第一章 〈森の精〉 -3-
その後なにごともなく一週間が過ぎ、各地の士官学校を卒業した新米士官たちへの辞令が一斉に発せられた。同時に受け入れ先の機関へは、配属命令書が送付される。
カリスト司令本部からの指令書を受け取った
「あいつら」
司令官は小さく舌打ちすると、端末のコムを通して隣の副官室にいる主席副官のパヴェル・ホルヴァース先任曹長を呼び出し、指示を与える。
「ホルヴァース曹長、
「はい、大佐」
ウィルのキレやすい性格を熟知しているホルヴァース曹長は、余計なことは一切聞かず、言われたことに取りかかった。
まず
結果一五分後には、ヴァルトラントとミルフィーユの二人は、目を白黒させながらウィルの前に立っていた。残念ながら司令本部からのレポートは間に合わなかったが、まあこれは大佐が〈グレムリン〉を締め上げている間に届くだろう。
とりあえず主要な任務を終えた中年の先任曹長は、喚く子供たちを残して司令官室をあとにし、自分の執務室へ戻った。
一方、残された子供たちは、パニック状態でホルヴァース曹長の背中に悪態を投げつける。それも当然だろう。突然警備兵とともに現れたと思えば、有無を言わさず自分たちを強制連行したのだから。
「何なの、一体っ!?」
二人は悪態をつくべき相手が消えると、今度はウィルに向かって、戸惑いと、いきなり「拉致」されたことによる怒りとを露わにした。だがウィルはそれを無表情で受け流し、努めて穏やかな声で切り出した。
「いましがた、カリスト司令本部から指令書が届いた。例の、新人の配属命令だ」
その言葉は子供たちの怒りを解いた。一瞬何の話か判らずにきょとんとするが、すぐに顔をほころばせる。
「あ、今日だったんだ! ねぇねぇ、『それ』ならあの二人も満足すると思わない?」
ヴァルトラントは得意そうに鼻をうごめかせて言った。その隣に立つミルフィーユも胸を張る。
「どう、僕たちの仕事? 完璧でしょっ?」
子供たちは自分たちの仕事の成功を確信し、得意満面の表情でウィルから「お褒めの言葉」を賜るのを待っている。
しかし、ウィルは依然として難しい顔のままだ。
その様子に異常を察し、少年たちは少し不安になった。
「完璧かどうかは、これを見てから言うんだな」
感情のこもらない声でウィルは言い、自分の前にあるモニタを指し示す。
少年たちは思わず怪訝な顔を見合わせてから、ウィルの横へ回り、示されたモニタを覗き込んだ。そして驚きの声を上げた。
「なっ!?」
「うそっ!?」
二人は我が目を疑った。大きな目をさらに大きく見開き、見る見る色を失っていく。その様子をウィルはじっと観察した。
「まさか……そんな……」
茫然と画面を見つめるヴァルトラントを押し退けて、ミルフィーユはウィルにしがみついて訴えた。
「僕たち、ちゃんと経理部長とミス・バーバラの希望どおりのを選んで、書き換えるようにしたんだよ! なのに、どうして……どうして二人の名前が消えてるのっ!?」
「それはこっちが訊きたい。指令書には三人の名前が書かれるはずなのに、ここには広報部へ配属する者の名前しかない。しかも、その書き換える必要のない広報部員の名前も変わっている。どうしてこうなったんだ?」
淡い色の着いた眼鏡の奥から、動揺するミルフィーユの瞳を見つめて、ウィルは静かに問い質した。
「どうしてって言われても、解からないよ、大佐……」
作業は完璧だったはずだ。一体なぜこんなことになってしまったのか。
ミルフィーユは皆目見当がつかなかった。
「クラックがバレてたんじゃないのか?」
二人の様子から、これがワザとではなく何らかの事故であるらしいことを感じ取ったウィルは、二人の行動を検証することで原因を探ろうと考えた。
「それはない……と、思うよ。クラック中、探知された気配もなかったし、落ちる時も足跡は全て消してあるから。それにバレてたんなら、もっと早くに連行されてるか、何らかの反応があるはずだよ」
ミルフィーユは目を机の上に落とし、クラック当日のことを一つ一つ思い出しながら答えた。
「プログラムは? どういう処理をしたんだ?」
「〈カリスト〉サーバ上にある名簿のオリジナルデータ自体は触ってないよ。あの後も人事部の方で確認したり、書き換えたりするかも知れないと思って。だから、向こうのネットワーク監視プログラムに似せた〈
それなりの自信があっただけに、ミルフィーユはこの失敗にかなり衝撃を受けていた。だが自分たちの行動を思い返すことによって、次第に落ち着きを取り戻す。彼もウィル同様、自分なりに推測して原因を探り出そうと試みた。
「それに万一書き換えに失敗しても、初めに来る予定だった〈ヒヨコちゃん〉の名前が出力されるだけで、全く消えてしまうことなんてないよ。予定が変わって、
「あ……」
原因究明の糸口を見つけたミルフィーユとウィルは、同時に声を上げて顔を見合わせた。
「消したんだ。
ミルフィーユがうわ言のように呟いた。
それが本当だとしたら、こちらでは対処できない。データのすり替えは、
「人数が減った件に関しては、その線が濃厚だな」
とりあえず納得した様子でウィルはうなづいた。
「で、もう一つ。どうして広報部の方も書き換えたんだ?」
「だから書き換えてないってばっ。そっちのデータは全然見てないし、触ってもないもん。んなこと言われても、僕にだってさっぱり解かんないよ」
ウィルの質問に、ミルフィーユはお手上げとばかりに肩をすくめた。
「ふむ……」
自分らに対する疑いが解けたのか、いくらか顔つきが穏やかになったウィルを見て、ミルフィーユは安堵の息をついた。
「ところで――」
が、それも束の間、再びウィルが口を開いた。「今度はどんな難癖をつけられるのか」と、ミルフィーユの幼い顔が再び緊張で引き締まる。
「おしゃべり好きのこのバカ息子は、いつもなら屁理屈こねまわして煙に巻こうとするのに、どうして今回は黙ってるんだ?」
「えっ!?」
突然の話題の変化に一瞬戸惑ったが、ミルフィーユはすぐにウィルの言いたいことを理解した。
そう言われてみればそうだ。普段ならこんな時、説明役に回るのはヴァルトラントの方なのだ。それが、なぜか今回は自分がしゃべって、彼が貝のように口を閉じている。いままでどこか違和感があったのだが、これでようやく合点がいった。
ミルフィーユは、さっきから押し黙っている親友に目をやった。セピアの髪の少年は、腕組みをしてモニタを凝視したまま、考えに耽っている。
「ヴァルっ!」
ミルフィーユが肩を掴んで声をかけると、ヴァルトラントは我に返り、目をぱちくりさせた。そしてゆっくりと振り返ると、訝しげに口を開いた。
「おかしいよ、コレ。俺、
「どーいうこと?」
かすかに声を震わせて何かを訴える少年に、ミルフィーユとウィルが声を揃えて聞き返した。非常にイヤな予感がするのは気のせいか。
「ミルフィーはダメだって言ったけど、俺どうしてもこの人を入れたくて、ミルフィーが作業してる間に、こっそりデータを差し替えたんだ。でも、それは経理部に入れるつもりだったんであって、広報部に入れるつもりじゃなかったんだよ。なのにどうして、この人は広報部員として配属されちゃったんだろう?」
ヴァルトラントはいかにも不思議だとばかりに首を捻った。
親友の答えを聞いて、ミルフィーユの頭に新たな疑問がよぎった。何となく答えは解かってるような気がするし、できればそれを聞きたくはなかったが、ミルフィーユはあえて問うた。
「あのさヴァル、一つ聞いていい? 僕、この人の名前とか見たことないんだけど、一体どこの名簿から拾ってきたのかな?」
「〈タイタン士官学校〉だけど?」
ためらうことなく返ってきた答えに、ミルフィーユは息を呑んだ。そしてそのまま五秒ばかり、能天気に笑っている親友の顔を見つめていたが、不意に顔を歪めると、
「ヴァル――っ!?」
と、天にも届けと言わんばかりに絶叫した。
「あれほどダメって言ったのに、何てことを――っ!」
「えーっ、だってミルフィーが止める前にダウンロードし終わってたからさぁ。まぁ、見つからなかったんだから、いいじゃん」
いかにも答えるのが面倒くさいかのように、手をひらひら振るヴァルトラント。その態度にミルフィーユはムカッときた。怒髪天を衝く勢いで、親友に食ってかかる。
「『いいじゃん』じゃないでしょーっ! 僕に言わずにこっそりデータを替えるなんて、何考えてんの!」
「言ったら怒るだろっ!」
「当たり前でしょっ! だいたいヴァルは、いつもそーなんだからっ」
売りことばに買いことば。熱くなるミルフィーユに、血の気の多いヴァルトラントもつい言い返す。そして、突如始まった子供たちの悪態合戦に、ウィル一人がついていけなかった。話が急展開して全く見えない。
「ちょ、待てっ。何のことかさっぱり解からん。なに? その〈タイタン士官学校〉って。タイタンって、土星のか?」
ウィルは改めて指令書が映し出されているモニタを覗き込んだ。指令書には顔写真と名前、出身校、簡単な経歴などが挙げられている。さっきは一瞥したとたん頭に血が上って、赴任者の経歴まで見る余裕がなかったのだが、いま見ると、そこには確かに「出身校・タイタン士官学校」と記されている。つまりこの士官候補は、土星のタイタンからこの木星のカリストまで遠路はるばる赴任してくることになるのだ。そして元々
ウィルは自分の血の気が引くのを感じた。こういう例が全くないとは言えないが、よほどのことがない限り、このような越境的な人事はなされない。
「なんでタイタンなんだ? おいっ!」
詳しい説明を求めるが、罵り合いに我を忘れている子供たちは、全く聞いてはいない。それどころか、いまにも取っ組み合いの喧嘩に発展しそうな勢いだ。
このままでは埒が明かない――そう思ったウィルが怒声を上げようとしたその時、手元のインターコムが鳴り、ホルヴァース曹長が声をかけてきた。あまりにタイミングが良すぎだ。きっとミルフィーユの絶叫をきっかけに、声をかける間合いを計っていたに違いない。
「大佐。
「……わかった、回してくれ」
怒りを発散しそこねた司令官は、唸り声とともに応えた。彼は溜まりまくったストレスのはけ口を副官に向けてやろうと、もう一度口を開きかけたが、ホルヴァース曹長の方が半秒早かった。
「それと、ブライアー中佐とバーバラ大尉が面会を求めています」
決して大きくはない冷静な声が発した名前に、ウィルはおろか子供たちまでもピタリと動きを止めた。思わず三人は顔を見合す。
だが一瞬後には、ウィルがインターコムに向かって叫んでいた。
「許可するまで通すなっ」
即答で面会を拒否する。まだはっきりした事も判らないのに、いまあの二人に乱入されると余計ややこしくなってしまう。
副官は従順に返事をすると、通話を切った。そして、しばらくもしないうちにドアの外が騒がしくなる。
ウィルは固唾を飲んでドアを見つめた。いつ扉が開いてあの二人が飛び込んでくるかと思うと、落ち着いてレポートを読むどころではない。
だが曹長が勝利したのか、外の騒ぎもすぐ静かになり、司令官はようやく緊張を解いた。まったく次から次へと持ち上がる問題に、眩暈がしそうだった。これが夢ならどんなにいいか。
ウィルは軽くため息をつくと、ようやく端末に向き直って転送されてきたファイルを開いた。
一度ざっと目を通し、もう一度ゆっくり時間をかけて、吟味するように読み返す。いつの間にか子供たちも傍へ来て、ウィルがレポートを読み終わるのを待っていた。許可なく覗き込んだりしないのは、軍でのしきたりを叩き込んだ成果か。
「司令本部は何て言ってるの?」
レポートの内容を吟味し終えたのを見計らって、ヴァルトラントが父親に声をかけた。ウィルは子供たちを一瞥すると、一呼吸おいて口を開いた。
「まず結論から言うと、本部の人事部は、この指令書に間違いはないと回答してきた」
「……?」
ウィルの答えに、子供たちは首を傾げることによって応じ、先を促した。この期に及んで、うかつに口を開いて話の腰を折るような真似はしない。ウィルはその態度にうなづいてやると、話を先に進めた。
「で、こうなった理由なんだが――諸事情により他の部署で欠員が出たので、ウチに割り当てられていた二名をそちらへ回すことになったらしい。それで、ウチの方で空いた穴は埋められる人員もないし、埋めるつもりもないので欠員にした――ということだ。で、不思議なことに、広報部の件に関してはコメントされてないんだが、どう思う?」
司令官はレポートの内容を簡潔に説明し、子供たちに意見を求めた。少年たちは黙って、自分なりの意見を整理しようと考えはじめる。ウィルは二人の考えがまとまるまで、じっと待った。
相手が子供だからといって、ウィルは彼らの意見を軽視することはほとんどない。子供の視点だからこそ見えるものもあるのだということを、これまでの経験上知っているからだ。今回の件に関しては、こののち部隊幹部のあいだで討議することになるだろう。「大人の意見」が飛び交う中で、二人の意見が役に立つこともあるかもしれない。
「『諸事情』の本当の理由が判らないので、何とも言えないけど……」
ある程度考えがまとまったのか、おもむろにミルフィーユが口を開いた。
「僕たちのクラックに気づいてるか、そうじゃなく本当に別の理由があるのかによって、こっちの出方を変えなきゃならないと思う。『別の理由』だったら、人数を減らされたことに文句言ってもいい――というか、言わないと不自然だろうし、もしクラックしたことがバレてるんだったら、ヘタに文句言うとヤバイんじゃないかな。司令本部が知ってて、あえて言ってこないんだとしたら、何か裏があるのかもしれないから」
「なるほど」
ウィルはミルフィーユの考えを肯定も否定もしないまま、今度はヴァルトラントの方へ向き直り、少年の考えを述べさせた。ヴァルトラントはまっすぐ父親の目を見据え、よく通る張りのある声で答えた。
「俺は、司令本部は俺たちのクラックに気づいてないと思う」
「なぜ、そう断言できる?」
キッパリと言い切った彼に、ウィルは思わず問い返す。
「司令本部の連中が気づいてたら、隠すことなんてしないよ。絶対そのことを盾にとって、
少年の目が微かに笑っている。司令本部に対する嘲笑か、それとも、この部隊の性格を知っているからこその自嘲か。または、そのどちらもか。
「それが、『諸事情』なんて曖昧な言葉でごまかすということは、逆に司令本部の方に何か隠したいことがあるんだよ。つまり、その理由をウチに言ってしまうと、こっちに弱みを握られることになるわけ。だから『諸事情』としか言えないんだよ。だったら
「どうして?」
ウィルとミルフィーユが同時に身を乗り出す。二人とも、徐々にヴァルトラントのペースに嵌りつつあることに気づいていない。
ヴァルトラントは少し背筋を伸ばし、胸を張った。自信に満ちた声で説明を続ける。
「どういう具合で、経理部に入れるつもりだったデータが広報部のデータと入れ替わったのかは解からないけど――とにかく司令本部は、この指令書は『間違ってない』と言ってるわけでしょ。だとしたら、データが違うことに気づいてないか、気づいてても『弱み』のせいで言い出せないかのどちらかだよ。だったら、ウチとしては黙って受けた方がお得だよ。なんせ彼は、本来ならタイタン司令本部の佐官付き副官候補になるはずだったんだから。しかも士官学校での専攻は経営管理。一人で経理部と総務部のかけもちができちゃうよ。広報まで覚えたら二度どころか三度オイシイかもね!」
「――って、佐官付き副官候補ぉぉっ!?」
にっこり笑うヴァルトラントの上に、二人の叫びが降ってきた。思わず少年は顔をしかめる。
「木星圏内でも士官級を動かすのはリスクが大きいのに、土星の――しかも、そんなエリートを動かすのは、『疑ってください』と言ってるようなもんじゃないか!」
ウィルはこれまでできるだけ感情を抑えてきたが、今度という今度は堪りかねて爆発した。
ミルフィーユはというと、もう開いた口が塞がらない。
卒業したばかりで副官に任命されるということは、将来の有望株であり、土星方面軍司令部から注目されているということだ。もし今回のアクシデントがなく、データの書き換えに成功していたとしても、件の士官候補生が土星を離れる時点で、人事部その他から何らかの疑問を持たれるのは間違いない。管理のあまい下士官以下の兵たちや、成績もそこそこで使い潰しの士官にしかならない卒業生ならば、気にもかけず見逃されるだろうが。
「木星方面軍内の話ならまだなんとかなるが、土星や
「そーだよ」
「ヴァルトラントっ!」
頭から湯気が立ってる父親に対し、ヴァルトラントはのほほんとした調子で返した。
「大丈夫だよ。そりゃ、変だと思われるかもしれないけど、たぶんタイタン本部は気づかない振りして見逃すよ」
「なんで?」
眉間にしわをよせて詰め寄るウィルに、ヴァルトラントは笑みをたたえたまま、もう一度ゆっくりと言った。
「まあ、いろいろと――ね!」
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