北方征討(四)

 まあ無理もなかったし、僕も根回しをしておくべきだった。事を急ぎ過ぎたかもしれない。

 仕方ないので二人が落ち着くまで、先にアンヲルフ達と――

「えっと……こちらは?」

「これは失礼をば! この者はルギ族を率いしグンタムントと申します」

「ありがとう。ご苦労なされたようですね」

 軽い労いのつもりだったのに、感極まったのかグンタムントは泣き出してしまった。

「光を従えし若き王よ! この御恩には必ずや! 我ら乳飲み子に至るまで御身のしもべなれば!」

 そのまま跪かんばかりだったのを、慌てて押し止める。

 なんとも大袈裟……でもないか?

 ルギ族にしてみれば奴隷身分からの解放だ。それこそ子々孫々に至るまで影響する。

「と、とりあえず! 跪かないで! 僕にしても欲得ずくというか……約束を果たす流れでのことだから!

 それに聞こえたと思うけど、グンタムント殿、貴殿ら始祖の地をお返しはできない。あの地は、どうしても僕に必要なんだ。

 解放の引換って訳じゃないけど、呑み込んでくれないかな?

 もちろんルギ族の領土は確保するし?」

「なんであろうと我らがものは、リュカ様のものにございまする。御自由になさいませ」

 ……失敗した。なぜかグンタムントは、悪い意味でのYesマンになっちゃってるぞ!?

 そしてアンヲルフ! どうしてグンタムントに向けてドヤ顔なのさ! なに自慢なの、それ!?


 話が進まないので見なかったことにし、地図の東側領地を指でなぞる。

「ここをベック族とルギ族で治めて欲しい。合併といっても前より広くなったはずだし、それでいいよね、アンオルフ殿?」

「我らは始祖の地を取り戻せさえすれば……よもや我が代で、再び父なるラインへ戻れると思うてもおりませんでしたし」

 なるほど。ベック族と名乗ってたぐらいだ。川には思い入れがあるのだろう。……それがライン川とまでは、予想してなかったけど。

「ベック=ルギの連合部族となるのだから……これからはベクルギ族……いや『ベクルギ』と国を名乗っては、どうだろう?」

 それは前世史で、この地がローマ属領だった頃に使われた名称と似ていた。

 また近隣諸部族の総称もベルガエ族で、おそらくベック族やルギ族も含まれる。

 ……それにベック叫ぶルッギ人達なら、名は体を表すネーミングかもしれない。


 どうしてか感銘を受けた?アンヲルフとグンタムントが跪こうとしたのを、押し止め話を続ける。

「そして! 我々は、このままライン川を遡上し、ここまで版図へ組み込む。

 つまり、河口から低地地方ネーデルラントに隣接するライン南岸の全てだね。

 当然、途上の集落には帰順を迫る。……もしくは、その歴史に終わりを」

 低地地方ネーデルラントは前世史の国名でいうとオランダ、ベルギー、ルクセンブルクの三国に当たる。

 ざっと河口から東端まで直線距離にして二〇〇キロ。道程ならば三、四〇〇キロほど。日本の距離感でいうと東京駅から名古屋ぐらいだ。

「この区間を以て、北方への天然防壁とする。これがライン川防衛構想だね。

 そして遡上中、要所と思えたところへ城を建てる――というか、建築を予定する。おそらく五、六ヵ所で足りるんじゃないかな。

 その城主にして防衛責任者は、客将の方々に任せるつもりだよ」

 計画の全貌を聞いて皆は、何も言えないのか唸ってしまった。

 ……ちょっと時代を先取りし過ぎたかな?



 まず軍屯や屯田兵、一領具足など半農半兵の政策が、まだ真新しい発想だ。

 軍屯――ようするに兵士を開拓民として土地に封じるわけで、住民そのものが防衛戦力をも兼ねる。

 これには土地を失った士族の類が、一族郎党引き連れての参加が多かった。

 なにより開拓に成功さえすれば、元通りの身分へ返り咲きだ。やらない理由がない。

 招聘し援助する側にとっても、指揮系統込みでの参加は大歓迎だ。

 人材の育成を省略できるし、配備にも時間が掛からず即効性を見込める。

 まさに至れり尽くせりのWin-Winな関係といえた。

 ……全ては開拓地を豊かにできれば、だけど。



 さらに出城戦略、あるいは近代風に機動防御とも見做せた。

 これは国境などの防衛ライン沿いに小城や砦を築き、それを『敵襲来のセンサー兼足止め』とする戦略だ。

 とてもじゃないが総距離で三、四〇〇キロにもなろうという防衛ラインを、くまなくは守れやしない。絶対に無理だ。

 そこでわざと出城を攻めさせ、主戦力の急行する時間を稼ぐ。

 またライン川そのものが移動手段となり、総距離で三、四〇〇キロだろうと全域をカバーできる。

 さらに北部同盟の各領地が防衛ラインの後衛だ。

 出城にしても数日ほど持ち堪えればよく、援軍の当てさえあれば籠城は守るに容易い。

 正しくローテクノロジーでも可能な防衛戦略の決定版といえる。

 ……普通は戦国時代が煮詰まった末期に、ようやく発案されるのだけど。



 ずっと黙って聞いていたウシュリバンが申し訳なさそうに口を開く。

「ライン川防衛構想?ですか? しばらくは上手く機能することでしょう。

 ですが、いずれはゲルマン共に押し負けるかと。

 なぜならライン南岸の発展と奴らの侵食速度で競争になるからです」

 ゲルマンの南下が何年も続けば主力はともかく、いずれ出城が――入植者達が耐えられなくなるとの指摘だろう。

 予想より政略や軍略に明るいのかな? 少なくとも食客達を引率した政治力は本物か。

「その御見立ては正しい。僕も同じ結論だし。

 でも、それならライン南岸の発展を急がせればよくない?」

「しかし、リュカ様!? 西方からの方々に、そのような余力はありませぬ」

「なら集めればいいんだよ、ポンピオヌス殿。資金は……まあ何とか用立てるとして――

 人手は嫌になる程いるじゃない? ラインの北側にさ?」

「そ、それでは御身は……帝国の奴ばらの如く、人狩りを!?」

「まさか! そうじゃありませんよ、オノウレ殿。というか――

 なにがあろうとも僕は、ラインより北へ征きません! それこそ絶対に!」

 前世史でも五本の指に入る帝王――ローマ初代皇帝アウグストゥスすら、ライン川を越えて大敗北を喫した。……実際に大泣きするほど。

 この時代に北上は不可能事の一つだろう。

「そうではなくて入植者を募るのです。

 確かに僕は、許可なくライン川を渡らせないと宣言しました。

 でも、許可を求める者まで受け入れないとは言っていません」

 まるで頓智のような主張だったけれど、我慢できなかったのかアンヲルフは微笑を浮かべる。いつぞやの自分達を思い出したのだろう。

「なるほど。リュカ殿の御威光に縋り、臣民として降るのであれば受け入れる。そういうことでありましょう?」



 そもそもゲルマンの南下を――民族大移動を、ライン川防衛構想防ぎきれる訳がなかった。

 というか、その程度で止められるなら西ローマが滅びるはずがない。


 前世史でも低地地方ネーデルラントはゲルマン系が占めていた。

 当然、北ガリア――フランス北部だってゲルマン系が多いし、そもそも僕や母上もゲルマンの血を引いている。

 前世史のノルマンディ地方にいたっては、さらに後続のノルマン人が由来だ。

 結果を見ればラインどころか中央ヨーロッパあたりまで、民族大移動の波は届いている。


 そして民族大移動とはゲルマン人の専売ではないし、その先頭や最期でもない。

 有名どころだとゴート人やケルト人が先行しているし、それへガリア人が続き、ン族に追われたゲルマン諸族も倣い、さらに寒冷化を理由に北欧系も参加予定だ。

 これらの区分が前世史では使われなくなったのも、この過程で混血が進み区別が難しくなったからと思われる。

 日本で弥生系や縄文系といった括りを、日常では使わないようなものか。


 ようするに民族大移動とは世界レベルに広範囲かつ長期間に渡った出来事で、ン族とゲルマン諸族に――いま見える範囲だけに注目してしまったら失敗する。……あの大ローマ帝国ですら半壊したように。

 ゲルマニアドイツだけでなく、ヨーロッパの上半分から何百年も絶え間なく人が押し寄せてくる。

 それが民族大移動の真実だ。場当たり的にゲルマンドイツ人だけを止めても意味はない。

 また押し止められるような類のものでもなかった。それは人に為せることではない。不可能事だ。



 ライン川防衛構想ダムを作っても、すぐに満水が予想されて、いずれは決壊する?

 なら決壊しないように放水してしまえば――ゲルマンの南下を受け入れてしまえばよかった。

 突き詰めてしまうと厄介なのはゲルマンでなく、それが起こす水害戦争の方だ。

 それに『水害戦争なしでゲルマンを引き受ける』と『両方共に引き受ける』を天秤にかければ、選択の余地はない。……どちらも拒否は選べないのだから。


「僕には成功が叶うと――いや、挑むに足る価値ありと思えました。

 しかし、それには諸侯の助力が……また何よりも先に、卿らの力が必要です。

 どうか卿らの御力を、このリュカめに御貸し頂けませんか?」

 僕にしては真摯に御願いをしたつもりなのに、しかし――

 五人は一斉に跪いて!?

 態度で示してくれたのだろうけど、これは誰の!? この何かというと皆が跪くようになったの!?

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