第1話(2)

 「はあ~~」 

 古い文化棟の建物を見下ろせる北側の土手で、ソラは寝転がった。

 ここは入学以来のお気に入りの場所だった。

 校内の敷地でも奥にあるから、あまり人も来ないし。

 最初の頃は、あの小さい建物が文化棟とは知らなかった。

 なんだろなーと思いつつも、いくこともなかった。

 今日はじめて足を踏み入れたのだ。

「あーあ……」

 またため息。右手に持っていた書類をソラは眺めた。

 けっこう、ごちゃごちゃと書くところがある。

 部を一つつくるのが、こんなにめんどくさいことだと思ってなかった。

「ちゃらっと作ってくれればそれでいいのにさーー、ちゃらっと」

 びゅうとその時、秋の風が吹いた。

 ソラが片手に持っていたその書類が、風に誘われ、ひらりと舞い上がる。

「おわーー!!」

 ソラは慌てて起き上がった。書類失くした、なんていったら、あの黒いストレートヘアのちょっと怖そうな先輩に怒られてしまいそうだ。

 書類は、はらりと草の上に落ちた。

 それを、すっと拾う手が伸びる。

「あ……」

 立ち上がったソラは、その人を見た。

 すらりとした体格。髪が長くて、横からすくいあげたパートを頭頂部で止めている。なので、すっきりとした頬のラインが見えた。

 肌は白くて、切れ長の目で。

 ボレロをきちっと着込んでいて、胸元のリボンはえんじ色。ということは二年生だ。

 なんか大人っぽい人……。

 ソラは思った。もっともソラはいまだ中学生に間違われるくらいで、子供っぽいとよく言われる。

「……ずいぶん、珍しい書類」

 その人はそう言った。落ち着いたアルトの声。

 その声で、ソラは我に返った。

「あ、す、すみません。あたしのです」

 ソラは駆け寄った。

 はいと、その人は書類を差し出す。

「部を作るの?」

「え、は、はい、つくりたいと思ったんだけど……」

 へえと、その先輩は笑った。笑うと、大人っぽさが消えて、逆に可愛らしい雰囲気だった。

  

「あははー! そんなに簡単につくれるわけないって」

 大人っぽいルックスとは裏腹に、その先輩は気さくな話しぶりだった。

 ソラはなんとなく経緯を話しているうちに、その先輩について、また文化棟に戻ってきてしまっていた。

「あたし、そういうの知らなくて……」

「申請してきたところをかたっぱしにオッケーだしてたら、大変なことになっちゃう。部室や予算は足りないし、一年で活動をやめてしまうところがあったら困るからね」

「そっかー……」

 なるほど。そういわれてみたら、もっともだった。

 文化棟の階段を登っていくと、踊り場の掲示板にいろいろな張り紙がしてあることに気がついた。

 中には「演劇部部員募集!」などの張り紙もあった。

 ソラは、張り紙の前で足を止めた。

「この時期でも、まだ部員を募集してるんですか」

 先輩も立ち止まり、振り返って、ソラが指し示した先をみる。

「あー、演劇部は人が多いほうがいいしね。基本的にどの部も、部員はいつも受け付けてるはずだよ」

「そうなんだ……」

「部員は多いほうがいいでしょ」

「はあ…」

「うちも、毎年部員不足だからね~」

 と、いって、先輩は階段を登りだした。ソラも慌てて、後を追う。

「うちの部室!」

 三階のとある部室を、その人は指差した。

 「写真研究会」と看板がかかっている。

 

「やー、明日真、珍しいじゃん」

「やほー」

 その先輩につれられて、ソラはその部室の中にはいった。

 後ろに髪を一つにまとめてばっちんと大きなバレッタで止めている少女がいた。

 文庫本を片手にもって、パイプ椅子に座っていた。

 リボンの色から察するに二年生。

 もっとも文化祭も終ったこの時期は、たいていの部は三年生は引退しているはずだった。

「あ、あの、おじゃまします」

 あずまっていう名前なんだ、この先輩……と思いながら、ソラはぺこりを頭を下げた。

「あ! 一年生!? もしかして入部希望!?」

 座っていた先輩が、いきおいよくパイプ椅子から立ち上がった。

「ちがうよぉー。さっき、拾ってきたんだ」

 ね、と明日真はソラのほうをみた。明日真はソラより十センチ近くは背が高いだろう。明日真ににこりと笑われて見下ろされるとなんだか恥かしい気がした。

 な~~~んだと、部室にいた先輩は露骨にがっかりしていた。

 でも、特に気を悪くしたふうでもなく。

「まあ、ゆっくりしていけば? 適当に座って」

 と、きさくに声をかけてくれた。

 明日真が、その彼女を指し示す。

「うちの部長だよ。正式には会長っていうんだけどさ」

「明窓女学院写真研究会第二十八代会長、吉村奈々子でーす」

 おどけたように奈々子はそう挨拶した。

「二十八代? ってことは二十八年は続いてるってことですよね?」

「うちは古いほうだよねえ」

 明日真が奈々子に向かって。

「そうだね。確か一番古いのは、演劇部じゃなかったっけ?」

 そうそうと、明日真はうなずきながら、椅子に腰掛けた。

 そして、目でソラに、

 すわったら?

 という感じで、視線を向けてきたので、ソラも明日真の隣にちょこんと座った。

 部室を見渡す。

 六畳もないだろうか、縦長の部屋だった。

 扉と反対側になる奥は窓。窓の向こうには建物はなにもないので、空が見えた。

 窓の下には古い机が二つ並んでいる。

 教室で使うような机だ。学校からもらったのだろうか。

 はいって左側の壁にはガラス戸がはまったスチールの棚がある。

 カメラが三つほどはいっている。

 あとはソラにはよくわからないもの。

 そのスチール棚の入り口側の隣には、ごく普通の木製の本棚があり、写真関係の雑誌やマニュアルと思われるものや、書類ファイルなど。そして、誰かが部室に置いていっているのか、三年生が使う英語と古文・漢文の教科書が無造作に横にしておかれていた。

 壁には三脚が立てかけられていた。

 大きいのが二つ。

 ソラが座った正面には、小さな黒板がある。

 どうやら壁に作りつけになっているようだ。

 黒板にはなにも書かれていない。

 黒板の横には額にいれられた写真が(大きさはB5くらいだろうか。ソラは写真には詳しくなかったので大きさの呼び方はよくわからなかった)飾ってある。

 写真のことがよくわからないソラにも、それがなかなか雰囲気のある写真だと思えた。

 モノクロの縦長の写真だった。

 北門(裏門とも呼ばれる)に向かう小道が写っている。

 その道を、生徒が一人歩いている写真だった。

 生徒は夏の制服姿で、後ろ向き。つまり北門に向かって歩いている。

 帰宅途中の一コマ、といった風情だが、写真の少女は手にはなにも持っていない。

 明窓女学院には指定の鞄があった。

 サブバックは指定されていないので、体操着等を持ち歩くのには、みなそれぞれに使い勝手のいいものを使っているが。

 写真の少女は何も持っていなかった。

 その写真の横には大きめのただの白いパネルがあり、そこは無造作に普通サイズの写真がピンで取り付けられていた。

 あ……この間の文化祭の……。

 ソラは写真を見て気がついた。

 それらは、先日終った文化祭のさまざまな写真だった。

 ソラが大道具係だったクラス演劇の「雪の女王」の写真もあった。

「そんなに写真珍しい?」

 その無造作に貼られた写真の下に座っているのが奈々子だった。

 ぽかんと口をあけてみていたソラは慌てた。

「いえ、あたしのクラスの演劇の写真があったので」

 あ、ほんと? と奈々子は立ち上がった。

「どれ?」

「雪の女王のです」

 ぴっと奈々子はピンをとって、その写真を取り外す。

「もしかして、きみ、出てたりしたの?」

「いえ……あたしは大道具係で」

「そ、でも、記念にあげようか」

 はいっと奈々子は写真をソラの前に差し出した。

「え、でも、いいのかな……もらって」

「うん、いいよ。それは実はちょっと失敗作だから」

 改めて写真を見ても、どこが失敗なのかはソラには判らなかった。

「ありがとうございます。これ、教室の掲示板に飾ってもいいですか? みんな喜ぶと思うし……」

「かわいいこというねー」

 ソラの隣の明日真がいった。

「え……」

 ソラは驚いて、明日真のほうを見た。

「明日真、一年生をからかわない」

 奈々子が椅子に座りながら言った。

「だって、ね?」

 ね? っていうのは、明日真がソラに向かっていった言葉だった。でもソラはなにが「ね?」なのかよくわからない。

 あたし、なんか変なこといったかなと、ソラは自分の言ったことを思い出そうとした。

「ほら、一年生ちゃん困ってるじゃない。写真は好きにしていいよ」

 奈々子は言った。

 ソラは再度礼を言って、その写真を先ほどもらったクラブ申請の紙を折った間に挟んだ。

「なに持ってるの?」

 奈々子がソラに聞いた。

「そうそう、そもそも最初に拾ったのはその紙だったんだけどさ」

 明日真が笑った。

  

「落研かあ、それはまた渋いところを。落語好きなんだ?」

 奈々子がソラに聞いた。

「はい」

 ソラがうなずいた。

「頑張って、部員集めるしかないよねー」

 明日真はそういったが、奈々子がうーんと考えこんだ。

「はたして落語をやりたいというお嬢さんがうちの学校にいるだろうか?」

 明窓女学院は、私立の女子校ではあるが、ものすごいお嬢様学校ではない。

 どちらかというと、進学指導に重きを置いている進学校だった。

 ただ、歴史だけは無駄に長い学校で、私学ということもあり、近隣では「お嬢様学校」という目ではみられていた。

 実際は文武両道を校風とし、体育会系の部活動も、文化系の部活動も活発だった。

 文化系では特に吹奏楽部が地区大会で優勝したりなどで実績がある。

 この吹奏楽部に入部するのが目的で、進学してくる生徒もいるそうだ。

 まあ、お嬢様学校だろうがなかろうが、女子高生で落語を趣味とする人はあまりいないだろう。


「そもそも、部室待ちのサークルがまだ三つはあるからね」

 明日真がソラに言った。

「え、そんなに!」

 ソラは驚く。じゃあ、部を仮に作ったとしても、部室はもらえそうにないじゃないか。

「そういうところは、放課後に空き教室を借りたり、ここの文化棟の一階に会議室があるから、そこ使って集まったりしてるよ」

「そっか……」

「部室あるのとないのじゃ大違いだよね~」

 奈々子が自分の部室を見渡して言った。

「ウチだと機材とかあるからさー。置ける場所は必要だよなあ。うちも毎年部員少ないから、部室とりあげられないか心配なところもあるけど」

「と、取り上げられたりするんですか!?」

 文化棟にはどうやらいろいろと厳しいルールがあるらしい。ソラは自分の調査不足を心の中で嘆いた。

「あまり部員が少ないとねー。だって、仮に五人しかいない部室ありの部より、部室はないけど、十五人いるところに譲ってあげたほうが、建物も有効活用されるってものだし」

 明日真がそう説明した。

「ま、そういうもんだよね。ウチはあんたがいるから、しばらくは大丈夫だろうけど」

 奈々子が明日真にそういった。

 ふふっと明日真は笑った。

 聞けば聞くほど、部をつくるのは大変なことらしい……とソラは青ざめた。

 その時だった。

「きゃーーーーー!!」

 廊下から悲鳴が聞こえた。

  

「どうしたの?」

 写真研究会の部室から、明日真とソラそして奈々子も飛び出した。

 隣の部室のドアが開いていて、二人の生徒が中をみている。

「あ、明日真さん」

 三つ編みにした二年生が、明日真の問いかけに答えた。

「実は水道が……」

「ああ、調子悪いっていってたっけ」

 明日真はひょいと開け放したドアから、部室の中を覗いた。

 ソラもつられて、明日真の後ろから覗いてみる。

「あーあ~」

「うわあ」

 二人は同時に声をあげた。

 部室の奥にある小さなカランの蛇口から水が上のほうに噴出していた。

「いきなり、噴出してきちゃって~!」

 三つ編みの生徒の制服のボレロがよく見ると濡れていた。

 水はまだ噴出している。

 部室の床がじわじわと濡れだしていっていた。

「これはまずいね。誰か鍵おやじ呼んできて」

 その明日真の言葉に、三つ編みの生徒が頷いて、駆け出した。

 かぎおやじってなんだろ……?

 ソラがそう思って、明日真に聞き返そうと思ったら、明日真は部室の中にはいっていった。

「やれやれ」

 明日真がボレロを腕まくりする。

 ソラがその後を追った。

「どうしてこの部屋には水道があるんですか? 隣にはなかったのに」

「ここ、美術研究会だから。筆洗うのにね」

 袖をまくりきって、明日真が振り返った。

「ほら、さがって」

 その言葉にソラは立ち止まった。

 水が噴出している水道に明日真が近寄った。

 蛇口をひねる部分が甘くなっているのだろうか、そこから水は四方八方に噴出していて噴水のようだった。

 明日真はその水が降りかかるのも構わず、カランの下のほうにしゃがみこんだ。

 あああ、スカートも濡れちゃう!

 ソラがまず思ったのはそれだった。

「えーと、この辺に元栓があるはずなんだ」

 そう明日真は呟いて、腕を伸ばす。

 きゅっと元栓をひねったのだろう。

 噴出していた水がしゅううんんと納まった。

  

「ごめんね~~、明日真さ~ん」

 残っていた美術研究会の部員が、明日真に頭をさげた。

「あとは鍵おやじがきたら、緊急処置してもらったらいいかもね」

 噴出した水で髪の毛も濡れたのだろう、明日真がハンカチで前髪を拭きながら言った。

 奈々子は、いつの間にか一眼レフカメラを手にして、室内の写真をとっていた。

「ふふーん、また新聞会に写真提供して恩売っておこー」

 楽しそうだった。

「あの、鍵おやじって?」

 ソラは、明日真に聞いた。

「ああ、この建物を管理してくれてるおっさんだよ。古い言い方で用務員さん? っていうのかな。学校に雇われてる人」

「なるほど……」

 ソラは納得した。

 なんで鍵おやじなのだろう? とさらに尋ねようと思って明日真をみたら、明日真のハンカチがだいぶ濡れているのに気がついた。

 ソラはポケットに手をいれて、自分のハンカチを取り出した。

「あの、これも使ってください」

 差し出したハンカチは、ソラの好きな猫のキャラクターがついたパステルカラーのものだった。

 ちなみにソラの持っているハンカチは全部このキャラクターものだった。

 明日真がじっとそれを見る。

「ありがと」

 と、ソラのハンカチを受け取って、それで手を拭いた。そして、まだ写真を撮っていた奈々子に声をかける。

「奈々子。私、行くわ」

 奈々子が振り返った。

「うん、がんばってー」

「あ、ハンカチ」

 そう言ってから、明日真がソラを見る。

「一年何組?」

「え? C組です」

「これ」

 明日真はソラのハンカチをひらひらっとさせた。

「濡れちゃったし、明日返しにいくね」

 ソラの返事も聞かずに、明日真はみなに背を向けて歩き出し、先ほど、ソラと明日真がふたりで登ってきた階段を降りていった。

 

 

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