(8)負けないで、魔王さま

 ――炎の剣があったら。

 ウリエルは思い出していた。


 自分の手にしっくりと馴染む柄とその剣の重さ。思い通りに動かすことが出来た。剣の意思と自分の意思が一致する感覚。剣に動かされ、守られていると感じるあの喜び。剣の鼓動が伝わり、耳の奥で声が聞こえるような気がしたものだ。


 こっちだよ。

 おいで、今は逃げよう。

 そこだ、叩け。斬るんだ。

 よし。いいぞ。

 上手、上手。


 大天使ウリエルの戦いぶりは美しいと言われた。

 踊るように斬る。舞うように相手をかわす。

 血しぶきすら、彼女を美しくすると。

 

 ――そう、言われた。

 本人はただ、必死に戦っていただけなのに。


「ほうほう、そろそろ限界ですか」


 ガチャンと聖剣が大きな音を立てて落ちた。魔王は肩で息をしている。


「手が滑っただけだ」


 吐き出すように言い、手首をくいと手招きするように動かす。次の瞬間には聖剣が彼女の手に戻る。


 ――まずいな。


 魔王は正直に状況を認めた。短期で臨めば倒せると踏んでいたが、相手は封印が長かったくせに動きが素早い。それに聖剣から受けるダメージが予想よりも大きかった。


 すっかり魔族なんだな。

 聖剣が痛い。握る手がヒリヒリするし、重さが増していく。体の奥から体力を奪われていくようで、膝に力が入らない。


 悲しい……のかな。目の奥が熱い。心臓がドクンといってうるさい。

 負けるんだ、こいつに。

 いや、自分にのしかかった運命に負けるんだ。


 魔王は笑った。空気が抜けるみたいに。


 ラファエルもガブリエルも、何を考えていたんだろう。わたしから炎の剣を取りあげるなんて、負けろと言っているようなものだ。


 それとも――と、苦い考えがよぎる。


 ルシファーに味方すると思われたのだろうか。炎の剣で氷を溶かすと、そう二人に思われたのだろうか。神を恨んでいると、そう思われたのだろうか。


 魔王は伏せていた目を上げた。するとルシファーの瞳にぶつかった。黄金色の瞳が射貫くように自分を見ている。何もかも分かっているというように、その眼差しが笑っている。


 ――馬鹿らしい。


 魔王は首を振った。あいつとは違うんだ。

 耳の奥で幼い笑い声がした。楽園で遊んだ頃。あの思い出がウリエルを襲う。

 懐かしい。楽しかった遠い日。もう二度と来ない日々。


 ――ああ、ずるい。


 ウリエルは目を閉じる。まぶたの裏にデビーが見えた。それから宰相にバアル・ゼブブ、他の悪魔たちも。


 ――魔王だもんな。


 新しい思い出。新しい記憶。

 人間たちの顔が次々と浮かぶ。最後に切羽詰まった少年の顔。


 ――あいつか。


 ロンリーか。ははっと笑いが込み上げる。うちに帰してあげるんだったな。

 聖剣を握る手に力が入る。

 でも――

 

 ああ……、重い、痛い、辛い。


 アスモダイが笑っている。その顔が迫る。


 ――ごめん、負ける。


 魔王は目を閉じると、衝撃に備えて体に力を入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る