しかし一方で、エアリアスは年齢や出身といった個人的なことには一切触れようとしない。こちらに訊いてこないのはクリスの素性や細かなエピソードがすでにフェデリア国内では語り草になっているためもあるのかもしれないが、一週間近く毎日顔を合わせていてそういったことが一度も話題にのぼらないのもなにか奇妙だった。

 薄いヴェールがかかっているような気分、というのか。初対面のその時から、距離が少しも縮まっていない気がする。

 人見知りだとか、そういった理由ではおそらくないのだ。これはクリスの勘にすぎなかったが、あの銀髪の巫女にはなにかの理由で他人の立ち入りを拒む部分がある。

(だからどう、ってことはでも、ないんだけどね)

 寝転んだままクリスはため息をついた。相手は国の柱、宝珠の巫女なのだ。いくら一番近しい場所で守護する騎士とはいえ、巫女が踏み込まれたくないところを詮索する権利などもとよりない。

 ……ただクリスは、自分の護る巫女エアリアスに興味があるだけなのだ。好奇心というよりはもう少し強いレベルで。

 その理由は、クリス自身もよく判らなかったが。



 ノックの音に、クリスは寝台から跳ね起きる。

 うたた寝をしていた自分にかすかに赤面しながら、細く開けた扉の向こうにいたのは誰あろう白珠の巫女だった。

「お邪魔していいですか?」

 首を傾げて確認する巫女を、改めて大きく開けた扉から招き入れる。

 エアリアスは扉を後ろ手に閉めると、そこにもたれかかって上目遣いに小さく笑った。

「くつろいでいるところを、申し訳ないかなあとは思ったのですけれど。お願いがありまして」

「なんでしょう?」

「ええと。……フルーレ、お持ちですか? できれば二本」

「フルーレ、ですか? すいませんが、レイピアと一本ずつしか持って来ていなくて」

 意表を突いた問いに、戸惑いながらクリスは答えた。フルーレというのは、先を丸めた剣術練習用の剣だ。レイピアは実戦用の真剣で、どちらも騎士隊の寮にいた頃は一日たりと触らなかった日のない、クリスにとっては馴染みのものである。逆に言うと、この楚々とした巫女の口から出る単語としてはそぐわない。 

「じゃあ、練習用のキャップは? ありますね、それなら良いかな」

「あの、巫女様?」

「お願いというのはね、クリス」

 手早く脱いだ重たげな白装束の上着を寝台に放って、クリスのフルーレを手に巫女はにっこりと笑った。

「剣術の稽古を、つけていただけないかと思いまして。よろしいですか?」

 ……クリスがまともな返事をすることができたのは、まるまる十秒ほどの沈黙のあと、であった。



 閉め切った室内の温度が、半刻前よりいくらか上昇したようにクリスには感じられる。

 金属のぶつかり合う鋭い剣戟の音と、あとは互いの呼吸だけがそこにある音の全てだった。

 クリスは感嘆を禁じ得なかった。何の冗談かと思った巫女の申し出だったが、どうしてなかなか侮れない技量がこの相手にはある。無論騎士隊の若手のなかでは五本の指に入るクリスと比べるレベルには達しないが、お遊びの域でもあり得なかった。それも、剣術の教師が教えるような型どおりの剣技ではなく、どこか野性的な、実戦向きの動きだ。

「どこで、覚えられたんです?」

 繰り出されるフルーレの突きをかわしながら、思わずクリスは問いかけていた。その声音にも、レイピアを操る腕にもほとんど乱れが見えないのはさすがと言える。切っ先にキャップをはめたレイピアは安全性を考えるならエアリアスが持つほうが順当だったのだろうが、儀礼用の装飾のぶんフルーレより重く、そのためクリスがこちらをとることにしたのだった。

「昔、初歩だけ教わって……、あとは、独学です」

 答える巫女のほうは、息があがってきている。そろそろ潮時かとクリスが考えた瞬間、ふところ深くエアリアスが突いてきた。

(よし)

 冷静に身体を引いて剣を避け、同時に思い切り右手のレイピアをはね上げる。きいんっ、と火花が散り、フルーレが持ち主の手から弾かれて宙に舞った。

 はっと巫女が目を見開く。だが落ちた剣を拾おうという動きは阻まれた。巫女が一歩行かぬうちに、磨き込まれたレイピアがぴたりと胸許に突きつけられていたのだった。

「……さすがはクリス=スタインですね。完敗です」

 ため息をついて巫女が微笑んだ。

「巫女様も相当の腕前でいらっしゃいますよ。正直、驚きました。運動がお好きとも思っていませんでしたし」

 クリスもまた笑みを返して、レイピアを引こうとした。それと、エアリアスが乱れた髪を整えようとした腕が妙なタイミングでぶつかり、キャップが飛ぶ。しまった、と思ったときには遅かった。何気なく動いたエアリアスの服に、レイピアの切っ先が引っかかっていた。軽装の巫女の、白い極上の絹地の胸許が斜めに大きく、裂け。

「……あ」

「…………」

 室内に沈黙が落ちる。

 謝罪の台詞がクリスの舌で凍り付いていた。

 なんとなれば。

 切り裂かれた白絹の下、灯りにさらされた白い素肌が――

 女性のものでは、なかったからだ。……まぎれもなく。

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