緑指の魔女
桐央琴巳
第一章「特命」
1-1
ここはデレス王国。万年雪を頂いた
その王宮の中でも、とりわけ豪華にしつらえられた王太子の居室の中で、突然の命を受けたヴェンシナは、場所柄もわきまえずに悲壮な声を上げた。
*****
「ええっ!? そんなっ!?」
十九歳という実年齢から遠くはなれた童顔が、大事な玩具を奪われた子供のようにみるみると青ざめてゆく。
「何だって僕が、そんな酷い仕打ちをうけないといけないんですかっ!? 真面目にお勤めしていたら、 三年ごとに貰えるっていうこの一月休暇を、どれだけ僕が待ち遠しく思っていたか……あなただってご存知でいらっしゃるでしょう!」
「その通りだよ、ヴェンシナ」
旅立ちの挨拶に来たヴェンシナに、デレス国王からの密命を伝えた黒髪の貴公子は、三人の小姓たちに髪を梳かせ、爪を磨かせ、着付けを手伝わせながら鷹揚に頷いてみせた。
「それで君は、会う人会う人に、最近のご機嫌の理由を聞かれてペラペラと話していただろう? もうすぐ念願の一月休暇が貰える。そうしたら故郷に里帰りする。僕の故郷は国外れのシュレイサ村。僕の帰省にあわせて、姉さんが結婚することになった。地道に貯めていた給金をはたいて、お祝いに絹を送った。姉さんは美人だから、きっと綺麗な花嫁になるだろう……」
「うっ……」
「そんな楽しそうな話を、彼が聞き逃す筈はないだろう。君は彼にだけは注意深く、休暇の使い道を話していなかったつもりだろうけれど、王宮の鼠でさえ知っているような噂だったからね」
「ううっ……」
「君の故郷がシュレイサ村でさえなかったら、こんなことにはならなかったと思うけれどね。不本意だろうが王命が下ったことだし、諦めて任に就きたまえ」
「あっ、あんまりですっ」
半ば涙目になりながら、ヴェンシナはせつせつと訴えた。
「そもそも僕は……国境警備隊の兵士になるつもりで、入隊を志願したのに……。希望を撥ねられて、殿下のお守りなんかにされてしまって、その上、楽しみにしていた休暇まで、ぶち壊しにされるなんてっ……!」
「私を目の前にして、君もよく言うねえ」
半ば呆れ、半ば感心しながら、身支度を終えた貴公子は、全身が映る姿見でその仕上がり具合を確かめた。
衣服の着崩し方、髪の癖の付け方も申し分がない。流石は王太子付きの小姓といったところであろう。ヴェンシナと自分の会話をそ知らぬふりで聞き流し、無駄口を叩かぬところも、眉一つ動かさぬ口の堅さも一級品だ。
「何度も言っているだろう。君が王太子付きの近衛二番隊に配属されたのは、君の可愛い顔には近衛騎士の白い制服が似合うだろうと、皆の意見が一致したからだ。君のことは国王王后両陛下もいたくお気に召しておられるからね、転属はいくら願ってもおそらく無理だろう」
「ですけど、副たいちょ――」
「今、何と呼ぼうとした? ヴェンシナ」
それまでの穏やかな話しぶりが、嘘であるかのような凄みのある声で、貴公子はヴェンシナを一括し、黒い瞳を冷たく光らせた。
「私がこうして、ここにいる意味が何故わからんのだ! 私のことはアレフキースと呼べ、馬鹿者!」
「申し訳ありませんっ、アレフキース殿下!」
ヴェンシナはそれまでの愚痴も忘れる勢いで、慌ててその場に畏まった。
「そう、それでいい」
アレフキースは典雅に微笑むと、近習が宿直する為の続き部屋に視線を送った。
「彼はとうに準備を終えて、うずうずと君を待っていることだろう。視察や慰問の経験はあるが、お役目を離れての田舎暮らしは初めてだからね。それなりの報酬もあることだし、ヴェンシナ」
アレフキースはヴェンシナの肩にがっしりと手を置いて、重々しく、そして、真摯に告げた。瞳は笑っていなかった。
「ランディを頼む。陛下と私の信頼に、しっかりと応えてくれるね」
「……畏まりました」
ごくりと息を飲み込んで、ヴェンシナはうべなった。
彼がことを起こす度に、一番迷惑を被っているのは、実はこの人なのかもしれないという思いが、ちらりとヴェンシナの脳裏をよぎる。
「よい休暇を。それから君の姉上には、私からも祝福を」
「……ありがとうございます」
「心のこもらない返事だね。仮にも王太子からのお言葉だよ。しっかり伝えてもらわないと」
「ええ、それはもちろん、なんですが……」
ヴェンシナは深々と溜め息をついた。
「よい休暇をとおっしゃるなら、今からでも陛下に掛け合って、僕を一人で帰らせてもらえませんか? 僕の為がだめなら、姉さんの幸せの為に」
「なかなかしぶといねえ、君も」
堂々巡りが始まろうとした時、続き部屋の扉が勢いよく開いて、引き締まった長身を旅装束で包んだランディが、待ちかねた様子で王太子の部屋に踏み込んできた。
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