第9話 姪のいないクリスマス。
「お……お父さん!!?」
急な父の来訪に、紗月はこれでもかというほど目を見開く。
三渕慶介は姉・美月の夫だった男だ。
しかしそれは過去の話。二年ほど前、紗月が小学校に上がって間もなくのことだった。
ある日突然、三渕は姉に離婚届けを叩きつけたのだ。三渕の話を聞いた姉は、話し合いも設けずにそのまま届けにサインをした。そして、その離婚届を持って家を出た三渕は、二度と姉と紗月の前に姿を現すことはなかった。
その事後、離婚の理由を聞いて俺は愕然とした。
一言で言ってしまえば不倫だった。俺はそれだけでも許し難い事だったし、彼に対する怒りも最高潮に達した。しかしそれだけでは終わらない。なにより不倫の相手が最悪だった。
不倫相手は
三渕はもともとネクスティアSの社員ではなかった。どういった繋がりがあったかは分からないが、三渕は東條社長に取り入り不倫関係を持つに至った。
そして姉と離婚した三渕は東條と再婚しネクスティアSへ就職。そしてそのまま副社長の座に就いた。
そう、三渕は家族を捨て、金と地位を選んだのだ。
俺も同じ男として全く気持ちが理解できないわけではない。業績ウナギ登りのIT企業の副社長の座が約束されるなんてウマイ話、俺でも真っ先に飛びつきたくもなる。
しかし、家族を捨ててまでかと言われると、そんなことは絶対にない。あり得ない。論外だ!
俺は家族を捨ててまで得るものに、価値なんて全くないと思っている。そこまでしなければ手に入らない物なら、最初から欲しくもない。俺は絶対に家族を裏切らない。
それでも三渕はそれを平気な顔でやってのけた。そんな奴、俺の中では最低のクズ野郎だ。
叔父さんが三渕に連絡を取っていたことは千冬から聞いていた。それでも、彼は何も動かないものだと思っていた。
だって、金と地位を選んで姉と紗月を捨てたんだぞ。あれから姿を現さなかったどころか、連絡の一つさえ寄越したことはない。そんな奴が、元妻がどうなろうが娘が孤立しようが関係ないはずだ。
それなのに今――三渕は紗月の前に対峙している。
今さらノコノコと出てきやがってなんのつもりだ――
俺は湧き上がる怒りから拳を強く握り締めるも、静かに二人のやり取りを眺めた。
「先日、お義母さんの弟さんから連絡があってね。美月と紗月の事を聞いたんだ。その……美月のことは残念でならない……」
三渕はどこか淋しげ表情で言う。全くどの口が言ってやがるんだか。
「紗月もすぐに迎えに来てやれなくてすまなかった。なにしろ、何も聞かされていなかったから知らなかったんだ。何故、三か月もの間、連絡ももらえなかったのかは分からないがね」
そう言ってチラっとこちらを見る。クソっ! 一言多いし、いちいち腹の立つ奴だ。
「え……? 迎えに……って……?」
紗月はポカンと口を開けて呟いた。
「そう、迎えに来たんだ。紗月、私と一緒に帰ろう」
三渕は頬笑みながら紗月へ手を伸ばす。
「おい! ちょっと待てよ! 今さら迎えに来たってどういうつもりだよ!? そんなんが通用するとでも思ってるのか!?」
俺は横から入り声を荒げる。さすがに紗月の前で「捨てたくせに」とまでは言えないので、出来るだけ包み隠した。
「私は紗月の父親だ。当然だろう」
「くっ……」
それを当然だと言い切られてしまえば返す言葉がない。いや、言いたいことはいくらでもあるが、やはり紗月の目がある以上あまり強気に出られないと言う現状だった。
「この三ヶ月間、紗月を預かっていてくれてありがとう。貴大君には感謝しているよ。しかし君の役目は今日で終わりだ。紗月は私が引き取る」
「いや――だから勝手に話を進めないで下さい! いきなり現れて引き取るとか言われても納得出来るわけがないだろ!? 父親だからって――」
「貴大君。紗月はなにか習い事や学習塾には行っているのかな?」
三渕は俺の言葉を遮る。
「なんですか……塾って……紗月はまだ小学三年生ですよ。まだ行かせているわけがないじゃないですか」
「はあ……貴大君は紗月の将来をどう考えているんだ? 小三で塾は早い? そんなことはない。今はこのくらいの歳から当然のように塾に通っている子は多い。習い事だってそうだ。幼いころからやっていないと教養が身に付かない。この三ヶ月間、一体君は紗月に何をさせて過ごしていたと言うんだ?」
「何をさせてって……」
「どうせ学校の行き来しかないんだろう? そして学校から帰ってきたら家事でもやらせていやんじゃないのか? 私はね、貴大君。こんな教養の育まれない、劣悪な環境に紗月を置いておけないって言っているんだよ」
三渕は冷たい目つきで言い放つ。
俺が今まで紗月と過ごしてきた日々を劣悪と言うのか――
しかし目の前に居る男は、俺とは価値観がまるで違う人種だった。
紗月の将来――そんなことは考えたこともなかった。劣悪だと言われても仕方がないのかもしれない。――が! やっぱりそんなので言いくるめられるわけにはいかない!!
「確かに俺は紗月になにもさせてあげられてはいない! でもそんなんで紗月の将来はまだわからないだろ!!? それが紗月を引き取る理由だって言うんだったら、塾でも習い事でもさせてやるよ!!」
「そう言う問題じゃないんだよ。君は子供一人を養うにはまだ若すぎる。家庭を持ったこともないから子供に対する視点が甘いんだ。ただ人に言われたことをやらせていればいいというわけでもない。
それに貴大君、これは君のためでもあるんだ。これから仕事の方でも上に立っていくんだろうし、やがて家庭を持つことにもなるだろう。そんな人生の節々に紗月の存在はきっと邪魔になる。ただの重荷でしかなくなる。それで損をするのは貴大君、君自身なんだ。
そしてそれは紗月のためにもならない。そうやってお互い足を引っ張って生きて行くのも辛いだろう?
なにより、自分の娘の将来がそんなことで摘み取られていくのは親として我慢ならない」
三渕は冷静に俺を諭すような口調で言う。俺のため、とは言っているものの、最期の一言だけが本心なのがバレバレだ。結局、大人の理想像を子供に押し付けたいだけじゃないか。
しかし、このまま俺といたとしても本当に紗月のためになるのだろうか? そんな疑問が頭を過ぎる。確かに紗月の将来を考えるなら、今のままではいけない。果たして、俺は紗月のために何をしてやれるだろうか?
そんな迷いが俺の口を噤む。ほんの僅かな時間がこの状況をガラリと変えた。
「行くよ」
そう呟くように言ったのは紗月だった。
「え……? 紗月……今なんて……?」
「行く。私、お父さんとこに行くよ」
そう紗月はしっかり言ったのだった。
「うん、それがいいだろう。紗月がそう言ってくれて私も嬉しいよ」
三渕は娘に優しい表情を向ける。
「え……でも……今日じゃないよね? まだ全然準備も出来てないし……」
「準備は必要ない。衣類から学習道具まで生活に必要なものは全てこちらで新しく用意してある。手ぶらでも問題はない。だからそうと決まればすぐにでもこんなところ出てしまうぞ」
「ええっ!? もう!!? で、でもまた学校……変わっちゃうんだよね……? だったら、今の友達にお別れくらいは言っておきたいかな……」
「そうだな。学校は私立の枠を確保してあるからいつでも編入が可能だ。友達に関しては諦めなさい。どうせ、もう二度と会うことはないんだろうから」
紗月は暗い表情で俯く。そしてしばらく考えた後、口を開いた。
「うん…………分かった……」
「物分かりのいい子だ。では、そろそろ行くとしようか」
そう言って歩き出した三渕は、リビングのノブに手を掛ける。
「おい……ちょっと待てよ!! 紗月…………本当に行くのか……?」
紗月は振返り俺と向き合う。その表情は人形のように無機質だった。
「短い間だったけどお世話になりました」
丁寧にお辞儀をして三渕の後を付いて行く紗月。
「今までありがとう――――」
一言そう残し、リビングのドアを閉めた。
あまりにも急な別れに、取り残された俺は茫然と立ち尽くす。
ゆっくり歩いてリビングのドアを開ける。廊下から眺める玄関には既に誰の姿もなかった。
いや、実は隠れて俺を驚かそうとしているのかもしれない。
紗月の部屋のドアを開けるも紗月はいない。
洗面所、浴室、トイレ、全て確認したけれど、どこにも紗月は居なかった。
この家にはもう――紗月の姿はどこにもない――――
ソファーに深く座り天を仰ぐ。色んな考えが頭をぐちゃぐちゃにかき混ぜて、何がなんだか分からなくなる。
しかしどんなに考えても、紗月のいないこの空間が虚しく映るだけだった。
「ああ!! クソっ!!」
俺は勢いに任せて家を飛び出た。
電車を乗り継ぎ三十分。閑静な住宅街の一角にある一軒家の前に立っていた。
何故、わざわざここまで足を運んだか分からない。言ってしまえば、電話でも事足りただろう。
しかし、動き出した足は止められず、その勢いのままインターホンを押した。
少しして玄関の扉が開く。
「はい、どちら様……ってタカ兄じゃん。急にどうしたの?」
扉を開けたのは千冬の姉で大学四年生の
「叔父さん……いるか?」
「うん、リビングでテレビ見てるけど……ってタカ兄!?」
いる事だけ聞いた俺は千夏の横をくぐり抜け、玄関を上がりリビングへ直行する。そしてリビングのドアを乱暴に開けた。
大きな音に驚いた叔父さんがこちらを見る。
「ああ……貴大君か……急にどうしたん――」
「なんでわざわざ三渕に連絡をとったんだ?」
俺の睨みつける様な表情や言葉から状況を読み取ったのか、叔父さんは姿勢を正す。
「彼が……来たのか?」
「ああ、ついさっきな。全く……なんでそんな余計な事を――」
「彼は紗月ちゃんの父親だろう? だったら彼にも紗月ちゃんの現状を知る権利はあってもいいはずじゃないか?」
「あいつは父親なんかじゃねえ!! あいつは姉ちゃんと紗月を捨てたクズ野郎だ!! そんな奴が今さら出てきて父親だと? ふざけるな!! アイツにはこれ以上紗月と関わる権利すらない!! なんで放っておいてくれなかったんだ!!?」
「確かに彼のしたことは許されることじゃない。私だって貴大君の気持ちは分かっているつもりだ。しかし――娘に愛情を抱かない父親はいない――――」
「はっ! アイツは自分の事しか考えてなかったよ。そんな奴に愛情があるなんて思えない!」
「何も感じていなければ会いに来ることすらなかったはずだよ。それでも彼は来たんだろう? 彼は何のために紗月ちゃんに会いに来たんだい?」
そう言われて俺は答えるのを少し躊躇う。未だにふんわりとして受け入れられていない現実を突きつけられたような気分になった。
そう―――――紗月のいない現実を――――
「アイツは…………紗月を引き取りに来た……」
「そうか……それでどういう話になったんだい?」
「話し合いもクソもねえよ…………紗月はアイツと一緒に出ていった……」
「何!? 来たのがついさっきでそういうことになったのか!?」
「最終的に決めたのは紗月だけどな…………今はもう……ウチには紗月はいない――――」
誰かに口にして話したところで、紗月が居ないことを自分の中で認めてしまったのが分かる。
ああ――――もう居なくなってしまったんだな――――
その感情だけが胸の奥で何度も反芻する。
俺の言葉を聞いた叔父さんは「そうか……」と呟き表情を曇らせる。
「ほら。やっぱり余計なことだったじゃん」
そう言いながらリビングへ入ってきたのは千夏だった。
「千夏……聞いていたのか……お前はそうやってまた、大人の事情に口出しするつもりか――」
叔父さんは鋭い眼光を千夏に向ける。
千冬の話では千夏と叔父さんはこの話題で喧嘩していると言っていた。その後どういうことになったのかは聞いていないが、この様子だとどうやら蒸し返してしまったようだ。
「口出しするよ!! だってやっぱりおかしいもん!! 他の女の元に行った父親なんてほっとけばいいじゃん!! 私だったら今さら何しにきたのって思うよ! お父さんは親の目線でばっかり言うけど、全然子供の気持ちを考えてない!」
「お前と紗月ちゃんは立場が違うだろう。紗月ちゃんはまだ小学生なんだ……今回だって紗月ちゃんの意志で行ったというし、やっぱりそういう人物が必要だったってことだろう」
「そんなしょうがないみたいな言い方しないでよ!! 最初からそのつもりだったクセに!! こんなやり方、タカ兄の気持ちを考えてない!! お父さんはタカ兄の気持ちなんて――――」
「もういいよ、千夏」
俺は千夏に割って入る。
「もういいって……タカ兄だって納得してないんでしょ!? だったら――――」
「いや、もういいんだよ。俺だって最初から分かってたんだ――アイツの……三渕の存在を無視して紗月と暮らし続けることに疑問は感じていた。本当にこれでいいのかよ……ってな。
三渕とは一度、紗月を交えてちゃんと話をしたほうがいいとも思っていた。叔父さんだってそのつもりで三渕と連絡を取ったんだろう?
俺は三渕と向き合える自信が無かったし、向き合おうとする気もさらさらなかった。それでも胸の奥で三渕の存在がずっと引っかかっていて、いつまでも消えてくれなかったんだ――
正直に言うと今回の件でそういうのが無くなってちょっとスッキリもしてる……
まあ結果、紗月は居なくなっちまったし、やっぱり納得の出来ない部分も多いんだけどさ――
それでも――しょうがなかったのかなあ……ってくらいには思えてるんだよ」
千夏と叔父さんは静かに俺を見据える。抱えていたものが無くなって、きっと今の俺はただの抜け殻のように映っているかもしれない。実際、ただの抜け殻か。
「叔父さん、突然押し掛けてスミマセンでした。いや……急に三渕が来て紗月を連れてって、なんか気持ちのやり場がなかったんですよね……だから直接文句を言いたかっただけなんです。でも、三渕に連絡をとってくれたことは感謝しています。やっぱり、いつまでもあのままって訳には行かなかったですから……」
「貴大君……いや、私もこんな形になるとは思っていなかったんだ……せめてお互い納得のいく話し合いが出来ればとは思っていたんだが…………紗月ちゃんの件、本当に申し訳なかった」
「タカ兄…………本当にいいの……?」
千夏は心配そうな顔で俺の顔を覗きこんだ。口では良いように言ったものの、今の俺の顔つきは生気の宿らない死人の様だろう。
「ああ――これでいいんだよ。千夏も俺のために叔父さんと喧嘩までしてくれたんだろう? 本当にありがとな」
「いや……私はお父さんのやり方が気に入らなかっただけだよ。せめてタカ兄に相談くらいすればいいのに……」
俺はそれを聞いて、力なくゆっくりと歩き出す。そしてそのままリビングを出た。
「え!? タカ兄、帰るの!?」
「ああ、こんな面した奴に長居されても迷惑だろう?」
突然現れてこちらの家庭も引っかき回してしまった。せめて千夏と叔父さんの間にも、変なわだかまりが残らないことを祈りつつ、俺は叔父さんの家を後にする。
帰り道を力なくふらふらと歩いた。なんかもう、色んな事を認めるしかなくなってしまって、悲壮感だけが俺の全身を包み込む。
今回の件で俺は自分に失望した。
いや、最初から分かっていたはずなのに、ずっとそれから目を背け続けていたんだ。
自分の中で綺麗事を並べて、さもそれが紗月のためであるかのように振舞って来たけれど、実際はそんなことは全然なかった。
結局俺は三渕慶介の事が大嫌いで、姉の遺した紗月を、アイツの元にやりたくなかった。
俺が紗月を引き取ると言った理由は、根本を辿るとそれしかなかった。
だから三渕に何も言ってやれなかったし、紗月を引きとめることも出来なかったんだ。
だってそうだろう? 三渕に「アンタが嫌いだから紗月を任せてくれ」なんて言えないし、紗月にも「俺の嫌いな奴のところなんて行くんじゃねえ」なんて言えるわけがない。
紗月を引き取る資格も権利もなかったのは他の誰でもない、俺自身だった―――ー
「ホント……くだらねえ……」
そんな自分が嫌になって、つい悪態を呟く。
歩くたびに、深い溜息ばかりが止めどなく吐き出される。
これはちょっと――簡単には立ち直れそうにもないな。
「ちょっと先輩。いい加減、その辛気臭い顔、辞めてくれません?」
俺の隣でビールジョッキを片手に松永が言った。コイツは見た目中学生なんだから、酒の席では身分証明書を首からぶら下げておいた方がいい気がする。
「ああ……すまん」
もちろんそんな事を言う気力はないので、空返事だけを返す。
「仕事中ずーーっと隣で先輩の溜息を聞いているこっちの身にもなって下さい」
「ああ……すまん」
「ああ……すまん――って! 最近そればっかりじゃないですか! 同じことしか言えないなんて、先輩はいつからRPGの村人Aになったんですか!?」
「ああ……すまん」
「…………マジカスですね……先輩といるとこっちまで気分が滅入るんで席外します。こんな虫けらといるより、ハゲ散らかした上司の点数稼ぎに晩酌しに行った方がよっぽどマシです」
そう言うと松永は舌打ちしながらビール瓶両手に、各テーブルを回り始めた。なんだ、やろうとおもえばそんな社交的な事もできるんじゃねえか。
一人残された俺は、グラスに注がれたビールを一気に飲み干す。いつも飲むビールよりもずっと苦くて全く美味しく感じない。
もう年の瀬。今日は居酒屋で部署内の忘年会が開かれていた。俺は騒がしい周りの輪には入って行けず、隅っこで出された料理をチビチビ摘まんでいる。
紗月が居なくなってから数日が経った。
精神的に落ち込んでいる俺は、相変わらずそれを引きずったまま日々を過ごしている。このままじゃいけないのは分かっているが、どうにも立ち直れる兆しが見えない。
もちろん仕事にも支障が出ているし、周りにも迷惑がかかっているのは重々承知だ。しかし職場の皆はそんな俺を気遣ってフォローしてくれている。松永だって俺を元気づけようとしてくれたのだろう。
そうやって周りに気を遣わせているのに、いつまでも立ち直れない自分に不甲斐なさを感じていた。
「隣、いいかな?」
そう声を掛けてきたのは美波さんだった。
「ええ……どうぞ」
俺はそっけなく答えるが、美波さんは気にする様子もなく隣に座る。
「あの……さ。今度の土曜日なんだけど、時間取れるかな?」
「俺は今、予定がある日はないですよ……」
「じゃあ二人でどこか行かない? 橘君まだ元気ないみたいだし、気分転換になればいいかなって。あ、どこに行くとか決めてないんだけど、行きたいところがあれば優先するし遠慮なく言ってくれていいんだけど……」
美波さんは俺の顔色を窺う。
マジでどんなイベント発生だよ。休日に美波さんと二人で出掛けるなんて、これは本当にデートと言ってもいいんじゃないか? しかもそれを美波さんの方から誘ってくれるなんて、こんなチャンス二度とない。これを断るような男がいるならただのバカに違いないだろう。
「すみません……あの……お気遣いは凄く嬉しいんですけど、今の俺は何も楽しめそうにもないんです……折角誘って頂いたんですけど……その……ごめんなさい」
でも、俺と言う男はただのバカだったようだ。
「そっか…………うん、しょうがないね。気が変わったらいつでも言って。私で良ければいつでも相手になるから」
美波さんは優しく微笑んで言った。
こんなにも気遣ってくれる人がいるのに、それに応えられないなんて俺はどうしようもないクズだな。本当に自分が嫌になる。
「おら~!! 二次会行く奴! 皆アタシに付いてこい!!」
威勢の良い佐口さんの声が聞こえる。忘年会も一旦お開きの時間が近いのだろう。二次会まで連れてかれることはないだろうが、佐口さんなら俺がどんな状態でもお構いなしの可能性は否定できない。
「すみません……一足先に失礼しますね」
美波さんにそっと告げながら俺は席を立つ。
「お疲れ様。気を付けて帰ってね」
美波さんに軽く会釈をして、喧騒が残る居酒屋を一人で出た。
外に出ると冷たい風が俺の身体を縛り付ける。ポケットに手を突っ込みながら、繁華街を歩いた。ネオンの光が色んな色に俺の顔を染め上げる。
街路樹もイルミネーションされ、この時期の夜の街はいつもに増して賑やかだ。年末を目前にして、街中が最後のビックイベントを待ち焦がれている様子が窺える。
「次の土曜日って……十二月二十四日じゃないか……」
美波さん、何もクリスマスイヴなんかに誘ってくれなくてもいいのに。こんな日に男と二人で出歩いていたら、変に勘違いされてもおかしくないだろう。
まあ、孤独な俺には今年も縁のないイベントだ。毎年買っているコンビニのケーキも、今年は買うことはないだろう。
帰宅した俺は玄関を開ける。家中が闇に包まれていてどことない寂しさを感じた。
紗月が居たころは、こんな寂しさを感じることはなかった。帰った時に部屋が明るいというだけで、こうも温かさに差があるものなのだろうか。
廊下でふと足を止める。俺は何気なく紗月の部屋のドアを開けた。
部屋の様子は紗月が居たころとそのままで、全く手を付けていない。部屋の明かりを点けると、さっきまでそこに紗月がいたかのような錯覚に陥る。
そんなことがあるわけないのに――
主が居なくなった部屋の中へ入る。ふと学習机に目を向けるとボードに何枚かの写真が貼られていた。
前に紗月とテーマパークに行った時に撮った写真だった。紗月がキャラクターや風景と撮った写真が並ぶ。俺はその中の一枚を手に取った。
俺と紗月がツーショットで映っている一枚。ああ、そういえば一枚だけ撮った気がする。
その写真を眺めていると、不思議と涙が頬を伝った。
ああ――――なんだ――そういうことか――――ー
全く――いつも俺は自分に正直になれない。適当に理由をつけて、本当の自分の気持ちを誤魔化している。
結局俺は、紗月が居なくなって寂しいだけなんだ。
ずっと紗月と居たかった。あいつの幸せな顔を傍で見続けて居たかった。
俺にとって紗月は大切な家族で、俺は紗月の事が本当に――大好きだったんだ――――
紗月の事を誰よりも幸せに育てると誓った――
でも、もうそれは叶わない――――
そんな現実を叩きつけられてさらに深く落ち込んだ俺は、過去最悪のクリスマスを一人寂しく過ごすのだった。
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