白珠の巫女

文月夕

STAGE1

 いつもどおりの訓練が終わって、自室でくつろいでいるところに、呼び出しがきた。

 慌てて外出着に代え、足早に部屋をあとにする。凝った装飾のされた、厚いドアをいくぶん緊張した面持ちで二度、叩いた。

「入りなさい」

 聴きなれた声が招く。

「クリス=スタイン、参りました」

 堅苦しい挨拶の言葉とは裏腹に、クリスは柔らかに微笑んで言った。

「早かったな」

「暇な時間でしたから。いつでもこうとは、お思いにならないでください」

「心掛けよう」

 重厚な机の向こうで、初老の男は肩をすくめた。

「さて。無駄な話は君は嫌いだろう。さっそく本題に入る」

 男は心持ち身を乗り出した。クリスは無言で、先を促す。

「フェデリア騎士隊長として命ずる。君は明日から、白の宝珠の巫女様付になりたまえ」

「……は?」

 クリスは目を円くした。

「私が……ですか!? 白珠はくじゅの騎士に?」

「クリス=スタインが二人いるのかね?」

 騎士隊長の茶色い目がからかうようにきらめいた。

「それとも嫌か? ならば仕方ないが……」

「いえっ、とんでもありません、光栄です! ただその、……女の私が命じられるとは思いませんでしたので」

「君は優秀だ。何の問題もない。入隊直後に『女と見るな』と啖呵を切ったのは君ではなかったかね? それに実のところ、今回は君にこそ適任だと思ってね」

「私が適任、ですか?それはどういう……」

 形のよい眉を、不審げにクリスは寄せた。騎士隊長は人の悪い笑みを作る。

「逢えば判る。ともかく、すぐに荷物をまとめたまえ。今晩迎えが来るそうだ。こちらにはあまり来られなくなるから、皆に挨拶も忘れずにな」

「……判りました。では、のちほど参ります」

 訊きたいことは山のようにあったが、この騎士隊長から秘密が聞き出せた試しはない。それに命令とあれば、どのみち選択権はないのだ。時間を無駄にするだけだと判っていた。

 それに、何といっても国内でたった八人の「宝珠の巫女様の騎士」はフェデリアの誉れだ。なれるはずはないと判ってはいても、女の身で騎士団に飛び込むようなクリスが憧れたのも当然だった。 その一人、白珠の騎士に自分がなれるというのだ。何かの間違いでも、かまわない。

 湧きあがる喜びに、クリスの心は躍った。

「では、失礼いたします」

 それでも表向きは落ち着いた仕草で、騎士隊長にクリスは頭を下げた。珍しく束ねていなかった淡い金の髪が、さらりと肩をすべった。



 騎士隊員のクリス=スタイン。その名は、フェデリア国内では良く知られている。

 理由は簡単だ。クリスがフェデリア騎士隊初めての女性騎士だからである。二年前、上位数名のみが騎士隊への入隊を許されるトーナメント戦に、クリスは性別を偽って出場した。そしてあっさりと決勝まで勝ち上がると大観衆の前で正体を明かし、騎士隊長に向かって言った。「私が優勝したら、入隊を許していただきたい」と。

 その場の雰囲気を味方につけたクリスの勝ちだった。クリスは見事優勝の栄冠に輝き、騎士隊員の地位を得た。弱冠十五歳で。

 だがクリスの名が売れているのは別な理由もあった。唯一の女性隊員ということを別にしても、クリスはそこにいるだけで目立つのだ。緩くうねる、ゆたかな黄金の髪。白く透ける肌に、申し分なく整った造作。長い睫毛に縁取られた瞳は深い湖の色をしている。背は女性としては高いだろう。もともとの素質と騎士隊の制服の印象があいまって、クリスには性別を感じさせない透明な美しさがあった。クリスタル=リーベル=スタイン――もはや私的な場面でもめったに名乗らなくなったその美しい本名を、惜しんだのは両親だけではなかった。クリス自身は、むしろうっとうしいドレスや化粧から解放された嬉しさでいっぱいで、大喜びで男名前を使っていたのだが。

 もちろん騎士隊に入ってしまえば、女だからという特別扱いはほぼなかった。大概が相部屋なのを、はじめから一人の部屋をもらったことくらいだ。あとは日頃の訓練も危険な任務もみな男と同様にこなしてきた。

 腕にも体力にも自信があってこその入隊の決意だったから、それはクリスの苦にはならなかった。ありがたかったのは、隊員が思いのほか好意的にクリスを迎えてくれたことだ。風当たりは強いだろうと覚悟していたから、拍子抜けしたといっていい。といっても、隊員がクリスをマスコットのようにちやほやしたわけでもない。彼らはおなじ任務を担う仲間として、クリスを迎え入れてくれたのだった。

 騎士隊の入隊資格には「武術に優れ、知性に溢れ、人品卑しからぬ人物」とある。そしてこれはフェデリアの謎のひとつなのだが、不思議と見目麗しい青年が多い。「巫女様の騎士」には及ばずとも、国の少女たちにとってフェデリア騎士隊員は憧れの王子様に違いなかった。そんな彼らだから、クリスのことも偏見なく受け入れてくれたのだろう。

 今日も彼らのその態度は変わらなかった。どことなく気後れしたような表情でラウンジに赴いたクリスを、待っていたのは拍手の嵐だった。

「なに辛気臭い顔してる。十七歳で白珠の騎士様だぞ。威張れ威張れ」

 痛いくらいの力で背中を叩いて、大柄なユーリグが笑いかけた。

「ほらほら、今日でしばらくお別れなんだろ? せっかくこうして祝ってやろうってんだからさあ、さっさとおいでよ」

 同期で入った人懐こいエドマンドが、友達を引っ張るのとエスコートするのの中間くらいのやり方でクリスの手を取って、輪の中に引き入れた。

 有無を言わせずに葡萄酒のなみなみと入ったグラスを押し付けられ、気がついたらユーリグが乾杯の音頭を取っていた。歓声とともにグラスが高々と差し上げられ、次いで互いにあわせられて澄んだ音をそこここで響かせた。クリスのグラスになど四方八方から手が伸びてきてしばらくクリスは立ち往生するしかなかった。



 夜更け。クリスは再び、騎士隊長の部屋を訪れた。

 クリスの顔を見るなり、騎士隊長はくっくっと笑い声をもらした。

「……なにか?」

「いやいや」

 何でもない、というふうに手を振りながらも、隊長は笑いを引っ込めない。クリスは憮然とした。が、すぐに気づく。したたかに呑んだわけではないし、自覚としては素面しらふなのだがクリスは酒が顔に出る質だ。先刻の葡萄酒の名残が一目で判ってしまうのだろう。

「皆は、祝福してくれたかね」

「はい。……ありがたいと、思います。恨まれても仕方ないと覚悟していましたから」

「私は心配はしなかったがね。皆はおまえを可愛がっているからな」

 返事のしようがなくて、クリスは困ったように首を傾げた。

 そこに、ノックの音が聞こえた。入りたまえと隊長が答え、扉が開くのにあわせてクリスは脇によけた。

 入ってきたのは質素な白装束に足首までを包んだ女性だった。一礼する仕草は洗練されている。一目で神殿仕えの女官と知れた。

「白の宝珠の巫女殿みこでんより、巫女様の守護殿しゅごどのをお迎えにあがりました。……こちらが?」

 最後の言葉はクリスを意識したものだった。慌てて、クリスは会釈をする。

「そう、クリス=スタインと申すものです。若いですが腕は保証します。……クリス、支度はすんだのだな?」

「はい」

「では、よろしいですか?巫女殿へお連れいたします」

 女官はクリスに向き直ると無表情に言った。緊張に少し顔を強張らせて、クリスは頷いた。



(白珠の騎士、か……)

 馬の背で揺られながら、クリスは胸のうちで呟いた。

 迎えの女官は並んで進む馬車の中にいる。深夜ということもあり馬車に乗れば良いと言われたのだが、クリスは固辞した。守られた馬車のうちにいる騎士というのはどうも様にならないではないか。それに、もし自分が男ならば馬車に同乗など女官は考えもしないだろう。

(そう、そもそもどうして私なのだろう?)

 やはり、それが不思議だった。

 八人の宝珠の巫女というのは、フェデリアの神女だ。紅、蒼、黄、翠、紫、白、黒そして虹の、八色の宝珠がフェデリアにある。この宝珠はそれぞれ一つの力を司って国をまもっている。宝珠の巫女は宝珠に選ばれた乙女で、宝珠の力を引き出せる唯一の存在だった。何か災いが起きた時のみならず、平時にも宝珠の巫女なくしては宝珠は力を失い、フェデリアの国土はたちまち衰えるだろう。また、巫女の体調や精神のゆれも、宝珠にダイレクトに影響する。何の危険も、不自由もないように巫女は遇さればならなかった。

 そのために選ばれるのが、宝珠の巫女の守護騎士である。武勇に優れ、知識教養も申し分なく、心細やかで精悍な青年。国の大事を預けられるのだから、条件は厳しい。

 入隊してたった二年、まだ十七歳でしかも女である自分に、任じられる役目とは情けないが思えなかった。

「……弱気になってる場合じゃないっ」

 手綱から離した手で、クリスは自分の頬を叩いて気合いを入れる。

 祝福してくれた仲間たちをがっかりさせたくはない。隊長の見込み違いなんて言われて、すごすご帰るのは真っ平だ。

 姿勢を正して、真っ直ぐ前を見据える。その目に飛び込んできた石造りの白亜の建物が、「白の宝珠の巫女殿」だった。

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