風説迷宮 -Labyrinth made from gossip-

成瀬川るるせ

第1話

格好良くない。

格好のつけ方を、残念ながらボクは学んでいない。

 格好がつかないまま、ボクは〈聞いて〉いる。

悪魔たちの〈声〉を。



          *****



 見えない。

〈見えない魔物〉が唸る。

ビルの群れ。

路地裏。

暗くて狭くて、どこからかの視線を背中に感じるここで、〈見えない魔物〉が嘲る。

咆哮が充満する。

充ち満ちるその声は排水の嫌なにおいと絡まりあう。

気を確かにもたないと押しつぶされてしまいそうだ。

 ボクは一度、丹田に力を入れて目を瞑り、滅入らないように自分に言い聞かせてから目を開ける。

誰もいない。

暗い、狭い、路地裏だ。

「お嬢ちゃん。君、耳がいいの? 悪いでしょ! 流言も聞こえないんだから。頭が悪いから、どうせ聞こえても理解できないだろうけどね。君には、才能がこれっぽちもない! わかる? 無駄! 聞こえてる? 無駄! ねぇ、聞こえてる? いいよねぇ、自分の悪口が聞こえないなんて!」

 声だけが聞こえる。ボクに対する声なのは明白だ。

 息を整える。

銃を構える。

銃口を向ける先は、ゆらゆら揺れている、『あの日の残像』だ。


手が震える。

撃てるか。

怖い。

でも撃つしかない。


「君の考えていることは筒抜けだよ。語彙力もないからね、思い浮かぶ言葉なんてたかがしれている、すぐわかる。わかるかな? バカにされているのが。わからないかな」


 残像は揺れる。陽炎のように。


「ねぇ、お嬢ちゃん。バカにされているの、わからないでしょう?」

 銃の引き金を引く。

 チッ、外した!

飛び出した弾丸はゆらゆら揺れる残像から逸れて、わきにあったポリバケツを撃ち抜いた。

散乱するごみ。

隠れていた猫が飛び出して走り去っていく。

 残像が近づいてくるのがわかる。

残像がボクに手を伸ばす。

普通の意味合いでは〈見えない〉けど。


〈見えない魔物〉は、ボクには『あの夏の残像』に〈見える〉のだ。ほかの魔法少女には違う見え方をするらしいけど。それが、〈幻獣〉。


「感染しそうだ……」


 こめかみを指で押さえる。

 悪意と敵意が感染する、その前に、撃たないと。

 助けは……来ない。決めたでしょ。

 助けられるんじゃなくて、助けるんだって。

助けるのはボクの役目なんだって。


 ずっと悩んできた。

見えない魔物……この残像。

ボクはあの日の残像を殺しつくす。

ほかの魔法少女を助けるなら、自分の残像の始末を自分でつけなくちゃダメなんだ。

「自分の悩みに負けるなんてダメ。清算する。ここで終わらないために、終わらす」

 もう一度、銃を向ける。

「聞こえませーン。お嬢ちゃんは頭が悪いだけじゃないんだねぇ。ものをしゃべることも碌にできないんだねぇ。バーカ。バカは頭の中がぐにゃぐにゃだからねぇ。顔までぐにゃぐにゃ。本当に人間の顔かい、ブサイクが。ひゃっは。清算だとよ、ひゃひゃひゃひゃ。できないことはすんなや」

見えないけど、確かに存在するそれに。

「清算できない? できる。いつか。ボクは耳が悪いんだ、ごめん。キミタチの声なんて、知らないよ!」


 銃を撃つ。


 衝撃が自分にもくるが、体勢を崩さないようにして前をちゃんと見る。


「おかしいのはキミタチの方だ! ボクはキミタチには殺されない!」


 弾丸が〈見えない魔物〉に吸い込まれていく。

首が折れて、身体から血が飛び出る。

骨の断片が肉片と一緒に地面にぐにゃり、と落ちる。

吐血する身体、と言えばいいのか?

噴き出す血。血。血。血。血。

断末魔もボクは無視する。


そして消える、〈声〉。


この場の〈虚妄空間〉が弾け飛んだ。



 涙があふれる。

聞こえていたんだ、全部。

声の針がボクに刺さって、涙が出る。

 いつだって。

 今だって。



 セピア色の思い出の中。

泣いていた。

ボクはあの日、泣いていた。

誰も助けてくれなかった。

思い出しすぎると〈虚妄空間〉に取り込まれてしまうだろう。

残像に隙を突かれて。


だから、涙があふれても。最後の一線で食い止めて、泣かない。思い出さないように。

「嘘つき」

 ボクはいなくなった〈見えない魔物〉の〈声〉に毒づく。


「嘘つき」


 もう一度言ってから、ボクはその場から去る。

 そう。ボクには『聞こえる』んだ。

 これが、魔法少女としての、ボクと〈幻獣〉との戦い。




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