第五章 馴致 -2-

 八日余りをかけて天上に弧を描いていた太陽は、すでに地平線の向こうへと姿を消していた。いまは夕暮れの薄闇に包まれる〈逢魔がとき〉であったが、その薄闇も次第に色を濃くし、徐々に夜の帳へと変化しつつある。

 しかし、地球の自転周期を基にした〈太陽系標準時〉に従って活動する人々にとって、そのような事象的変化が日々の生活に影響することはほとんどない。

 〈機構軍〉の一部隊である〈森の精〉ヴァルトガイストにおいても、一日三交代の中で日勤にあたるAシフトに就いている者たちは、先ほど午前中の仕事を終え、暗くなってゆく空を眺めながら、昼食を摂りはじめたところであった。

 司令部ビルから西へ一・五キロメートルほど離れた運用区画で働く整備士メカニックやパイロットたちも、急を要する作業以外は中断し、空腹を満たすべく休憩室や整備群本部と飛行群本部が共用するビルの食堂に集まっている。

「で、なんでこんな時間に、おまえらがここにいるんだ? 学校はどうした?」

 休憩室に置かれたテーブルの上には、各自の昼食の他に、差し入れの弁当などが並べられている。その一つからウィンナーを取りながら、整備士の一人が言った。テーブルの向こうには、言わずと知れた〈グレムリン〉二匹。

「大丈夫。今日の分のノルマは、昨日のうちに提出してあるから」

 セピア色の髪の〈グレムリン〉が、ミニコロッケを頬張りながら答える。言いつつも、目は次の「獲物」を物色中だ。

「あ、いや、そーいう問題じゃないだろう。友達と遊ぶのも、社会勉強というか何というか……なぁ?」

 微妙に論点をすり替えられて混乱した整備士は、同僚たちを見回し、同意を求めた。しかし腹を満たすことに集中している同僚たちは、なおざりに返事をするばかりだ。

 誰にも相手にされずに整備士がいじけていると、今度は金髪の〈グレムリン〉が澄まし顔で言い放つ。

「学校の友達は、もう仲良しだからいいの。今度は新しい友達と仲良くなるつもりなの」

「新しい友達?」

 意味ありげな言葉に、その場にいる整備士たちは思わず昼飯をかき込む手を止めた。お互い顔を見合わせ首を捻る。

「エビネ准尉だけど?」

 対してミルフィーユは、「なにを当たり前のことを訊くのだ」とばかりに眉をひそめる。

「友達扱いかよ!」

 新人とはいえ、倍も歳の離れた士官を掴まえて「友達」だとほざく子供たちに、整備士たちは呆れかえった。そんな彼らも、〈グレムリン〉たちにとっては「大きなお友達」としてしか認識されていないのだが。

「それはそうと、『賭け』トトカルチョの方はどうなったのさ? 准尉が来てからもう二週間ちかくになるのに、どーしてみんなこの話をしないの?」

 相変わらずヴァルトラントは巧みに論点をすり替え、追求を逃れる。それどころか、〈森の精〉ヴァルトガイスト上層部には「公然の秘密」となっている「賭け」のことを持ち出し、さりげなく攻撃してくる。

「えっ――と、なんの話かなぁ?」

 隊員たちは、わざとらしくすっとぼけた。しかし、その中でも〈グレムリン〉たちとは一番付き合いの長いミシェル・マルロー一等軍曹だけは、少年の言葉を受け止めた。

「ああ、あれね。君たちが『隔離状態』になったおかげで、一旦は仕切りなおすことになったんだ。でも一週間ちかく准尉を見てるうちに、『賭けが成立しないんじゃないか』っていう意見が出はじめてさ」

「成立しないって、どーいうこと?」

 おおよその見当はついているが、あえてヴァルトラントは確認してみた。賭けは「新人が一ヶ月のうちの、何日目に逃げ出すのか」を予想するものだ。それが成立しないということは、答えは自ずと導かれる。

「どうも准尉は、意外とタフみたいなんだよね。だから、期間内に逃げ出さずに粘る可能性も出てきた――というわけで」

 予想どおりの答えに、少年は満足そうに笑みをこぼした。自分の選んだ人材がどの部署からも高い評価を受けているというのは、喜ばしいことだ。まあ少しばかり出来すぎのような気がしなくもないが。

「なもんで、別の賭けを始めちゃった。基地司令官オーブの、次の愛人の髪の色を当てるっていう」

 マルロー軍曹は少し気まずそうに肩をすくめて、基地司令官の息子に告白した。同僚たちがその発言を非難するが、若手整備士のリーダー格で、副司令官機付きの整備班長であるマルローは、片手を上げただけで連中を抑えた。

「まあ、ありがちかも知んないけど、それなら確実に結果が出るね」

 自分の父親の私生活が賭けの対象だというのに、ヴァルトラントは不快な顔もせず、むしろ平然と評価した。

 ウィルが恋人を取っ換え引っ換えしているのはいまに始まったことではなく、〈森の精〉ヴァルトガイストでは周知の事実である。

 そしてヴァルトラントは、そういったウィルの色恋沙汰に関して、特別な感情や不満を持つことはなかった。彼が物心ついた時にはすでにそういう状態であったし、恋人ができたからといって、ウィルは息子に孤独を感じさせるようなことは決してしないからだ。

「ヴァルティ、そこで確認しておきたいんだけど、大佐のいまの恋人って、蜂蜜色ハニーブロンドだよね?」

 マルローは新緑色の瞳を興味という色に染めて、身を乗り出した。いや、軍曹だけでなく、この話を耳にしていた誰もが、期待を込めた目で少年を見つめている。

「え? 褐色ブルネットだよ。三日前までなら、ブロンドだったけど」

 噂好きの隊員たちにしては遅い情報に、少年は意外そうに眉を跳ね上げた。

「げ、もう変わってるし」

 少年の言葉に隊員たちは一瞬絶句したが、すぐにざわめきたった。

「おい、そしたら、この場合はどーなるんだ? やっぱ、この次のが対象になるのか?」

「そりゃあ、そうだろう」

「うわっ、俺ブルネットに賭けたのに」

「希望を捨てるのはまだ早いぞ、同志。次もブルネットかもしれんではないか!」

 投票はついさっき締め切られたところだ。そしてその時点では、みんな「大佐の現在の恋人は、蜂蜜色の髪」だと信じていたのだ。それを踏まえて立てた予想は、少年のもたらした情報によって水泡に帰し、賭けに参加してた者――特に「褐色」に賭けていた者に、精神的な打撃を与えた。

「そーいや、いままでブルネットが二回続いたことって、なかったよーな。苦手って言ってたし」

 一喜一憂している連中に、ヴァルトラントは淡々とした口調で追い討ちをかける。

「ああぁっ!」

 大人たちの騒然としたさまを、〈グレムリン〉たちは呆気にとられて見ていた。が、ふいにヴァルトラントの携帯端末が軽快なメロディを奏でだすと、弾かれたように顔を見合わせた。そして空になった弁当箱を手早く片し、何事もなかった体を装うと、「もう行かなくっちゃ」と立ち上がる。

「あ、弁当ありがと。おいしかったよ」

 マルロー軍曹がそれに気づき、出て行こうとする子供たちに声をかけた。

「うん、エビネ准尉に言っとくよ」

「そう、よろしく――って、ちょい待ち!」

 何気なく流しかけた軍曹は、聞き捨てならない名前に、慌てて少年たちを引きとめた。二六には見えない童顔を、怪訝そうにしかめて問いただす。

「それ、准尉の弁当だったの? まさか、准尉に断わりなく勝手に持ってきたんじゃ……」

 大の仲良しである軍曹に疑われ、少年たちは不満そうに口を尖らせた。

「やだなぁ『勝手に』だなんて。そんなことするワケないじゃん」

「そーだよっ。ちゃんと『ごちそうさま』って、メモ書いて置いてきたもん!」

「――って、やっぱ、パクってきてんじゃないかっ!」

 マルローは椅子を蹴って立ち上がった。ヴィンツブラウト、ディスクリート両大佐から、悪さをした時は叱るように命じられている。その命令を実行しようとした軍曹だが、廊下に飛び出した時には、すでに〈グレムリン〉たちの姿は見えなくなっていた。


 司令部ビルの下士官用食堂で、エビネは黙々と日替わり定食を口に運んでいた。その顔は、周囲の下士官たちが声をかけるのもためらうほど、憤然としている。

 とはいっても、別に〈森の精〉ヴァルトガイストの食堂やランチに文句があってのことではない。むしろ、安いだけが取柄と言える軍隊の食堂にしては味も良く、メニューも豊富なこの基地の食堂を、エビネは充分気に入っていた。

 しかし彼は、まだ肉料理をメインとした木星風の味に馴染んでいなかった。だから故郷の味を懐かしんでか、時間に余裕のある時は弁当を持参するようにしていた。

 連合しているとはいえ、やはり木星と土星では日常で使われる言葉も生活習慣もまったく違う。その違いに慣れない上に、例の〈馴致〉に関するストレスを抱えているエビネにとって、その弁当を食べる時だけは肩の力を抜くことができたのだ。

 なのに、今日はせっかく作った、それも素晴らしい出来だと自負する卵焼きの入った弁当を、〈グレムリン〉に奪われてしまった。ふわふわの、それでいて弾力があり、かぶりつくとしっとりジューシーな卵が、〈グレムリン〉の書置きという変わり果てた姿になってしまったのである。それを見たエビネの心中は、推し量るべくもないだろう。

 とはいえ、頭に上った血が食事をするうちに胃の方へと流れたのか、エビネは次第に冷静になってゆく。

 確かに、この程度のいたずらは悪ガキの定番といえる。それに先任たちに「標的になっているぞ」と再三忠告されておきながら、警戒を怠っていた自分も悪い。それは認める。そもそも弁当一つで大騒ぎするのは大人げないし、バカらしい。卵を食べ損ねたのは悔しいが、ここは「大人の男」らしく、度量の大きなところを見せてやろうではないか。

 と、エビネはなんとか自分の気持ちを宥めた――つもりだった。定食を平らげ、食後の茶を口に含むまでは。

「あ、いたいた。じゅーんいっ、調子どう?」

 能天気な挨拶とともに現れた〈グレムリン〉の姿を目にした途端、エビネの心に、あのメモを見た時の感情が蘇った。

 エビネは「決して責めはすまい」と、噴出しそうになる感情を必死で押し止めていたが、結局その圧力に耐えることができなかった。

 一度はほぐれた眉間が、みるみる険しくなってゆく。准尉は低く押し殺した声で、悪びれもせず笑顔を向けてくる少年たちを糾弾した。

「あのね、勝手にひとの弁当持ってかないでくれる?」

 子供たちは、エビネのただならぬ様子に「自分たちのやったことが思いのほか准尉の機嫌を損ねたのだ」と悟って、顔を強張らせた。

「え、あんまり美味しそうだったから、つい……ごめんなさい」

 意外と素直に出てきた謝罪の言葉に、エビネは勢いをそがれた。どうやらこの子供たちは、こういう部分では妙に素直になるようだ。こう簡単に謝られてしまっては、基本的にお人よしであるエビネはこれ以上怒ることができなかった。

「……まあ、悪いと思ってるんなら、いいんだけど」

 新米准尉は、口の中でもごもごと呟いた。そしてやり場のない不完全燃焼の怒りを持て余したのか、緑茶の入ったカップをヤケ酒でも飲むようにグイと呷った。

 少年たちは下げていた頭を恐る恐る上げ、そんな准尉を窺った。エビネと目が合うと、ニッと白い歯を見せる。

「ありがとう、准尉。准尉ならきっと赦してくれると思ってたよ」

 その目はいたずらっぽい光を放ち、これが、怒られ慣れている〈グレムリン〉たちの「手」であったことを物語っていた。

「このっ!」

 そのふてぶてしい態度にエビネは拳を振り上げたが、それが「単なる振り」だと見抜いている子供たちは、ニッコリ笑ったまま避けようともしない。

 まだまだ〈グレムリン〉の方が上手だと気づいた新入隊員は、早々に降参した。渋面を作ったままだが、大きく息をつきながら赦しの言葉を吐き出す。

「……ったく、しょうがないなぁ」

 言い終えて一瞬、横目で少年たちを睨む。が、すぐに破願した。少年たちも、満開の笑顔を見せた。

 その邪気のない笑顔に、エビネはなんだかんだ言いつつも〈グレムリン〉のことを甘やかしてしまう先任たちの気持ちが、何となくだが理解わかるような気がした。

「ところでさ、もうお昼は食べ終わったんでしょ? だったら、ちょっと付き合ってよ」

 両者の和解が成立し、なんとかその場が落ち着くと、ヴァルトラントはエビネのトレーを覗き込んで言った。皿は綺麗さっぱり空になっている。

「付き合うって、どこへ?」

 至極当然の疑問を、エビネは返す。少年はその問いに、片目を軽く瞑って答えた。

「食後の散歩。午後の仕事が始まるまで、まだ時間あるでしょ。お弁当食べちゃったお詫びに、准尉がまだ行ったことのない処を案内してあげる」

「……?」

 〈グレムリン〉に対する警戒を怠ったがために、弁当をくすねられたというのに、好奇心に負けたエビネは、ついその誘いに乗ってしまった。

 司令官親子の〈馴致〉プログラムが、始まろうとしていた。

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