第81話
それはウール達が地下迷宮へと向かっていた頃までさかのぼる
大陸中部にあるダグラス家領地内の城は『
今日そこで、当主ギルバート・ダグラスの生誕を祝う宴会が開かれていた。大広間の木のテーブルに並べられた酒や料理を彼の家臣達や家族が愉快に食べ、その中を給仕たちがせわしなく動く。喧騒で満ち笑いの絶えない光景を彼は隣に座る妻と共にワイン片手に満足した様子で眺めていた。
だが、今彼の目の前に広がる光景。
至福だった時を嘲笑うかのように残酷なもの。
壊された照明、逃げ惑う人々。次々と壁やテーブルに
それはイーラ率いる悪魔達によるものであり、文字通り
「ひぃぃッ!」
「助けてくれ!!」
「ああ……ああ……」
助けを乞う声、抵抗する者達の叫び声はもはや言葉になっていない。阿鼻叫喚は木霊し、彼らは悪魔達に成す術も無く殺される。
あるいは磔にされる。
あるいは、皮をはがされた。
「もっと叫びなさい。もっと苦しむ声をだしなさい!」
着々と悪魔達が任務を遂行する中、愉悦に満ちた声で笑うマドクスは顔を返り血で濡らしていた。その血は目の前のテーブルに倒れ怯えきった男のものだ。
彼女は迷わず男の両肩を鉄製の串でえぐる。気を失いそうになると魔法を詠唱し傷を癒してあげた。
しかし慈悲ではない、楽しむためだ。
再び傷をえぐると男は苦痛に悶えた。マドクスはそれを恍惚な顔をしたまま堪能する。
「もう~相手は一人じゃないんだから」
「あらごめんなさい。でもいい反応をみせる彼が悪いの」
「みんな似たような反応だと思うんだけど。あたしには分かんないな~」
呑気に答えるモリガンは背中から黒々とした羽を生やし目を
「よ、よくも!!」
モリガンに対し無謀にも一人の兵士が突っ込んできた。
当然のように彼女はひょいと避け兵士を掴んで宙を舞う。壁へと押し付け、自らの豊かな胸を誘惑するように押し付ける。
「げ、外道が! こんな事をするなんて!」
「ん~? 人間も同じじゃない? あんた達も敵には容赦しないでしょ? 痛めつけるでしょ? 辱めるでしょ? 殺すでしょ?」
クスクスと微笑み舌なめずりをする。そしてモリガンは彼の剣を叩き折り肩に手を回す。白く艶めかしい彼女の膝が彼の股部分を上下に擦る。
「こんな状況じゃなかったら娼婦よりもいい事をしてあげたんだけどな~。だって~あたし人間のことが好きだから!」
「ふ、ふざけ――」
「で~も~、大好きな魔王様の敵は大嫌い。だからね、用が済むまで
兵士の腹にヒューヒューと空気が通り抜ける。
兵士は腹から血を垂らして絶叫をあげた。しかしモリガンは気にせず兵士の肩を噛んだ。
尖った歯が鉄の装備ごと貫き肩の肉をえぐる。子供のように無邪気な笑みを見せるモリガンは肉ごと兵士の肩を噛み千切り、血をゴクリと飲みほした。
そうして彼女達が殺しの限りを尽くしている中、イーラは怯えきったギルバートに向かい合っていた。
「お、王国に仕える最大の家にこんな事をしてただで済むと思うのか?!」
「ハッ。国の裏切り者であるおぬしが言えたことか? 貴族や商人どもの妨害工作、その元締めがおぬしであることは既に把握しておるんじゃよ」
「ふざけるな! 私は魔族が来た後も平和的立場を取っていた! 現にこの辺り一帯の治安を維持し王国にも兵を出しているではないか! 反抗しているのは立場が危うくなった貴族や商人達くらいであり、我々ダグラス家がわざわざそのようなリスクを冒す理由などない!!」
「建前上はな」
ギルバートは
「勘違いしておるようじゃが、わらわ達も
「何……? どういうことだ?」
「戦は近い。にも関わらず裏切ることが見え見えのおぬしとのんびりお茶会を開くと思うか? 時間を稼がれ敵にとって優位な状況を生み出すだけじゃろう? あるいはそうじゃのう……、その時を狙ってお嬢を暗殺するとか。そしてあることないこと適当にほらを吹き、民衆を味方につけ内部から瓦解させる。民衆は阿呆の集まりじゃからのう、コロッと寝返るじゃろうな」
「ハッ! 馬鹿か、そのような妄想が根拠になると――」
間髪入れずイーラは彼の胸倉を掴んだ。
「よいか、これは見せしめじゃ。我々
「魔族を……? ッ?! 貴様! まさか最初から人間を利用するつもりで!」
「お嬢がどう考えておるかは知らぬがわらわは最初からそのつもりじゃ。魔族の方が人間などという下等な者達よりもずっと優れた存在じゃ。それを知らしめ、精神的隷属を達成するには、人間共との共存というのは長い目で見ればうってつけなんじゃよ」
ギルバートは呆然とする。そして不意に諦めたかのように笑う。
「ああ……、だからスペンサー殿は頑なに……」
ちょうどその時、クーがイーラのそばに現れ「一通り片付けました」と報告した。イーラは頷くとギルバートに対し「気でも狂いおったか」と侮蔑のまなざしを向ける。
だがギルバートは屈するどころか反骨の精神をあらわにする。
「ふん。どちらにせよおぬしの命はもうわらわの手の中じゃ」
「果たしてそうか? 私は長く王国内で立ち回り続け幾多もの危機を乗り越えた。目先のことだけしか見えていない愚かな魔族などにそう易々と殺されるわけないわ!」
瞬間、広間に数十人の重装備を付けた兵士達が入ってきた。彼らは一斉に手を前に突き出しそこから様々な光の矢を放ちだす。
「魔道兵達よ! 奴らを蹴散らせ!!」
ギルバートの声を背にクーはすぐさま魔道兵達へと突っ込む。奇襲を受けたせいで既に何体かの悪魔がやられていた。
クーに気づいた兵達はそこかしこで死んでいる悪魔と彼女が明らかに違う存在であるとすぐ察知する。
「あの女を狙え!!」
一斉に光の矢を放たれる。しかしどれも当たらない。
なぜならクーは彼らの前からこつ然と姿を消したからだ。
狐にでも包まれたようにどこにも見当たらない。
しかし数秒後。
「なっ?! しまった!」
兵士の後ろに姿を現す。
気づいた時にはもう背中に回転を加えた蹴りが入っていた。しかし兵士が思った以上のものではない。彼が強いからではなく鎧のおかげだ。
クーの奇襲は鎧にヒビを入れるだけにとどまった。
「鎧にも魔法が……。モリガンお姉ちゃん! 強いのお願い!」
「任せてクーちゃん! でもちょっとだけ時間ちょうだい?」
甘えたげな声で言うと宙を飛ぶモリガンは両腕を高くかかげた。プルンと欲をかきたたせるようにたわわな胸が揺れる。しかし彼女の頭上に現れた赤黒い雲のような渦を見て兵士達はすかさず手を向ける。
「まだ相手しちゃダメよ」
兵士の腕にマドクスから放たれた鞭が絡む。身動きの取れなくなった兵士はされるがままに別の兵士達を巻き込むように吹き飛ばされた。
「クソッ! 何としてもあの魔法を発動させるな!」
躍起になる兵士達をマドクス達は必死に抑えるがモリガンの一撃は発動までに数分の時間を要するものだ。数で不利な悪魔達は次第に全滅し、最後に残ったのはクーとマドクスだけだった。
イーラは加勢しようにもギルバートが逃亡しないよう見張っていて手が出せない。この状況がいつまで持つかは分からないがもう時間が残されていない事だけは確かだ。
「お姉ちゃん!」
「お待たせー!」
モリガンの頭上には赤黒い光の渦はバチバチと小さな稲妻を放っていた。兵士達はそれに気づくと青ざめ、逃げようとする者まで現れる。
「ざ~んね~ん。もう終わり」
その声を合図にクーとマドクスは兵士達から離れた。直後、渦の中から赤黒い色の光の槍が無数に降り注ぐ。
「アッハハハハハ!! いたそ~う! くるしそ~う!」
ケラケラと笑うモリガンの足下で兵士達は悲鳴をあげる間もなく全滅した。それを目の当たりにしたギルバートは口を開けたまま絶望を浮かべている。
「あの程度で自信を持っておったのか? だとすれば魔族を見くびりすぎじゃ」
「あ……ああ……」
ギルバートはもはや廃人のような言葉しか出せていなかった。わなわなと震える手を抑えようと握りしめる。その手には小さな赤い宝石の指輪がはめられていた。
「ふん。三文芝居をしおって」
バン!
イーラは彼の手を思いきり叩いた。宝石がいとも容易く砕けると彼の頬を手でつかむ。
「わらわにハッタリが通用するとでも思うたか?」
ギルバートは必死に離すよう訴えながら暴れている。
「目の前で配下達が一方的に殺されるのを見て正気でいられるとは感心じゃ。じゃがこれはどうかのう」
イーラが目を見開くと次第に目が黒く染まりだした。ギルバートはそれを食い入るように見つめてしまう。
「あ、ああ!! 腕が、腕がああああああああ!! 熱い!! 食われる!! 虫、虫が!!」
体をジタバタと動かしガリガリと無茶苦茶に腕をかきむしる。傍から見れば彼の体に何の変化もない。しかし彼の見えるものは違っていたのだ。
腕が溶け、蠢く虫達に食まれる。
耐え難いほどの幻覚。
良心があれば彼の悲痛の叫びと異常なまでの苦しみ様に心を痛ませるだろう。しかしイーラはものともせず非情なまでにジッと幻覚を見せ続ける。
しかしそれは、突如として終わりを告げた。
「イーラ様危ない!!」
モリガンの声が聞こえた。直後、イーラの体は彼女に押され横に吹き飛んだ。
イーラは視界の端で何か先が細長いものが飛ぶのを見た。それが何かを理解する暇はなかった。
「……モリガン?」
顔に血を浴びたイーラは魂が抜けたように名前を呼んだ。目の前には腹を剣で貫かれたモリガン、そして顔を串刺しにされたギルバートの姿があった。
一体何が起きたのか。なぜ気づけなかったのか。疑問と焦りが頭の中を渦巻く。
しかしそれは一瞬にして吹き飛んだ。
「ああ、ギルバート様まで巻き込んでしまったわ」
イーラの全身をぞわぞわと得体の知れない悪寒が走る。何百年と生きてきた彼女でさえ一生に何度体験するかと思えるほどの。
「でも仕方ないわよねえ?」
彼女は懸命に息を整え声の聞こえる方へと振り向いた。そこには不気味に笑う『白騎士』の姿があった。
「だって、正しい事を為す時は常に犠牲がつきものなんだから」
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