第96話


 ウールの目の前に立つ漆黒のドラゴンは体格もプレッシャーも、すべてにおいてウールを圧倒していた。うなる口から牙を覗かせ、宝玉のように妖しく不気味に輝く目。そこに映るウールは剣を構えたまま恐れを一切見せていない。


「……なぜこんなことをした?」


「この人間はお前に心を開こうとした。そんなことを我は許さぬ。人間と魔族が共存するなどあってはならんのだ」


「根拠はなんだ?」


 首をかしげるドラゴンはそのまま鼻で笑い飛ばす。鼻息がかかったウールは眉をひそめながら渋い顔で着ている鎧に液が付いていないか確かめている。


「そんなものはない。むしろ必要なのか? 人間など滅びるべきだというのに」


 するとウールは髪をかきあげ大きなため息をついた。それは明らかにドラゴンに対しての呆れを意味し、さすがのドラゴンも察して「何が気に食わん?」と問いかける。


「いや、私の父が言ってたことは本当だと思ってな。お前、災王だろ?」


「よく分かったな。ベルゴーニアの娘。いや、魔王と呼んだ方がいいか」


「好きにしろ。どっちにしろお前にはここでもう一度死んでもらうからな」


「何だと?」


「お前はもう死んだ存在。それにお前のような馬鹿を野放しにしていいと思うか?」


 ウールはさっさと済ませようと剣を自らの前に立たせ意識を集中する。ウールの足元から徐々に白と黒の稲妻がほとばしる。その現象を目の当たりにした災王は低く唸るとたちまち黒い霧を体から出し、徐々に姿を変えていく。


 するとウールは魔力を集中させていたが災王の変化した姿に目を奪われた。長く美しい銀髪、力強い金色の瞳をした女性。自分によく似ている大人の女性を前にしてウールは初対面であるはずなのに――


「……母か?」


 その答えにリンネの姿をした災王はニヤリと笑いながら手の上にグラグラと燃える黒い炎の塊を作りだす。そしてそれをウールめがけて放った。


 ウールは少し反応が遅れたものの何とか避ける。それだけでなく一瞬で間合いを詰め迷いのない斬撃を災王めがけて放とうとした。だがその攻撃はあと一歩のところで手で受け止められた。


「何の迷いもなく実の母を殺そうとするとは!」


「どんな姿をしようと、例え母であろうと関係ない」


 ウールは攻撃の隙を与えまいと目にもとまらぬ速さで剣を振り続ける。それを災王は険しい顔をしたまま避けるがじわじわと体を斬りつけられていく。その度に白く美しい肌から鮮血が噴き出す。


「私はもうとっくに決めているのだよ。皆と共に生きる、そのために世界を征服するとな」


「くだらぬことを――」


 苛立つあまり反撃をしようとした災王だがそこで隙が生じ、ウールに腹を貫かれる。顔を歪ませながら吐き出した血がウールの手と腕を赤黒く染める。それでもウールは迷わず剣を持つ手に力を入れ、さらに奥へと突き刺していく。


「くだらないのはお前だ」


 語気を強めるウールだが手も足も震えていた。プレッシャーと恐怖。深い傷を負ってなおそれらを放ち続ける災王に心を蝕まれるような感覚をウールは覚える。それでも自らを鼓舞し片方の手を剣から離し、その手で火球を作ろうとした。


 すると災王は突然ドラゴンの如く体の芯から破壊し尽すようなおどろおどろしい咆哮をあげた。目に見えない衝撃波が放たれウールは壁へと吹き飛ばされていく。しかしウールは諦めず、壁に体を打ちつけてしまいそうになる直前、体勢を立て直し両足で壁を蹴るともう一度災王に挑むため走り出した。


 だが走り出して数秒ほどでウールはフッ……と力を失い床に倒れた。


「クソ……、やはりもたなかったか……」


 ウールは力の入らない腕を歯を食いしばって無理やり動かし手の平を災王に向ける。対する災王は勝ち誇ったように笑いながら腹の剣を抜きウールに迫る。そしてウールがやっとの思いで放った小さな火球を赤子の手をひねるように払い飛ばした。


「もう終わりか魔王? さっきの威勢は嘘だったのか?」


 まだ抗おうとするウールの手を災王は踏みつぶす。そして無理やりウールの体を蹴って仰向けにさせると手に持っていたイダの剣を目と鼻の先の突き出した。


「これで終わりだ」


「そうか……終わりか……。なら死ぬ前に一つ聞きたい……。災王、お前はこれからどうするつもりだ?」


「ふん、冥土の土産に教えてやろう。お前が死んだ後はこの世界を破壊しつくすだけだ。人間も魔族ももはや関係ない。全て、全て壊れてしまうがいい! そうだ、それがいい! 愉快だ、実に愉快だ!」


 趣味の悪い笑い声をあげながら笑う災王。しかしウールは災王の話に一切耳を傾けず、体をピクピクとさせながら倒れているスペンサーの方を輝きを失った目で眺めていた。そして災王の笑いがしばらく続くと頃合いを見計らってウールはとてもゆっくりとした声をかける。


「それが…………お前の望みか…………」


「そうだ。実に単純かつ分かりやすく素晴らしいだろ?」


「ああ…………。本当に…………馬鹿が考えそうなことだ」


 災王はウールの手を踏む足の力を更に強めて怒りをぶつける。


「否定されて…………力任せに……返すなど…………なおさら…………馬鹿だと証明――」


 災王はもう一度勢いよく踏みイダの剣をウールに向ける。しかしウールは恐怖をみせず乾いた息をしたまま精一杯に皮肉めいた笑みを浮かべている。


「我を愚弄するか」


「お前みたいな…………大馬鹿者は…………誰であろうと…………愚弄するだろうな」


「もういい、不愉快だ。命乞いをすれば少しは考えてやったものを」


「そんなことをしなくてもな…………私はここでは死なんのだよ。なぜなら私はな…………日頃の行いがいいからな」


 災王は怒り心頭し声をあげながら剣を振り下ろそうとした。だがふと災王は攻撃を止めウールの視線の先を見た。その先には今にも倒れそうなスペンサーが立っていた。意識をいつの間にか取り戻した彼は口をせわしなく動かしながら片手で小さな本の内容を詠唱し、もう片方の手の平を災王に向けている。


「やってくれるな魔王」


 ニヤリと笑うスペンサーの目の前に魔法陣が何重にも浮かび上がる。


「おのれこの死にぞこな――」


 魔法陣から稲妻が放たれる。それをまともにくらった災王は情けない悲鳴をあげながら頭を抱えてのたうち回る。ウールはそれをあざ笑うかのように眺めていた。そして稲妻を出し終えるとスペンサーは片膝をついたまま今度はウールの方へと手を向けた。



「後は頼んだぞ」



 彼の手から銀色の光の球が放たれた。その球はふわりふわりと漂い、やがてウールの胸の中へと帰っていく。瞬間、ウールは目を見開いて体を丸くして悶えだした。


「あいつ……?! 何をッッ……」


 虚ろな目に映る視界が徐々に狭くなっていく。


「いや違う……これは……!」


 体のあちこちからほとばしる稲妻は次第に暖かな銀の光へと変化していく。ウールはまだ動けないが何か変化が起きているのを体の奥底で感じだす。だがそれが何であるかを確信する前に足を引きずりながら災王が剣を持ってウールの前に立った。


「よくもこんな悪あがきを!」


 リンネの姿をしている災王の腕や足は所々元のドラゴンの姿を思い起こさせるようなものへと変化していた。腕は部分部分に傷ついた漆黒の鱗が生えていて、剣を持つ手は醜いドラゴンそのものだ。


「さっさと死ね――」


 その言葉を最後にウールは視界が真っ暗になり声が聞こえなくなった。だが意識はまだあり生きていると確信する。


 ドクン……。


 体の奥深くから鼓動がする。


 ドクン……。


 炎を灯したように体が暖かい。何かの足音が微かに聞こえる。


 ドクン……。


 懐かしい感覚。体のいたるところに力が沸き上がる。聞き覚えのある声が遠くから聞こえる。


 ドクン。ドクン。ドクン!


「――ッハァ……! ハァ……」


 ウールの目に光が戻る。ドッと大きく息を吸っていると視界が回復していき、混乱する頭で状況を確かめようと周囲を見渡す。


 するとウールの目からポロポロと涙がこぼれた。


 ウールは絶望の表情を浮かべる災王と、彼の前で消えていくベルムの姿を目の当たりにした。


 ベルムは風に吹かれた砂のように消えていく。そして完全に消える直前、口を動かし何かを伝えようとした。ウールはそれが何か分からなかった。それでもウールは得意げに笑い、ベルムは安心したように目を閉じる。



 そしてベルムは消えた。



 ウールは悲しみに暮れる間もなく両手に炎を灯して起き上がろうとする。災王はとっさに守りの姿勢をみせるが、どういうわけか突然両腕を大きく開き無防備な姿をあらわにする。


「なんだと?! クソッ!! あの女ああああああああ!!」


 災王は魔法を唱えようと詠唱をするも自らの唇を噛んだ。しようとすること全てを自ら拒んでいる。滑稽な災王に対しウールは走り出すと拳を大きく振りかざし、災王の顔に一撃をぶち当てた。


「ぶヘェ!!?」


 衝撃で吹き飛ぶ災王。頭を振って体勢を立て直そうとしたが災王の周囲全てに息つく間もなく青黒い火柱が立った。そのどれもが轟轟と音と熱風を放ちながらドラゴンへと姿を変える。


 災王はウールのいる方を見た。ウールは勝ち誇った笑みを浮かべながら手を高く掲げている。


「やめろ……やめろおおおおおおお!!!!」


「消えてなくなれ。漆黒ブラック業火ヘルフレイム


 炎のドラゴン達が一斉に災王を飲み込んだ。悲鳴さえも炎の中に消え、やがて炎が消えると災王の姿もイダの剣も、全てが跡形もなく消えていた。


「はぁ……はぁ……」


 ウールはへなへなとその場に座り込み焦げ跡をただジッと見ていた。一歩も動けずにいたウールの後ろから不意に誰かが駆けつける音が聞こえる。振り向くとそこにはレオとリリーが数人の兵士を連れて走って来る姿があった。


「ウール!」

「魔王様!」


 二人がすぐに駆け寄り大丈夫かどうか声をかけるとウールは「平気だ」と精一杯微笑む。


「その頭の角どうしたんだよ?」


「角だと?」


 ウールはレオに言われて頭を手を触る。すると頭の右側に何か異物のような感触を覚えた。


 ウールの頭の右側にだけ、ベルゴーニアのものとよく似た漆黒の角が生えていたのだ。それを不思議そうに触っていたがふとスペンサーの事を思い出し彼のもとへと駆け寄る。


 スペンサーは微かに息をしていた。ウールはすぐに彼を運ぶよう指示を出す。そして兵士達がスペンサーを担ごうとした直前、彼は力なく口を開きながらウールを見た。


「力は……戻ったか?」


「ああ、だがなぜあんなことをした?」


「気が変わっただけだ……。それに、あんな奴に支配されるなど真っ平だからな」


「同感だ」


 ウールは彼に手を伸ばす。スペンサーはその手を訝しげに眺める。


「協力してくれたこと、感謝する。お前が助けてくれなければ奴に殺されていた。しかしだからといってお前を殺さないということはない、いや……できないのだ」


「当然だ。私は国に反逆した者。報いは甘んじて受け入れよう」


「そうか、だがお前の意志は尊重されるべきだ、だから処刑は行うがお前のことはちゃんと後世の者達に伝えておこう」


「……魔王。お前は甘いな。この先きっと苦労するぞ」


「ああ、分かってる」


 スペンサーはよろよろと手を伸ばしウールと握手した。そして握手をし終えると彼は懐にしまっていた白の手記を手渡した。


「……頼んだぞ」


「ああ」


 スペンサーは兵士達に連れられてウール達のもとを去った。ウールは手に炎をつけ白の手記を燃やし床に放り投げる。その時ふと、ベルムのものだった大剣が目に入る。するとウールはうつむきながらレオに戦いが終わった事を他の者達に伝えるよう指示を出した。レオは少し戸惑いながらもすぐに外へと走って行った。


 レオが去ってウールはリリーと二人きりになる。そしてウールはベルムの大剣のそばに跪くとそっと大剣を撫でる。金属の冷たさがひしひしと手に伝わる。取っ手の部分もまた冷たい。


「……ようやく終わったな」


「ええ」


「……リリー、近くに来てくれ」


 リリーが静かな声で返事をしウールの隣にかがむとウールは彼女の方をゆっくり振り向いた。そして顔を見ずに勢いよく彼女の胸に飛び込み、泣いた。声を殺さず、子供のように大声で泣く。全てを吐き出すように嗚咽交じりに泣きつづける。


 リリーは涙を目にためながらウールの頭を優しく撫でた。やがて撫でるのをやめ、精一杯抱きしめる。ウールの悲しみを受け止めるように。





 その後、王都に帰還したウール達はスペンサーを反逆の罪として処刑することを決定した。そして処刑が執り行われる前日、もう一度彼と彼の唯一の娘であるマリーを会わせ二人の思いをウールは真剣に聞いた。それを終えるとスペンサーは満足し、翌日、王都の民衆達とマリーに見守られながら処刑された。


 一方マリーはスペンサーの処刑が行われた数日後に刑罰を受けることとなった。右目をくりぬかれ、背中に焼き印を打たれ、ムチ打たれ。そして彼女は半年間、城内の地下牢に投獄された。その間マリーは気が狂いそうになるほど苦しんだ。しかしそれら全てを受け入れ、執念と父への思いを胸に耐えきった。


 これをもって、戦いの全てが終わった。


 そしてウールは新たな時代に向けての奔走の日々を送っていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る